6. 放蕩者は王女を狙う
──遠くから、ワルツの音が聞こえてくる。
夜の庭はひんやりと肌寒く、来客のためにと魔法灯によって美しくライトアップされていてもなお、人影を見つけることは難しい。各国からの留学生のために開かれた舞踏会は程よく盛り上がり、参加者は皆人脈作りのためのおしゃべりと踊りに忙しく、花を愛でる余裕などないのだろう。庭園に設えられた簡素なテーブルセットに腰を掛けて息を吐き、ウィルヘルムは、木の陰へちらりと視線を投げた。
かかったな──と、内心で笑う。あまりの容易さに欠伸が出そうだ。思いながら、ウィルヘルムはからかうように口を開いた。
「また、伴も連れずに出てきたのかい? おてんばだな」
「……貴方の姿が見えたから……」
果たして、おずおずと姿を表したのは、美しい白のドレスに身を包んだアーシャだった。
ストロベリー・ブロンドの髪を結い上げて銀の髪飾りでまとめ、花を模した首飾りを身にまとった彼女は、月の光もかくやというほどに美しい。着飾った女など飽きるほど見てきたウィルヘルムでさえ、演技ではなく目を細めたくなるほどだ。ウィルヘルムが片手で向かいの席を示すと、少しの躊躇いののち、アーシャは椅子へと腰を下ろした。
「本当は、会いに行きたかったんです。でも、理由が思いつかなくて……」
「それはそうだ。僕と君には面識がない……そういうことになっているからね」
机に頬杖をついて微笑むと、アーシャが軽く頬を染めた。それだけで、ウィルヘルムのような気安い男に免疫がないことが手に取るようにわかる。アーシャは少し視線を下ろし、ほつれてもいない髪を軽く撫でつけながら、緊張したふうに口を開いた。
「……貴方が、本当に、ウィルヘルム様……王子様だったなんて、思いませんでした」
「おや? 心外だな。きちんと証拠も見せたつもりだったけど」
「だって、王子様は、あんなに街に馴染んでいたりしませんでしょう?」
「僕は第九王子だからね」
ウィルヘルムは軽く肩を竦めた。
「この国と違って、帝国は一夫多妻制……どころか、国王は『妻』でもない女にも、いくらでも手を付けられることになっている。結果として子どもは溢れるほどできる。そうやって『溢れた』のが僕ってわけだ」
「……そうなんですの?」
「そう。おかげで国を追い出され、こんなところに来る羽目になった」
ウィルヘルムが真顔で言うと、アーシャがぱっと顔を上げる。流石に、自国を『こんなところ』呼ばわりされるのは許しがたいのだろう。そうしてアーシャと目があった瞬間に、「なんてね」とウィルヘルムは笑って見せた。
「嘘だよ。ここは……この国は、いいところだね」
そうして、ほんの少しだけ声を低くする。声の中に、何かが滲むように。
「僕の母は、ここの魔法学院で学んだ魔法使いだったらしい。僕にもその血が流れているから、この国の……『魔法と精霊の国』の空気は、気持ちがいいよ」
そうやって微笑んでみせれば、アーシャのような小娘はすぐに絆されて、ウィルヘルムへ好意を抱くようになる……というウィルヘルムの目論見は、しかし、うまくいかなかった。アーシャはまだ暗い顔をしたまま「そうだったらいいのですけど」と小さく呟いて、それよりも気になることがある、と言うようにウィルヘルムを見る。
「あの、……『だったらしい』、ということは、……貴方は」
「ウィルヘルム」
「ウィルヘルム様、は、……その、お母様のことを、あまりご存知ないのですか? その子は……貴方が連れているペガサスは、守護精霊でしょう。お母さまから譲られたものではないのですか?」
アーシャの両親は息災で、王は王家には珍しい愛妻家だったはずだ。母の話は少し刺激が強すぎるだろうか? 考えながら、肩を竦める。
「さあ。帝国王家の守護精霊にペガサスはいない……父方のものでないなら、そりゃ、母方のものなんだろうけど。母のことは、正直、あまり覚えていなくてね」
「覚えていない……?」
「うん。僕が五歳の時にいなくなって、それっきり」
ウィルヘルムがあまりにさらりと言ったからだろうか。アーシャは「まあ」と小さく言って言葉を失い、ウィルヘルムは『大したことではない』という顔を作って笑ってみせる。大げさに嘆いたり孤独をアピールしたりするよりも、なんでもない顔を作ったほうが、心に残ると知っていた。
自分だけが寂しさに気づいている──そういう思い込みに、人は弱い。
「そういうわけで、『王子』とは名ばかりみたいなものなんだ、僕は。よく王宮を抜け出して街に行ったし、魔法の手ほどきも、実はさほど受けていないし」
「……だから今日も、こんなところにいらっしゃったの? 夜会にも、慣れておられないから……?」
「そうだね」
ウィルヘルムは曖昧に頷いて、ふと、遠くに見える室内の、煌々たる明かりへと視線を向けた。
「ああいうところは、ちょっと、僕には眩しすぎる」
勿論、嘘である。
