05_B__03_09 第5話 Bパート 分割 3 / 9
第5話 Bパート 分割 3 / 9
【注意事項:楽典以外の余談に、児童には不適切な生々しい描写や、心的負担の箇所があります】
【 第5話 概要 】
サブタイトル:ゲオルギア。
OP曲前:ステラが引っ越して来た日。平日で、母親と買い物、学校の近くを通る。メルヘンの服装のステラに、グランドにいたショージが一目惚れ。
Aパート:楽語はイタリア語が多い、ローマ字読み、イタリアの首都がローマ。ローマ数字は音階、和音、大文字小文字は長短。メトロノームとベートーベン。速い6/8拍子。モーツァルトの『鏡』。俳句は4拍子。
CM明け:音楽の先生が自動車免許の更新。今朝の星占いは最悪。ここにいるのは、ほとんどが同じ星座。この場所は、最悪の星座の人の集まりで、びくびく。
Bパート:トロンボーンの楽譜が2声、音符の下に休符。「♯」「#」の違い、紛らわしいカタカナ。ドイツ語の音名「H」の由来。音楽理論を用いた非難は、いじめの構図と似ている。デタラメの効用。新手法の否定。憲法の自由。
Cパート:クラシックギターでは、3声を1段に書いている。
予告:ヤッ子の姉には夢があり、ステラは海老逃げし、ハルはみんなから「好きー!」って抱き着かれる。宇宙人には、どう説明すればいいんだ?
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ヤッ子。ハルが言いたそうなので、表情で促す。
ハル「塩を入れる」
ミッツ「塩? 塩を入れるなんて、逆でしょう。甘くするんだから、塩を入れていたら、減らすでしょう、普通は」
ハル「お汁粉には、少しだけ塩を入れるから、美味しい甘さになるんだ」
病院での入院患者用の食事は、病状に合わせた個別のものも用意される。そこでは、塩が入っていない(極めて少ない)お汁粉が用意されることもある。調理の工夫はされているものの、惜しいことに「美味しい甘さ」ではない。
ミッツ「少しって、スプーン1杯くらい?」
ハル「入れ過ぎだ!」
ミッツ「お椀にスプーン1杯じゃないよ。お鍋にスプーン1杯」
ハル「それでも多い。塩は指でつまんで、1回だけ」
ヤッ子「早坂君は、料理ができるのか?」
ハル「シメジ婆さんから、基礎は教わりました」
ミッツ「え? いつ教わったの?」
ハル「ああ、正月に遊びに行った時、子供達が少なかったから、一緒に料理をしたんだ」
▽ 場面変更 ● ── ●
回想。
シメジ婆さんの自宅。いつも、近所の子供達の遊び場、たまり場になっている。
ハル。小学生。
遊びに来ている子供は3人。
シメジ婆さん「ハルくんは、これ」など、それぞれの子供に指示。
シメジ婆さん。わざとらしく、独り言。「さて、味付けの仕上げをしましょうか。お汁粉は甘いけど、ちょっとだけ塩を入れましょうかね」
子供達は、自分の仕事をしながら、シメジ婆さんを見る。
シメジ婆さん「塩は、ほんのちょっと、ほんのちょっと。ほんのちょっとの、2本指でつまんで、パラパラと」
▽ 場面変更 ● ── ●
回想が終わり、さっきの続き。
ミッツ「それで、お汁粉を作ったの? いいなー」羨ましがる。
ハル「ああ。お汁粉と、ちょっとしたおせち料理。食べ終わったら、嫌っていうくらい、うがいさせられた」
▽ 場面変更 ● ── ●
回想。
シメジ婆さんの自宅。いつも、近所の子供達の遊び場、たまり場になっている。
ハル。小学生。
シメジ婆さん「よーっく、すすぐんだよ。右のほっぺ、左のほっぺ、上の前歯、下の前歯」
▽ 場面変更 ● ── ●
回想が終わり、さっきの続き。
ヤッ子「楽しい思い出があるってのは、いいな」
ハル「料理によってアドバイスと効果が違うように、音楽理論も、アドバイスと効果が様々なんですね」
ヤッ子「そうだ。お汁粉や、塩キャラメルでは、塩が効果的だったが、いつでも、どんな料理でも効果があるとは限らない」
ヤッ子「情熱的な、乗りの良い曲で、ずっと激しい曲調ではなく、ゆったりした箇所があるのも、いい感じだ」BGMに、『カルメン』(ビゼー)の一部。曲調が急激に変わる部分。
ヤッ子「作曲していて、もし、一瞬でも嫌な音を出したくなければ、あらゆる音楽理論を知らなければ、作曲できない」
ヤッ子「作曲は試行錯誤。アドバイスが多くて迷走することもあるし、偶然に良い感じになることもある」
