13. 放蕩者は王女様の過去を聞く
ウィルヘルムとアーシャは、夜会や観劇などを通して、それなりに交友を深めてきた。けれども、それだけといえばそれだけだ。今はじめてウィルヘルムが己の過去の詳細に触れたように、アーシャの子どもの頃の話も特に聞いていない。これ以上こちらの情報を渡したくないのもあって、アーシャの側へ話を向けると、アーシャは「私のこと?」と首を傾げた。
「色々あるだろ? それこそ、家族の話とか」
ウィルヘルムには、女というのはとりあえず話させておけば機嫌がいい、という持論がある。ウィルヘルムの適当な振りに、アーシャは「我が国のことが知りたいのかしら」と少しからかうように笑った。
「……なんだい。スパイだと思ってる?」
「そういう話を聞いたばかりですもの」
「悲しいな、僕はただ君のことが知りたいだけなのに! ……それはそれとして、王が何に目がないかは知りたいかも」
大真面目な顔を作って言うと、アーシャが楽しそうにくすくす笑う。
「お父様は……そうねえ、最近はチョコレートが大好きなのよ。お酒と一緒に嗜まれるの。お母様は『体に悪い』って言ってお怒りなのよ」
「なるほど。じゃあチョコレートを贈るのはやめておこう」
「どうして?」
「大概の家は、女の方が強いと決まっているからさ。家族仲のいい家は特にね。……魔法に詳しいという姉上は?」
「姉様は、もっぱら御本ね。魔法書ばかり読んでいるわ。執政は婿に任せるんですって。立候補してみる?」
「まさか!」
こればかりは本気の声が出た。まさかまさか。
「そんな面倒はごめんだよ」
「……前、『お姉様とではなく私と話したい』と言ってくださったのは、そういう理由でしたの?」
前? 観劇の時の話か。よく覚えているな、と軽く瞬き、アーシャが駆け引きではなく本気で傷ついたような顔をするので笑ってしまう。可愛い嫉妬だ。
「いやいや、あれはあれで本心だよ。君と話すのは楽しい」
「……本当に?」
「本当に」
ウィルヘルムは大真面目に頷いた。実際のところ、アーシャとの会話は、自分でも不思議に思うぐらいに飽きないのだった。無論、探られたくない腹のある身の上で、気を使うことは色々あるが、それでも会話そのものは苦にならない。女との会話などそれこそ飽きるほどやってきて、息をするように嘘をつき、表向き楽しいだけの会話ならオートマチックに出来る。けれども、アーシャとの会話はなにかが違う。
とはいえ、そんな内心を表に出す必要はない。いつもどおりににこりと微笑むウィルヘルムをじっと見て、アーシャは演技がかった重々しさで頷いた。
「なら、許して差し上げます。……まあ、そもそも、お姉様の婿には、立候補しても無駄ではあるのですけど」
「なんだ。もう婿がねは決まってるのか?」
ウィルヘルムが作成したリスト──『誑し込むのに都合の良い未婚の女』リストには、アーシャの姉であるエリシアの名は入れなかった。けれどもそれは、彼女の婿がイコールでスヴェルダの次期国王だからであって、婚約者がいたからではなかったはずだ。帝国の情報が古かったか、と首を傾げるウィルヘルムを、アーシャがちらりと上目遣いで見る。
「……誰にも言いません?」
「もちろん」
嘘ではない。今のところ、言う宛がないからだ。海を渡って兄に知らせる必要があるほどの重要情報とも思えないし。ウィルヘルムの即答に安心したのか、アーシャは、内緒話らしく少しだけ声を潜めて言った。
「姉様は、アルデンのことが好きなのよ、本当は」
……なるほど、そうきたか。
「アルデンは、お母様の従姉の息子なんです。係累としてはなんというのか……とにかく、侯爵家の次男で、歳が近いから、よく王宮に遊びにきてくれて。近衛に入ってからは、その流れで私たち姉妹の身辺警護をしてくれているのだけど……姉様とは年も近いでしょう? 幼い頃からずっと想い合っていらっしゃるのよ!」
アーシャは目をきらきら輝かせて言って──ウィルヘルムは、さて、と考えた。このアーシャの言は、どれだけ信用に足るものだろう?
