【2】最初の依頼[3]
ポケットラットの出現する草原は、町の東側の門を出た先にある。見渡す限り広がる爽やかな野原だ。ところどころに木や草むらが点在しているが、他に遮蔽物はない。
「そういえば」エレンは言った。「討伐に来たのはいいですが、僕はどうやってポケットラットを倒しましょう」
「今回は俺が倒す。お前は見とけ」
「わかりました」
ジークベルトはおもむろに草むらに入って行くと、素早く地面に短剣を投げつけた。キッ、と短い鳴き声がする。覗き込んだ草むらの中に、小さな茶色いネズミが倒れていた。
「こうやって倒すのですか?」
「普通は魔法で倒す」と、ジークベルト。「ポケットラットは体が小さい分、動きが速い。普通は剣じゃ追いつけない」
「あなたは普通ではないということなのですね」
「俺が倒したやつの爪を採取しろ。達成の申請には倒した分の爪が必要だ。小刀くらい持ってるだろ」
「ええ。爪は一本でいいのですか?」
「ああ」
ポケットラットの爪はそれほど硬くないが、何せ足が小さいため難しい作業だった。慎重にならなければ簡単に砕けてしまいそうだ。少しずつ削ってようやく採取する。
「これって」エレンは言った。「同じ個体から爪をいくつか採取してしまえば誤魔化せてしまいませんか?」
「冒険者ギルドの職員は全員【鑑定】を使えるらしいからな。それを誤魔化すことはできねえよ」
「なんですか、それは?」
「その物を構成している物質を見抜くスキルだ。それで同じ個体から採られた物か別の個体からなのかがわかる」
「へえ……。便利なスキルですね。その物を構成する物質と言うと、薬の原材料なども調べられるのでしょうか」
「そうだな。人間の能力を見抜くこともできるらしい」
「ウーヴェくんは僕が碍魔の仮面を身に着けていることを、その【鑑定】で気付いたのでしょうか」
「人間に対する【鑑定】は、鑑定対象が受諾しないと違法になる。勝手に鑑定することはねえよ。あれは勘だろ」
「なるほど」
エレンが爪を採取しているあいだに、ジークベルトはさらに三体のポケットラットを仕留めた。エレンが魔物の取り扱いに慣れていないせいか、それともジークベルトが早すぎるのかはわからないが、最終的にふたりで爪を採取する。結果的にジークベルトのほうが多く爪を採っていた。
「まあ、最初はこんなもんだろ。討伐は慣れだ」
「慣れですか……」
「あとで戦術を考えるぞ。剣は向いてないだろうがな」
初任務にしてはあっけない、とエレンは思ったが、戦術が整っていない以上、これが妥当というところだろう。仕組みはなんとなくわかった。それで充分だ。
「薬草の採取は簡単そうですが、やはり簡単な依頼は報酬が少なかったりするのですか?」
「そうだな。依頼のランクによって報酬は変わる」
「いつか高ランクの依頼を受けてみたいものですね」
「お前には無理そうだがな」
「そうですか?」
冒険者ギルドで依頼を受け、それを達成して報酬を得る。簡単な仕組みだが、エレンにとっては世界との繋がりを掴んだような気がした。この六年間、ずっと屋敷にこもっていたため、世界から断絶されたような気分になっていた。それすらもどうでもいいと思っていたが、こうして屋敷の外の世界でも暮らしていく足掛かりを得たことは嬉しいことだった。ようやく世界の一部になれたような気がした。
* * *
「やあ、おかえり」
冒険者ギルドのカウンターに歩み寄ったふたりを、フロレンツが朗らかに出迎えた。ジークベルトは冷ややかな顔になるが、エレンは仮面の下に笑みを浮かべる。
「ただいま戻りました」
エレンがポケットラットの爪を入れた袋を差し出すと、その中を丁寧に確認したフロレンツは頷いた。
「たい、確かに。お疲れ様でした」
