15. 放蕩者、襲撃を受ける
そうして村に辿り着き、事件は、その直後に発生した。
「……ウィルヘルム様、見つけましたわ……!!」
もうすっかり慣れた取引で馬と御者とを交換していたウィルヘルムに、その声は、背後からかけられた。こんなところにいるはずのない、聞こえるはずのない声だ。ウィルヘルムは流石に仰天し、愕然と後ろを振り向いた。
「──イザベラ……!? どうしてここに!?」
まさか、海を超えてまで追ってきたというのか? そんなまさか。
けれども、見慣れた貴族令嬢のドレスではない、旅装らしきローブを纏った姿であっても、流石に顔を見間違えることはなかった。豊かな黒髪を靡かせたイザベラが、かつてと同じ、可愛らしくも高飛車な声で言う。
「貴方とのことが社交界で広まって、お父様が、ほとぼりが冷めるまでと留学を勧めてくださったんです。そうしてスヴェルダの学院に来たら、貴方も留学に来ていると聞いて」
「いやいやいや、君、魔法が……、……いや、そうか、君の父上は魔剣士だったな……!」
そんな偶然があっていいのか、と思ったが、確かに貴族令嬢にとって、国外の男との醜聞は致命的だろう。ウィルヘルムは誓ってイザベラに手は出していないが、周りがそれを信じるかどうかは別だ。ない話ではない、のか? 疑いの目を向けるウィルヘルムに、イザベラは奮然とした声音で言った。
「ともかく、これは運命だと思ったんですのよ! なのに、貴方が『駆け落ちした』と聞いて、いてもたってもいられなくて……!」
はた迷惑にも程がある。ウィルヘルムは頭を抱え、それから、ふと気づいて顔を上げた。
「もう話題になってるのか? 余所者の君の耳に入るほど?」
「昨日、学院の方に調査の方が来ていたのを、偶然耳にしたんですわ。それで、この子で」
と、イザベラが肩に視線を向ける。その肩に、大きな鷲が乗っている。イザベラは自慢げに胸を張った。
「追いかけてまいりましたの!」
「……君、守護精霊なんて持ってなかっただろ!? しかもそれ、乗れるサイズになるってことか!?」
「ええ! 留学する私が心配だからと、お父様がひとつ分け与えてくれましたのよ!」
それ、『お目付け役』ってことじゃないか? ウィルヘルムは思い、思わずイザベラの守護精霊に『仕事しろよ』の視線を向けてしまう。鷲がさっと顔を逸らす──やはり、主人の無茶を止められなかった自覚はあるらしい。ウィルヘルムは若干彼(か彼女かはわからないが)に同情しつつ、「いや」と軽く頭を振った。
「それにしたって……そもそも、だ。どうやってここがわかったんだ? アーシャ側の追手だってまだ来てないのに」
それとも、これから立て続けに来るのだろうか? スヴェルダの騎士ならそれこそ騎乗可能な守護精霊を持っているものだって多くいるだろう。思わず周囲を見渡し、周りに追手の気配がないことを確認するウィルヘルムに向けて、イザベラは意気揚々と「これですわ!」と、何かを突きつけた。
……ペンダント? の中に、何かが入っている。ウィルヘルムはそれが何なのかに気づき、咄嗟に髪を片手で抑えた。
「……お前、髪を盗ったのか!?」
「盗ったなんて、人聞きが悪いですわね。拾ったものを取っておいたんですわ。惚れ薬に使用しようと思って!」
「いや普通に怖いな!?」
なるほどイザベラは魔法薬作りのほうが得意な魔法使いだったか……ではない。
魔法使いの髪には、多くの魔力が溶け込んでいる。そして魔力は、ひとりひとり異なる『波長』のようなものを持っている。イザベラはウィルヘルムの髪に含まれた魔力を解析し、同じ波長の魔力がどこにいるかを魔法か魔道具かで探って、ここまで辿り着いたのだろう。大した技術力と執念である。思わず感心してしまってから、「ん?」とウィルヘルムは首を傾げた。
「……ということは、君は、一人で僕たちを追ってきたのか? 誰とも連絡は取り合っていない?」
「ええ」
「君の外に、僕らを追いかけている奴らも見てない?」
「見ていませんわ!」
「なるほど」
相変わらず口の軽い女だな、とウィルヘルムは内心で舌を出した。ここに来て日の浅いウィルヘルムはともかくとして、アーシャの側なら、それこそ櫛に残っていた髪か何かを使って、イザベラが行ったのと同様の魔力の波長を使った追跡ができそうなものだが──と思ってから、それもアーシャの『魔法が効きにくい体質』によって妨害されているのかもしれない、と納得する。もしかしたら、考えていたより容易く逃げ切れるのかもしれない、とウィルヘルムは少し笑った。