帝国にいたころ、夜会はむしろ、ウィルヘルムにとっての主戦場だった。あるときは優雅に踊り、ヘイゼルの瞳を思わせぶりに伏せ、すれ違いざまにひそやかな囁きを落とし──ウィルヘルムは、あらゆる手練手管を使って女性たちを虜にしてきた。
けれどもその悪名は、今はまだ、スヴェルダには届いていない。そして、街中で偶然出会ったアーシャは、お忍びで街に出るぐらいには市井への興味があり、『風変わりな』王子であるウィルヘルムに興味を示している。だから、ウィルヘルムは、彼女にふさわしい姿へと己を偽ったのだ。
庶民に近く、ゆえに気安く、そして孤独な──たとえ、幼い少女であっても、思わず手を差し伸べたくなるような男。そもそも人というものは、いつだって、『救う側』になりたがる。誰かを『助けたい』と思うほど、その誰かに執着するようになるものなのだ。
はたして、ウィルヘルムの読みは正しかった。
「……ウィルヘルム様」
アーシャが、ひどく悲しげに眉を寄せる。そして、決意を込めるように力強く立ち上がり、ウィルヘルムに向かってその細い手を差し出した。
「行きましょう。私が一緒に踊ってさしあげます!」
「……君が?」
「ええ。こう見えて、ダンスは得意ですのよ。貴方を輝かせることを……眩しがられる側にすることを、お約束いたします!」
「へえ?」
きっぱりと言い切って胸を張るアーシャに、からかうようにウィルヘルムは笑った。
「大した自信だな。僕のダンスの腕も知らないのに?」
「大丈夫です。私がリードして差し上げます!」
「その細腕で?」
「……もう、ウィルヘルム様、意地が悪いですわ」
「嘘だよ」
アーシャが可愛らしく頬を膨らませるのを見て、ウィルヘルムは微笑んだ。そうして、アーシャの掌に掌を重ねる。
手ごたえがあった。そこで触れあった温度以上に。ウィルヘルムは笑った。
「……嬉しいよ。君は……」
「──アーシャ殿下!」
ほんとうに、優しい人な──と。
そう言おうとした声が、あまりにも不躾で堅苦しい、叱りつけるような声によってかき消される。ウィルヘルムは、舌打ちばかりはどうにか堪え、それでも僅かに眉が寄るのは隠せないままに、声のほうへと振り返った。
不躾な闖入者。当たり前の顔でずかずかと庭に入り込んできたのは、騎士らしき風貌をした若い男だった。
「こんなところにいらしたんですか! 探しましたよ」
アーシャがぱっとそちらに顔を向け、「……アルデン」と、少し気まずげな、けれども確かな親しさのこもった声で闖入者の名を呼ぶ。男──アルデンは、ウィルヘルムの姿など見えないような所作でアーシャの傍らに立ち、厳しい顔でアーシャを見下ろした。
「警備の確認から戻ったら、どこにもおられず……驚きましたよ。おひとりで行動しないでくださいと、いつも言っているでしょう」
「……姉様には声をかけましたわ。『涼んでくる』って」
「その言い方では、せいぜいバルコニーまでだと思うでしょう」
大人と子どものような会話を横で聞きながら、ウィルヘルムは男を観察する。短く切り揃えられた金の髪。凛々しくも整った顔立ち。鍛え上げられた体躯。きつい表情や喋り方からは、いかにもな生真面目さが感じられる。なるほど、王族の護衛騎士らしい男である。思いながら、頃合いを見計らい、ウィルヘルムはアルデンへとごく気安く声を掛けた。
「彼女は、一人の僕を気にかけてくれたんです。そう叱らないでやってくれませんか」
「……貴方は?」
やっとのことで、アルデンの視線がウィルヘルムへと向けられる。警戒心を隠そうともしない猟犬のような目に睨まれて、ウィルヘルムは慌てた風を装って立ち上がり、「失礼しました」と頭を下げた。
「ウィルヘルム・ルーベルデンと申します。先日より、こちらの魔法学院にお世話になっている者で」
「ルーベルデン? ──こちらこそ、失礼しました。帝国からのお客様でしたか」
ウィルヘルムは末端の王子だが、帝国の権威がその名の背後にあることに変わりはない。アルデンは少し驚いたように眉を上げ、形ばかりは頭を下げてから、警告するような口調で言った。
「アーシャ殿下は未婚の姫君だ。軽率な真似をされては困ります」
「わかっています。彼女の優しさに甘えた僕の不注意だ」
非は間違いなくこちらにある、というか、そもそもウィルヘルムはアーシャを罠にかけているわけで、責められる要素しかないともいえる。ウィルヘルムは再び素直に頭を下げて──それから、僅かな笑みを口元に乗せた。
「……ですが」
ヘイゼルの瞳に、悪戯めいた色を乗せる。そうして、改めて手を伸ばし、ウィルヘルムはアーシャの手を軽く握った。
「姫様からのダンスの誘い、断るわけにもいきません。──戻って、皆の前で踊る分にはなんの問題もない。そうですね?」
アーシャが大きく目を見開いてこちらを見るのに、安心させるように微笑み返す。アルデンもまた驚いたように一度目を瞬き、何やら口を開きかけ……咄嗟に、断る理由が思いつかなかったのだろう。ウィルヘルムをきつく睨み直し、明らかに不承不承とわかる声と顔とで、「……勿論です」と頷いたのだった。