身近な異性を勝手にカップルにして楽しむ、というのは、恋に夢を見る年頃の少女がやりがちな愚行である。二人は、少なくとも、スヴェルダ社交界で噂になるほどの仲ではなかったはずだ。思案するウィルヘルムに、アーシャは「信じてないのね」と頬を膨らませた。
「そりゃあ、姉様は魔法オタクで、恋愛なんて興味がないみたいな顔をしてらっしゃるけど……わかるんですの! 私には!」
「いや、別に、そっちを疑っているわけじゃない。どちらかというと、君の護衛の方だよ。彼の方は……本当に姉君が好きなのか? 君じゃなく?」
「……私?」
ぱちり、と、アーシャは目を瞬いた。目の前で魔法が弾けたみたいな、心の底からびっくりした顔だ。アーシャはまじまじとウィルヘルムを見て、どうやらウィルヘルムが本気でそれを言っているらしいと納得すると、飛び跳ねるみたいにきゃらきゃらと笑う。
「そんなこと、……っ、ふふ、ありえませんわ!」
「え? いや、そんなに笑わなくてもいいだろ!?」
ウィルヘルムは思わず顔を顰めた。
「言っちゃあなんだが、あの護衛の君への過保護は異常だぞ。仮にも友好国の王子相手にしていい顔じゃないんだよあれは」
初対面のときからずっと変わらず、アルデンはウィルヘルムをまるでゴミか虫かを見るような目で見る。事実として女性にとってはゴミか虫かとも言える己のことは棚に上げ、思わず本音の愚痴を溢すと、アーシャは困ったようにため息を吐いた。
「それは……アルデンは、姉様と私とに近づく全員に対してそうなので……」
「いやいいのかそれで?」
護衛として問題があるんじゃないのか、と、思わず素のツッコミが出た。同時に──ウィルヘルムは、ひっそりと肩の力を抜く。
少なくとも、アーシャの側がアルデンのことをなんとも思っていないのは、本当だ。
実のところ、ウィルヘルムはずっと疑っていたのだった。アーシャが無茶な駆け落ちを強行した理由は、つまり、『追いかけさせる』ことが目的だったのではないかと。アルデンに自分を取り戻させ、アルデンにとって自分が特別な存在であることを確認したかったのではないか、ウィルヘルムは体の良い当て馬にされたのではないか、という可能性をだ。
だからウィルヘルムは、ルミナで旅程を飛ばすことをしなかった。アーシャの目的がそれであるなら、アーシャは、本当はウィルヘルムと結婚する気などないはずだからだ。ウィルヘルムはアーシャを罠にかけているが、『自分のことを好きではない女と無理に結婚すると面倒なことになる』と、それぐらいは弁えている。
ウィルヘルムとしては、女の側がウィルヘルムに夢中になって、ウィルヘルムに勝手に財産を明け渡してくれる、そういう状態こそ理想的だ。他に男のいる女など端から願い下げ、そうだとしたらさっさと鞍替えしたい。そう考えていたのだが──
「でもまあ、君のことはよくわかったよ」
懸念が解消された以上、計画を中断する理由はない。ウィルヘルムは、アーシャを見てふっと目を細めた。
「君は、愛されて育ったんだな」
しみじみとした声に、ほんの少しの寂しさを混ぜ込む。もちろん演技だ。仲のいい家族、良好な生育環境、そういうものを羨む時期はもう過ぎてしまった。正直なところ、一人でいる方がずっと気楽だ。なにせ、『一人』が保証されていれば、夜の寝床に誰かが潜り込んでくるのに怯えることもない。
それでも、ちっとも本心ではない『寂しさ』を演出して見せるのは、そこに傷があるように見えると、女はどうして、それを労わりたくなるものだということを知っているからだった。案の定というべきか、アーシャが僅かに身を乗り出す。
「……これからは、貴方もですわ」
アーシャは真っ直ぐにウィルヘルムを見つめた。
「お姉様も、……お父様もお母様も。話せばわかってくださいます。貴方のことも、私と同じように愛してくださる」
熱心な勧誘だ。ウィルヘルムは思わず小さく笑った。
「同じように? それは困るな」
「え?」
「君ほどに愛されたら息が詰まる。……そうだろ?」
ウィルヘルムの問いに、アーシャは目を見開いた。
箱に入れられた娘というものは、その箱の存在を疎ましく思う。自分を守るためのものだとわかっていてもだ。アーシャにも、だからこそこんな暴挙──冒険に出た、という面は、間違いなくあるはずだった。
「……私は」
そうして、少しの沈黙ののち、アーシャは僅かに目を伏せた。
「生まれたときに、死にかけたのですって」




