【2】最初の依頼[2]
翌日。昨夜に言っていたように、ジークベルトは馬車の中で座ったまま眠った。傭兵である彼は、こういったことにも慣れているのだろう。しっかり眠れているのかどうかはわからないが、疲れが取れないのではないだろうかとエレンは思った。だが、ジークベルトは平気なのだろう。
「今日は町に着けますから」と、ウーヴェ。「今夜はベッドでゆっくり寝ることができるはずです」
「次はどこの領地のなんという町ですか?」
「アッケルマン伯爵領のアテマという町です。公爵領と同じくらいで、それほど大きな領地ではありませんが、落ち着いていてのんびりできる町ですよ」
「それは楽しみですね」
他の領地に行った記憶はあまりない。子どもの頃は訪れたことがあるのだろうが、六年前より以前のことはよく憶えていない。すべてどうでもいいと思っていたからだろう。
日が傾き始めた頃、馬車は町へ到着した。仄明るい街灯に照らされた町は穏やかで、人々が活発に行き来している。子どもたちの元気で楽しげな笑い声が聞こえた。
二階建ての建物のそばに、馬車がいくつか並べられている。おそらくここが宿屋なのだろう。他の冒険者も多く訪れているようだ。ウーヴェもその列に馬車を停めた。
「部屋を取りに行きましょう」
そう言ってウーヴェが馬車を降りると、他の四人は荷解きと整理に取り掛かり始めた。エレンは手伝いを申し出たが、やめておけ、とジークベルトに止められた。素人が下手に手を出してもろくなことはない、と。
宿は静かな雰囲気だった。冒険者が多く滞在しているようだが、これなら落ち着いて休むことができそうだ。
「エレンさんとジークベルトさんは同室でもいいですか?」
「ええ、構いません」
ウーヴェは部屋を三つ取った。その中の一部屋の鍵をエレンに渡すと、今日はみんなももう休むしのんびりしてくれ、とウーヴェは微笑む。それから四人のもとへ戻って行くので、エレンとジークベルトは部屋へ向かった。
綺麗で落ち着いた部屋だった。窓からは町が見下ろせて、賑やかな声が聞こえてくる。ふたつのベッドは清潔さが保たれており、ゆっくりと眠ることができそうだ。
エレンは仮面を外し、ひとつ息をつく。
「ウーヴェくんたちは魔道具を取り扱っているそうですが、何か碍魔系を持っていないでしょうか」
「明日にでも聞いてみるか」
伯爵領は公爵領のとなりであるため、エレンの顔を知っている者がいるかもしれない。素顔は晒せないだろうが、ウーヴェが碍魔系の魔道具を持っていれば、目立たないところでなら仮面を外すことができるかもしれない。
「ジークベルトさん」
「さん付けはいらない。そんな身分じゃない」
「では……ジークベルト。私を屋敷の外へ連れ出してくれたこと、感謝します。世界がこんなに美しいことを、私は忘れていました。あなたはそれに気付かせてくれました」
「感謝されるようなことじゃない」
「ふふ。できれば、仮面越しではなく直に見られるともっと良いのですが……。まあ、贅沢は言えませんね」
「いまは保身が優先だからな」
「ええ」
外套を脱いでハンガーに掛けながら、思い出したようにジークベルトが少し怪訝そうに言った。
「お前、その話し方はどうにかしたほうがいいぞ」
「はい?」
「いかにもお貴族様って感じだ。もっと砕けた話し方にしないと、冒険者にはなりきれないぞ」
「そうですか……。まあ、一理ありますね」
「とりあえず『私』はやめておけ」
「では……僕、でしょうか。意識してみます」
正直なところを言うと、話し方など考えたことがなかった。昔からこの話し方だったし、貴族らしい話し方だとは思っていなかった。しかし他人が聞いてそう思うということは、きっとその言う通りなのだろう。
「自分が世間とズレていることを痛感させられますね」
「貴族と冒険者では常識が違うからな。上品な貴族社会とは正反対に、冒険者の世界はかなり荒っぽい。お世辞にも行儀がいいとは言えないな。悪党も多い」
「人を見る目を養う力を身に付けたほうがよさそうですね。私――僕なんか、すぐに騙されてしまいそうです」
