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ファル公爵の旅路【更新停止/未完】  作者: 瀬那つくてん(加賀谷イコ)


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20/25

【7】宇宙の日[1]

 日が暮れた頃、町の散策を終え宿に戻ると、エレンは仮面を外して窓を開いた。こうしていれば、仮面越しにでなく景色を眺めることができるとようやく気付いたのだ。

「綺麗な町ですね。人も魔物もとても穏やかです」

「アテマとはずいぶん違うだろ」

「そうですね。落ち着いた雰囲気に思います」

 屋敷から街を見下ろすことはあったが、どこか色褪せていたように感じる。心が生きていなかったのだろう。外の世界を旅することは、とても気分の良いことだ。

 一日を閉じようという夕陽に染まる町は美しい。すぐそこまで来ている夜の空と混ざり合う橙が、ひと仕事を終えた人々の表情を暖かく照らす。その光景は清々しく、町を輝かせていた。明日も良い一日となるだろう。

「……今日も見られているのでしょうね」

「そうだろうな」

 追跡者は毎日、自分たちを監視しているのだろうか。視線は特に感じない。おそらく気配を遮断しているのだろう。何が面白いのかわからないが、どうやら気に入るものがあったらしい。何が琴線に触れるかわからないものだ。

「いっそ奇襲でもして来れば面白いのにな」

「あなたまで面白がってどうするのですか」

「怯えることはないだろ」ジークベルトは不敵に笑う。「お前にはこの俺が付いてんだ。死角はねえよ」

「まあ、それはそうですが」エレンは肩をすくめる。「面白がっているにしても、ただ面白がっているだけというわけではないのでしょうね。何が目的なのでしょうか」

「ただ面白がってるだけというやつもいるだろ。まあ、目的はあるだろうが、それを実行する好機を狙っているのかもしれねえな。油断しないに越したことはねえだろ」

「ウーヴェくんたちを巻き込まないといいのですが……」

 やはりそこなのか、とジークベルトが笑う。それはエレンにとって一番に大事なことだ。素性の明かせないエレンを受け入れてくれ、あまつさえ信用してくれているらしい。そんな仲間たちを大事にしたいと思うのは当然だろう。

「まあ、いざというときは、それなりの手段を取ればいい」

「穏やかじゃないですねえ」

 そう言って笑うエレンの頬を、町を吹き抜ける風が優しく撫でる。不穏な会話とは裏腹に穏やかな風だ。

 一日を終えようというベイレフェルトの町は、仕事を終え帰路につく人々の明るい声が聞こえてくる。朗らかな賑わいの中、眩しい夕陽が濃紺に溶けていく。夜を迎えようという町を見下ろすのは、清々しい気分だった。

 人気の少なくなった食堂で食事を終えると、宿はすっかり静まり返っている。朝から依頼へ出掛けて行く者は、もう眠りに就く時間だろう。それとは対照的に、近くの酒場からは賑やかな笑い声と音楽が聞こえてくる。一日を終えようとしている者、夜を楽しむ者、人々の暮らしは様々だ。

 ベッドに潜り込むと、酒場の喧騒と軽快な演奏が徐々に遠のいていく。夜の帳は密やかに。穏やかな微睡まどろみに身を任せれば、静かな夢の世界へと誘われていった。



   *  *  *



 翌朝。エレンがのんびりを目を覚ますと、ジークベルトがおかしそうに笑いながら何かをベッドに放った。

「見てみろ」

 それは新聞だった。ここだ、とジークベルトが指差した箇所には、小さな見出しでこう書かれている。

『ファル公爵 逃亡』

 エレンは思わず笑ってしまった。まるで事件かのように取り扱われているのだ。笑うなというほうが無理である。

「ついに屋敷がもぬけの殻だと気付かれましたか」

「もしくは、誰かが情報を売ったんだろ」

「おやおや」

「毒を盛られたんだ。信用できるのは叔父貴くらいだと思っておいたほうがいいんじゃねえか」

 エレンが屋敷を出たことは、いずれ気付かれると思っていた。おそらく叔父が目眩ませの魔法を掛け続けていただろうが、屋敷の周りには監視者がいた。いつまでも隠し通せることではなかっただろう。しかし、新聞に載るとは想定外だ。逃亡と書かれることも予測していなかった。

「これで、より顔が出せなくなりましたね」

 仮面で顔を隠し碍魔の効果で魔力を封じているからこそ、エレンは誰にも気付かれることなくここまで来られたのだ。素顔を晒し魔力を開示すれば、すぐに正体を知られてしまうだろう。ここで素性が露見するのは好ましくない。

