14. 王女様は愛したい
今度は、ウィルヘルムが驚く番だった。知らない話だった。今のアーシャは、身体こそ華奢ではあるものの、肌艶も血色もよく、見た目上の不健康さは少しも感じられない。『魔法が効かない体質』だという話は聞いていたが──あるいは、『生まれたときに死にかけた』というのは、その体質に由来したものなのだろうか。医療魔法は当然妊娠出産にも関係するし、死にかけている王女に魔法が効かなかったなら、城中パニックになっていてもおかしくはない。故にアーシャは、国中に愛されているのだろうか? 考えるウィルヘルムの前で、アーシャは再びウィルヘルムを見て、小さく微笑む。
「私が『愛されすぎている』ように見えるのだとしたら、きっと、それが原因ですわ。……だから皆、私に、『生きているだけでいい』と言うのです。私に何も求めないし、何も期待しない。私が『何もしないほうがいい』とすら思っている」
アーシャの口調に、彼女には珍しい『苦々しさ』とでもいうべきものが含まれている。それを聞いて、ウィルヘルムは思わず口を開いた。
「どこに問題が?」
「……え?」
もしかしたら、このときばかりは、声に実感が籠もったかもしれない。驚いてこちらを見るアーシャに、ウィルヘルムはいっそきょとんとして尋ねる。
「だって、それが、『愛する』ってことだろ?」
見返りばかり求められてきたウィルヘルムには、だからそれこそが『愛』だと思える。──愛は、見返りを求めない。ウィルヘルムの知らない『愛』。いっそ素朴とすら言えるウィルヘルムの反応に、アーシャは迷うように視線を揺らした。
「そう、でしょうか?」
「……君は、違うと思ってるんだ?」
沈黙は明らかな肯定だった。ウィルヘルムが促すより先に、アーシャは続ける。
「だって、……」
強い意志の籠もった──奇妙な切実さのある声だった。
「私は、私がただ生きているだけでは足りないのです」
「……これはこれは」
ぱちり、と、ウィルヘルムは目を瞬いた。率直なところを言えば、『何を言っているんだこのお姫様は』という、呆れるような気持ちが強かったかもしれない。生きているだけでは足りない、だって? それはなんて──
「贅沢なお姫様だな、君は」
思わず、本音がこぼれ落ちた。組んだ足に肘をついて、うっすらとした微笑みを唇に乗せる。
「じゃあ、お姫様。君は、どうすれば『足りる』んだい?」
「愛したいの」
それは、ウィルヘルムの論いを吹き飛ばす、ひどく真っ直ぐな意志に聞こえた。
「私も、愛を与えたい。私がそうしてもらったように。私が、生きているうちに。……それが、生きるということだと思うから」
愛することが、生きるということ?
お花畑で育ったお姫様らしい感傷だ、と最初に思い、それにしては、その声の響きが硬質すぎるようなような気もした。生きる? 生きる理由なんて、ウィルヘルムは、考えたこともなかった。
生き延びることに必死な生き物は、自分の生の価値など気にしない。気にする余裕がない。故にウィルヘルムは、たとえアーシャの声がどれほどの切実さを帯びていたとしても、彼女の言葉を、甘やかされたお姫様らしい贅沢な自己実現欲求であると、そういうふうにしか見做せなかった。
だから気づかなかった。彼女の言葉に込められた本心に。
だから──……
「……いいよ」
ウィルヘルムは、彼女の言葉が確かに己のうちを揺らしたことを無視して、いつものように微笑んだ。
「じゃあ、存分に僕を愛してよ。僕は、愛されるのが好きだからさ」
嘘だ。
ウィルヘルムは愛を知らない。知りたいとも思わない。好き勝手に愛され求められるのだって、本当のところは疎ましいばかりだ。そんな本音を完璧に隠して微笑むウィルヘルムに、受けて立つみたいにアーシャは笑った。
「ええ」
笑っていた──そのはずだ。けれどもウィルヘルムはそのとき、アーシャの紫の瞳の奥に、なにか、輝くだけではない色を見た気がした。弾んだ声音とは真逆のなにかを。
「勿論、そうさせていただきますわ!」
けれども──それが何なのかわからないまま、馬車は目的地の村に着き、ウィルヘルムは結局、深く考える機会を逸したのだった。




