7. 荒野開拓宣言と女神代理の涙(後編)
いくつかのエリアで「世界の繁栄」の懸念になっている荒れた土地がある。
その1つがこの場所で、獣人族の住む土地に隣接している「昆虫荒野」だ。
その名の通り、大型の昆虫族が住む危険度の高い場所でもあり、この荒野はこの先もずっと続いていて広すぎるため、半分以下にすることも目的の1つになっている。
この場所を開拓し、目標である荒野の半分以上を緑地化すれば、今の草食獣人の領土を倍近くまで増やすことができ、肉食獣人の領土もついでに広げられるくらいのお釣りもある。
開拓できれば、だが。
もちろん、草食獣人も肉食獣人も渋い顔を隠さず、マイにどう説明しようか考えあぐねている様子も窺えた。
「お言葉ですが、女神さま、草も生えぬ荒野、しかも、危険な昆虫がいる場所をもらったところで我々にはどうすることも……」
もっともな話だ。それが草食獣人にできるのならば、今ここでわざわざ肉食獣人を追い立てるような真似などしないだろう。
それほどまでに先住の昆虫たちが強烈で厄介だ。
「肉食獣人がそっちに移住すればいいんじゃないか?」
「昆虫族が怖くて、荒野では眠れなさそうです!」
良い返事だが、素直すぎんか。肉食獣の誇りとかないんか。
試しに草食獣人よりも攻撃力の高い肉食獣人をけしかけてみるも、ライオンの獣人を筆頭に見渡す限りの肉食獣人が首をゆっくりと横に振っていた。
まあ、そうだよな。肉食獣人の方だって、開拓できるならわざわざ草食獣人に抵抗するような真似もしないだろうし、そもそも肉食獣人がそれほどまでに強いのであれば、昆虫を恐れている草食獣人が肉食獣人を襲って領土を広げようなんて考えるわけもない。
つまり、外部からの介入がなければ、この目的を達成することはできない。
ここでの外部は、要は、俺だ。
「女神さま、ここは私の出番かと思います」
「ふぇ……? へっ……? あ、いえ……それは……」
俺の突然の申し出に、マイの先ほどまでの威厳はどこへやら、マイは俺の言葉の意図にハッと気付いて青ざめた表情で首を小さく横に振る。
しかし、ここで俺が退いてしまっては解決するものも解決しなくなる。
俺はマイだけではなく、獣人たちに高らかに宣言するように右腕を大きく振り上げて最大限に声を張れるように口を大きく開けた。
「私の強大なる力をもって、女神さまが与えてくださる慈しみの加護の下、必ずや荒野を緑豊かな場所へと変えてみせましょう!」
俺の宣言はここにいる全員の耳に届かんばかりの声量だろう。
一度、荒野は元の静けさを取り戻し、誰もが音を出すことさえ躊躇っているように見えた。
しばらくして、俺が腕を下ろすと同時に、まるで時が再び動き出したかのように、鏡のような水面に小石が投げられ波紋が立つように、割れんばかりの歓声が上がる。
「おおっ! あの恐ろしい一撃を披露された女神の使いさまが我らの味方を!」
「おおっ! なんと慈悲深く、我らの良き導き手なのでしょう!」
うん、気持ちいいな。ドームやフェスで歌うアーティストってこんな気分なんだろうか。
こう……自分の一言で一体感が生まれるのって心地良さが半端ない。
一方のマイは、俺の独断専行な発言に対して、眉根を下げて顔を真っ赤にしつつ数秒ほど何か言いたそうに口をもごもごしてから、やがて、少しばかり肩を落とすようにしてゆっくりと頷き始めた。
「うっ……ううっ……よ、よろしい……荒野を緑豊かな大地にするのです! そのために……ううっ……うーっ! 仕方ありません! 断腸の思いで! 仕方なく! 女神の使いであるカイを貸し出しましょう!」
「おおおおおっ!」
「おおおおおっ!」
「おおおおおっ!」
「おおおおおっ!」
再び割れんばかりの歓声が荒野に轟く。
荒野には大型の昆虫がいるようだが、それらがこちらに気付いてもおかしくはない。
