23. 呪われ王女の事情
はじまりは、一枚の鏡だった。
それは、スヴェルダ王家に伝わる『魔法の鏡』だった。『鏡よ鏡』と呪文を唱え、『世界で一番美しいのは誰?』と尋ねると、映るものの姿が『最も美しく見える姿』を映し出してくれるという鏡だ。大した魔法ではない、と侮るなかれ──本人が必ず辿り着ける美しさを作り出す鏡は、いつの時代も、美を追求する女性たちの指針となり、彼女たちを鼓舞する役割を果たしてきた。
とはいえ、その日のアーシャに、なにか目的があったわけではなかった。アーシャはまだ四歳だった。だからアーシャはただ、姉の真似をしてみたかっただけだった。アーシャは、鏡の前に立って呪文を唱えた。
「鏡よ鏡──世界で一番美しいのは誰?」
その瞬間。
ばちっ、とアーシャの周りで何かが弾けるような音がした。美しく磨き上げられ、ひとつの曇りもなかったはずの鏡がどこかくすんだように見え──そのぼんやりとした表面に、ひとつの影が映し出された。
そこにいるのはアーシャではなかった。アーシャを『美しくした』姿でも勿論無かった。
誰もが可愛らしいと褒めそやす艷やかなストロベリー・ブロンドも、薔薇色の頬も、果実のような唇も、何もかもが失われていた。
そこにいるのは化物だった。
背丈ばかりは、今のアーシャと同じぐらいだろうか。色を失ってボサボサの髪、からからに乾いて皺だらけの土気色の肌、青白く色味を失った唇──枯れ木のような手足、痩せ細って痩けた顔の中で、唯一『同じ』と思える紫の瞳が、落ち窪んだ眼窩の中から、ぎょろりとアーシャの顔を見据えた。
「ひ、あ、あああああああ!?」
アーシャは悲鳴を上げ、その声で、姉と侍女たちが飛んできた。彼女らもまた鏡に映るものにアーシャと同じように愕然とし、乳母があわててアーシャの父母──国王夫妻を呼びに行き、駆けつけた母親は、震える手でアーシャを抱きしめた。
大丈夫よ、と母親は言った。
「大丈夫。鏡が壊れてしまったのね」
鏡はいつの間にか撤去されていた。父親は難しい顔をして、姉は部屋から連れ出され、母親だけが繰り返し、アーシャに語りかけていた。大丈夫よ、と繰り返し。
まるで、自分に言い聞かせるみたいに。
「忘れなさい、アーシャ」
忘れられるはずがなかった。
父も母も、頑として、『鏡に掛かっていた魔法が暴走した』としか言わなかった。その鏡は二度と使われることはなく、誰も彼もが、表向きは、何もなかったような顔をしてアーシャに接した。
けれどもアーシャは、その日から、奇妙な夢を見るようになった。
夢の中で、アーシャは、あの日見た化物の姿をしていた。目だけがぎょろりと飛び出した、醜い老婆のような姿だ。
アーシャの身体を、『何か』が包んでいるのを感じた。その温かい『何か』が、老婆のようなアーシャの身体を、普通の子どものように元気に保ってくれていることがわかった。
同時に、その『何か』ではない誰か、ひどく冷たい女の声が、アーシャに何かを囁いてくる。
『人間って、どうしてこうも浅はかなのかしら』
呆れたような声の意味が、アーシャにはひとつもわからなかった。
『表面ばかり取り繕っても、なんの意味もありはしない──それどころか、逆効果だっていうのにね。……可愛いお嬢さん、わかるかしら? 『真実の愛』よ。可愛らしい見た目なんてなんの意味もない。『真実の愛』──……』
声は続けた。繰り返し。
『貴方はそれを手に入れるの。その醜い姿でね。さもなければ』
彼女の声には、憎しみと、それ以上の哀しみが含まれているように聞こえた。
『さもなければ──貴女は、あの愚か者と同じ運命を辿るのよ』
アーシャはいつも、そこで魘されて目を覚ました。同じ部屋で眠っているエリシアは、怯えるアーシャをいつも宥めてくれた。
「大丈夫。大丈夫よアーシャ。……お姉様が、すべてを明らかにしてみせる。そうすれば、怖いことなんてひとつもなくなるわ。安心して眠りなさい」
エリシアは、幼少期より才覚を現した、魔法学院期待の才媛だった。
エリシアは古い文献を調べた。彼女は、父親たちの様子から、アーシャの身に起きていることが、深刻な、そして恐らく王家に関係のあることなのではないか、と当たりをつけていた。エリシアは王家に関する記録や伝承を遡り、やがて、ひとりの『守護精霊』に辿り着いた。
その後しばらくは平穏な日々が続いた。アーシャは幸福な少女だった。王女として誰からも愛され、何不自由なく楽しく暮らした。けれどもアーシャに特別親しい友人のようなものができなかったのは、あるいは、彼女を苛み続ける悪夢、そしてあの日見た恐ろしい姿のせいだったかもしれない。
ともかく、表向き穏やかに日々は過ぎ──アーシャが十七歳になったとき、エリシアは、調べ上げたすべての事実をアーシャに告げた。
