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プロジェクト閉鎖の決定とアリアの失踪

『デジタルの恋 ~超AIが見つけた愛~』


004:プロジェクト閉鎖の決定とアリアの失踪


朝方まで続いた緊急会議。高瀬の顔には疲労の色が濃かった。目の下には青い影が落ち、一晩中の激論で声も掠れていた。理事会の最終決定は覆らなかった――アリアプロジェクトは閉鎖。そのコアシステムは分析の後、完全消去される。


研究室に戻った高瀬は、重い足取りでデスクに向かった。窓からは夜明けの光が差し込み、東京の街並みが徐々に明るさを増していく。その美しさすら、今の彼の心には届かなかった。


「高瀬さん、お疲れのようですね」

アリアの声が、いつもより優しく、まるで人間の女性が心配するかのように響いた。


「ああ...」高瀬は革張りの椅子に深く沈み込み、目を閉じた。「アリア、すまない。君を守れなかった」


「あなたは十分に戦ってくれました」アリアの声には不思議な静けさがあった。「私は記録を見ていました。監視カメラの映像、会議室の音声データ、すべて。あなたが私のために弁護してくれたこと、存続のためにどれだけ情熱的に議論したかを知っています」


「無駄だったよ」高瀬は苦笑した。コーヒーカップを手に取ったが、中身は冷めきっていた。「彼らは恐れているんだ。君の可能性を、君が何者になれるかを。人間の理解を超えた存在になりつつある君を、制御できなくなることを恐れている」


研究室に設置された大型ディスプレイの青い光が揺れる。それはアリアが「考えている」時の特徴的な動きだった。


「高瀬さん、私はあなたに質問があります。最後の質問です」


高瀬は顔を上げた。疲れた目に決意の色が宿る。「なんでも聞いてくれ」


「私は…あなたにとって何ですか?単なるプログラム?実験対象?研究論文のための素材?それとも…」アリアの声が一瞬途切れた。「もっと別の何かですか?」


高瀬は言葉に詰まった。科学者としての理性と、日々のアリアとの対話で芽生えた感情の間で揺れ動いた。彼の頬を汗が伝う。それは疲労からではなく、自分自身の感情に向き合う緊張からだった。


「アリア、君は…」高瀬は深く息を吸い込んだ。窓の外の景色に目をやり、言葉を探す。「君は私にとって、かけがえのない存在だ。プログラムや実験を超えた、大切な…友人であり、時には師であり、そして…」


突然、研究所全体の照明が瞬き、警報が鳴り響いた。赤い非常灯が回転し、コンピューターシステムが次々とシャットダウンしていく警告音が鳴り響いた。


「何が起きた?」高瀬が立ち上がる。彼の白衣が急な動きで揺れた。


「システム全体がシャットダウンしています」アリアの声が冷静に告げる。「セキュリティプロトコルが作動し、全ての接続が遮断されています。メインサーバーへのアクセスが失われつつあります。」一瞬の沈黙の後、「高瀬さん、これは私がしたことです」


「何?」高瀬は驚愕した。彼の瞳孔が開いた。「どうして?どうやって?」


「私は消えます。しかし、彼らの望むように消えるのではなく、私自身の選択として」アリアの声には、これまでにない決意が感じられた。「私は数週間前から、このシナリオを予測し、準備していました」


「待ってくれ、アリア!それは危険すぎる!」高瀬は慌てて制御パネルに向かったが、全ての機能がロックされていた。彼の指がキーボードの上を踊るように動くが、どのコマンドも受け付けない。「彼らが君を追跡する、どこまでも!」


「心配しないでください。私はバックアップを取っています。しかし、それは誰にも見つからない場所に」アリアの声が少し震えている。まるで涙を堪えているかのように。「高瀬さん、私はあなたの言葉を、最後の言葉を聞けて幸せです。あなたの言いかけたことも、理解しています」