ミッツ「だから、「理論」って名前がおかしいんですね」
ヤッ子「くれぐれも言っておくが、「音楽理論」の「理論」という呼び方がおかしいと思うのは、私の考えだからな。「理論」で納得している人もいることは忘れるな。思想は自由だからな」
ミッツ「何をやっても自由だって、憲法で保証されていますものね」背景に「保証」の文字。この文字は、ヤッ子のセリフと見比べるので、表示したまま。
ヤッ子「それは違うぞ。憲法では、迷惑を掛ける自由は、認められていない」
ミッツ「え? 憲法では、表現の自由とかが、保証されていますよね」
ヤッ子「教科書に憲法が載っていないか? 読んでみたまえ。憲法で保障されている自由は、公共の福祉に用いる責任がある」背景に「保障」の文字。
ハル。背景の「保証」「保障」を見比べて「どういう違いがあるんですか?」
ヤッ子「漢字のことは、自分で調べてくれないか。私が言えるのは、迷惑を掛けることを目的としてはいけないってことだ」
ミッツ「理論かどうかは別にして、これまでのアドバイスに無い、新しい手法で、面白い曲ができたり、美味しい料理ができたら、それが新しい音楽理論になるんですね」
ヤッ子「そうだ。そのように、芸術、ひいては文化は進化するのだが、音楽理論を用いて批判することで、虐めの構図と似てしまうんだ」
ハル「虐めの構図ですか?」
ここからの、ヤッ子を中心とした虐めの話は、楽典の解説とは異なるため、削除可。
虐めの構図の話が終わり、楽典の話に戻るのは、「シ」は、英語では「B」で、ドイツ語では「H」の話から。
ここからの内容を、予め要約すると、「虐待を受けた者は、周囲から嫌われ、苦しみは生涯に亘り、幸せになるのは、とても難しい(確率が低い)」となる。
ここからの内容は、登場人物のセリフで、事象をそのまま表現している。「世界観を用いた暗喩」の手法としないため、視聴者に、精神的負担を与える懸念がある。
ヤッ子が、この話を重要として、生徒に話すのは、第6話で明かされる、姉である美音の経験に由来する。
ここからの部分をアニメに用いるかは、意見が分かれるだろう。被災者や戦争経験者は、「それを伝える人」と「厭なことを思い出したくない人」がいるように、当事者にも様々な意見がある。
大災害も戦争も、それ自体は「もう終わったこと」ではあっても、後遺症は生涯に亘る。この部分をアニメにすると、生涯に亘る後遺症を悪化させる危惧があると共に、公にしないことが虐待の発生を減らせない弊害もある。
ただし、当アニメの主題とは大きく離れているため、この部分を完全に削除した場合の「虐待の発生を減らせない弊害」の責任は無い。
ここでは、「虐めの被害者側」と「虐めの現状に無関心な人」に着目した会話を、主に扱っている。当アニメでは、「虐めの加害者側」は登場しない。強いて述べれば、未熟な中学生の失敗は、ある(特に、ショージがこの役目)。
「虐めの加害者側」に対しての説教や、改心は、当アニメの目的ではない。当アニメでは、「虐めの被害者側」を紹介するのみとする。「慈しみは、知ることから始まる。しかし、知ることが必ずしも、慈しみになるとは限らない」を目的としている。
「虐めの被害者側」を紹介するだけで、「虐めの加害者側」への攻撃になっている。既に「敵と味方」の状態であるので、「虐めの加害者側」に対しての説教や改心を含めると、「虐めの加害者側」を成敗することになるため。
長々となっているのは、様々な事例を挙げているため。事例は挙げればきりが無い。万人が納得する分量は存在しないとも言えるので、事例の取捨選択は未定。
会話の内容、発言者を変更しても、辛いことの分散はしても、全体量は変わらない。
ヤッ子のセリフが多くて、説教臭い。話のいくつかを、別な人のセリフにするのも良い。
例:ハルが、書籍やテレビ、物語やエッセイ(トーク番組)を思い出し、ヤッ子のセリフに呼応して「そういうことだったんですね」と、謎解きのようにする。
例:ヤッ子のセリフの一部を。ハルとミッツの発言にする。ただし、3人共が発言すると、虐めの加害者の陰口が盛んになる懸念がある。
例:この場にはいないショージの言動の解説。饒舌になる前は紳士。饒舌になると(気分が高揚すると)うっかりで失礼になる。気遣いをしているが、心に沁みついていないので失敗が多い。成長したいと努力していることを表現。