「それにしても、逃亡とはな。父親の罪をお前が引き継いだと考える者がそれだけ多いってことか」

「懸賞金がかけられていないだけマシではないですか?」

 ジークベルトは肩をすくめる。

 エレン自身は罪を犯していない。懸賞金をかけられるのはそもそもおかしいが、新聞に「逃亡」と書いた者は、エレンが罪から逃れていると思っているのかもしれない。しかし実際のところエレンには罪はない。懸賞金をかけるのは許されないだろう。そうでなくともエレンは追われている。懸賞金をかけるのは、さらなる混乱を招くことになるだろう。それを王宮が許すはずがないのだ。

「屋敷にいないと気付かれたということは、公爵位を狙う者は血眼になって探すだろうな」

「そうですね……。新たな火種を作ってしまいました。商隊を変えて王都へ急いだほうがいいのでしょうか」

「まあ、そうすればあいつらを巻き込まなくて済む」

「…………」

「だが、別のやつらを巻き込む可能性はある。商隊を転々とすると、そのたびに別の誰かを危険に晒すことになる。ひとつの商隊に留まっていたほうが、巻き込む人間を最小限に抑えることができるのも確かだ」

 商隊を転々とすると、その都度、何も知らない者たちを巻き込んでしまう危険性がある。エレンを追う者にとって、ともに行動をしている者たちはどうでもいい存在だろう。傷付けることも厭わないと思われる。どこで追手に見つかるかわからない。何人もの刺客が現れた場合、ウーヴェたちについていれば巻き込む人数は少なくて済む。ウーヴェたちにとって傍迷惑な話ではあるが、危険に晒す人数は少ないに越したことはない。利己的な考え方であることは否めないが、ウーヴェたちについていたほうが被害は少なくて済むだろう。彼らからは信用を得ている。エレンとジークベルトなら、それに応え彼らを守ることができるだろう。

「急いで王宮へ向かうと、そこで旅は終わりますよね。この旅が終わってしまうことが惜しいと思うのも確かです」

「まあ、王都で終わる可能性があるからな。だが、終わらない可能性も捨てきれないだろ?」

「それはそうですが……。いえ、きっと終わります」

 ジークベルトは怪訝に眉をひそめた。エレンの否定的な決め付けに反発を懐いている表情だ。しかし、エレンはどうしても希望的な観測をすることができなかった。これも父の罪をエレンが受け継いだと思っている者による思い込みなのだろうとわかってはいるが、公爵位の撤廃などという前代未聞の試みが成功するとはどうしても思えない。というのも、おそらく不安になっているだけのことなのだろう。処刑される可能性があるということに、怯えているだけなのだ。そう思うのも、屋敷を出て心を取り戻したからだろう。ようやく自分の感情に気付くことができた。いつ失われてもおかしくなかった命を惜しいと思うなんて。

「……ジークベルト」エレンは言った。「ひとつ、私のわがままを聞いていただけませんか?」

 ジークベルトは訝しげな表情でエレンを見遣る。話の流れから、良いことではないと思ったのかもしれない。

「なんだ」

「私が爵位を失っても、逆恨みで命を狙われる可能性があります。公爵位の撤廃のあとも護衛をお願いできますか?」

 穏やかに言うエレンに、ジークベルトは片眉を上げたあと不敵に笑って見せた。彼によく似合う表情だ。

「わがままにしちゃ可愛すぎるな」

「そうですか?」

「報酬はいまと同じだけもらうぞ」

「はい。そう手配しておきます」

 公爵位を撤廃したとき、社交界には多少なりとも影響が及ぶだろう。公爵位を狙う者は、撤廃したエレンを憎く思うかもしれない。しかし撤廃の最終判断を下すのはこの国の王だ。王命に逆らえる者はいない。始めのうちは混乱するかもしれないが、次第に落ち着きを取り戻すだろう。

「俺らを見張ってるやつは、この情報をいち早く手に入れていたんだろうな。でなきゃ追って来るわけがねえ」

 アテマから追って来ているということも、エレンには引っ掛かる。それほど早く、エレンが屋敷にいないと知られたのはなぜだろうか。公爵位に興味がないように思えるのにエレンを追って来る理由は何か。ただ「面白いから」というだけで、これほど追って来ることがあるだろうか。

「目的はなんでしょうか」

「さあな。そんなもんがあれば、とっくに遂行してると思うが」ジークベルトは肩をすくめる。「ねえってことだろ」

「そんなことが本当にあるのでしょうか」

「まあ、お前が命の危機にでも晒されたら見ものだろうな。そういった面白さを待ってるってことじゃねえのか」

 なるほど、とエレンは小さく呟いた。自らが手を下すのではなく、他者によってエレンたちが危機に陥ることを望んでいるのだ。それを「面白い」と思うのだろう。爵位には一切の興味を持っていない。ただそれにより巻き起こる事象を楽しんでいる。それだけのことなのだ。

