12. 放蕩者、生まれと育ちを語る
その後、夕食を取り、湯浴みをし、旅の疲れもあってふたりは夢も見ずぐっすり眠り──そして翌日、旅の二日目もまた、初日と同様に穏やかだった。窓から見える景色は一層のどかな田舎の風景になり、すれ違う馬車さえ殆どいない。
ウィルヘルムのアドバイスに従って靴を脱ぎ、服を緩めたアーシャは、昨日よりはずいぶん和らいだ表情で、代わり映えしない景色を眺めている。そんな中、無言の旅に飽きたのだろうか、胸ポケットから不意に顔を出したルミナが、「ねえ」とアーシャに声を掛けた。
「王女様。聞いてもいい?」
「あら、何かしら。なんでもどうぞ?」
会話を始めた二人を見て、ウィルヘルムはこっそりと『速度を緩めるように』と魔法で御者に伝える。この揺れで、舌でも噛まれたら面倒だからだ。そうして傍観の姿勢をとるウィルヘルムの前で、ルミナはアーシャに直球で尋ねた。
「王女様は、ウィルを愛しているの?」
「おい」
傍観の姿勢どころではなかった。世間話をしろ世間話を、と思わず突っ込みそうになるウィルヘルムの前で、アーシャが「あら」と小さく笑う。
「突然ね。どうしていきなり?」
「いきなりじゃないよ。ずっと聞きたかったの。僕はウィルの守護精霊だもん、王女様がウィルを愛してないなら、結婚を認めるわけにはいかないよ」
「まあ! ウィルヘルム様には、素敵な騎士様がついてらっしゃるのね」
胸を張るルミナとくすくす笑うアーシャに、ウィルヘルムは半ば本気で「勘弁してくれ」と頭を抱えた。
「この馬鹿の言うことは気にしなくていい。……母親の話はしただろう?」
「……ええ。魔法使いで……突然姿を消された、と」
「正解。で、どうやらこいつは、それを後悔しているんだよ。自分がいながら、守護するべき相手に不幸な結婚をさせた──いや、結婚はしてないんだが──と思ってるんだ。だから妙に過保護になる」
アーシャはふと、ウィルヘルムの目を真っ直ぐに見つめた。
「……この子が、お母様からウィルヘルム様に譲られたのは、いくつのときですの?」
どうしてそんなことを気にするのだろう。ウィルヘルムは軽く目を瞬いて、「いつだったっけ?」とルミナに尋ねる。
「あの女がいなくなったとき、お前も置いていかれたんだっけ?」
「そうだよ。といっても、そのときは、僕の契約相手はヴィオレッタのままだった──から、僕は、彼女は君を捨てたわけじゃないと思ってるんだけど……」
それは、ルミナが散々ウィルヘルムに伝えてきたことだった。
『ヴィオレッタは不慮の事故に遭ったのではないか』というのが、ルミナの主張だった。ヴィオレッタは戻るつもりで出ていって、不幸にも旅先で死んでしまったのではないか、と。けれども、ウィルヘルムはその意見には同意できない。
「ただの旅行だったら、僕を連れて行ったって良かったはずだろ。後宮に置いていったってことは、もう養育する気がなかったってことだ。お前を置いていったのはまあ……せめてもの義理だったんじゃないか。王家の守護精霊が貰えるわけがないことは、あの女だってわかってただろうし」
「そうかなあ……君を連れていけないぐらい遠くだったのかもしれないよ、目的地が」
「だとしたら、行き先といつ戻るかぐらいは言っていくはずだろ。それにあの女は、女官たちに『ウィルヘルムを頼む』とは言い残していったんだ。ただの旅行のつもりだったわけがない」
「だからそれは……特別な目的があったとか……?」
という会話は、二人の間ではもう何十回と繰り返されてきたもので、目新しさの欠片もない。アーシャだって退屈だろう、と思った先で、彼女は思いの外真面目な顔をしていた。
「……アーシャ?」
「! いえ」
