1. 幼馴染との再会と事故転生
夜。終電とまではいかないが、もう割と遅いし、周りを見渡しても終電よりも少し少なめな人込みで、どいつもこいつも疲れている顔か、いい感じに酔っている顔で電車に乗っている。
「はあ……もうきつい……何連勤だっけか……ってか、家帰るのいつ振りだ?」
俺は途中から座れた座席で一息ついた後、連勤数を指折り数えようと試みたが、なんだか悲しくなってきたので途中で手をパパっと振ってやめた。
俺はまあ、世間一般で言うところの社畜だろう。
大学で上京し、学部卒でそのまま就職、新卒入社5年目。しかし、電車の窓に映る自分の顔が20代後半だとは到底思えない。
疲れ果てて、少しやつれた感じで、30代後半くらいに見える。正直、体力でどうにかこうにかしてきていたが、年々やることが増えて終電を逃すことも多々あった。一時期は会社に住んだ方が生活マシなんじゃないかと思えたくらいだ。
あぁ……もっと緩い生活がしたい……。
FIREして三食昼寝付きとまでは言わないから、定時で帰れてゆっくりと趣味を……趣味か……最近してないな。
そもそも、趣味なんだっけ?
そんな願望と現状のギャップを思い浮かべて悲しくなるくらいには疲れていた。
「あれぇ? もしかしてぇ?」
「…………」
「やっぱ、そうだぁ、久しぶりぃ」
「え?」
近くから女性の声がして、最初、自分のことだと思っていなくてボーっとしていたら、急に肩を掴まれる。
顔をきちんとそちらの方へ向けてみると、パンツスーツの同年代くらいの黒髪ロングヘアな女性が顔を真っ赤にして俺をニマニマと見つめていた。
誰だ? と思う前に、はっきりと分かる酒臭さに思わず顔を顰めてしまう。
本当に酒臭え! 絶対に3次会くらいまでしっかりと飲んだ感じだぞ、これ。
「覚えてない?」
「えっと、人違いでは?」
どうやら俺は酔っ払いに知り合いだと思われて絡まれているようだ。
残念ながら、俺はパンツスーツの似合う美人とお知り合いになった覚えはない。まあ、いくら美人でも酒の臭いしかしていないのはご免被りたいが。
しかし、目の前の美人は何らかの確信を得たように、本当に嬉しそうな笑顔でうんうんと頷いていた。
「えー、嘘でしょお? ほんとに? 薄情だなぁ……カイセイでしょお? ほら、私、マイだよぉ?」
自分の名前を言われたことにも驚いたが、それ以上に美人が言い放ったその名前に、俺は久々に目を丸くした。
え? マイ?
「え? マイ? 小中一緒だった?」
「そそ。やっぱ、カイセイじゃん。カイセイも関東に来てたんだぁ?」
マイは地元が一緒の幼馴染だ。実家も歩いて5分くらいの近所であり、小学校の集団登校では一緒のグループだった。
そして、俺の初恋の人(ただし、幼稚園の先生を除く)でもある。
だが結局、俺とマイが釣り合うと思えずに一度も告白することもなかった。中学のときに連絡先を一応交換してあったものの、高校が別々になったから連絡する理由もなくて、そのまま疎遠になってしまう。
あの時はかわいいと思ったけど、大人になったらキレイになったな。
それに、関東にいたのか。しかも、同じ路線ってことは、もしかしたら、今までもすれ違っていたのかもしれないな。
「……まあ、地元に仕事ってそうないしな」
マイが返事を欲しそうにずっとニマニマ見つめてくるので、感慨に長く耽っているわけにもいかず、マイの質問に淡々とした雰囲気をがんばって維持して言葉を返す。
「だよねぇ。でも、みんなけっこう関西に行かない? 私の友だちも……あ、ねえ? カイセイ、明日休み? 家来ない? ちょっと飲んで話そうよ」
マイからのまさかの申し出。深夜で、話し込めば終電もなくなるだろう。
つまり、こう言うってことは……結婚どころか、彼氏もいない?
いや、まさか、美人局? それとも、幸せの壺とか、マルチとか?
