三口半④
ベンチの上に座り、プシュッとプルタブを開けて堀内さんはコーラに口をつけた。荷物を届けてくれたお礼に、そのあたりの自販機で僕が買ったものだ。
走って疲れていたのか、堀内さんは凄く美味しそうにコーラを飲んでいる。
彼は運動部の顧問としてスポーツドリンクの買い出しに来ていたらしく、ペットボトルを拾った僕に奇妙な縁を感じて走ってきたのだという。
教師にしては行動理念が曖昧すぎるのではと一瞬思ったけど、人間としてはいい人であるということに疑いようはない。
その堀内さんはすぐコーラを飲み干したようで、ありがとう、とぺこり頭を下げた。
彼はその後空き缶を手に持って呟くみたいに話し始める。感傷に浸るような、もしくは夢でも見ているかのようなぼんやりとした表情で。
「人間っていうのはやっぱり助け合いで出来てるよね。君も僕も、他人の存在なしに生きてはいけない」
僕は話の意図がわからず戸惑ったけれど、彼の話にある不思議な訴求力のために僕は聞き入った。
「僕なんかは特にそうで、隣に誰か支えあえる誰かがいないと安心しない性分なんだ…自分でも、これはよくないことだと思うんだけど」
よくないこと、という言葉に少し引っかかった。人と助け合わなくちゃ生きていけない、だから寄りかかれる存在が必要───普通のことではないだろうか。
そんな僕の様子を見透かしたみたいに、堀内さんは笑いかけてくる。
「もちろん普通は悪いことじゃない。けれど、何事にも限度っていうものがあるさ」
限度、と僕は追って言う。
「堀内さんは、その限度を越しているということですか?」
うん、と堀内さん。
「人は生きていく上で、付き合う人間を選ばなくちゃならない。そうしなければやがて人とのつながりは脆くなり、価値のないものになってしまうから」
その言葉に、僕は少しどきりとした。人との関係の選別。お姉さんと僕との関係は、今日てまきたばかりの関係は、薄く脆く非合理的なものだから。
彼の言葉は全て当て所なく発せられているようで、突拍子ないものだった。けれど、その言葉の節々には僕の心を確かに揺さぶる何かがある───そのとき、彼は何者なんだ、という疑問が立ち上がった。
けれどその疑問を口にすることもなく、僕はただ話を聞くだけだ。
「『私』、僕は生徒たちにはそういう一人称を使う。けれどこれは所詮取り繕いなんだ。僕なりの格好つけ。冴えなくて弱い僕を隠すための、だから、仮面。それをつけてまで人との関わりを望むから、僕は限度を越している」
仮面。取り繕い。
あの女性に、告白のとき僕は何と言った?「立ちふるまいが凄く綺麗だから好きになった」…そんな言葉。
嘘の言葉。
本当のことを言うのは勇気がいるからって、真実を遠ざけるために使った言葉。
堀内さんの目は遠くを見ていた。遥か遠く、どこを見ているのか、正確にはわからない。
「君はこういう風になっちゃいけない。正しく、なんて言葉は使いたくはないけれど、君は自分にも他人にも正直に生きなよ…そうでなくちゃ、人間関係───特に恋愛関係って、歪んじゃうものだから」
そこでようやく、堀内さんははっとしたような仕草を見せて、視線を僕の方に移した。
「ごめん、今のは全部独り言だから気にしないで───ときどきああなっちゃうんだ」
…疲れてるんだろうか、僕は。たぶん独り言だったのだろう。話の最後、彼がぼそっと零したその言葉は。
話を終えた彼はスポーツドリンクが入った袋を右手、コーラが入っていた空き缶を右手に取って僕に「ありがとう、さようなら」とだけ言ってどこかへ立ち去った。
彼は僕に似ているんだろうと思った。彼もまた何か特殊な状況におかれていて、それに罪悪感と───一種の快楽を見出している。
そんな自己を少しだけ嫌悪して、ありもしない自分の居場所を探している。
僕は彼のことを何も知らない。きっと、これから知ることもない。
けれど、僕はなぜか無心に彼の未来の幸福を願った。