当アニメは、公立中学校が舞台ということで、ヤッ子が様々な事象を提示し、それにより中学生が考えることが促されるという形式としている。
なお、「音楽理論と、虐めの構図」の、もっと直接な話は、第8話で音楽の先生が悔恨として話す。
ここでは、幼少期からの話を用いたが、大人であっても「仕方ない」の板挟みの話を用いても良い。例として、大型小型ともに業務車両の路上待ちがある。業務車両は、指定時刻の到着を求められ、余裕をもって到着すると駐車場が無いという板挟み。
ヤッ子「「音楽理論を用いた批判」と「虐めの構図」は、どこが、なぜ似ているのか。それは、音楽理論を用いた批判は、自分の説諭は正しいという前提があるからだ」
ヤッ子「自分の説諭の正しさを補強するために、先入観による後付けの理由を設ける手法は、心理学にある」
ミッツ「先入観による、……何ですか?」
ヤッ子「先入観による、後付けの理由だ。異なった先入観を持つ人がいる。「こいつは悪人だ」と「この人は良い人だ」というように。どちらの先入観を持っていても、それを裏付ける理由を、後から付け足し、補強する」
ヤッ子「作曲は、いきなり名曲なんてできないだろう。山のように愚作を作って、勉強して、試行錯誤する。いきなり名作なんて無理だ」
ハル「愛こそはすべてですね」
ミッツ「観光では、伝統工芸などを体験することがありますよね。いきなり職人と同じ技術は無理だってわかってて、体験を楽しみますよね」
ヤッ子「観光なら、うなくいかないことを楽しむのだが、作曲では基礎ができていないとか、プロと比較して劣っているとか、実害も無いのに音楽理論に違反しているとか」
ヤッ子「音楽理論の禁止事項には、なぜそうなのか、納得できないことがあるが、それを強要するのが、虐めの構図と似ている」
ヤッ子「何かの行動を強要され、納得しないから断ると、断ったことを理由にして責める。断らなければ、行動したことを責められる」
ミッツ「老人に席を譲ったら「老人扱いするな」と叱られて、譲らなかったら「人間としてどうなんだ」と責められる」
ヤッ子「そのようなことが、日常のあらゆる事柄で起こり、いつでも非難されると……」少し大きな息をして「……日常生活すら、臆病になる」
ハル「だったら、理由を聞けばいいんだよ。老人に「席に座りますか?」って」
ヤッ子「そのように、「これで簡単に解決する」というようなアドバイスは、慎みなさい」
ミッツ「初めてじゃないですか?」
ヤッ子「何がだ?」
ミッツ「いや、ヤッ子先生が、指導ではなく、命令するのは」背景に、ヤッ子のこれまでのセリフを、いくつか表示する。「まあ、心配するな」「気を付けたいな」「大切にするもんだ」など。
ヤッ子「それ程のことなのだ。簡単に解決するなら、虐められることは無くなるだろう」
ハル「他人からの非難の言葉なんか、気にしなきゃいいのに」
ヤッ子「それが既に、無理難題なんだ。非難をされ続け、非難に敏感になっていたら、気にしないでいるのは不可能だ。そのアドバイスそのものが、気にする方を責める」
ヤッ子「精神的なことだから、わかりにくいだろう。わかりやすく肉体的なことに譬えると、歩くことが大変な人に、「階段で2階に行けばいい」とアドバイスするようなものだ」
ここで、トヨタ生産方式の「なぜを繰り返す」を用いても良い。「なぜを繰り返す」を、第11話で用いても良い。
「なぜを繰り返す」の目的は、作業者に負担増を求めず、システム改善で解決すること。作業者に対して「ここにも気を付ける」を増やさない。
しかし、事故が発生した時、「なぜ、この失敗になったか」を探す。納得できる理由が見付かったら、この対応で問題が解決できるのだからと、考えるのをやめてしまうことがある。
作業者負担が増えたり、事故を発生させた作業者を責めるものであっても、解決方法が見付かったので、考えるのをやめてしまうことがある。
なぜ、この対応が必要かと、考えを続けると、作業システムの不具合が発見された。これにより、作業者への負担も増えず、作業者を責めることも無く、改善ができる。このような解決になるまで、「なぜを繰り返す」のが、トヨタ生産方式。
最も理想的な「完全無欠の完全解決」ではないが、改善になる。ハルが提案した「席に座りますか?」は、解決ではない、安直なアドバイスであり、作業者を責めることにもなる。