「監視されているのは、やはり落ち着かないものですね」

「屋敷にいた頃からそうだったんじゃねえのか」

「そうですよ。せっかく解放されたと思ったのですがね」

「まあ、周りにいる人間は全員が敵だと思っていれば、そのうち嫌でも慣れるんじゃねえのか」

「四面楚歌ですね」

 ジークベルトはいままでそうして生きてきたのだろう、とエレンはそんなことを思った。戦うことを生業としている傭兵には、エレンの想像以上に敵が多いのかもしれない。

「でも、あなたがいれば命の危機に晒されることも、そうそうないのではありませんか?」

「報酬に見合うだけの働きはしてやるよ」

 そう応えるジークベルトの表情には自信が湛えられている。これ以上に心強い肯定があるだろうか。

 もとより、屋敷で心から信用しているのは叔父だけだった。他の使用人たちもよく働いてくれたが、心のどこかで疑っていた。常に命を狙われていたため、疑心暗鬼になってしまうのは致し方ないことだろう。毒を盛られたとき、やはり、と思ったのも確かだ。屋敷の外に対して警戒していても内側からの攻撃を防ぐことができなければ意味がないのだ。しかし、食事に毒が盛られているなど気付けるはずもない。食事に細工をするのはすぐに犯人がわかる。今回の毒を盛った者は、その危険を冒してでもエレンを殺したかったのだろう。使用人たちも、貼り付けた笑顔の裏では、虎視眈々とエレンの命を狙っていたということなのだ。

 そのとき、エレンの近くで魔法紋が展開した。ジークベルトが警戒する体勢になるのを、エレンは制する。エレンのそばに現れたのは、アンチマジックドールだった。

「叔父貴の子ですね」

 アンチマジックドールは少しずつ模様が違う。この模様は叔父の物だ。アンチマジックドールは魔力を探知して届けられるものであるため、碍魔の仮面を身に着けているときは検知されず届けることができない。宿におり仮面を外している機会を見計らっていたのだろう。

 アンチマジックドールの体から、小さく折り畳まれた紙が具現化する。エレンがそれを受け取ると、アンチマジックドールはエレンの肩に止まった。それは叔父からの手紙だった。丁寧な字から叔父の几帳面さが窺える。

『生きているなら便りを寄越せ』

「だそうです」エレンは笑った。「心配性ですね」

「信用がねえだけだろ」

 おそらく叔父も新聞を見たのだろう。叔父としては、エレンが生きているかすでに死んでいるか気が気でないのかもしれない。死んだらアンチマジックドールが遺書を届けることになっているが、碍魔の仮面を着けたまま死んだ場合、アンチマジックドールを発動させることができない。叔父はそれを危惧しているのだろう。エレンが便りを出せば生死は一目瞭然だ。叔父を安心させるためには、小まめに手紙を出す必要がある。面倒だとは微塵も思わなかった。

 さっそく返事を書こう、とエレンはペンを持つ。生存報告は早いほうがいい。返信を長引かせれば叔父も不安になることだろう。もう叔父には迷惑をかけたくない。

 とりあえず生きていることさえ伝えられればそれでいいだろう。長々と書くのは自分の性に合わない。短く済ませたほうがエレンらしくて叔父も安心するだろう。

「そいつは目視で観測されることはないのか?」

「目視では観測しようがないですよ」

「どういうことだ?」

 怪訝に眉をひそめるジークベルトに、エレンは薄く微笑んだ。手紙を飲み込ませると、アンチマジックドールを手のひらに乗せる。仄かな光とともに魔法紋が開き、アンチマジックドールは鈴を転がすような音を残して姿を消した。

「これで次に出現するのは叔父の手元です」

「なるほどな。魔力感知でも目視でも観測できねえってわけか。魔力があれば便利な物なのかもしれねえな」

「そうですね。どこにでも飛ばすことができますからね」

 アンチマジックドールは目標さえ定まれば、どれだけ遠くても飛ばすことができる。国外にいる弟のもとに即座に届けることも容易だ。ただし、魔力が必要不可欠である。

「それは公爵家の者のみが使えるのか?」

「魔力があれば誰でも使えるはずですが、使っているのは主に貴族や王族だと思います。普通は手紙のやり取りで済みますし、隠し立てるようなこともないでしょうからね」

「お貴族様は隠し事だらけだからな」

「領地の統治に関わることもありますからね。あとは縁談でしょうか。どの家と縁故になるか水面下で動く場合もあるので、情報が洩れるわけにはいかないのです」

「面倒なもんだな、貴族ってのは。腹の探り合いで商人の右に出る者はいねえと思っていたが、貴族もそうなんだろ」

「そうですね。以前にあなたが言っていた通り、貼り付けた笑顔で何が自分にとって得か損かということだけを考えています。貴族にとってそれが必要なことですからね」

「いまは仮面で隠してるってわけだな」

「表情を読まれない分、楽をしていますよ」

 そう言ってエレンが笑うと、ジークベルトは肩をすくめた。どこか呆れたような表情だった。



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