27. 放蕩者は真実を知る
……そうして、すべての魔法が解ける。
ごめんなさい、と、座り込んだアーシャがかすれた声で言った。ごめんなさい、ウィルヘルム様。
「だましていて……ごめんなさい。これが、私の本当の姿。『真実の愛』が得られやすい姿にする、という『祝福』」
枯れ木のような手足、枯れ草のような髪、老婆のような、殆ど死人のような姿──セレスティアの皮肉な『祝福』。ウィルヘルムはアーシャに駆け寄って、その傍らに膝をついた。
「喋るな。……くそ、『セレスティアの呪い』は本当だったのか……!」
今にも倒れそうなアーシャを抱き寄せて、その細さと軽さに愕然とする。元より華奢だった身体は更にやせ細って骨と皮のようになり、甘やかな香りは失われ、その肌からは、生きながらにして腐ってでもいるかのような、死臭に近い臭いが漂っていた。
ウィルヘルムの腕の中で、アーシャが続ける。せめて、全てを伝えようとするように。
「ヴィオレッタ様……貴方のお母様は、守護魔法の研究の第一人者だった。だから、スヴェルダ王家はヴィオレッタ様を呼んだのです。私の呪いに対抗する魔法を作っていただくために。彼女は無事その仕事を果たした……自分の命と引き換えの『呪い』をかけて。だから私は、貴方に恩返しが、……いえ、罪滅ぼしがしたかったのです」
アーシャの目が、ゆっくりと何かを探す。その動きで、彼女の目が殆ど見えていないことがわかった。アーシャは棒切れのような腕を、恐らくは、シルヴァナへ向かって伸ばした。
「さあ、……今からでも遅くはありませんわ。どうして、今になって、ヴィオレッタ様の『呪い』が解けたのかはわかりませんが、これは、好機です。今であれば、『緑の魔女』の魔法は効果を示すはず。このようなお見苦しい姿で申し訳ありませんが、それも、いっときのこと。私はもうすぐ……少なくとも十九歳までには、セレスティアの呪いによって命を落とします。そして、私が死んでも、一度結婚した事実は覆らない……私の持参金は、貴方のもの」
アーシャは微笑んだ。
「こんなものしかあげられなくて、ごめんなさい。……ウィルヘルム様」
なにもかもを諦めている、諦めることに慣れた顔だった。
「私が死んだら、……どうか」
そうして、まるで、未来への祈りのようにアーシャは言った。
「私のことを、忘れてくださいね」
馬鹿なことを。
そう叱りつける前に、かくん、と、アーシャの身体から力が抜けた。気を失ったらしかった。ウィルヘルムはアーシャを抱き上げた──その軽すぎる身体を。そのまま立ち上がるウィルヘルムを見下ろして、シルヴァナは軽く首を傾げた。
そして尋ねた。
「……するかい? 結婚」
ウィルヘルムは目を眇めた。馬鹿なことを。吐き捨てるように答える。
「するわけないだろ」
「そうかい。……『セレスティアの呪い』。解除条件は、勿論、知ってるね?」
「──知ってる」
「そうか。それじゃ……」
「──ルミナ!!」
これ以上、シルヴィアと会話をする必要はなかった。叫ぶと同時に、ルミナへと全力で魔力を注ぐ。
光が溢れる。ルミナが、本来の姿を──翼持つ白馬、うつくしいペガサスの成獣へと変貌する。ウィルヘルムは、アーシャを抱きかかえたままルミナの背に飛び乗って叫んだ。
「全速力だ!」
言いながら、片手で懐のナイフを取り出し、背中でくくった長い髪へと当てて切り落とす。落ちた髪が魔力を伴って青く燃え上がり、を受けたルミナが「わお」と声を弾ませた。
「大盤振る舞いだね。──行き先は?」
「スヴェルダの王城だ!!」
アーシャが死を待つ存在であることが発覚した今、彼女の行動は黙認されている──少なくとも、彼女の姉やアルデンは黙認している可能性が高い。であれば彼らはそもそも追手としては出ておらず、王城で、彼女の帰りを待っているのだろう。ルミナは「了解!」と端的に応じて、そのまま大きな翼を羽ばたかせた。
そうしてルミナはあっという間に高く舞い上がり、ウィルヘルムの長い髪に詰まっていた魔力の後押しを受け、瞬きの間に『緑の魔女の森』から遠ざかっていく。
あまりの風の勢いに、砂煙が舞い上がる。……挨拶もなしにその場に取り残されたシルヴァナは、ぽかんとして、呟いた。
「……あれ?」
思っていた展開と違うぞ、とシルヴァナは呟いて、傍らに姿を表した、緑色の美しい人型の守護精霊・フィオーレが、同意するようにこくこく頷く。
『真実の愛のキス! 久しぶりに見られると思ってたのに』
「いやいや、君はしょっちゅう見てるだろ、ここで」
『呪いを解くような『本物』はなかなかないよ』
「それはそうだ」
ウィルヘルムは王城に戻ると言った。『呪いを解く』ために。それは、自分では呪いを解くことが出来ないと判断したということだ。それにそう、『どうして』と、アーシャも言っていた。『どうして今ヴィオレッタの『呪い』が解けたのかわからない』と。
なるほど……と、シルヴァナは納得した。シルヴァナから見れば明らかな『その理由』が、二人にはどうやらわからないのだ。シルヴァナは嘆息した。
「……うーん、ヴィオレッタ、君は中々罪深いことをしたようだぞ……」
でもまあ、と、続けて言って、シルヴァナは僅かに目を眇めた。
「君の息子は、随分と、立派な王子様に育ったみたいだ」
そもそも、ヴィオレッタの『呪い』はなんのためにかけられていたのか、という話だ。ふたりの姿が完全に見えなくなるまで見送るシルヴァナの隣で、不服そうにフィオーレがぼやく。
『この私が! 祝福してあげようと思ったのに!』
「そうだね、フィオーレ」
全ての愛を祝福する森、そこでの結婚契約が失敗したのは中々の名折れだ。『呪い』は基本的に『魔法』を上回るとはいえ、守護精霊の固有魔法をさえ弾くのは、術者の腕があってこそのことだ。ヴィオレッタは本当に優秀な魔法使いだったのだ。シルヴァナは己の守護精霊を見上げ、「大丈夫さ」と軽く請け負った。
「きっと、すぐに、機会はあるよ」
根拠はない、けれどもそれは確信だった。祈りでもあった。
そうであれ、と、シルヴァナは祈った。二人がまたここにきて、本物の結婚式を、ここで挙げてくれたらいいのに、と。