フロレンツがカウンターの奥へ戻って行ったとき、エレンは不意に肩を押されてふらつく。手を伸ばしたジークベルトが、怪訝に眉根を寄せた。エレンの前に、屈強な男が体を滑り込ませたからだ。エレンには見覚えがない。
「ジークベルトじゃねえか。お前、まだ生きてたんだな」
がはは、と豪快に笑う巨漢に、ジークベルトは眉間のしわを深める。男は親しげに彼の肩に手を乗せた。
「どうだ、俺と組んでみねえか? 俺とお前だったら、ランクSも夢じゃないぜ。悪い話じゃねえだろ?」
「誰だ、お前」
「なんだ、忘れちまったのか?」
そこに戻って来たフロレンツが、男に顔をしかめた。
「他の冒険者に絡むのはやめてくださいと言いましたよね」
「堅いこと言うなよ。コミュニケーションを取ってるだけだろ? 冒険者にだって必要なことじゃねえか」
どうやら問題を起こすタイプの冒険者らしい、とエレンは思った。ギルドでは煙たがられているようだ。
「報告は終わりだろ」
「あ、ああ、そうだね。こちらが報酬だよ」
フロレンツは袋を乗せたトレーをジークベルトに差し出す。ジークベルトはまだどこか面倒そうな表情でそれを受け取ると、男から距離を置いてエレンを振り向いた。
「行くぞ」
「はい」
エレンはスッと男を躱し、ジークベルトに歩み寄る。しかし、きびすを返すジークベルトの肩を男が掴んだ。
「無視すんなよ。こんな弱そうなやつより、俺と組んだほうが高ランクの依頼を受けられる。儲けられるぜ」
ジークベルトは何も言わずにその手を払う。
「おい――」
男の言葉を遮るように、エレンは男を振り向いた。真っ白な仮面に見上げられた男は、一瞬だけ怯んだように見える。エレンは構わず、仮面の口元に人差し指を立てた。
そろそろ静かにしたほうがいい。ギルドに集まっている冒険者たちが迷惑そうな表情をしているのが見えないのだろうか。だからフロレンツは注意するのだ。
「……っ」
男が言葉に詰まる。それからバツが悪そうにきびすを返し、彼らのもとを去って行った。
「お見事!」と、フロレンツ。「あの人には困っていたんです。それを追い返すとは! お見逸れしました」
「お前、意外と肝が据わってるよな」
「それほどでも」
嫌な注目の浴び方をしてしまった。ただでさえ仮面で目立つと言うのに、ああいった輩は困ったものだ。
冒険者ギルドを出ると、ふたりは露店の立ち並ぶ通りへと向かった。露店の中には、薬剤を売る店や装飾品を並べる店、はたまた本を取り扱う店などがある。ウーヴェたちの姿を見つけたのは、通りの中ほどの露店だった。
「ウーヴェくん」
エレンの呼び掛けで、作業をしていたウーヴェは顔を上げる。エレンの姿を認めると、朗らかな笑みを浮かべた。
「おかえりなさい、エレンさん、ジークベルトさん」
「売れ行きは好調ですか?」
「はい、お陰様で。依頼を受けて来たんですか?」
「ええ。あ、それで、ひとつ相談があるのです」
「相談……ですか?」
エレンは先ほど受けた依頼のことを話した。彼には、ランクの低い魔物であるポケットラットすら倒す方法がない。何かしらの戦術を考えなければならない。そう話すと、そうですね、とウーヴェは顎に手を当てる。
「魔導書はどうでしょうか」
そう言って、ウーヴェは露店のほうにエレンを手招きする。そこには様々な色の本が並べられていた。
「本に込められた魔術を使うものです。魔法書と違って本自体に魔力が含まれているので、術者の魔力とは関係なく使えるものなんです。扱いもそう難しくないですよ」
「それなら僕にも使えそうですね。種類はあるのですか?」
「一番に使い勝手が良いのは『炎の書』ですね。水や雷の書は発動まで少し間ができてしまうんですが、炎の書は開くのとほぼ同時に発動することができます」