声を掛けると、はっとしたような笑みが顔に張り付く。怪しい。が、追求するような取っ掛かりもない。軽く眉を寄せるウィルヘルムに、アーシャが尋ねる。
「……『置いていかれた』とおっしゃるということは、……恨んでおられるんですよね。お母様のことを」
恨んでいる。
なんて言葉では到底足りない、と言ったなら、彼女はどんな顔をするだろう? ウィルヘルムは少しだけ意地悪く考え、けれども、現実としてはただ小さく笑った。
「そうでもないよ」
嘘をつくのには慣れていた。呼吸するのと同じぐらいに。
「母の記憶は殆ど無いけど、魔法を教えてもらったりしたことはなんとなく覚えてるし……一人になってからは、勿論、それなりに苦労もしたけど。幸い、みんなが可愛がってくれたからね。運良く後見してくれる人も見つかって、このとおり、立派に育ってる」
そう、少なくとも、飢えるような危険を感じたのは最初のうちだけだ。『可愛がって』『後見して』貰えるようになってからは、衣食住にはまるで困らなかった。都合の良い箇所だけを抽出しコーティングしてにこにこと告げるウィルヘルムに、けれどもアーシャは、都合よく騙されてはくれなかったようだった。
その顔が一層険しく、なにか苦いものを飲み込んだかのようになる。ウィルヘルムは少しだけ面倒に思った。女は、頭が軽いほうがいい。こちらの言うことを、全部そのまま信じるぐらいのほうが。想定よりも全く頭が軽くないアーシャは、きゅっと唇を引き結んでから、小さく「それでも」と言葉を発した。
「会いたかったのではないの? お母様に」
「……そりゃあ、まあ、寂しくなかったといえば嘘になるけど」
やめてくれ、と内心で思う。『母親』に会いたかったから何だと言うんだ? 母親代わりになりたいとでも? 内心で嘲笑いながら、表向きはただ微笑んで言う。
「幸い、母親代わりみたいな人は多かったからね。僕が育ったのは『後宮』だから」
にこやかな台詞は、牽制でもあった。ウィルヘルムにとって、『母親代わり』、『母親になりたい』は一種の鬼門だ。
それは、搾取の形をしている。ウィルヘルムに尽くした分だけ、ウィルヘルムからの愛を受け取りたい、という、あけすけな願望が垣間見えるからだ。アーシャも彼女たちと同じだろうか? ひっそりと警戒しながらのウィルヘルムの言葉に、アーシャは「その」と首を傾げた。
「『後宮』というものが、我が国には存在しないものですから、想像が付かなくて……母親代わり、というのは、乳母とも違うのですか?」
「ああ」
そういうことか、と、ウィルヘルムは頷いた。
スヴェルダの現国王は愛妻家で子煩悩、その仲の睦まじさは有名だ。とはいえ、王家の血を正妻のみで繋ぐことはリスキーだから、一夫多妻に近い制度──公認の愛人のような存在は、スヴェルダ王家にも歴史上存在はしていたはずだ。けれども彼女たちは、帝国の後宮のように、ひとところに住まわされたりはしなかったのだろう。
「まあ、大きな別邸のようなものだよ。王宮の隣にあって、夫人たちはその敷地内にそれぞれ部屋を賜る。生まれた子どもも、成人するまではそこで育つ。……でも、僕の母は、王の公式な『夫人』ではなかったからね。僕が生まれたから後宮に部屋を貰ったらしいけど、乳母みたいな人はいなかったな」
「……そうなんですの……」
「いや、だから、そんな悲しい顔をしなくてもいいんだって。つまり、後宮は王の妻のための場所で、基本的には男子禁制。働いているのも女官ばかりで、乳母はいなくても、みんなが僕の世話をしてくれた。だから、僕はそんなに寂しくなかった……ほら、僕は顔がいいだろ? みんな存分に甘やかしてくれたよ」
ウィルヘルムは軽く笑った。
「僕の話はもういいだろ。君のことを聞かせてくれよ。せっかくの旅なんだからさ」