「教えてくれてありがとう。……さて、どうしたら大人しく帰ってもらえるかな?」
「帰りませんわよ!」
イザベラは、駄々をこねる子どものように大声で言った。
「聞きましたわ。この国には『緑の魔女の森』というところがあって、そこで成された結婚の契約は、絶対に破られることがないと。貴方がたはそこを目指しているのだと」
なるほど、それも聞いたのか。イザベラは、当然の権利を要求するように続ける。
「ウィルヘルム様、そこで、私と結婚してくださいませ!」
「……は?」
もしやこの女、自分がフラれたということを理解していないのか? ウィルヘルムは困った顔を作って頭を掻いた。
「いやあ、それは流石に無理というか」
「なぜですか?」
イザベラの瞳は、子どものように無垢だった。心底わからないと言いたげに続ける。
「王女殿下と私と、何が違うというのです。彼女も私も貴方を愛していて、彼女も私も、貴方との交際を親に反対されている。……ですが、結婚してしまえば、父も貴方を認めざる得なくなる。私は跡取り娘です。王女殿下と同じように、貴方を我が国にお迎えすることが出来ますわ!」
ウィルヘルムは僅かに言葉に詰まった。
イザベラは、どうやら、本気でそう言っていた。そして難しいことに、彼女の言葉には、確かに一理はあるのだった。
ウィルヘルムの毒牙に容易く引っかかる頭の軽い小娘で、若く美しく、権力と金のある親に溺愛されていて、ウィルヘルムにそれをどれだけ与えてもいいと思っている──なるほど条件として、二人の立場はさして変わらなかった。無論、公の立場に違いはあるが、どちらもウィルヘルムの母国と交易のある国の者ではあるし、最終的にはレオンハルトの許可も下りるだろう。
けれども。
──と、思ったことに、一瞬遅れて気がついて、ウィルヘルムは自分で驚愕した。けれども? その戸惑いを押し殺し、ウィルヘルムは「……そうだね」と微笑んでイザベラに同意を示した。
まずは、イザベラに、ここから立ち去ってもらわなければならない。出来る限り、穏便に。ウィルヘルムはイザベラに歩み寄り、目を見開くイザベラの耳元に唇を寄せた。
「ウィルヘルム様……?」
「静かに」
ウィルヘルムは、ごく小さな声で囁いた。
「中のアーシャに聞かれたくないんだ。……アーシャには、彼女が王女だから付き合っているだけだよ。そもそも、結婚なんて、国の許可なしにできるわけがない……君と結婚できなかったのもそのせいだ」
そうしてウィルヘルムは、更に声を潜めて、耳の中へ吐息を吹き込むように、「会いたかった」と囁いた。イザベラの頬が赤く染まるのを見て、こっそりと笑みを深めてウィルヘルムは続ける。
「それにそもそも、この国での『結婚』が、帝国の王子である僕にも効力を持つと思うかい? ……アーシャの気が済んだら帰るから……学院でまた会おう? 昔みたいに」
「……ウィルヘルム様……」
そうして軽く頭を撫でると、イザベラはうっとりと夢見心地でウィルヘルムを見上げ──それから、はっとしたような顔で首をぶんぶんと横に振った。
「……騙されませんわよ!!」
「うわ」
もうちょっとだったのに。
「何度も同じ手にかかると思いますの!? 『緑の魔女の森』の『結婚』は契約魔法で、国は関係なく効力を発揮します!! 貴方がどんな甘言を弄そうと、結婚してしまうほうが確実です!!」
なぜ『同じ手』だの『甘言』だのがわかっていて尚ウィルヘルムとの結婚に拘るのか、女心は未知が過ぎる。さてどうするか、と二の手を思案するウィルヘルムの背後で──ぎし、と何かが軋む音がした。
振り返ると、いつの間にか、馬車の扉が開いている。そこに凛と立ち、真っ直ぐにこちらを見据えるアーシャの姿に、ウィルヘルムは咄嗟にイザベラから距離を取った。……いやこれじゃあやましいことをしていたと自白しているようなものじゃないか? けれども、アーシャはウィルヘルムのことなど見向きもしていなくて、その視線はどうやら、イザベラへと注がれているのだった。
「話は聞かせていただきましたわ、イザベラ様!」