「便利そうですね。それを一冊いただきます」
「はい。ありがとうございます」
ウーヴェはエレンの仮面にすっかり慣れた様子で、人懐っこい笑みを浮かべる。あまり人見知りするタイプではないのかもしれない。エレンの仮面に怯えていたのだ。
「練習をしてみてください。合わなかったら変えましょう」
「はい」
魔導書は本にしてはずっしりと重く、これを持っていなければならないと思うと少し大変かもしれない。それも使っているうちに慣れていくのだろうか。
「露店はどれくらいの期間、出す予定なのですか?」
「だいたい一週間程度です。お待たせしているあいだ、退屈をさせてしまうかもしれませんが……」
「構いませんよ。いろんな依頼を受けてみたいですから」
ウーヴェは安堵したように微笑む。他人に気を遣いすぎる性格なのかもしれない、とエレンは思った。
「少し見学をしていてもよろしいですか?」
「構いませんが、あんまり面白いことはないと思いますよ」
「お店の内側から見られるのは貴重ですから」
ウーヴェの露店では、フォルカー、ベイエル、ローイが接客を担っているようだった。ウーヴェとハンネスは、店の奥側で魔道具の製作をしている。旅で手に入れた素材を使って、その場で商品を順次に補充しているのだろう。
露店は繁盛しているというほどではないが、町の道具屋では取り扱っていない珍しい魔道具を求めて客が来るらしい。旅の中でレアリティの高い素材を手に入れることもあるだろう。野営のときもそうだったが、五人はてきぱきとして無駄な動きが一切ない。行商の経験が長いのだろう。
こうしてみな、世界と繋がっているのだ。六年間、エレンは浮世離れしていた。ようやく地に足が着いたような感覚だ。こうして、この世界で生きていくことができるのだと、なんとなくそんな気がした。世界のひとりになったのだ。
日が暮れてくると、ウーヴェが立ち上がった。
「そろそろ閉めようか」
ウーヴェに頷いて、四人は片付けに取り掛かる。露店はその都度ですべての商品をしまわなければならないようだ。
「おい、行くぞ」
ジークベルトがそう言うので、エレンは首を傾げる。
「手伝いをしなくていいのですか?」
「素人が手を出すな。めちゃくちゃにするだけだ」
「そうですか。では、ウーヴェくん。また明日」
「はい。お疲れ様でした」
他の四人にも声を掛け、露店をあとにする。通りでは同じように商品を片付ける店がちらほらと見え、町が一日を終えようとしていた。行き交う人々もひと仕事終えたあとなのか、朗らかに挨拶を交わしている。みな笑顔だ。
一日を閉じようという夕陽は美しく、ぼうっと眺めて穏やかなひと時を過ごすのもいいかもしれない。おそらく町のどこかに、景色を一望できる場所もあるだろう。
「あまり店先にいないほうがいいんじゃないか?」
ふと、ジークベルトが言った。エレンは首を捻る。
「なぜですか?」
「ここは公爵領のとなりだ。お前の顔を知っている民もいるだろう。それに、仮面を着けていると目立つ」
「確かに、私の正体がバレて殺されでもしたら、ウーヴェくんたちに迷惑がかかりますね……」
「まあ、それでもいいけどよ」ジークベルトは呆れたように言う。「お前は自分の命に無頓着すぎじゃねえか」
「いつ失われてもおかしくない命ですからね」
「俺はその命を守っているわけだが」
「そうでしたね。確かに、守られている命を無駄にするのは失礼ですね。では、守られているあいだは大事にします」
ジークベルトは目を細める。やはり呆れているようだが、エレンは何に対してそういう表情をしているのかよくわからない。自分とジークベルトのあいだに認識の齟齬があるのかもしれない、とエレンは思った。




