第7話 赤の傭兵
──フレア王国 魔法研究塔
塔の最上階から老人は眼下に広がる夥しい数の屋根を眺めていた。
「見ろ、あの下民どもを。地べたを這いずり回って、何も知らず、無意味な人生を送っている」
ギンは分厚い眼鏡の奥にある目を細め、目尻に皺をつくった。
「飛空石を載せた飛行艇一台に、ソケットを一つ。そして、遺物のサンプルを失った。……これが、どれほどの損失か分かっておろうな?」
白く長いあご髭を撫でながら、部屋に向かって振り返ると、一人の女性が頭を下げた。
赤い髪をうしろに束ねた女性で、装備しているのは赤いマントに騎士の鎧。そして片腕には頭全体を覆うグレートヘルムを抱えていた。
「申し訳ございません。ギン導師」
若々しいよく通る声で、女性はさらに頭を深く下げた。しかし、ギンは視線を落として陳謝する女性の姿を見ようとはしない。
「よいのだ、ケレフィア。赤の傭兵が使い物にならなければ、また騎士候補生から調達するだけのこと。次は、青の傭兵とでも名付けようかな」
ケレフィアと呼ばれた女性は、頭を下げたまま奥歯を噛み締めた。
「必ず全てを取り返して参ります」
「私はね、ケレフィア……敵国の結界を粉砕できる最強魔法を生成するまで、あと一歩だと思うのだよ」
ゆっくりとギンは、テーブルの上にあるティーカップを手に取り、ぼんやりと部屋の天井に目をやった。
「砂漠から持って帰ってきた遺物は特級の遺物《《だった》》。まさに王が望まれる最高の魔法を秘めた遺物に成り得たのだよ」
ケレフィアという女性は頭を下げたまま、じっとギンの話を聞いていた。
「ところがだ……その稀有な魔法を下民の子供が継承してしまった。無意味な人生を送る下民ごときが……。しかも、騎士の候補たる者が子供を取り逃がすとは……さらに、捕虜の竜人までも一緒に逃がすなど……!」
ふるふるとティーカップが震え始め、ギンは顔を紅潮させた。
「大失敗だ! この間抜けめ!!」
ギンはティーカップをケレフィアの頭に向かって投げつけたが、勢いが足らずにケレフィアの足元に落ちてパリンと割れた。
「……申し訳ございません。私に弁明の余地がないことは重々承知しております。……ギン導師の寛大さにすがるしかありません。どうか、もう一度チャンスを……」
小さくため息を漏らしたギンは、再びシルクのような髭を撫でて窓に目をやった。
「理解しているのならば行動で示せ。お前が理解していないとわしが判断したら、騎士どころか、全ての権利を取り上げて、下民に戻ってもらうぞ」
「承知しました」
ケレフィアはすっくと頭を上げた。その顔はギンとは対照的で若く、瑞々しい。切れ長の目に鼻筋が通り、磨かれたナイフのような美しさがある。
すぐに回れ右をしてケレフィアは部屋を出て行った。
「下民の成り上がりどもめ……もう後はないぞ……」
一人になった部屋で、ギンは窓を見下ろして呟いた。
ケレフィアは螺旋階段を急いで下りながら、連絡橋の上に飛行艇が着陸しているのを確認した。
飛行艇に近づくと、乗降口から降りて近づいてきたのは大男のムアだ。
「本当にヘステイルの奴を連れて行くんですか?」
「ああ」
「連れて行っても戦えませんよ、あの傷じゃあ」
「分かってる」
淡々と答えるケレフィアにムアは両肩をすくめた。
飛行艇の後方部にケレフィアが入ると、頭と片腕を包帯で巻いたヘステイルが虚ろな目を向けた。
「すみません……女、子供で油断してました」
「そうじゃないだろ。油断していても、フルチャージのお前がこんな失態を晒すか? 道中、詳しく聞かせてもらう」
ケレフィアの鋭い視線に、ヘステイルは返す言葉もなく俯いた。
「どこに向かえばいいんですか?」
操縦席に座ったムアが振り返って、指示を仰いだ。
「物見の報告では、騎士団の飛行艇が西に単機で向かって行ったらしい」
「了解」
ムアは操縦かんを握り、飛行艇を浮上させると、西に加速した。




