25. 呪われ王女の事情・3
そうして、アーシャは十八歳になった。
成年を祝うお披露目のパーティーが盛大に開かれ、アーシャは夜会にお茶会にと、日々多くの若者に引き合わされた。
誰も彼もが、アーシャに好意を抱いているのがわかった。アーシャは国王夫妻に溺愛される第二王女で、たくさんの持参金を持ち、可憐で麗しい姫君だった。非の打ち所がない、と言っていい。
そして同時に、だからこそ、『真実の愛』を得られる日はきっと来ないだろう。アーシャは社交界デビューを果たしてほんの数ヶ月で、それをつくづく痛感することになった。
両親に罪はない。罪はないが、彼らがアーシャを案じてアーシャにすべてを与えたことが、アーシャとそれらを不可分にした。アーシャを手に入れることは、莫大な富、美しい妻、それらを一気に手に入れる手段となってしまったのだ。
結果として、アーシャが出会う若者たちは、自然とアーシャを『狙う』ようになった。アーシャは彼らにとっての『報酬』になった。彼らはアーシャの気を惹き、周りを蹴落とすことに必死で、アーシャ本人がどう思っているかに、驚くほどに無頓着だった。
『彼女は美しいが、子どもすぎる……が、彼女の持ち物はあまりに魅力的だ。そのうち身体の方も育つだろうし』
『自分好みに育てる楽しみがある、と言うやつもいる』
『幼女趣味か?』
『ともかく持参金だ。うちのような貧乏貴族の、それも次男坊には、もう一攫千金を狙うぐらいしか術がないんだ』
そういう身勝手な会話はそこかしこで交わされていたし、あるいは彼女を純粋に思う者がいたとして、それは、彼女のうつくしい外見に拠るものであることが殆どだった。そのどちらもが『真実の愛』からあまりに遠いものであることはアーシャにもわかったが、アーシャにも、また両親やエリシアにも、何かが出来るはずもなかった。
そもそも──そもそも、『真実の愛』とは、一体、どのようなものなのだろう?
「まずは、貴女が愛せなければ駄目なのよ」
たくさんの若者たちに、真実かどうかもわからない愛の言葉を囁かれて混乱するアーシャに、エリシアは言った。
「『真実の愛』は、双方向のもの。愛されるだけでも、愛するだけでも駄目なの。だからまず、貴女が、愛することのできる人を探さなければ」
「……愛することのできる人……」
そんなことを言われても、というのが、アーシャの正直な気持ちだった。
勿論、アーシャだって、例えば『運命の出会い』のようなものを、まるで夢に見ない、というわけではない。美しい男性を見れば緊張するし、楽しい時間を過ごせば胸が弾む。
けれどもそうやって、普通の『恋』のようなことをしたとして、それが『真実の愛』だと言えるのだろうか?
言えるわけがない、とアーシャは思う。セレスティアの望む『真実の愛』には、少なくとも、一つの条件がある。
アーシャの真実の姿を見ても、変わらずにアーシャを愛し続けること。
そんなことが起こり得るとは、アーシャにはとても思えなかった。アーシャ本人ですら、あの姿を思い出すだけで、未だに恐ろしいような心地になるのだ。今となっては、セレスティアが夢に出ては囁く言葉のほうが、それこそ真実であるような気がした。
表面ばかり取り繕っても、なんの意味もない。
そうして数ヶ月を過ごした結果として、アーシャは殆ど諦めていた。『真実の愛』。それはアーシャのごく近く、エリシアとアルデンの間などには確かに存在しそうだったが、本当の姿を隠し、たくさんの財産を持たされ美しく着飾らせられたアーシャがそれを得られる可能性など、あるはずがないような気がしたのだ。
だからきっと自分も、今までの『呪われた子』と同じように、十九の歳に死ぬのだろう。
そう思っていたある日──アーシャは、国外からの留学生の中に、ウィルヘルム・ルーベルデンの名前を見つけたのだ。
そのときに、アーシャの運命は定まった。
否、アーシャはそのとき、運命によって呪われた我が身をどうするか、自分自身で決めたのだ。アーシャはウィルヘルムの到着に合わせて港に向かい、──若干想定していたのと違う形ではあったが──ウィルヘルムと出会い、順調にウィルヘルムとの仲を深めていった。アーシャは知りたかった。ウィルヘルムがどのように生きてきて、どのように考え、一体、何を望むのかを。
そしてアーシャは、その答えを手に入れた。ウィルヘルム本人からではなく、彼について語る周りの噂話から、という形で。
「私は反対よ」
断固とした口調でエリシアは言った。
「ウィルヘルム・ルーベルデンは、たしかに、ヴィオレッタの息子よ。私達は彼に恩がある」
「恩ではないわ」
アーシャはエリシアに反論した。
「それに、『私達』でもない。ただ『私』個人に、ウィルヘルム様から彼の母親を奪ったという『罪』があるのです。私はその罪を償いたい。その罪を償う機会を頂いたのだと思うのです」
「……貴女の言い分に、言いたいことはいくつかあるけど」
エリシアは軽く額を抑えた。
「祖国での立場が不安定な彼が、スヴェルダに『拠り所』を求めてやってきた、という可能性はたしかに高い。我が国は、彼にとっては、母親と縁のある土地でもある。そして、貴女の、彼の望みを叶えたいという気持ちも理解できる」
でも、と、エリシアは厳しくアーシャを咎めた。