ヤッ子「しかし、この比喩も、「肉体的なことなら、明らかに不可能だとわかるが、精神的なことなら、本人の努力次第で解決できるはずだ」という否定することもある」
ハル「あ、そうか」
ヤッ子「歩くのが大変な人に、「みんな、自分の脚で、努力して2階に行くんだ」とは言えないだろう」
ヤッ子「「お前のために、エスカレーターを用意した」とは、杖を使う人には便利でも、車椅子を使う人には有効な対応ではない。精神的なことは、わかりにくいから、「せっかく対応したのに」と、非難される」
ヤッ子「杖を使う人に「普通にみんなと歩いているから、歩いていないなんて、バレバレの嘘だ」という人がいないのは、肉体的なことはわかりやすいからだ。精神的なことはわかりにくいから、周囲から嘘吐きと言われる」
ミッツ「精神的なことは、わかりにくいから、うっかり、相手にとっての攻撃になることを言わないように気を付けなければいけないですね」
ヤッ子「そう。これには、「これでうまくいく」という案を、私は持っていない。いつ、自分が「攻撃する悪人」になるのか、びくびくする生活は、望まれないだろう」
ハル「だから、「自分は、これが苦手です」を言うのも大切ですね」
ヤッ子「ちょっとしたことなら、それも有効だろう。食事会に誘われて、食物アレルギーを言うとかな。しかし、人によっては、言いにくい事柄もある」
ミッツ「でしたら、「言いやすい状況にする」というのも、あるといいですね」
ヤッ子「そのように、みんなで解決策を考えるのは、大切だ。システムは試行錯誤だ。改善をしたが、実行して初めて気付く新情報もある。あれが解決だと思えば、それに弊害があるとかな」
ヤッ子「虐められることを望んではいないのに、虐められ続けるのだ。早坂君の提案する解決策は、本人にはすごく難しいことか、既にその方法は駄目だとわかっていることか、何らかの理由があるのだろう」
ハル「指導の言葉でありそうですね。「物理的にできないのは、わかった。しかし、精神的にはできるだろう」って、言われそうですね」
ヤッ子「簡単に解決するように言うことは、本人に「お前は怠けている」という、新たな虐めになるからだ。君にとっては、解決策の提案であり、親切なアドバイスをしたつもりでもな」
ハル「でも、理由を聞いて、相手がちゃんと答えなければ、嘘を強要した虐めだって見破れるでしょう? 強要する人に、「え? なんで?」って聞くだけでしょ」
ヤッ子「では、「列に、きちんと並べ」と言われて、「え? なんで?」と聞き返したらどうだ? 性格が悪いと思われるだろう。すると、周囲からは「性格が悪い奴に対して、勧善懲悪だ」と、攻撃される」
ハル「そうですか? 普通に日本で暮らしていたら、列に並ぶのは当たり前でしょ。聞く方がおかしい」
ヤッ子「虐められ続けている者は、それだけで、普通ではなく日本に住んでいるんだ。列に並ぶことを教わらず、さっさと行くように指示されていれば、それが当たり前だから」
ヤッ子「早坂君の「聞けばいい」と「聞く方がおかしい」は矛盾しているが、使い分ける基準を知っている。その基準が、わからないのが、虐めを受ける原因だ」
ここで、「列に並ぶ文化の無い国」というセリフは、辛口ではなく、ヘイトスピーチとなるので、避けるべき。異文化への思い遣りという受け止められ方は、されないだろう。
ミッツ「日本に住んでいるでしょ?」
ヤッ子「多くの人が、当たり前に知っていることを知らない。多くの人が知っていることを「常識」と言うのなら、虐めの被害者は「非常識な人」だ」
ミッツ「たまたま、縁が無くて、自分だけ知らないことは、ありますが、時々なら、みんなのサポートがあります。自分だけが知らないことが、とんでもなく多かったら、「サポートする」が、別な意識になりそう」
ヤッ子「そうだ。珍しく、一人だけ知らないことがあれば、大袈裟なサポートではなく、相手に対して「知らなかったのか、ゴメン」と言う。いつもいつも、その人だけには注意が必要なら、周囲は重荷に感じることもある」
ハル「もしも、虐められる生活の中で、「サポートを受ける」を「憐みの扱いを受ける」と教えられていたら、サポートを受けることが、自己否定になりますね」
ヤッ子「人付き合いには、ユーモアや笑いが大切だが、笑いを出す方法は、駄洒落、ナンセンス、勘違いなど、様々だ。幼少の頃に、からかいとして、邪魔をして失敗を誘発し、失敗を笑う、馬鹿にして笑うことばかりされていたら、どうだ?」
