【6】ベイレフェルト[3]
冒険者ギルドでの報告で、エレンは報酬を謝辞した。実際、護衛とは名ばかりのただの付き添いだけで何もしていない。しかしハンネスが護衛だけで充分に報酬に見合った仕事だと言い、エレンたちは報酬を受け取ることになった。それを還元するためにウーヴェの露店で何か買おう、とエレンは考える。それを察知したらしいハンネスが、その必要はないと先手を打った。なんでもお見通しなのである。
「エレンさんは冒険者登録をしていないんですか?」
報告書をしまいながらアメリーが言った。依頼を受けたとき、それから報告をするときにもエレンがギルドカードを出すと思っていたらしい。ジークベルトが出したことで不思議に感じたようだ。エレンとジークベルトがパーティだとしたら、エレンがリーダーだと考えたのかもしれない。
「僕はしていないですね。いつかしたいと思っています」
「そのときは、ぜひうちでお願いします!」
アメリーがカウンターに身を乗り出すので、エレンは驚いて少し退いた。彼が首を傾げると、アメリーは気恥ずかしそうに、どこか誤魔化すように咳払いをした。
「ギルドに登録する冒険者のランクによって、ギルドのランクが変わるんです。ランクの高い冒険者がいればいるほど、ギルドが強化されていくってことです」
「へえ……。冒険者としても、ランクの高いギルドに登録したいと思うということですか?」
「そうですね。ギルドのランクが高ければ高いほど、冒険者はランクの高い依頼を受けることができますからね。高ランクの依頼はその分、報酬も良くなります。ギルドにとっても冒険者にとっても、高い利益のあることです」
依頼を受けることを生業としている冒険者たちは、こぞってランクの高い依頼を受けて達成しようとするだろう。それに応えるために、冒険者ギルドもランクを上げなければならない。そのためにはランクの高い冒険者を登録させる必要がある。とてもややこしい仕組みだ。卵が先か鶏が先か、そんな複雑な話になりそうだ、とエレンは思った。
「あ~あ、ジークベルトさんがうちの所属だったらな~」
「無駄口を叩きすぎだ」
「あ、ごめんなさい。みなさん、お疲れ様でした!」
アメリーは明るい笑顔で言った。とても素直な子だ。
そろそろ昼食の時間を迎えようとしている町は、多くの人が行き交っている。食事処が賑わう頃だろう。
「ジークベルトは何を基準にギルドに登録したのですか?」
「自分が住んでる町にあった。それだけだ」
「なるほど……。あなたは傭兵ですから、ギルドのランクの高低はあまり意味を成さないということですね」
「そうだな。お前がいなけりゃ依頼なんか受けねえしな」
「でも傭兵ということは、護衛の依頼などを受けたりしますよね? それはギルドで受けるものではないのですか?」
「護衛の依頼は直接くることもある。ギルドを通す必要がない場合もあるからな。それに、そのほうが楽だ」
「そういうこともあるのですね」
依頼を出す側にも、おそらく何かしら利益があるのだろう、とエレンは思った。そうでなければ、今回のウーヴェの依頼はギルドを通す必要がない。エレンとジークベルトの実績のためかもしれないが、冒険者登録をしていないエレンには関係のない話だ。ギルドに顔を売っておくことで難易度の高い依頼が出しやすくなったり、ランクの高い冒険者を雇うことが可能になったりするのかもしれない。冒険者、依頼主、ギルドの関係は密接だ。それぞれに得のある仕組みになっているのだろう。そうして成り立ってきたのだ。
「ギルドというのは面白い仕組みですね。ずいぶん前から続いてきたのでしょうね」
「そうだな。歴史を調べたら案外、面白いんじゃねえか」
「確かに、調べてみたいですね。遡ってみると、冒険者の成り立ちなんかもわかりそうで面白そうですね」
「エレンさんは探求心のある方ですね」
「身を滅ぼさない程度に探求していきたいですね」
屋敷にこもっていた頃は研究ばかりしていた。主にマナを題材とし、好奇心の向いたものはなんでも調べ尽くした。それしかやることがなかったと言えば単純だが、楽しんでいたことは確かだ。研究員向きの性格をしているのだろう。ジークベルトがいなければ、冒険者をやろうとは考えもしなかっただろう。ずっとあの屋敷で、命を狙われながら研究に没頭していたのだろう。冒険者の傍ら、興味を惹かれたものを調べてみるのもいいかもしれない。
ディータの店に行くと、ハンネスは裏口にエレンとジークベルトを招いた。この店で出品することは初めてではないのだろう。慣れた様子で店裏へと入って行く。
「ただいま戻りました」
ハンネスに気付いたディータが、おう、と微笑んだ。
「おかえり! どうだった?」