「別にその手段が『結婚』である必要はどこにもない。そうでしょう?」
「では、他に、どんな手段があるというのです」
「どうとでもなるわ。彼は『魔法使い』としてはそこそこの腕前だと聞いているから、学院で雇い入れたって」
「帝国の第九王子を?」
アーシャの反論に、エリシアはぐっと言葉をつまらせる。アーシャは続けた。
「私の──『セレスティアの呪い』は、秘匿された情報です。であるが故に、王家は今まで、ヴィオレッタ様の功績に報いることができていなかった。ウィルヘルム様が帝国にいらした頃なら、何もできなかったのも仕方がありませんが……お父様たちは、ウィルヘルム様がスヴェルダにいらした今になってもなにをなさろうともしない。きっと、それぞれに『立場があるからできない』とでも言うのでしょう。だから、私がやるより他にないのです」
ヴィオレッタの死から、十六年が過ぎている。アーシャの両親は、今更何をする意味も、あるいはその必要もないとさえ思っているのかもしれない。けれども、とアーシャは目を伏せた。
ウィルヘルムは、一見、何不自由なく育った青年に見えた。背はすらりと高く、母親譲りの魔力を持ち、容貌に優れ、話しぶりからは高い知性が感じられた。誰もが彼に夢中になるのが、見ているだけでよくわかった。
けれども。
「……ウィルヘルム様の中には、母親が自分を置いて居なくなったことが、たしかに傷として残っています。後の調査で、ヴィオレッタ様からの手紙が一度は送られていることはわかっていますし、ヴィオレッタ様の守護精霊が彼を守っていたこともわかっていますが……ヴィオレッタ様には身よりもなく、ウィルヘルム様はきっと、誰かに愛によって養育されることはなかった」
「彼の素行不良はそのせいだって?」
エリシアは軽く眉根を寄せた。
「帝国から届いた報告書を読んだでしょう? 彼は複数の女性の愛人で、ついには隣国の若い貴族女性を誑かして国際問題を起こし、帝国から追い出されて我が国に来たのよ。それがたとえ彼の育ちに起因したものだとしても、そして彼が恩人の息子だとしたって、そんな男に貴女を嫁がせるなんて考えられない。……そもそもアーシャ、貴女には、『真実の愛』が必要なのよ!」
「私は彼を愛していますわ」
アーシャはきっぱりと言い切った。
けれども、だからこそ、その言葉が事実というわけではないことが、エリシアには伝わってしまったかもしれない。それでもアーシャは止まらなかった。
「姉様が私に言ったのでしょう。『愛することができる人を探せ』と。それが、ウィルヘルム様なのです」
アーシャは、ウィルヘルムといると楽しかった。
けれども、それが、彼がアーシャを楽しませてくれているからだということはわかっていた。彼が殆ど詐欺師のようなものであると知るよりも前から。
アーシャとともに過ごすとき、ウィルヘルムのヘイゼルの瞳は、いつだってどこか冷めていた。この世のすべてがどうでもよく、この世に信じられるものなど一つもない、というように。
だからきっと、これからアーシャがもし本当にウィルヘルムを愛したとして、ウィルヘルムのほうがアーシャを愛することはないだろう。
アーシャが『真実の愛』を得ることはなく、アーシャの呪いが解けることはない。
それでいい、と、アーシャは思った。
「……私は、ずっと不思議でした。父様も母様も、姉上には様々な教育を施し、時には厳しく接しておられるのに、私には何もおっしゃらない。私はずっとそれが、私が世継ぎでないからなのだと思っていました。……でも、『セレスティアの呪い』のことを知って、そうではないのだということがわかった」
両親、特に母親は、甘すぎるぐらいにアーシャに甘かった。今ならわかる。それは、母親が、アーシャが呪われていることを知っていたからだ。
「二人は、私が、十九歳までしか生きられないことを知っていた。だから、私には、楽しい思いばかりをさせようとしてくれていたのです。……私はそうやって、愛されるばかりで……大事にされるばかりで、それに甘えて生きてきた。ウィルヘルム様にとってのそういうもの、誰かに愛されるということを、私が、彼から取り上げたのに!」
アーシャはきっと顔を上げ、眼差しに力を込めて姉を見据えた。
「私はきっと死ぬでしょう。だから私は、せめて、誰かを愛して死にたいのです。彼に何かを……彼が求めるものを少しでも返して死ぬことができたなら、私は、私を許すことができるように思うのです」
エリシアはいちど、気圧されたように息を呑んだ。それから、叱りつけるように語気を強める。
「勘違いしないで、アーシャ。貴女には、許されなければならないようなことはなにもない。貴女は被害者なのよ」
「被害者だからといって、加害者でないということもないでしょう」
頑ななアーシャに、エリシアは一つため息を吐いた。
「……愛しているのね?」
エリシアは、真っ直ぐにアーシャを見て尋ねた。アーシャは微笑んで頷いた。
「はい」
それは。
そのときはまだ、真実、というわけではなかった。アーシャにとってのウィルヘルムは、なによりもまず『ヴィオレッタの息子』であって、それ以上でもそれ以下でもなかった。
……──少なくとも、そのときはまだ。




