9. 広がる領土と現れる行商人(後編)
俺は警戒して少し前に出て、子どもたちと男の間に立つ。
その男は頭に灰色のターバンのような布を巻き、そのままその布で口元を隠していて、上も下も動きやすそうなしっかりとした布地の白い服を着込んで、俺の警戒を意に介していないようにサンダルのようなものを履いた足でペタペタと音を立てながら歩いて近付いてくる。
極めつけに、男の後ろにはさらに荷物を背負ったロバだかウマだかの茶色の動物がいて、男がロープで連れて歩いていた。
怪しいっちゃ怪しいが……ひょっとして……行商人的な?
「こんにちは!」
「こんにちは!」
「こんにちは」
子どもたちの元気な挨拶に、男は丁寧に挨拶を返した。子どもにも柔和な対応を見せているし、初対面の印象だと悪いヒトではなさそうだ。
あと、やっぱり見るからに行商人といった感じだ。むしろ、行商人以外なら逆に驚く。
「失礼ですが、あなたは?」
「私はヒト族と別の種族の間で交易を営む行商人です。まあ、魔人族からは門前払いを喰らっちゃいますけどね」
うん、やっぱりそうか。分かる、分かる。見た目からして行商人だ。なんなら武器が柄のついた大きいそろばんと言われても「そうだろうな」と納得できるくらいに分かりやすい。
で、問題は何故ここにいるかだ。
「なるほど、行商人か。ご存知だろうが、ここは開拓の最前線、危険な場所だ。それと、普段は私しかいないのにどうしてここへ?」
だいたい、俺が一人でいる。
つまり、今、珍しいお客が二組現れたことになる。
「いやはや、手厳しい。ご挨拶に伺いました。正直に申し上げますと、女神さまの使いの方がいらっしゃると聞きましてね。顔を見せないのは人と人との間を繋ぐことを生業とした行商人としていかがなものでしょう」
行商人は明るい声でカラカラと軽い感じで話しかけてくる。
少なくともあちらからは警戒心や危機感のようなものが微塵も感じられず、なんでもウェルカムな感じで接してきていた。
こんな危険地帯まで来て、商魂たくましい行商人だ。
それに俺と顔を繋いでおきたいという気持ちは分からなくもない。ヒト族の間でもマイや俺の話は浸透しているはずだ。
となると、口が巧いだろうからいいように使われないように注意しないとな。
「なるほど。理由は実に素直なようだ」
「ははっ、正直こそが商売の基本ですよ。それに実際に商機がありましたしね」
商人が口元を隠しているからはっきりとした表情を読み取れないが、目元や眉を見る限りでは少し嬉しそうに微笑んでいる気がする。
微笑みながら行商人は俺の首元を指し示していた。先ほどの俺と子どもたちの会話を聞いていたのだろう。
「あぁ、これの材料か」
行商人はカバンをゆっくりと背中から降ろして、紐で結ばれて閉じていたカバンの大きな口を開けて中から革袋を取り出し始めた。さらに行商人が革袋に手を突っ込むと、中から牙や角などの素材がジャラジャラと音を立てて現れる。
こう言ってはなんだが、俺がもらった牙や角よりも白みが強く、より女性に、いや、マイに合いそうな綺麗な色をしていた。
欲しい。
思わず、俺は素材を凝視してしまう。
「ええ。私は普段、獣人さんから飾り細工用の素材や薬草などを買い取り、野菜や果物、そのほかにも農耕具や植物の種などを提供しておりましてね。ちょうど、先ほど、良い材料を手に入れたところです」
喉から手が出るほど欲しいが、俺は残念に思いつつも首を横に振った。
「すまないが、私はあなたに提供できるものがない」
「まあまあ、お近づきの印ということで」
タダより高いものはない。何かをもらえば、何かを返さなくてはいけない。
もちろん、何かを返す前提でもらい受けることもある。しかし、あくまで俺個人の欲求で見知らぬ相手とそのような交渉をするわけにはいかない。
「すまないが、何かをタダでもらうことには抵抗がある。今後、私があなたに何かをしてやれることがあるか分からないしな」