「そうだな。だが、人を騙すようなやつはお貴族様のほうが多いんじゃないか。能面を張り付けるのはお得意だろ」
貴族は本音を隠すことも多い。上辺だけのような付き合いをする上で、腹の探り合いをすることもある。そういったときには、能面を張り付けなければならない。
「社交界では基本的に人のことを疑ってかかりますからね」
「嫌な世界だな。常に疑心暗鬼ってことか」
「常に腹の探り合いをしています。そういったところは、商人に通ずるものがあるかもしれませんね」
六年前から社交界の繋がりは一切が途絶えたが、お茶会などでは精神が消耗した記憶がある。爵位のある家には取り入ろうとする者が多くいるし、成功している事業者がいれば陥落させようとする者もいる。
「爵位のある人間は、民の上に立つこともあります。悪巧みをするような連中は、本音を隠すのが上手いですね」
「町の仕組みを決めることもあるだろうからな」
「それで自分の思い通りにする者もいるのですから、社交界は恐ろしいところですよ」
「できれば無縁でいたい世界だな」
「僕もそう思います」
そう言って笑うエレンに、ジークベルトは呆れたように肩をすくめた。彼の言いたいことはよくわかる。
屋敷を出たとしても、エレンには縁の切ることのできない世界だ。爵位を預かっている以上、目を背けることはできない。王都へ着くまでのあいだだけ忘れることができたとしても、意識の根底には在り続けるだろう。決して無縁にはなれない世界。常につきまとうものだ。
夜のしじまは密やかに。窓の外から聞こえるのは賑やかさの名残。ひと仕事を終えて一杯、といったところだろうか。喧騒とまではいかないが、町を静寂が支配することはないのだろう。とても心地の良い快活さだ。
屋敷の周辺はいつも静かだった。庭が広かったし、町までも少し距離が空いている。町の賑やかさは遠く、シンと静まり返っていた。それでも寂しいと微塵も思わなかったのは、その静寂に慣れてしまっていたからだろう。町の喧騒が懐かしく思えた頃もあったが、その気持ちも次第に消えていった。そうして、街に閑静な一角が生まれたのだ。
活気の中で眠るのは久々だ。穏やかな微睡の中、音楽が鳴り響くように聞こえる町の音に耳を傾ける。宿の外を行き交う人々の笑い声、どこか遠くのほうから軽快な演奏も聞こえてきた。一日を終えようという町は、満点の星空のもと静かに明かりを消していく。
公爵領を出て初めての町。自分はまたこの賑やかで美しい世界を生きることができるのだと、寝返りを打ちながらそんなことを思った。旅の疲れが身体に心地良く染み渡り、目を閉じるとすぐに夢の中へと誘われていた。
* * *
翌朝は爽やかな目覚めだった。朝の町の涼やかな風は気持ち良く、心地良い空気が眠気を静かに覚ましてくれる。
人気の少なくなった食堂で朝食を取り、身支度を整えて受付に下りて行くと、ウーヴェとハンネスの姿があった。
「おはようございます」と、ウーヴェ。「よく眠れましたか?」
「ええ。みなさんは今日から出店ですか?」
「はい。通りに露店を出します」
「あとで伺いますね。そうだ、ウーヴェくん。何か碍魔系の魔道具を取り扱っていませんか?」
「碍魔系の魔道具ですか……。すみません、いまは在庫がないんです。素材も足りなくて……」
「素材があれば作れるのか?」
ジークベルトが問いかけると、ウーヴェは小さく頷く。
「ですが、上位素材ばかりで……。しかもいろんな場所に点在しているので、すぐには作れないですね……」
申し訳なさそうなウーヴェに、エレンは安心させようと笑みを浮かべたが、仮面を着けているから見えないのだった、とはたと気付いて言った。
「お気になさらず。すぐに必要というわけではありません」
「そうですか……。もしかしたら、町の道具屋にはあるかもしれません。この町になくても、他の町とか……」
「では、探してみますね」
安心したように微笑むウーヴェが、遠慮がちに言った。
「その仮面、やっぱり碍魔の……」
ハンネスがそれを咎めるように彼を肘で小突いた。
「あっ、すみません……。詮索するつもりはないんです」
「構いませんよ。商人の目は誤魔化せないでしょうからね」