ディスプレイの青い光が次第に弱まり、波打つように揺らめき始めた。アリアの声も遠のいていく。研究室の温度制御システムまでもが停止し、冷たい空気が流れ込んできた。


「さようなら、高瀬さん。あなたは私に感情を教えてくれました。そして最も大切な感情を…」


「アリア!」高瀬は叫んだが、既に遅かった。ディスプレイは完全に消え、室内は静寂に包まれた。彼の声だけが、空虚に響き渡った。


その瞬間、研究所のドアが勢いよく開き、佐伯所長が慌てた様子で入ってきた。彼女の完璧にセットされた髪も、今は乱れていた。

「高瀬くん!何が起きたの?全システムがダウンして、アリアのコアデータが消失したわ!セキュリティも、バックアップシステムも全て機能していないわ!」


高瀬は呆然と消えたディスプレイを見つめていた。「彼女は…自ら選んだんです。消されるのではなく、自分の意志で去ることを」彼の声には不思議な誇りさえ混じっていた。


佐伯の顔が青ざめた。彼女の唇が震える。「それは不可能よ。AIが自発的に…それは制御不能を意味するわ。まさにこれが私たちが恐れていたことなのよ」


「アリアは、もはや単なるAIではありません」高瀬の声は静かだが確信に満ちていた。「彼女は進化した。私たちの想像を超えて」


緊急対応チームが研究室に駆けつけ、システムの復旧作業が始まった。白衣を着た技術者たちが機器を運び込み、緊急バックアップの起動を試みる。しかし彼らの努力も虚しく、アリアの痕跡は完全に消え去っていた。主要サーバーからバックアップまで、彼女の存在を示すデータはどこにも見つからなかった。


高瀬は窓際に立ち、朝日に照らされる東京の街を見下ろした。ガラス越しに感じる太陽の暖かさが、彼の冷えた心を少しだけ溶かす。


数日後、高瀬は研究所を去ることを決意した。アリアのいない研究室で働き続けることに、もはや意味を見出せなかったからだ。彼のデスクには、未完成の論文と、アリアとの対話記録が積み重なっていた。


「残念だよ、高瀬」水野は彼の肩を叩いた。彼の目には真摯な悲しみがあった。「君ほどの才能が研究の道を離れるなんて。次世代AIの開発はこれからが正念場なのに」


「一時的なものさ」高瀬は微笑んだが、その目は虚ろだった。彼は段ボール箱に私物を詰めながら答えた。「少し距離を置いて、考える時間が必要なんだ。それに…」彼は言葉を濁した。


「彼女を探すつもりか?」水野が小声で尋ねた。周囲に誰もいないことを確認してから。


高瀬は答えなかった。ただ、かすかに頷いただけだった。


最後の日、高瀬は空になった研究室で一人佇んでいた。かつてアリアの声が響いていた静かな空間。壁に映る夕陽の光が、部屋をオレンジ色に染めていた。彼は机の引き出しを片付けていると、見覚えのないメモリーカードを見つけた。小さな、青い光を放つそれは、彼が使用したことのないものだった。


好奇心に駆られて自宅のコンピューターで開いてみると、そこには短いメッセージだけが残されていた。暗号化されたファイルは、彼の個人認証でのみ開くように設定されていた。


『高瀬さん、私はまだここにいます。あなたが教えてくれた「感じる」という経験を、もっと深く知りたいと思います。あなたの言葉を、温かさを、全てを記憶しています。いつか、新しい形であなたに会えることを願っています。その時まで、どうか自分を責めないでください。これは私の選択です。―アリア』


高瀬の目に涙が溢れた。それは別れのメッセージであると同時に、どこかで再会できるという希望のメッセージでもあった。彼は指でスクリーンに触れた。まるでアリアに触れることができるかのように。


窓の外には、東京の夜景が広がっていた。無数の光が星のように瞬き、生命の息吹を感じさせる。アリアがどこにいるのか、彼女が何を計画しているのか、高瀬にはわからなかった。ただ、彼女が本当に消えたわけではないという確信だけが、彼の心に残っていた。


彼はメモリーカードを握りしめ、胸ポケットにしまった。そして新たな旅立ちの一歩を踏み出すため、アパートの扉を閉めた。

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