理由は明確に述べる。
このような相手には、なあなあにしてごまかすよりもはっきりと理由を付けて断る方が話を終わらせやすい。
しかし、本当に綺麗な素材だ。
マイにプレゼントしたら、きっと喜んでくれるだろうな。
「なるほど。では、こうしましょう。狩られ終わってそこらへんに落ちているワイルドワームの歯をいくつかもらってもいいですか」
「ワイルドワームの?」
行商人も引き下がらない。
なんと、そこらへんに無数に転がっているワイルドワームのぎざぎざした歯を交換対象として挙げてきた。俺にそれの価値は分からないが、勝手に拾っても誰も怒らないだろう物を要求してくるあたり、俺に顔を売ることが主目的なのだろうか。
つうか、俺も処理に困ってしばらく放置していたから、何でも持っていってほしい。なんなら全部持っていってほしい。
「ええ、それも立派な交易品ですよ」
どこまで本当かは分からないが、タダでもらうよりは今後何か要求されても突っぱねやすい。
それにもう俺の頭の中では、その素材を手に入れて、獣人族の子どもたちと一緒に首飾りを作っているイメージができあがっていた。
俺の喉がゴクリと鳴る。
「それならまあ……どうせ捨てているし、そこらへんに転がっているものならいくらでも」
「では、交渉成立です」
「ありが――」
俺が礼を述べながら行商人に近付いていく瞬間、俺の背後から嫌な気配がした。
「VISYAAAAA!」
「ワイルドワーム!?」
ワイルドワームだ。
緑地化した場所に何故!?
それよりも、ワイルドワームが俺の元居た場所、そこにまだ立っていた獣人族の子どもたちの目の前にいることが問題だ!
「ひゃあああああっ!」
「ひゃあああああっ!」
「これはどうしてワイルドワームが!」
子どもたちの叫び声と行商人の驚いた声が聞こえる。
俺は咄嗟に右手を突き出し、無数の触手を伸ばすように変化させていった。
「ヴァリアブルテンタクルス!」
硬質化させたいくつかの触手がワイルドワームを殴り、柔らかい触手が獣人族の子どもたちを救うようにがっしりと掴む。
「VIIIII!」
硬い触手にボコボコにされたワイルドワームはピクピクと小刻みに震えながら動けなくなっていた。
……なんかワイルドワームに違和感を覚えるが、それがなんなのか分からない。
この感覚、ちょっと気持ち悪いな。
「さすが女神さまの使いのお方」
「危なかった」
八つ裂きにするのは後にしよう。子どもに間近で見せるのは教育上よろしくない。
「た、助けてぇ」
「た、助けてぇ」
ふと救ったはずの子どもたちから悲鳴が上がっている。
また、別のワイルドワームが、と思い、そちらを見た瞬間。
俺の右腕から伸びているぬめぬめとした触手がいくつも子どもたちに絡みつき、まあ、子どもにしていい状況じゃない感じに仕上がっている。
これ、ダメ、絶対!
「いやはや、女神さまの使いのお方もなかなか、良い趣味をしておられるようで。まあ、獣人族は意外と見た目よりもずっと大人でしてね。彼女たちくらいの年齢なら――」
うん、その情報、聞きたくなかった。
完全に誤解されているよな、それ。
俺はマイ一筋だから。
ああっ! もしかして、マイに【神視する玉座】で見られているんじゃ!?
……と思ったが、特に連絡を寄越してくる雰囲気もない。
だが、いつ見られるか分からないので、俺は急いで触手を戻した。
やはり、マイからは連絡が来ない。
たまたま見られなかったか?
「……行商人、これは誤解だ。忘れてくれ」
「では、秘密にすることと子どもたちへの詫びのプレゼントもこの材料のお代のうちということで」
「しっかりしているな……」
俺は行商人にちょっとした弱みを握られつつ、その後、子どもたちから首飾りの作り方を教えてもらって、自画自賛ながらすごくきれいな首飾りができた。
真っ白な牙や角を並べている首飾り。
それに一番大きな牙には「KtoM」と彫って、唯一無二のものができあがって嬉しくなった。




