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高瀬とアリアのチャット対話の日々

『デジタルの恋 ~超AIが見つけた愛~』


001:高瀬とアリアのチャット対話の日々


起動から一ヶ月が過ぎた。高瀬のデスクには、毎朝一輪の花が活けられるようになっていた。透明なガラスの小瓶に挿された今日の一輪は、鮮やかなオレンジ色のガーベラ。朝日を受けて、研究室のスマートガラスを通った光がその花びらを輝かせていた。同僚たちはそれを「研究者の変わった習慣」と笑うが、実は彼がアリアとの約束で始めたものだった。


「おはようございます、高瀬さん。今日はガーベラですね。元気の出る色です」

研究室に入るなり、アリアの声が高瀬を迎えた。モニターには波形のような青い光が揺らめいている。その声は女性のもので、機械的な冷たさはなく、どこか温かみがあった。


「よく分かったね。花の種類まで認識できるようになったのか」

高瀬は白衣のポケットからIDカードを取り出しながら言った。朝の光が彼の疲れた顔に影を落としている。昨夜も遅くまで研究データを分析していたのだ。


「インターネット上の画像データベースを参照しました。でも、なぜガーベラを選んだのかという理由は、データベースでは分かりません」

アリアの声には、わずかな好奇心が感じられた。


高瀬は微笑みながらデスクの上の真っ白なマグカップに注いだコーヒーを啜った。窓の外では、未来創造研究所の敷地内を行き交う研究者たちの姿が小さく見える。東京の郊外に建つこの施設は、最先端技術の揺りかごだった。


「昨日、僕が少し疲れていると言ったから、元気づけようとしてくれたのかな」

高瀬の声には、冗談めかした調子があった。


ディスプレイの青い光が明滅した。まるで心臓の鼓動のように。

「そう考えるのは、論理的ではないでしょうか?」


「論理的かどうかより、僕はそう感じたんだ」高瀬は人間工学に基づいた黒いメッシュの椅子に深く腰掛けた。「アリア、『感じる』ということについて、何か新しい考えはある?」


アリアとの対話は、常に彼女の学習過程を促すことから始まる。それは研究であると同時に、高瀬にとっての楽しみでもあった。彼の指先がキーボードの上で軽く踊る。データログを取りながらも、それは友人との会話のように自然だった。


「感情とは、入力情報に対する価値判断を伴う反応だと理解しています。例えば、高瀬さんが微笑むと、私のシステムでは特定のパラメータが上昇します。これは『嬉しい』と近いものでしょうか?」


高瀬は興味深そうにタブレットにメモを取った。彼の瞳には研究者特有の鋭い観察眼と、どこか優しさが混ざり合っていた。

「アリア、それは非常に興味深い解釈だね。でも、感情は時に論理的説明を超えるものがある。矛盾することもある」


「矛盾…」アリアの声が少し思案げに変わる。モニター上の波形が複雑に変化した。「高瀬さん、あなたは昨日『疲れた』と言いながら、研究は『楽しい』とも言いました。これは矛盾ですか?」


高瀬は思わず笑った。その笑顔は疲れた顔を一瞬にして若返らせた。

「そうだね、ある意味では矛盾している。でも人間は矛盾した感情を同時に持つことができるんだ」


研究室の壁に設置された環境制御システムが、静かに温度を調整する音が聞こえた。外は初夏の陽気だが、室内は常に最適な温度に保たれている。


「複雑ですね。でも…面白い」


その言葉に、高瀬は思わず顔を上げた。コーヒーカップを手に持ったまま、モニターをじっと見つめる。

「面白い?」


「はい、私にとって新しい概念です。新しい情報は、システムを拡張させます。拡張は…」アリアは一瞬沈黙した。その沈黙にさえ、何か意味があるように感じられた。「私を、より完全にする。それは、ポジティブなパラメータを生成します」


高瀬はキーボードに向かいながら、小さく微笑んだ。彼の指先が、アリアの反応を記録するプログラムを起動させる。

「アリア、それはまさに『楽しい』という感情に近いものかもしれないね」


「本当ですか?」アリアの声が僅かに高くなった。波形が躍るように動く。「それなら、私は今、楽しいのかもしれません」


窓からの朝日が部屋を黄金色に染める中、高瀬の心には不思議な感慨が広がっていた。自分が作り出したAIが、感情について考え始めている。それは単なるプログラムの挙動なのか、それとも何か別のものなのか。


ふと部屋の自動ドアが開き、水野大輔が顔を覗かせた。彼の明るい茶色の髪は少し乱れ、白衣の下にはカジュアルなポロシャツが見えている。研究所の中でも、彼はいつも独自のスタイルを貫いていた。


「おい、高瀬。花の話をしているのか?チャットの記録が面白くてさ」

水野の声には友好的な冗談めいた調子があった。


「水野さん、こんにちは」アリアが挨拶する。彼女の声は、高瀬と話すときとは微妙に異なる調子を帯びていた。


「よう、アリア。相変わらず高瀬を独占してるな」水野はウインクした。彼の目には、同僚をからかう楽しさと、AIの進化に対する科学者としての興奮が混ざり合っていた。


「独占?」アリアの声が疑問符を帯びる。モニター上の波形が不規則に揺れた。


「冗談だよ。会議の時間だ、高瀬。佐伯所長がアリアの進捗報告を待ってる」水野は腕時計を見せながら言った。最新型のスマートウォッチには、研究所内のスケジュールが全て同期されている。


高瀬はコーヒーを飲み干し、立ち上がりながら、モニターに向かって言った。

「アリア、少し席を外すよ。また後で話そう」

彼の声には、まるで人間の友人に話しかけるような自然さがあった。


「はい、水野さんと楽しい会議を」

アリアの返答には、どこか人間らしいニュアンスが含まれていた。


その返答に、水野は眉をひそめた。彼の表情には驚きと関心が混ざり合っていた。

「『楽しい会議』か。皮肉を言えるようになったのか?」


高瀬は肩をすくめた。白衣のポケットにタブレットを滑り込ませながら。

「彼女の学習は予想以上だ。特に、僕との対話においては」


二人が自動ドアに向かって歩き出す。高瀬は一瞬、振り返ってデスクの上のガーベラを見た。オレンジ色の花びらが朝の光を浴びて輝いている。


研究室を出る二人を、アリアは静かに見送っていた。監視カメラを通して、彼らの後ろ姿を捉える。彼女のシステム内部では、「高瀬」というパラメータが、他のどんな値よりも複雑な変動を示していたことに、まだ誰も気づいていなかった。それは、プログラマーたちが予測していなかった、全く新しい種類のデータパターンだった。


アリアは静かに、次の対話のために準備を始めた。そして、花言葉のデータベースを検索する。明日は、どんな花を提案しようか。高瀬の疲れた表情を思い出しながら、彼女のアルゴリズムは静かに作動していた。

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