【3】アテマの1日[2]
「やあ、おかえり」
冒険者ギルドのカウンターでフロレンツが朗らかに出迎えた。ジークベルトがポケットラットの爪とグリーンウォンバットの牙を入れた袋を差し出すと、確かに、と頷く。
「エレンくんは、冒険者登録はしていないのかい?」
報酬の袋を差し出しながら、フロレンツが訊いてきた。
「はい。諸事情で登録はできていません」
「惜しいなあ。ぜひうちで登録してほしかったよ」
「登録しているギルドによって何か違うのですか?」
「冒険者のランクでギルドのランクが上がるんだ。依頼の達成はギルドの功績につながる。優秀な冒険者が所属してくれていれば、それだけ高い評価が得られるというわけさ」
「なるほど。ですが、僕はご承知の通り駆け出しです。ギルドの功績にはそれほど貢献できないかと思います」
「僕はこれでも人を見る目があってね。エレンくんはギルドに登録すれば、きっとすぐに高ランクになれるよ。なにより、ジークベルトくんが指導しているんだからね」
「余計なことを言うな」
ジークベルトが厳しい声で言うので、フロレンツは肩をすくめる。ジークベルトはフロレンツのような底抜けに明るい人は苦手なのかもしれない、とエレンは思った。
「ウーヴェくんのところに顔を出してもいいですか?」
冒険者ギルドを出ると、エレンは問いかけた。ジークベルトは少し渋るような表情を浮かべる。やはり、あまり店先にいるべきではないと思っているのだろう。
「顔を出すだけです。長居はしません」
「まあ、それならいいだろ」
ジークベルトは案外に過保護なのかもしれない、とエレンは仮面の下で笑う。自分はそれほど頼りないだろうか。
ウーヴェの露店に行くと、フォルカー、ベイエル、ローイは相変わらず元気に接客している。ウーヴェとハンネスは露店の奥で魔道具の製作に取り掛かっていた。
「みなさん、お疲れ様です」
「エレンさん」フォルカーが振り向く。「ジークベルトさんも、お疲れ様です。魔導書の練習はどうでしたか?」
「上々だと思います。使えるようにはなりましたよ」
フォルカーが窺うようにハンネスを見る。ハンネスが肩をすくめるので、フォルカーはおかしそうに小さく笑った。
「あ、エレンさん、ジークベルトさん」と、ウーヴェ。「明日、エメラルドの森に素材を採りに行きたいんですが、護衛をお願いできますか? 僕とハンネスで行きます」
「承知しました」エレンは頷く。「いいですよね?」
「ああ。それが仕事だしな」
ウーヴェは安心したような笑みを浮かべた。
「では明日、依頼を出しておきます」
「お店はどうするのですか?」
「フォルカーたちだけでも運営できるので大丈夫です」
明日の朝六時に宿の受付で待っている、とウーヴェは言う。護衛任務とは具体的に何をするのかとジークベルトに問うと、危険がないように見張っているだけだと彼は言う。ウーヴェとハンネスが素材を採取しているあいだ、魔物などに襲われないように見張るのだ。それなら自分にもできそうだとエレンが笑うと、誰にでもできるとジークベルトは一蹴する。気負う必要はないということだろう。
「他の露店を見て回ってもよろしいですか?」
「まあ、どうせ暇だしな」
他の露店は歩きながら覗いただけで、ひとつひとつをしっかりと見てはいない。どんな商品が並んでいるのか、エレンはずっと興味を惹かれていた。屋敷を出てから、いろいろなものへの関心が生まれた。人々が生活をするのにどんなものを用いているのか、それを見てみたかった。
最初に覗いたのは花屋だった。色とりどりの草花が、店内に所狭しと並んでいる。どれも美しかった。
薬屋を覗いてみると、薬品の匂いが鼻を突く。回復薬なども売っているらしく、繁盛しているようだった。
のんびりと町を歩いて行く中で、エレンは自分に向けられる視線が気になった。アテマに来て二日目になるが、まだこの仮面を不審に思う者は多くいる。アテマの民が慣れるまで、まだしばらく時間がかかるだろう。
「やはり仮面を着けているのは目立つのですね」
「顔の一部を隠す仮面だったら珍しくないんだがな」
「注目を集めるのは、あまりよろしくないですよね。こうしていると、いつか私の正体が知られるのでしょうか……」
「碍魔の仮面を着けているのに正体がバレるってことはそうそうないと思うが。まあ、ビクビクする必要はないだろ」
「そうですか」
「それに、バレたら口封じすればいい」
「物騒ですねえ」
「お前が碍魔の仮面を着けて屋敷を出たと知っているのは、あのときの衛兵だけだ。情報が洩れたら必ず見つけると言ってある。いざというときはそいつを口封じする」
「頼もしいです」
そう言ってエレンが笑うと、のん気なやつだ、とジークベルトは肩をすくめた。ジークベルトがそばにいれば、おそらく正体が知られたとしても問題はないだろう、とエレンはそう思っている。それはジークベルトにも伝わっているだろう。彼の言う通り、怯える必要はないのだ。
ある露店を覗き込んだエレンは、別の露店を眺めていたジークベルトに呼び掛けた。
「ここは魔道具のお店ではありませんか?」
「ん。ああ、そうだな」
店のテントの奥から、恰幅の良い男性が出て来る。
「やあ、素敵な仮面のお客さん。何をお探しかな」
「こんにちは。碍魔系の魔道具はありますか?」