不安がドカドカと降ってくるからか、酔ってもいないのにまるで酩酊しているかのように頭が働かない。いや、単純に労働疲れだな、これ。
……ないな。リスクがでかい。
久々に会った好きだった幼馴染と偶然出会って、終電間際の宅飲みのお誘いなんてありえない。
人生で期待させられて嬉しいことになったことほぼないしな。
「もう相当飲んでるだろ? 飲み過ぎると後が辛いぞ? ……あと、俺、下戸だし」
ひとまず、俺が酒を飲めないということと、マイの身体を気遣っている感を出してやんわり断ることにした。
「あ、ここが最寄り、行こ、行こ!」
しかし、マイは俺の言葉を聞いている様子もなく、電車のアナウンスの方に耳を傾けているかと思えば、今の今までずっと掴んでいた俺の肩から手を離して、次に俺が抱えていたカバンを素早くひったくってドアの方へと向かって行く。
「お、おい、ちょっと!」
「うふふふ、こっちよぉ」
「こっちよ、じゃない!」
カバンには出張業務用のノートPCがあり、さすがに紛失するのはマズい。結局、俺はカバンを人質にもとい物質に取られてしまった弱みで自分の最寄り駅の3つも手前で降りることになる。
「うふふふ、捕まえたぁ」
「あーあ……」
普段降りることのほぼない駅は未知でしかない。
マイが電車から降りると俺にカバンを返してきたので渋々背負って覚悟を決めた後、マイは嬉しそうに今度は俺の手を握ってホームから改札階へと降りようとする。
何気に恋人繋ぎなのはちょっとドキドキする。
結局、俺は流されてしまった。
仕事でもちょっと圧と押しの強い先輩に仕事を押し付けられまくっているからな……。なんか自分で選んだり、自分から強く出たり、そういう自己主張をすることができなくなっている気がする。
その後、特に話すこともなく駅近のコンビニに2人で寄って、「おつまみ選んでおいて」と言われて悩んでいたら、かごいっぱいにいろいろと買い込んだマイがやってきて、「まだ選んでなかったのぉ?」と言われた後に、近くにあった空っぽのカゴを持ってきて、ガサガサっとおつまみを手あたり次第、カゴいっぱいになるまで放り込んでいた。
どんだけ買うんだよ……初めてだよ、コンビニでカゴ2ついっぱいに買うの。
それで、俺が財布を出そうとすると「私が誘ったし、私の奢りでいいから、カイセイは外で待ってて」と言われて半ば追い出される。
最初のカゴからちらっと見えた「0.01」っぽい箱に、正直、ドキドキしてしまう。
まさか……だよな? 見間違えだろう。
やがて、外に出てきたマイが「重いから持ってぇ」と言って俺に、酒の缶や瓶の入った重い方を持たせてくる。まあ、男だし当然かと、さらに俺が「そっちも持つよ」とレジ袋の片割れを指し示すと「じゃあ、こっちの方を持って」と自分のビジネスバッグを持たせてきた。何が入っているかは分からないが、たしかにしっかりとした重さで、こっちの方が重いから手渡してきたのかな。
もう1つの手はカバンじゃなくて恋人繋ぎの再開だった。
「ねえ、カイセイって彼女いるのぉ?」
マイは終始嬉しそうだ。マイの顔の赤みは徐々に薄くなり、語尾の伸ばし方も先ほどとちょっと違うから、きっと酔いも醒め始めているのだろうけど、我に返ってここで解散みたいな雰囲気がない。
ということは、もしかしたら、もしかするのだろうか。
ちょっとだけ期待と、それとやっぱりなんか企んでいるのかという不安が綯い交ぜになって、俺の心を右へ左へと揺らしていく。
「いないよ」
いたことがない。いや、それっぽい感じになったことはあるけど、はっきりとそんな関係になったことはない。当時の友人からは「優しすぎる」「押しが足らない」「興味がないと勘違いされるレベル」と散々バカにされた記憶しかない。
あと、彼氏ができたのか、仲良くしていたと思ったら急に離れていった女の子もいた。
「だよねえ、彼女いたら、さすがに2人で宅飲みなんて断るよねぇ。じゃあさあ、まだ私のこと好き?」
は? え? 俺がマイのこと好きだったって知ってたのか!? いつ? いつからだ?
「…………なんでそれを知っているんだよ」
驚きはしたものの今さら昔の気持ちを隠す気にもならないから、素直にそう訊ねることができた。中学の頃にこれくらい素直になれたら変われたかもしれない。
「昔、友だちから聞いたぁ。ま、カイセイの視線には気付いていたから、まあ、聞かなかったとしても分かってたかな。でも、私、その頃は告白されることを夢見てたからさぁ。告白してこないカイセイじゃダメだったんだよねぇ」
うん、聞くんじゃなかった。後悔しかないだろ、これ。
マイが望んでいたのは、白馬に乗ってやって来る王子様なのだろう。近寄って来ないのは王子様でもダメらしい。そうなると、王子様と呼ばれるわけのない容姿の俺は、白馬じゃなくともとりあえず馬に乗ってマイの前に行かなきゃダメだったようだ。
「夢見てたっていうか、マイって結構告白されてなかったか?」
中学校時代、そんな話を聞いた気がする。
その俺の言葉に、マイは少しびっくりした顔をした後にレジ袋を持つ手を上げて、自分の唇に指を当てる仕草をしながら再びゆるい表情でこちらを見つめてくる。
マイの持つレジ袋からやっぱり0.01の文字がちらっと見えた。マイが自分の持っていたレジ袋を持たせなかった理由が分かった気がするが、買ったことを俺に知られたくなかったか、ちらちら見せて俺に期待させたかったか、のどちらかは分からない。
もうこの際、罠でも飛び込むしかないだろう。最近、仕事ばっかりで自分で処理してないし、溜まってばかりだったってのもある。
「えー、うーん、まぁね……でも、全部断ってたからなぁ」
なんで?