「無事に採取できましたよ。あとはスリーパーが生っていたので、ついでに採って来ました」
「お! さすがだな!」
ディータが表情をパッと明るくする。助かるよ、と顔を綻ばせるところを見ると、道具屋にとってスリーパーは貴重な素材なのかもしれない。ハンネスは珍しいと言っていたが、採取した数はほんのわずかだ。そもそも実をつける量が少なく、発見することは稀なのかもしれない。
「あ、おかえりなさい」
店から戻って来たウーヴェが、三人に気付いて顔を上げる。からの箱を持っており、素材を取りに来たのだろう。
「少し多めに採って来ました」と、ハンネス。「岩トカゲが温厚な子でよかったです。スリーパーも採れました」
「助かるよ。ありがとう、ハンネス。エレンさんとジークベルトさんもありがとうございます。お疲れ様でした」
「僕たちは何もしていませんけれどね」
エレンが朗らかに言うと、ウーヴェは苦笑いを浮かべた。ハンネスがひとりでこなしたことが容易に想像できたのだろう。それはいつものことなのかもしれない。
「今日はもう休んで、ハンネス。店はこっちに任せて」
「僕がこれくらいでへばるとでも?」
つんとして言うハンネスに、ウーヴェはまた困ったように笑う。きっとこれもいつものやり取りなのだろう。
「僕たちは町を見て回って来ますね」
「はい。ごゆっくりなさってください」
エレンとジークベルトは裏口から店を出ると、賑わう通りへ出た。まだ昼過ぎだということもあり、人々は活発に動き回っている。明るく穏やかな空気が清々しい。
町を見回したエレンは、あることに気付いて言った。
「なにか人じゃない子が歩いていますね」
「あれは人間と従魔契約をした魔物だな」
岩の塊に腕と足が生えたようなもの、大きく鮮やかな鳥、通常の五倍ほどの体格の燃える猫、褐色の肌の巨人など種族は様々だ。数は人間の四分の一ほどだろうか。
「気付くの遅くねえか?」
ジークベルトが呆れたように言うので、エレンは仮面の下で苦笑いを浮かべた。確かにそうかもしれない。
「人間と魔物が共存しているのですね」
「この町はテイマーズギルドがあるからな」
「それはなんですか?」
「従魔術師が所属するギルドだ。魔物と従魔契約をしたときに登録するギルドだな。仕組みは冒険者ギルドとそう変わらない。従魔術師に特化したギルドってことだ」
従魔術というものにエレンはあまり詳しくないが、人間と魔物が魔法により契約を結ぶということだけは知っている。町を行く人々は魔物を従えているが、魔物たちは渋々というわけではないように見えた。表情のわかる魔物は朗らかだ。人間と共存することが当たり前のように、町での暮らしに溶け込んでいる。魔物を連れていない人間にとっても、魔物がそこにいることが当然のようだ。
「テイマーズギルドはいろんなところにあるのですか?」
「そうだな。だが、この国ではこの町だけだ」
「国中の従魔術師が集まって来るのでしょうか」
「テイマーズギルドに登録したほうがやりやすいこともあるだろうしな。従魔術師向けの依頼なんかもあるだろ」
エレンがジークベルトをパートナーとして行動をともにしているように、従魔術師にとっては魔物がそうなのだろう。もしかしたら魔物のほうが人間より優れているということもあるかもしれない。体が大きい個体は力が強そうだ。人間がそうであるように、魔物にも様々な特性があるのだろう。それを引き出すのも従魔術師の役目で、腕を問われることなのかもしれないとエレンは思った。
「従魔術は便利なのでしょうか」
「どうだろうな。一長一短ってとこだろ」
「でも、どちらにしてもいまの僕には使えなさそうですね。やはり魔力が必要なのでしょう?」
「それはそうだろうな」
「いつか使ってみたいですね」
魔物との生活も楽しそうだ。魔物の知識がなくとも従えることができるかわからないが、きっと心強いだろう。
「アンチマジックドールは魔物とは違うみたいだな」
思い出したようにジークベルトが言うのでエレンは頷く。
「アンチマジックドールは、僕の魔力を捏ねて作り上げた、ただの魔力の塊です。魔法の一種ですね」
「やはり碍魔の仮面を着けていたら使えないものか」
「そうですね。召喚する際に魔力を必要としますから」
目下の課題は、死んだときに仮面を着けているとアンチマジックドールを弟と叔父に送れないというところだ。死ぬ間際なら仮面を外しても問題はないだろうが、即死となった場合の対策を考えておかなければならない。
「スキルで【魔力遮断】というものがある。おそらく俺たちを見張っているやつが使っているものだが、それを身に付ければ仮面を外しても見つかる可能性が低くなる」
「自分の魔力を完全に内に留めるということですか」
