21. 放蕩者は観念する
紫水晶の大きな瞳に、ウィルヘルムの姿──ではない、誰でもない姿が映っている。それなのに、どうしてだろう。目を見開いた彼女は、隣に座る男の正体を、もはや疑ってはいないようだった。
「ウィルヘルム様? どうして……」
「……!」
不思議そうに頬に伸ばされた手を、とっさに、振り払う。馬鹿なことをしたと、少し遅れて思った。自白したようなものだ。アーシャに触れていた手を引っ込め、立ち上がり、後ずさる──どうすればいいのかがわからなかった。
ウィルヘルムは、確かに、アーシャを試した。アーシャがほかの男に靡く、あるいは、アーシャが見知らぬ誰かになら真意を語るかもしれないと思い、自分ではない姿を作ってアーシャに近づいた。
けれども、これは違う。この展開は、ウィルヘルムの予測の中には無かった。
……『真実の愛』?
馬鹿みたいな単語が、頭に浮かんだ。頬が熱くて、だから、自分の顔が真っ赤になっていることがわかった。もしかしたら、暗闇でもそうとわかるぐらいに。
こんな失態は、初めてだ。ウィルヘルムは舌打ちをしながら術を解いた。後ろでゆるく一つに縛った長い黒髪、甘い顔立ち、彼女が『正直だ』と評したヘイゼルの瞳。アーシャはぱちぱちと目を瞬き、それから、ほっとした顔でウィルヘルムに抱きついた。
「やっぱり! もう、待ちわびましたわ!」
「っ、いや、ずっと話してただろここで!」
「私は、『ウィルヘルム様』を待っていたんですのよ!」
そうして、ウィルヘルムの首に手を回したまま、ウィルヘルムを見上げて頬を膨らませる。その色づいた頬が美味しそうに見えることに気がついて、ウィルヘルムは空を仰いだ。
「ウィルヘルム様、あの、……?」
「……忘れてたよ。あんたには、魔法が効きづらいんだったな!」
「……いえ、あの、他人に掛かっている魔法には特に……?」
「そういうことにさせてくれ、……違う、じゃあなんでわかったんだ!?」
「なんとなく……? いえ、その、見えたのです。貴方の顔に」
「どんな魔法だよ……」
ウィルヘルムが呻くように言うと、アーシャが少し体を離して「もしかして」と首をかしげる。
「……恥ずかしがっていらっしゃいますの?」
「……殺してくれ……」
「というか、よく考えなくとも、恥ずかしいのは本人相手に愛を語る羽目になった私のほうではありませんか……!?」
恥ずかしいという感情が存在したのか君に、と思わず悪態をつくと、「ありますわ!」と真顔で叱られた。あるのか。
「ウィルヘルム様」
こちらを見て、と促され、従う必要なんて欠片もないのに、ウィルヘルムは大人しく視線を下した。視線を合わせるのが──瞳を見られるのが怖い、と初めて思った。
アーシャは笑った。
「私、貴方の瞳が好きですわ。くるくると色の変わる目。お口よりもよっぽど、ウィルヘルム様の心が見えるようで」
「……はじめて言われたよ、そんなこと」
完敗だ、と、そんなことを思った。何に負けたのかは知らないが。
「じゃあ君は、俺が今、何を考えているかわかるのか?」
「もちろん」
自信満々に、胸を張って、アーシャは言った。
「私のことが、かわいい、って」
──勘弁してくれ。
そう思いながら、ウィルヘルムは最初は手に持っていた花、彼女に乱暴を働いたときに取り落としてしまった花を拾い上げ、少し乱暴にアーシャの髪へ挿し込んだ。そして笑った。
だいぶ歪な、負け惜しみのような顔だったという自覚があった。そんなみっともないウィルヘルムの顔に、アーシャは嬉しそうに目を細めた。
「さあ、──踊りましょう、ウィルヘルム様!」
アーシャの周りで、紙吹雪が渦を巻く。
アーシャに手を引かれるまま、ほとんど自棄になってウィルヘルムは踊り……やがてこらえきれなくなって、ウィルヘルムは大きく声を上げて笑った。馬鹿みたいだ。視線の先で、おんなじ顔でアーシャが笑う。楽しくて仕方がないみたいに。
完敗だった。
ウィルヘルムは今まで、何度、『この夜が永遠に続けばいい』みたいな心にも無い睦言を口にしただろう。今初めて、ウィルヘルムはそれに頷いた女の気持ちがわかった。
この夜が永遠に続けばいい。
人は、確かにそれを願ってしまうのだ。──それはあるいは、それが必ず失われると知っているからこそなのかもしれなかった。




