30. 放蕩者は感謝する
──そうして、ふたりの婚約が正式に発表された、数ヶ月後。
「お前は本当に、何をしでかすかわからないところがあるね」
レオンハルトの呆れた声に、ウィルヘルムは肩を竦めて応えた。
スヴェルダの王宮内の、特別な客人のために設えられた部屋。レオンハルトは窓際に立ち、帝国ほど華やかではない、けれども重厚な歴史と洗練された文化を感じさせる庭園を見下ろしている。
空は青く晴れ渡り、祝い事に相応しい陽気といえる。国王の名代としてスヴェルダを訪れたレオンハルトは、外から視線を戻して、盛装へと身を包んだウィルヘルムを見て目を眇めた。
「よく似合ってるじゃないか。……何度も着るようなものじゃないよ、わかっているんだろうね」
「わかってるよ」
小言めいた言葉に、ウィルヘルムは僅かに眉を寄せる。レオンハルトは、ウィルヘルムの帝国での所業を知っている(というか原因のひとりでもある)。もしかしたら、ウィルヘルムが結婚を決めたことそのものに、裏があると思っているのかもしれない。一応手紙で『今後一切今までのようなことはしない』と伝えてはいたが、それもどこまで通じているものか。ウィルヘルムは考えながら口を開いた。
「信じられないかもしれないけど、……あー、本気なんだ」
少なくとも、今後もウィルヘルムの手管を当てにされるようなことがあっては困る。
「すぐ別れるとか、そういう、あんたに迷惑をかけるようなことはしないつもりだよ。……向こうからフラれたら別だけど」
「わかっているよ」
レオンハルトは、思いの外あっさりと頷いた。ウィルヘルムはきっとひどく驚いた顔をしたのだろう、レオンハルトが軽く苦笑する。
「渡航前、お前がスヴェルダの貴族名鑑を漁っていたのは知っていた。でも、本当に結婚するとは思ってなかったよ。お前が、財産目当てで結婚できるような男じゃないことぐらいはわかっていたから。……今更、どの口で、と思うかもしれないけど」
勿論、お前を手放すのは惜しいけどね、と、そればかりはあまり冗談でもなさそうにレオンハルトは言って、ウィルヘルムはそれには答えなかった。
ただひとつ、レオンハルトの目がずっと優しいのを見て、ひとつだけ、ウィルヘルムは思った。もし彼がただの兄のように、ウィルヘルムに何も求めずにいたら、ウィルヘルムはきっとこんなに身軽には、祖国のすべてを捨て去ろうとは思えなかっただろう。ウィルヘルムとレオンハルトが正式に出会ったのは、ウィルヘルムがもう十五歳になってからだった。子どものように一方的に庇護されたとして、レオンハルトを信用することは難しかった。いや、それにしたって、子どもに間諜のような行為をさせる男が、まともな人間であるはずはないのだが。
ないのだが、あるいはずっとギブ・アンド・テイクの関係であったことは──十五歳の子どもと対等な関係を築いてくれていたことは──あるいは、レオンハルトの優しさと呼べるものだったのかもしれない。そう気づいて居心地の悪く身動ぎするウィルヘルムの前で、追い打ちをかけるようにレオンハルトは笑った。
「お前が、本気で誰かを愛したら……例えばあのイザベラとかいう娘とだって、お前が結婚したいと言い出したなら、祝福する用意はあったんだ。ずっと」
まさしくどの口が、都合が良すぎる、人のことをさんざん利用しておいて、と罵倒する選択肢はあった、当然に。そちらのほうが自然な反応とも言えたし、そう言ったところでレオンハルトは涼しく笑っただけだっただろう。けれども、今のウィルヘルムには、レオンハルトが本心からそう言っていることがわかった。
レオンハルトはレオンハルトなりに、腹違いの弟であるウィルヘルムのことを、大事に思っていたのかもしれない。そう信じられるのは、ウィルヘルムがきっと変わったからだった。あの短い旅によって──あるいは、愛によって。だからこそ返す言葉に迷うウィルヘルムの前で、レオンハルトは少し悪戯に笑った。
「ともあれ、おめでとう、ウィルヘルム。いや、セレストウィルド公爵、だったか?」
「……いやあ、その名前、かなり複雑なんだよな……」
アーシャと結婚するにあたって、ウィルヘルムは帝国からの帰属を離れ、スヴェルダ王家の爵位を得ることとなった。その際に王家がウィルヘルムに与えたのが『セレストウィルド公爵』という新たな家名、読んで字の如く『セレスティアと森の加護を持つもの』というものだったのだ。セレスティアとの契約が戻ったわけでもなく、『緑の魔女の森』での結婚契約にも失敗しているのだが、これは皮肉かなにかなのか? 軽くため息を吐くウィルヘルムの前で、レオンハルトは軽く声を立てて笑った。
「いいじゃないか。お前なら、スヴェルダでも上手くやっていけるよ」
ぽん、と、レオンハルトは軽くウィルヘルムの背を叩いた。ごく普通の兄弟同士の、当たり前の激励のように。その強さにぐっと胸が重くなって、ウィルヘルムは一度目を閉じた。それから、改めてレオンハルトに向き直る。
「……お兄様」
「……? なんだい、改まって」
流石に、似合わないことを言った自覚があるのだろう。いつもの笑みながら、どこか気恥ずかしそうなレオンハルトに、ウィルヘルムは悪戯な笑みを向けた。
「セレストウィルド、という名前はともかくとして。俺はこのとおり、無事に片付きましたので。……お兄様におかれましては、ご自身の身辺を気にされたほうがよろしいのではないかと?」
いつもの軽口だ。レオンハルトは一度瞬いて、それから、ほとほと困り果てた、と言うように空を仰いだ。
「それなんだよなあ……。いや、正直、羨ましいよ。だからこそお前には、せいぜい幸せになって欲しい」
「なっておきます。お兄様の分も」
「しれっと言うなあ……」
王位争いをしているレオンハルトは、ウィルヘルムのように愛によって結婚を決めることなど不可能だ。というかそろそろ身を固めなければ、身を固めていないことそのものにより不利になる可能性もある。実際頭の痛い問題ではあるのだろう、恨めしそうに言うレオンハルトに、ウィルヘルムは遠慮せずに声を上げて笑った。
そして祈った。こっそりと。
愛によって結婚を決めることなど不可能、なのだろうけれど。この面倒で実は面倒見のいい兄の妻となる人が、どうか、彼が愛せる人でありますように、と。