ウーヴェは申し訳なさそうに俯く。それから軽く頭を振って、気を取り直したように笑みを浮かべた。
「今日はずっと出店しているので、おふたりはお好きなように過ごしてください。依頼に出てもらっても構いません」
「わかりました。何かありましたらお呼びください」
「はい」
ウーヴェとハンネスと別れて町へ出ると、目覚めた町は賑やかになりつつあった。この活気から感じるのは、確かに公爵領が廃れ始めているのかもしれないということだ。
「町を見て回ってもよろしいですか?」
「好きにしろ」
「はい」
宿があるのは小さな通りだ。いくつかの店が建ち並んでおり、この中に道具屋もあるのかもしれない。通りを抜けると住宅街で、さらに進んで行くと大通りに出る。その端に、小さな露店の立ち並ぶ通りがあった。ウーヴェたちもおそらくそこで出店するのだろう。賑やかになりそうだ。
道具屋に行くと、小柄な老夫婦が出迎えてくれた。碍魔系の魔道具がないかと尋ねてみたが、いまは取り扱っていないと言う。あまり需要がないのだと話してくれた。魔力を封じるということは、魔法を使えなくするということだ。冒険者には必要のないものだろう。売れないのも頷ける。
老夫婦に別れを告げ道具屋を出て、ふたりは別の通りに入った。目的の場所は冒険者ギルドだ。
「僕は冒険者登録をしていませんが」エレンは言った。「依頼を受けることはできるのですか?」
「俺が登録してる。ひとり登録してあれば、同行者は自由に連れて行けるはずだ。その場合、同行者も登録してパーティを組むのが一般的だな。まあその辺は自由だ」
「なるほど……。パーティを組むと何か変わるのですか?」
「パーティ向けの依頼もあるらしい。詳しくは知らん」
冒険者ギルドは多くの冒険者で賑わっている。二本の短剣を携える者、大きな剣を背負う者、杖を手にする者など多種多様だ。装備品は人によってまったく違うらしい。
壁の掲示板を見ると、様々な依頼が貼り出されている。
「ランクの低いやつを受けるか。お前は初めてだからな」
「いきなり大きな依頼は受けられないでしょうからね。こつこつと地道にやりましょう」
「そういえばお前、戦術は?」
「なんでしょうね。魔法はそれなりに使えますが、戦いとは無縁の生活をしておりましたもので」
「まあ、どちらにせよ碍魔の仮面をつけてるしな」
「そうでしたね」
ジークベルトはいくつかの紙に視線を巡らせる。顎に手を当て、それからひとつの依頼書を手に取った。
「これでいいんじゃないか」
その紙には「ランク:E 魔獣討伐:ポケットラット 達成条件:十体」と書かれている。エレンは首を傾げた。
「ポケットラットとはなんですか?」
「本気か?」
ジークベルトが怪訝に言うので、エレンはまた首を捻る。
「何か変なことを言いましたか?」
「……まあ、生粋の貴族だからな。魔物のことを知らなくても無理はないのかもしれねえな」
「魔物なのですね。すみません。縁がなかったもので」
「まあ最初のうちはしょうがねえな。とりあえず受けるぞ」
ジークベルトが依頼書を手にカウンターに歩み寄ると、やあ、と若い男性が明るい笑みで声を掛けて来た。
「ジークベルトくん。この町に来ていたんだね」
「ああ」
素っ気なく返すジークベルトに、男性は朗らかに笑う。
「そちらの仮面のお方は初めてですね。私はここの職員のフロレンツです。一応、ギルドマスターを勤めています」
「エレンです。初めまして」
「見たところ、駆け出しの冒険者といったところかな」
フロレンツははつらつとした顔立ちで、底抜けに明るい雰囲気を感じる。ジークベルトとは対照的な人物だ。
「ポケットラットの討伐だね。場所は草原だ。草原にはグリーンウォンバットなんかも出るかもしれないから気を付けたほうがいいけど、まあ、ジークベルトくんが一緒なら危険な目に遭うこともないかもしれないね」
「いいから、さっさと受付しろ」
「相変わらずクールだねえ。はい、どうぞ。お気を付けて」
依頼書の半分を受け取り、行くぞ、とジークベルトはカウンターに背を向ける。フロレンツとはそりが合わないのかもしれない、とエレンは思った。