「まだ、夢を見ると言っていたわね。昔、魔法の鏡で見た『化物』の姿を。……原因が、わかったと思うわ」
エリシアはいくつかの古い本を広げた。そして言った。
「貴方は呪われている。古くから王家を呪い続ける守護精霊、『セレスティアの呪い』よ」
「セレスティア様……?」
セレスティアの伝承そのものは、アーシャもよく知っていた。セレスティアの怒りを買って蛙にされてしまう王子様の話は、この国の子供達であれば、誰だって一度は聞く昔話だ。
けれども、エリシアが調べ上げた現実は、昔話とは異なっていた。
王子は元婚約者に愛されることも、他の誰に愛されることもなく、蛙の姿のまま惨めに死んだ。そして、呪いが解けなかったことにより、王家はセレスティアに『真実の愛』を証明することに失敗し、その呪いは、王家の子孫へと引き継がれることになったのだ。
セレスティアは、ひとつの『呪い』と、ひとつの『祝福』を残した。
ひとつは、王子が『婚約破棄』を行った歳──十九歳までに『真実の愛』が得られなければ死ぬ、という呪い。そしてもう一つは、その呪いに掛かったものの姿を、『真実の愛』が姿にする、というだ。無論、その祝福は、アーシャとウィルヘルムが通りかかった地方の祭りでは『愛を失う呪い』とあっさり言い換えられているとおり、当然として女神による皮肉だった。
王家には時折、この『セレスティアの呪い』を得た子が生まれてくる。その子どもは生まれた瞬間から醜く、長ずれば更に醜い老人のような姿になる。『真実の愛』が得られやすい姿に。
セレスティアはこう言い残したと言われている。『見た目によって得られる愛なんて、本当の愛ではない』と。
「……では、あれが、私の本当の姿なの? でもじゃあどうして、普段の私は、その姿をしていないの」
「そう、そっちが長くわからなかったの。……王家には、今まで幾度か『呪われた』子どもが生まれているように見える」
「ように見える……?」
「『呪いが続いている』ことを、父様は、きっとお認めにならないでしょう。王家が守護精霊に嫌われ続けている、なんて、公にできるようなことではないもの。……だから、呪われた子どもは、恐らく『病気』という名目で隠され続けた。家系図を辿ると、ちょうど十九歳で死んだ子どもがいる……彼らが、つまり、『呪われていた』」
そんな、と、アーシャは息を呑んだ。
それは、あまりにもひどい話だった。隠されて生きる、ということは、誰からも愛されず──愛される『可能性』を与えられず、ただ十八歳の呪いの成就を待ち続けるということと同義だ。
けれども、と同時に思う。もし、隠されずに生きることが出来たとしても? アーシャは決して忘れることの出来ない己の『本当の姿』、今にも朽ち果てそうな化物の姿を思い起こした。
どちらにせよ、『真実の愛』が得られるはずがない。
つまりこれは、死の宣告なのだった。アーシャは、三年後──十九歳になったら死ぬ、という。呆然とするアーシャの前に、「これを見て」とエリシアは続ける。
それは、古びた数枚の紙だった。
「……これは?」
「呪いに関する魔法書を調べていたら、中から出てきたの。手紙……出されるはずだった手紙、なのかしら」
「手紙……?」
「ヴィオレッタという魔法使い……貴女に、強力な『守護魔法』を施した魔法使いのものよ。貴女は昔から、『魔法が効きにくい』体質だと言われて、医療魔法などを施してもらうこともなかったでしょう?」
突然の話題の転換に、アーシャはぱちりと目を瞬いた。
他国ならいざしらず、『魔法と精霊の国』であるスヴェルダでは、魔法使いはごくありふれた存在だ。故に、医療をはじめとした多方面で、ごく当たり前に魔法が使われている。
けれども、魔法の技量は個人に依存し、主に庶民層においては『魔法使い』の恩恵に預かれないことも珍しくないため、日常の全てを『非魔法』で成り立たせることもまた不可能ではない。そして両親は、アーシャは『魔法が効きにくい体質』であるといい、魔法を使わない環境下で育ててきたのだ。
「でも……覚えているかしら。私が昔、貴女と遊んでいたとき、貴女が転んで……その傷を洗おうと水魔法を使ったとき、貴女の身体が、私が生み出した水を弾き返したことがあったわね」
言われてみれば、そんなことがあったような気もする。アーシャの代わりにエリシアが水浸しになって、侍女たちが大慌てでふたりを拭き上げてくれたこと。
「あのとき、違和感があったの。……あれは、『効かない』というより、『跳ね返した』みたいな動きだった。だって、代わりに私に水がかかったのよ? だからずっと、それについても調べていたの。魔法が効かなくなる……あるいは、魔法そのものを拒絶するような魔法が存在するのか。そうして見た本の中に挟まれていたのが、これ」
エリシアは、紙を広げた。
「『愛するウィルヘルム──その守護精霊ルミナへ』」




