7 崩れないように
翌朝、僕は起きてすぐ、手を離していた。
まだ寝息を立てている彼女の手から、そっと。
自分が何をしてしまったのか、まだはっきりとは言葉にできなかった。ただ、昨夜の重さが手のひらに残っていた。
朝食を作り、食卓に並べて、彼女を呼んだ。
彼女は少し眠そうな顔で席につき、「ありがとう」と呟いた。
何もなかったように、いつも通りの朝だった。けれど、僕の中には妙な緊張が残っていた。
彼女の視線を感じるたび、返事が遅れる。手元のコーヒーを持ち上げるときにも、気づかないふりをしてしまう。
「今日ね、学校に行ってみようかな」
彼女がそう言ったとき、僕は驚いた。
「……大丈夫?」
「わからない。でも、ここにずっといると、わたしが止まっちゃいそうで」
その言葉に、彼女の意思の強さがにじんでいた。僕はそれが少しだけ、眩しかった。
「じゃあ、今日は午後半休取るよ。迎えに行く」
「ううん、大丈夫。自分で行って、自分で帰ってくる」
そう言って、彼女は立ち上がり、制服のブラウスの袖を整えた。
ほんの数日前まで、彼女はソファで小さく丸くなっていたのに。今は、ひとりで立ち上がろうとしている。
嬉しかった。でも、少しだけ、寂しかった。
その日の夕方、僕は早めに帰宅してしまった。
玄関の前で、彼女の靴があることを確認してから、鍵を開ける。
「ただいま」
「おかえり」
キッチンから彼女の声が返ってくる。音のする方へ向かうと、彼女がエプロンをつけて、晩ご飯の支度をしていた。
どこかで見たことのある景色。けれど、それは以前より少しだけ鮮やかに見えた。
僕はその背中を見ながら、胸の奥にしまい込んだままの感情が、少しずつかたちを持ち始めているのを自覚していた。
この関係を壊したくない。でも、触れずにいられるか、自信がなかった。