しかし、ここまで歯切れの悪すぎる神のお告げなんてあるだろうか。仕方ないが2回も出てくるあたり、了承が渋々どころの騒ぎじゃない。
というか、なんか、後でしこたま怒られそうだな、俺。
なんか、ご機嫌取りの何かを考えておかないとひどいことになりそう。
俺が魔法で出したスクリーンをしまうために小さくして、マイの姿を俺しか見なくなった瞬間、マイが俺の方をじっと見つめていた。
俺がマイの視線に気付いて見つめ返すと、マイが恥も外聞も関係ないとばかりにポロポロと涙をこぼし始める。
「ううっ……カイセイがたくさんお外に出ちゃうの嫌だよお……バカ……勝手に1人で決めちゃって……うううううっ……」
うっ……。
2人の目的、「世界の繫栄」と「種族の繁栄」のために提案したつもりだったが、マイに泣かれてしまうと本当にこの選択が正しかったのか、俺の中で考えがブレてしまう。
俺はマイを慰めるため、「明日から開拓を始める」と獣人たちに宣言して彼らにも手伝うように促してから、できる限り急いでラビリスアイノスへと戻っていく。
俺がアイノスに帰ると、マイはリビングのソファで体育座りをしていた。
顔を自分の膝に押し付けて背中を丸めているその姿は、すっかり落ち込んでいるようで、まるで捨てられた仔猫のように悲しげに映る。
マイの周りでリシアやエベナ、ラピスが心配そうに取り囲んでくれていて、3人は俺を見るなり、恭しくお辞儀をして数歩下がった。
「……涙を流すほどに嫌だったのか」
俺の声が聞こえて、ビクンと跳ねるようにマイの身体が動いた。
マイが顔をバッと上げると、あれからずっと泣きっぱなしだったのか、目の周りが赤くなっていて、少しばかり腫れているようにも見える。
「ぐす……ぐすっ……嫌に決まってるでしょ! 本当はカイセイとひとときも離れたくないよ! カイセイがラビリスに行くのだって寂しいのに、もっと遠くなんて!」
マイの怒りと愛情をひしひしと感じる。
若干、狂気じみている気もするが……。
いつも一緒と言ったって、仮に元の世界で結婚したら、そんなこと言ってられないだろうに。
……言ってられないよな? ……よな? お互いに仕事しなきゃ生きていけないし、な?
俺はマイに複雑に混ざり合った感情を抱きながら、今はマイを宥める方が先と判断して、そっとマイに近付いて、マイのことを優しく抱きしめた。
俺の温もりにホッとしてくれたのか、マイの口から「んっ」と甘い声が漏れてくる。
「そんなに嫌なのに、がんばって決めてくれてありがとうな。これも俺とマイの目的のためだからさ……そこは分かってほしいな」
俺はマイの頭を愛しく撫でる。
開拓を急ぐならば、早くマイと長くいられる日常に戻るためならば、不眠不休で取り掛かった方がいい。
だから、しばらく帰ってこられないかもしれない。
そう思い、少し寂しくなって、マイをぎゅっと抱きしめる。
「うん……でも、毎日、帰ってきてね」
違った。
俺の考えと真逆だった。
あ、夜はちゃんと帰ってこなきゃいけないのね。
「あ、単身赴任じゃなくて遠距離通勤なのか」
俺は思わず、元の世界の言葉で喩える。
俺の言葉に反応して、マイが俺のことを力いっぱいに抱きしめてきた。
「当たり前でしょ! カイセイが帰ってこないなら私が一緒についていくから!」
一番意味のない提案がきたな。
「それじゃ家族を伴った転勤になるだろ」
「え、家族!?」
「パートナーだし、家族だろ」
抱きしめ合っているから、マイの顔が見えない。
だけど、絶対に嬉しそうな笑顔に違いないと確信した。
「えへへ……毎日ちゃんと帰ってきてね」
「分かってる、分かってる」
俺は3人のゴーレムがまじまじと俺たちを見つめる中、マイを強く抱きしめ返してそう宣言した。
完全に余談だが、朝までしっかり搾り取られて、開拓中はそれが続くと甘い声で宣言されてしまうのだった。




