二章 1
朝起きると、待ち合わせの時刻に近づいていることに気が付いた。
「まずい」
重い身体を起こしながら、カーテンを開ける。
すっかりと夜が明け、日差しが一気に部屋を明るくした。
街の雰囲気を窓越しに見ると、なんだか不思議な気持ちになる。
少し急ごう。
寝癖で潰れた髪を濡らし、最速で乾かす。
急いでいる時ほど、乾きにくい気がする。
エアコンの温風で痛くなった喉に気を取られつつも、乱雑に放置された服の山々に手を伸ばし、最低限の身なりを整えて、目的地へ走った。
冬の昼間は空気が良い。
ただ、
それが一層に、必要のない思考まで循環させてくる。
「ごめん!待たせたよね……」
「全然!」
いつも通りの遅刻にすら、彼女は顔色の一つも変えずに笑顔で受け止める。
木製のベンチに座る彼女の横に、俺も座った。
「私もちょうどコンビニ寄りたかったし」
「あ、そうだったんだ」
「そうそう、だから気にしないで全然! あ、それより昨日の漫才観た?」
「漫才?」
「その反応は全く見てないな?」
「ごめん、テレビもつけてなかったわ。」
「やっぱりー。またどうせベランダにでも出て浸ってたんでしょー?」
俺は占い師や超能力者を特別信じるタイプなわけでもないが、こいつの発言を聞くたびにあり得るのではないかと、妙に考え込まされることがある。
「いや、んー……」
「図星だ!」
犯人を見つけた小学生のように、朗らかに笑う。
「ってか美琴さ……」
「ん?」
「何か、急にこんな話したらポエマーかと思われそうだけど……」
「なになに、まぁでも海斗はいつもポエマーだよ?」
「おい。」
「うそうそ!教えてよ」
「なんていうか、その…… 美琴は過去に戻ってなんかしたいとか、考えることある?」
「え、なにその質問。遅刻した理由ってそれ考えてたから?」
「違うわ!昨日の夜にふと思って」
「へー。海斗はあるの?」
「んー……」
何をしたいかと聞かれると、すぐには浮かばなかった。
「まぁ、私は今のままでいいかな!」
「そうなんだ」
「うんうん、今でも充分幸せだしね。あー、あと……」
美琴が発した途中の言葉をその瞬間は忘れてしまった。
彼女の今でも充分幸せという言葉が、自分には当てはまらない気がしてしまった。
「海斗、まぁ早く行こ!」
「あ、うん」
美琴と付き合ってもうすぐで三年が経つ。
高校で出会ってから同じ大学に入り、大学二年の冬に結ばれた。
お互い仕事が始まり、大学時代と比べて会う日数は減ったが、二人の休みが揃う毎週日曜日には、いつもどこかへ出掛けている。
「カランッ」
特に行きたいところがない日はいつも通り、喫茶店で過ごす。
たわいもない話ではあるが、この時間が二人にとっての癒しの時間であることは、自分でも分かる。
「最近、海斗元気ないよね」
「え、そう?」
「うん、そう」
元気が無いわけではない。
幸せではないわけでもない。
たしかに、会社で順調に成長できてもいなければ、同期との繋がりもない孤独な時間を過ごしている。
いつからか、今を生きることよりも、過去を思い返すことの方が多くなった。
あー、あんなこともあったなって。
懐かしい記憶が今を潤してくれる。
そんな毎日だ。
「か・い・と!」
俺の意識が一気に美琴の声が覚まされた。
「おぉ、ごめん、なんだっけ」
「何ぼさっとしてるの?」
「いや、なんかぼーっとしちゃって」
「ほーん、まぁいいや。そういえばさ!」
「ん?」
「さっき、過去に戻ってみたいか的な話してたじゃん?」
「あー、うん」
「この間、会社の同期の子が同じ話してたよ」
俺以外にもそんな奴は数多くいるのだろう。別に気が合いそうだとも思わないが、自分のことのようにその人を寂しく思える。
「でね、23歳の誕生日に流れ星を見ると、何でも願いが叶うんだってさ」
「へえ、何その理屈のない都市伝説」
「ポエマーの割に、そういう話は信じないんだ」
「おい、まずポエマーじゃないし。」
「人が生まれてから二十万なんとか時間を過ぎた時に、時間の結び目が生まれるとか言ってた」
「そんなもんどこで知るんだろうね」
「まぁよく分からないけど、そんなことをその子が言ってた」
「そうなんだ。まぁ、世の中何が真実かなんて分からないしな」
「おーっと、試そうとしてるな?」
「し、してねーよ」
簡単に人生をやり直せるなんて思ってもいないし、やり直したいかどうかすら今の俺には分からない。
ただ、退屈で卑屈になる今の自分に嫌気が差しているのだろう。
「またね!」
気のせいだろう。
別れ際の美琴の表情が、少し暗く見えた。
家に帰ってから、やけに時間が過ぎるのが早かった。
夕日を見る間も無く、夜を迎えた。




