4. 放蕩者は王女と出会う
若い女の、緊迫した声だ。
「急いでいるんです。その」
「いいからいいから。……綺麗な髪留めしてるね。似たようなのを仕入れたんだ、見ていかない?」
「いえ、その、──離して! 離してください!」
明らかなトラブルの気配にも、ウィルヘルムは立ち止まらなかった。ウィルヘルムのような異邦人が何をするまでもなく、大事であれば街の誰かが止めるだろう。それよりも飯だ、と思っていると、「こら!」と、ルミナがウィルヘルムの髪を噛んで引っ張った。
「助けに……は無理でも、せめて見に行こうとかいう気はないの!?」
「え? お前、野次馬がしたいんだ? いい趣味だな」
「違うって!!」
言っている間にもぐいぐい引っ張られ、ウィルヘルムは「いてて」と顔を顰めた。
髪には、血液と同様に、魔力を溜め込む性質がある。それゆえ、長く美しい髪は魔法使いにとってのアイデンティティであり、緊急用の魔力タンクでもあった。ウィルヘルムもきっちり手入れをした黒髪を長く伸ばし、後ろで一つに結んでいるが(女がウィルヘルムの髪に触れるのを好む、という理由もある)、こうして好き勝手掴まれやすいのが玉に瑕だ。
「わかった、わかったよ。……あそこか?」
騒ぎは、大通りの隅、小物の並ぶ露店の近くで起きているようだった。大柄な男二人が、その陰に隠れてしまいそうなぐらい小柄な少女を囲み、強引に商品を売りつけようとしているらしい。少女はショールで髪を隠し、小間使いのような地味な姿をしている、が──
「……なるほど」
ウィルヘルムは軽く目を眇めた。
「あいつらも目が高いな。貴族の女だ」
細すぎる腕、美しすぎる指先、白く透き通るような頬、必死になっていてもどこか力の入らない体。どこをとっても、労働階級の女ではない。そのうえどうやら幼いと言っていいほど若い。そんな女がどういう理由で伴も連れずにこんなところにいるのかは知らないが、担ぎ上げられて連れ去られていないだけむしろ人道的と言えるだろう。結論、関わらないほうがいい、と思ったところで──少女のショールが、ふわりと風に飛ばされる。
つやつやとした、甘そうなストロベリー・ブロンドが、ウィルヘルムの目を引き寄せる。──あれは。目を見開くウィルヘルムの前で、「こらー!!」と、ルミナが大声をあげて飛び出して行った。
「……って、おい!?」
慌てて後を追う。
ルミナは守護精霊らしく清く正しい心の持ち主で、こういったトラブルを見過ごそうとしないことそのものはよくあることだ。が、ウィルヘルムの事なかれ主義もまた熟知しているので、勝手に飛び出すようなことは基本的にはしない。守護精霊は、その名の通り、主を『守護』することを第一義とするからだ。それなのに、今日は一体どうしたって言うんだ? 思わず舌打ちするウィルヘルムの視線の先で、ルミナの小さな体が男二人と少女との間に飛び込んでいく。
「嫌がってるでしょ! 離しなさい!」
「ああ? ……なんだ、守護精霊か。誰のだ? 躾がなってねえぞ!」
手乗りぬいぐるみのようなルミナがすごんだところで、男二人が止まらないのは当然である。「邪魔すんな!」と怒鳴った男が魔法用の杖を取り出すのを見て、ウィルヘルムはやっと覚悟を決めた。口を開く。
「ああもう……そいつは僕のだよ。──ルミナ!」
ルミナに向かって、掌を掲げる(ウィルヘルムは魔法の行使に杖を使用しない。単純に、持ち歩くのが面倒だからだ)。魔力を注ぐ──ルミナはその小さな翼を羽ばたかせ、即座に小さな竜巻を作った。
「うお!?」
「君、……早く、こっちに!」
男たちが怯んだ隙にと、ウィルヘルムは鋭く少女を呼んだ。少女はぱっと顔を上げ、慌てたふうにこちらに駆け寄ってきて、ウィルヘルムの手に縋りつくように手を伸ばす。
その小さな手を、きつく握る。ウィルヘルムはそのまま「走って!」と声をかけ、表通りをしばらく走って、近くにあった適当な店の扉をくぐり抜けた。
はあ、と肩で息をしながら、ぐるりと店の中を窺い見る。どうやら、先ほどの露店とは全く違う、きちんとしたアクセサリー・ショップのようだ。外の様子を伺っていたらしい店主がすぐさま近寄ってくる──『巻き込むな』と嫌な顔をされるのかと思いきや、彼女は「ごめんなさいね」と軽く眉を下げた。
「彼ら、ほかの店までは入ってこないから、うちに逃げてきてくれて良かったわ」
なるほど、完全に偶然ではあるが、店の選択は間違っていなかったらしい。歳の頃は四十ぐらいだろうか。人の良さそうなマダムは、申し訳無さそうに眉を寄せて二人を見た。
「最近この辺に来たならず者でね。お金を持っていそうな女の子に絡んでは、無理矢理品物を売りつけているの。皆で、どうにかしなきゃって話してはいたんだけど……うちの人が今外なものだから、助けに行けなくて申し訳なかったわ。怪我はない?」
ため息混じりの愚痴の後、心配そうに尋ねられ、ウィルヘルムは反射的に笑顔を作った。
「大丈夫です。……君は?」
傍らの少女へ、視線を向ける。
「腕を掴まれてたようだったけど。怪我はない?」
「あ、……はい、大丈夫ですわ」
「ならよかった。後から痛みが来ることもあるから、念のため医者に診せるといいよ。……さて」
ウィルヘルムは、改めて店内を見渡した。商談のためだろう、店の奥にはいくつかのテーブルセットが置かれている。
「少し休ませてもらったほうがいい……と言いたいところだけど、急ぐんだっけ?」
先ほどの『急いでいる』は、男たちへのただの断り文句だったのか否か。ウィルヘルムが尋ねると、どこかぼうっとしたような顔でウィルヘルムを見ていた少女は、はっと目を瞬いてから首を振った。
「いえ。用は……済みました」
「そうなんだ? じゃあ……マダム、申し訳ないですが、少し椅子をお借りしても? 僕は、この街に来たばかりなんです、流行りの品も見せてもらいたいな」
「あらあら、来たばかりで大変だったわね。この街のことを嫌いにならないで欲しいのだけど……いくらでもいてくれてかまわないわ。今、お茶も準備するわね」
「恩に着ます。……さあ、こちらへ」
ウィルヘルムが手を差し出すと、少女が、小さな手を当然のようにウィルヘルムの掌に乗せる。エスコートされ慣れているものの仕草だ。少女を椅子まで誘導し、向かい合わせで席に座り、店主が奥に下がったのを確認してから──ウィルヘルムは「さて」と低く囁いた。
「ひとまず、僕の守護精霊が戻ってくるまでここにいましょう。そのあとは──責任もって、王城までお送りいたします」
ウィルヘルムの改まった言い回しに、少女が大きく目を見開く。零れ落ちそうな紫の瞳。
「はじめまして、アーシャ・スヴァルキア王女殿下。僕は、ウィルヘルム。ディルセル帝国の第九王子、ウィルヘルム・ルーベルデンと申します」
真面目さの中にほんの少しだけ悪戯っぽさを混ぜこんで微笑み、上着の襟元を軽く下げて見せる。シャツについている小さな紋章──ディルセル帝国王家の紋章に、少女は今度こそ言葉を失ったようだった。




