10. 放蕩者、王女の計画を聞く
馬車がヴェルデの街を離れてすこし経った頃、アーシャはやっとのことで目を覚ました(ウィルヘルムはそれより少し前に目を覚ましていた)。同時に彼女の腹が控えめな空腹を訴えたので、ウィルヘルムは御者へと近くの村に止まるよう指示する。
そうして、買い求めたパンと温かい紅茶とで遅い朝食を取りながら、ウィルヘルムはアーシャと旅程の確認をした。
「君が用意してくれた地図によると、『緑の魔女の森』までは、三日から四日ほどの道のりだ。……馬車は窮屈だし、僕らはともかく、馬と御者には限界があるからね。急ぐ旅ではあるが、三時間程度でこうして……休憩を取り、馬と御者とを交換して進む。宿はこことここでとるのがいいと思うのだけど」
広げた地図を指し、ウィルヘルムはちらりとアーシャを伺う。ウィルヘルムは異邦人だ。はっきりいって、この国の地理には詳しくない。しかしそれは箱入りで育っているだろうアーシャも大差はないか……と考えていると、予想に反して、「ええ」と、思いの外力強くアーシャは頷いた。
「私の計画とほぼ同じです。どちらも大きな街で、宿には困らないはずですわ」
「なら良かった」
アーシャははっきりと『計画』と言った。最低限の旅支度を整え、地図を携えての訪問だったことからも明らかではあったが、やはり彼女は衝動的に飛び出してきたわけではなく、考えたうえで行動に移しているのだ。ウィルヘルムがパンを食べ終えて、次の目的地を確認していると、「あの」と、おずおずとした声がかけられる。
「ウィルヘルム様は、……怒っておられませんの?」
「うん? どうして」
そのうえ、自分の行動が無茶である自覚まである。ウィルヘルムは素知らぬふりで微笑んだ。
「驚いてはいるけどね。……僕の噂を聞いたんだったね。どんな話だった?」
「……母国で……他の国の女性を『結婚しよう』と言って懐柔し、けれども実際はするつもりはなくて、スヴェルダに逃げてきたのだと」
正しい。
ウィルヘルムは僅かに眉を下げ、「そうだね」と小さく頷いた。
「君が聞いた話は事実だよ。イザベラには──イザベラというのが彼女の名前なんだけど──悪いことをしたと思ってる。……僕の側からは、何を言ったって言い訳だな」
そうして少し寂しげに微笑んだのは、もちろん、『多くを語るより勝手にいいように考えてくれたほうが助かる』という計算によるものだった。こうしておけば、だいたいの女は勝手に推測してくれる。『彼の方は本気ではなかった、なんならごく普通に友達として接していただけだったのに、女のほうが勘違いしたのだ』と。そうして、困ったように微笑んだままウィルヘルムは尋ねた。
「……戻るかい? 今からでも。まだ一日も経ってない、叱られるだけで済むと思うよ」
揺さぶりであり、同時に、本当にこのまま戻ることになってもいいと思った。それが無難な選択というものだ。けれどもアーシャは、ふるふると首を横に振った。
「いえ。……だって、貴方がここにいるということは、私とは、結婚してもいいということでしょう?」
──イザベラとは違って?
おやおや、と、ウィルヘルムは少しだけ驚いた。こんなに純真無垢な顔をして、イザベラに対する優越感ぐらいは、当たり前に持ち合わせているということだろうか? けれども、伺い見たアーシャの顔はただ、ごく真剣であるだけだった。
「そうであるなら、私の側に、戻る理由はありませんわ。言ったでしょう? 私は、貴方と結婚したいのです」
恋に恋する年頃の少女が言うには、少しばかり決意が勝ち過ぎているような声音だと思った。思わず『どうして』と尋ねそうになり、既のところで押し留めて笑う。
「光栄だね、それは」
「……私のことはいいのです。それより、貴方の話です。お嫌ではないのですか? 本当に?」
「だから、怒ってないし、嫌じゃないってば。嫌がる理由がないだろ、別に」
事実、ウィルヘルムは怒っていなかった。そもそも最後に『怒った』のがいつだったか思い出せないな、とふと思う。
ウィルヘルムの人生は、怒りよりも諦念に満ちていた。なにせそのほうが楽だったので。
「急に起こされたのは、そりゃ、勘弁してよと思ったし……結婚するなら、君のご両親に筋を通すべきだと思ってはいるけどね。でも、君が『緑の魔女の森』に行きたいなら、僕も行く。君が望むなら付き合うよ」
「……なんだか、他人事のようにおっしゃいますのね」
「うん? ……ああ、ごめん、喜んでないみたいに聞こえたかな。結婚したいと思って貰えていることは嬉しいよ、もちろん」
にこりと笑ってみせると、アーシャは僅かにほっとしたようだった。容易くて助かる。ウィルヘルムは「それで、だ」と話を仕切り直した。
そうして、アーシャの姿を再確認するように眺める。
「君に、戻る気がないのなら、真面目な話をしようか。ここから先に行くなら、君の身支度が必要だ。侍女の服は、ヴェルデ市街なら目立たないが、旅装としては心もとないし……なにより、田舎には、こんな髪をしている女はいないからね」
艷やかな──明らかに特別な手入れがされていることがわかる──ストロベリー・ブロンド。どんなに地味に結い上げてフードで隠しても、その髪は、あまりに目立つ色をしている。ウィルヘルムは「失礼」と言い、その髪を一房手に取った。
口の中で、小さく呪文を唱える。──と、ばちん、と激しく火花が散って、ウィルヘルムは咄嗟にアーシャの髪から手を離した。
「……!?」
何が起きた。ウィルヘルムは慌てて弁解した。
「あ、……いや、悪い。君の髪は目立つから、偽装しようかと思っただけなんだけど……」
アーシャはぱちりと目を瞬いて、それから、慌てたふうに「こちらこそ!」と言った。
「申し訳ありません。先に言っておくべきでしたわ。あの、以前、魔法との相性が悪いという話をしたと思うのですけど……私はそもそも、『魔法が効きにくい体質』なのです」
「……魔法が効きにくい体質……?」
魔法学院で学ぶ魔法使いであるウィルヘルムだが、そんな『体質』があるなんてはじめて聞いた。『魔法と精霊の国』だからこそ、そういうことも起こりうるのだろうか? 怪訝な顔をするウィルヘルムに、申し訳無さそうにアーシャが頷く。
「はい。生まれつきらしくて……だから、子どものときは大変だったんですって。私ってば、この性格でしょう?」
「うん? ……さて、どの困った性格のことかな」
「もう! 貴方が言ったんでしょう、『お転婆』って。だからしょっちゅう傷を作るし、風邪もひくし、それなのに治療の魔法が効かなくて……」
「ああ、なるほど。それは……周りは気を揉んだだろうな」
そしてその『心配』が、今の溺愛に繋がっているというわけか。ウィルヘルムは納得し、「なら」と軽く笑った。
「この旅も、無茶しないようにしないと」
「……子どものときの話です。今は平気ですわ」
アーシャはむっとしたように唇を尖らせたが、そもそもにして、蝶よ花よと育てられて来た王女が、突然の長旅に耐えられるとは思えない。対策を考えるウィルヘルムの前で、小さな口で少しずつ食べていたパンをようやく食べ終え、アーシャが改めて口を開いた。
「髪は、フードで隠します。服は次の街で調達しましょう。なるべく、急ぎたいのです」
なるほど。
異を唱える理由はなかった。『急ぎたい? 本当に?』と、無駄な念押しをする理由も。ウィルヘルムは一つ頷いて、出立するようにと御者に依頼したのだった。