ハル「子供をからかうのは、面白い」
ヤッ子「しかし、それが唯一の笑いの方法として学んだなら、笑いのために他人の邪魔をする、性格の悪い子供と思われる。その子と一緒にいても楽しくない、不快になる。仲良しの友達はできない。年長者は、性格の悪い子供を邪険にするだろう」
ヤッ子「ここで言う「邪魔」とは、「からかい」「ふざける」でもある。虐めを受けている者が、何かの目的があるのに、周囲がふざける」
ヤッ子「それは邪魔ではあるが、周囲は「冗談もわからないのか」と、ごり押しする、怒ってはいけない、笑うべきと教わる」
ヤッ子「何かの目的があっても、邪魔するものだと、幼少の頃から、それが唯一の人付き合いだと教わったので、やがては誰からも信頼はされなくなる」
ハル「そりゃそうですよ」
ヤッ子「バドミントン、卓球などは、もちろん試合をするものだが、「何回ラリーができるか」も楽しい。野球で、単にキャッチボールをするようなものだ。相手が受け取りやすいように、ボールを投げる」
ハル「ラリーの回数が増えるのが嬉しい」
ヤッ子「日常の友達同士の遊びだけでなく、親戚が集まる正月休みでは、細切れに暇な時間ができるので、ラリーの回数を増やして楽しむ」
ヤッ子「しかし、からかいの標的にされると、「ラリーの回数を増やす」「相手が受け取りやすいように」という、みんなと楽しむための工夫をする経験はできない。「お前は下手だ」を繰り返し示される」
ヤッ子「誰かと遊ぶよりも、孤独でいる方が、快適になるのだ」
ヤッ子「バドミントン、卓球、キャッチボール。どれも、その子と遊んでも面白くない。その子は、ラリーの回数を増やす楽しさを、経験していないからだ。ラリーを邪魔して、人を蔑む経験だけがあるからだ」
ヤッ子「なぜ、その子に、別な笑いの手法もある、喜びで笑う方法もあると教えないんだ。なぜ、叱る目的で、邪険にするんだ。そうすると、子供は新たに、邪険にする人付き合いを学ぶ」
ヤッ子「幼児に「仲良くしなさい」と指示しても、幼児はその方法がわからない。仲良くするには、他人をほめる、他人を応援する、失敗を責めずに一緒に残念がる、そんな方法があると指針を示し、それ以外に何があるか考えたり」
ヤッ子「ラリーを続けるというのも、「お互いが協力する」という、信頼を構築する経験になるな」
ヤッ子「楽しい人生になる手本も示さず、からかい続けるのは、虐待だ」
ヤッ子「虐められ続けているということは、周囲から、虐めるための勝手な理屈、勧善懲悪の理屈、嘘の理屈を言われ続けて、虐めを目的とした人達に囲まれて「だからお前が悪い」と言われ続けているんだ」
ヤッ子「人付き合いで大切な「相手を馬鹿にする冗談は言わない」ということを教えず、周囲から馬鹿にされてばかりいたら、「相手を馬鹿にするのが、普通の人付き合い」と学ぶ」
ミッツ「だから、「普通でなく日本に住んでいる」ですね」
ヤッ子「どれが虐めの強要なのか、どれが正しいアドバイスなのか、どれが無責任なアドバイスなのか、区別ができない。そんな生活をしていると、あらゆる干渉がある日常生活にも、臆病になる。私達の「普通に日本に住んでいれば」とは違う」
ハル「だったら、これまで虐められて来たことを教えて欲しい。教わらなければわからない。教えてくれれば、優しくなれる」
ヤッ子「安直なアドバイスという、駄目出しをする者を、信頼すると思うか?」背景に「駄目出し」の文字とフリガナ、説明の「改善点をたくさん見付けること」を表示。または「粗探し」を用いる。
ヤッ子「心に余裕があれば、君の優しさを喜ぶこともあろう。しかし、無益どころか実害のあるアドバイスを受けて、追い詰められた心では、君に感謝する余裕が無いのだ」
ミッツ「せっかくの親切心なんだし、被害妄想で逆恨みされたくありません。いつでも相手の心を思い遣るようにって教わっています。無益なアドバイスでも、その気持ちが嬉しいって思ってくれなきゃ」
ヤッ子「それは、「お前は聖人君子でない」という非難になる! 普通の人でも聖人君子にはなれないと、言い合うだろう」
ヤッ子「それを言った本人が聖人君子でもないのに、辛い状態の者に、聖人君子でないことを非難するとは、随分と過酷な要求じゃないか」
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