「ああ。熟練度にもよるが、外部に魔力を感知される危険性がなくなる。碍魔の仮面を着けているのと同じ状態だな」
「あなたは使えるのですか?」
「いや。そもそも感知されるほどの魔力を持っていない」
「そうなのですね。ですが、僕の場合、結局のところ顔を出すことはできないのではありませんか?」
「顔を知ってるやつがどれくらいいるか、だな。六年も屋敷にこもっていたなら、知らないやつのほうが多そうだが」
エレンはほとんど外交の場に出ていない。六年前までは公爵位を弟が継ぐ予定だったため、社交界にもあまり顔を出さなかった。エレンの素顔を知る者はそう多くないだろうが、まったく知られていないというわけではない。
「ですが、きっとウーヴェくんたちは知っていますよね」
「あいつらが密告するとでも?」
「いいえ。それはないでしょうが、僕が貴族だと知っては彼らもやりづらくなることがあるかもしれません」
商人は貴族とも密接に繋がりがある。世の中で最も買い物をしているのは貴族だと言われるほどだ。お抱えの商人を持つ家もあるだろう。エレンは顔馴染みとなる商人はいないが、商人は貴族のことをよく知っているはずだ。社交界にほとんど顔を出さなくとも、商人はエレンの顔を覚えているかもしれない。それはおそらくウーヴェたちにも言えることだろう。貴族だということには気付かれているだろうが、誰かわからなければまださほど気にならないはずだ。そう思っているのはエレンだけかもしれないが。
「顔を晒すのは怖いか?」
「怖くはありません。ただ、僕が公爵だと周りに知られたとき、ウーヴェくんたちに迷惑がかからないか心配です」
「それが最優先なのか」
「僕がどこで捕らえられても問題はありません。どちらにせよ王都に向かっているわけですし。ですが、ウーヴェくんたちに害が及ぶような捕まり方をしたくないのです」
「まあ、お前が捕らえられる可能性があるならな」
「前公爵の罪を僕が引き継いでいると考える者が、僕を捕らえようとするかもしれませんからね」
エレンが屋敷を出たことはもちろん公表されていないが、その情報を掴んだ者が出て来るかもしれない。追跡者はおそらく何かしらの情報を持っているだろう。彼――または彼女――が攻撃を仕掛けて来ることはいまはないが、皆が皆そうとは限らない。エレンが屋敷にいないと気付けば、探して捕らえようとする者もいるだろう。
「まあ、お前を捕らえて王宮に突き出しても、王がお前に罪はないと認めれば形無しだがな」
「王命に背ける者がいるなら見てみたいくらいですからね」
「もし王がお前に罪はないと認める確証があるなら、さっさと王都に行ってしまったほうがいい気もするが」
「駄目ですよ。ウーヴェくんたちの護衛がありますから」
「律義なやつだな。義理堅い貴族は珍しいんじゃねえか」
「どうでしょう」エレンは肩をすくめる。「なんにしても、まだしばらくは仮面越しの景色になりそうですね」
それはとても残念なことだが、自分が仮面を外すことでウーヴェたちに危害が及ぶ可能性があるなら、それは排除しなければならない。彼らを危険に晒すくらいなら、景色など見えなくても構わない。ウーヴェたちの安全を守るのが自分たちの役目だ。危機を招くわけにはいかないのだ。
「仮面を着け続けていれば【魔力遮断】を習得する可能性もある。そうすればフルフェイスの必要はなくなるだろ」
スキルは、身に着けている物の効果に付随して習得することもあると言う。魔力を封じ込める碍魔系の魔道具を長く身に着けていれば、同じような効果を持つスキルを得やすくなるということだ。スキルは魔力を必要としないものもある。エレンでも扱えるものがあるはずだ。
「確かに。スキルなら、いざというときにスキルを解除すればすぐに魔法が使えるようになりますね。アンチマジックドールの発動も速やかに行えます」
死ぬ間際に仮面を外す手間を省けるのは大きな利点だ。死と同時にスキルが解除できるなら、アンチマジックドールも即座に発動できるだろう。そうすれば、速やかに弟と叔父のもとに遺書を届けることができるはずだ。
「……ジークベルトは」エレンは静かに言った。「なぜそこまで私のことを考えてくれるのですか?」
ただの護衛対象であるエレンのことを、そこまで気に掛ける必要はない。護衛はただ命を守ればいいだけのこと。エレンの仮面のことなど考える必要はないはずだ。
「無駄死にさせるわけにいかないからだ」
ジークベルトは淡々と言った。適当に答えたわけでも、嘘をついたわけでもないことはエレンにもよくわかる。
「お前を無駄死にさせたら俺のプライドに傷が付く」
「……お人好しですね」
薄く笑うエレンに、ジークベルトは肩をすくめた。