「あー、そうだな……」店主は商品を見回す。「いまは在庫がないな。あまり需要がないから、数を用意しないんだ。大きな街の道具屋だったらあるかもしれないよ」
「そうですか……。わかりました。他で探してみますね」
店主に挨拶をして露店をあとにすると、ふむ、とエレンは仮面に触れた。冷たくも温かくもない触り心地。そうなるのが当たり前かのように、エレンにぴったり合っている。フルフェイスなのに息苦しさを感じないのは、おそらく魔力の込められた仮面だからなのだろう。
「碍魔系の魔道具があるか聞いて回っていると、この仮面がそうだと知られてしまうでしょうか」
「碍魔系の魔道具を着けながら同じ物を探すなんてことはあまりないだろ。そうそうバレないんじゃないか」
「ですが、ウーヴェくんは気付いていましたよ」
「あいつは商人だからな。見ればなんとなくわかるんだろ」
商人に隠し事をするのは難しそうだ、とエレンは思った。
「魔道具は武器としては使えないのですか?」
「使えるが、武器として使うためには魔力が必要になる」
「では、いまの僕には使えないということですね」
エレンに頷きかけたジークベルトが、不意に彼の肩を引いた。エレンとすれ違った男が、舌打ちをして去って行く。
「スリですか」
「みたいだな。いまさらだが、お前は身形がよすぎるんだよな。もう少し冒険者らしい服装はなかったのかよ」
エレンは普段の服装で旅に出たが、確かに言われてみると冒険者にしては質が良すぎるかもしれない。
「服装を変えたほうがいいのでしょうか」
「そうだな。服屋に行ってみるか」
町を行き交う人々を見てみると、シンプルで動きやすそうな服装の者が多い。エレンの服装は華美ではないが、冒険者らしくはない。実用性があるとも言えない服装だ。
通りに見つけた店に入ると、それほど大きくない店内に所狭しと服が並べられている。ここなら冒険者らしい服装が見つかるかもしれない。どういうものかはわからないが。
「冒険者らしい服装ってどんなものですか?」
「そうだな……。物理なり、魔法なり、なにかしらの攻撃耐性がついた服を選ぶのが一番いいだろうな」
「攻撃耐性……ですか」
「攻撃を受けたときの衝撃を和らげる効果だ」
「服にそんな効果があるのですか?」
「魔力の込められた特殊な繊維を使っているらしい」
「へえ……」
いくつもの衣類が並んでいるが、攻撃耐性とやらが付いている服はどう見分けるのだろうか。どれも普通の服に見える。冒険者の着るような質素な服が多い。
「攻撃耐性のある服をお探しですか?」
長身の身形の良い男性店員が声を掛けて来た。
「ああ」と、ジークベルト。「魔法耐性はある程度は持ってるだろうから、物理攻撃耐性にしておくか」
「それで構いません」
「かしこまりました」
辞儀をするや否や、男性店員は素早い動きで店内を回り始める。慣れた手つきで三着を選んで持って来た。
「こちらはいかがでしょう」
それぞれ動きやすさを重視したシンプルな服だ。茶色を基調とした服、青で統一された服、それから白と緑の服。三着とも普通の服に見えるが、物理攻撃耐性というものが付与されているらしい。外見だけではわからないものだ。
「選ぶ基準はありますか?」
「まあ、最終的な判断は好みでいい。物理攻撃耐性の優劣は特に考える必要はないな。どの服も同程度あるはずだ」
「そうですか……」
冒険者として一番に馴染めそうなのは、一着目の茶色を基調とした服だろう。他の二着より質素で落ち着いている。これならスリに狙われる危険性も低くなるだろう。青色は好みだが、町を歩いていたら少し目立つかもしれず、それは避けたい。白と緑の服はあまり好みではない。エレンの金髪に映える色ではあるだろうが、他の二着に比べて少し派手だ。お洒落を重視した者が選ぶ服かもしれない。
「では、その茶色の服をいただきます」
「かしこまりました」
会計を終えると、エレンは試着室を借りてさっそく着替えた。鏡に映っているのは、なるほど冒険者らしい格好だ。
「ジークベルト、いかがですか?」
「いいんじゃないか」
服装を変えることで、冒険者に一歩でも近付けたような気がした。仮面が浮くことに変わりはないが、少なくとも貴族であるということは隠せるようになるだろう。
「そろそろ宿へ戻りましょうか」
「ああ」
* * *
宿の部屋に戻りベッドに腰を下ろすと、エレンは途端に睡魔に襲われた。そのままベッドに倒れ込む彼に、おい、とジークベルトが肩をたたく。
「外套くらい脱げ。しわになるぞ」
エレンは重くなりつつある体を起こし、なんとか外套を脱ぐ。ジークベルトがそれを受け取り、ハンガーにかけた。
「……お前、警戒心がなさすぎじゃないか?」
「え? ああ、スリのことですか?」
「それもあるが、もし俺が首を狙っていたらどうする」
ジークベルトが冷たい声で言うので、エレンは薄く笑う。
「もしそうだとしたら、私はとっくに死んでいますよ」
「……そりゃそうだ」
「ふふ……。私と並んで歩いてくれる人は久々でした。ですが、私が死ぬとき、私のそばにいないほうがいいですよ」
「どういうことだ?」
「私の心臓には、私の死をトリガーにした魔法が掛けられています。私の死体を残すわけにいきませんし、私が死んだと証言できる者を生かしておくわけにはいかないのです」
「物騒な話だ」
「……どうか、私が死んでも生き延びてください」
そう言った瞬間、エレンは睡魔に意識を奪われていった。