俺の性欲に浸されていた頭がマイの言葉で一気に話の方へと戻る。
「夢見てたんじゃなかったのか」
「そりゃ、好きな人に告白されることに決まってるじゃん。誰彼構わずなわけないでしょお?」
なんだ王子様がいなかったのか、って、どんだけハードル高いんだよ、棒高跳びくらいかよ。
「まあ、そりゃそうか」
「私、今まで、彼氏いないんだよねぇ」
え、じゃあ、まだ……ってこと?
俺がチラッとマイの方を見ると、ニマニマニマっとしたマイが相変わらずこちらを見つめている。
見つめられすぎて、こっちの方が恥ずかしくなってくる。
「……そうなんだ」
「……私たち、もう27になるじゃん? ほら、よくある、あれ、しない?」
「よくある、あれ?」
年齢を言われて、俺もマイもアラサーかとか実感する。俺は多分激務で窶れているから、さっきも感じたように30代に見えるだろうけど。一方、マイは美人だし、年相応かちょっと若いくらいには見えるかもしれない。
「お互いにさ、30歳になっても独身だったら結婚しようってやつ」
冗談だろと思った。そう思うくらいにマイがイタズラな笑みを浮かべていて、俺の反応を楽しんでいるように見えた。
SNSか漫画の見すぎだろ……。
急展開すぎるし、本当にそんな言葉を聞くことになるなんて思いもしなくて、俺はすぐに返事をすることができなかった。
赤信号で歩みを止める。
マイは止まっていることもあってか、スルーを許さない感じで顔を徐々に近付けてくる。このまま無言を通したらキスでもしてきそうな勢いで顔と顔が近付いていた。このままキスしたいけど、外では恥ずかしいし、なんか期待して後でバカにされるのも嫌だ。
「唐突すぎるだろ……」
残り数センチ、ほんとにキスでもされるのかと思うくらいに近く、暗がりでもマイのまつ毛の長さがはっきりと分かる距離、酒の臭いに紛れて、マイの匂いなのか少し甘い感じの匂いまで感じられるほどに近かった。
「だよねぇ、でも、ほら、ゆびきりげんまん」
マイは俺の答えを予め知っていたかのように縦に頷きつつ、その回答を許さないとばかりに小指を顔と顔の間ににゅっと突き出してくる。
「はいはい。マイは昔から決めたら変えないからなあ」
俺は溜め息混じりで、でも、決して嫌な感じもなく、重い荷物もなんのそので小指を絡めた。
「カイセイはいつも諦めちゃうよね。やーい、意気地なしぃ」
「酔っ払いが喧嘩まで売ってくるなよ」
「わー、怒られるぅ」
マイがゆびきりげんまんに気を良くしたのだろう。ちょっとばかり俺を煽ってから、青信号になっていることを確認して走り出す。
「あ、おい、信号が青になったからって急に飛び出すなよ」
「あはは、早く行こう? うぷっ……ちょっと気持ち悪いかも……」
俺は急に走ったことで気持ち悪くなっていたマイに心配しつつも笑みを浮かべていたが、視界の端に赤信号で停止する気のない車が迫ってきていることに気付いて青ざめる。
「マイ!」
マイの所までは行けたが、回避するほどの余裕がなかった。
つまり、結果は変わらず、間に合わなかった。
鈍い音、感じたことのない衝撃、鋭い痛み、次第に霞む視界、じわじわと寄って来る死の予感。
「…………」
「あぁ……」
こうして俺たちはスピード違反だろうSUV車に勢いよく、2人仲良く轢かれてしまった。
衝撃と痛みで声すらまともに出ない。
あぁ、視界が霞む前、最期に見る光景が街灯に照らされてキラキラ輝きながら撒き散らされる幼馴染の吐しゃ物と血みたいなのって、人生でどんな悪いことしたらそうなるんだよ……。
でも、まあ、走馬灯になるほどでもない人生、そんな人生の最期の最期に好きだった子に好かれている感じが分かって良かったかもな。この後、マルチとか紹介されて絶望するくらいならこれくらいで終わってくれた方がいい。
自分の葬式代くらいの生命保険に入っておいたから、後は親がなんとかしてくれるんじゃないだろうか。でも、次、帰省するときになんか買ってくるって約束した気もする。
すまんな。
あぁ、死ぬと世界が暗転すると聞くが、死んだなと思ったその瞬間に、なんだか優しい光に包まれたような感覚になった。