【6】ベイレフェルト[2]
翌朝。人気の少なくなった食堂で手早く朝食を済ませると、ちょうどウーヴェたちが町へ出ようとしているところだった。ふたりに気付いたハンネスが、ちらりと彼らを見遣る。そのほんの一瞬でふたりの無事を認めたのか、何も言わず手元に視線を戻した。次いでウーヴェが顔を上げる。
「エレンさん、ジークベルトさん、おはようございます」
「おはようございます」
フォルカー、ベイエル、ローイも声を揃えた。
「僕たちは今日から三日間、ずっと兄の店にいます。なので、お好きなように過ごされてください」
「わかりました」
「時間があれば素材の採取に行きたかったんですが……」
「おや。では僕たちが行ってきますよ」
「ほんとですか? ありがとうございます」
どちらにせよ依頼を受けに行くのだから、手間は変わらない。しかしそれが役に立つなら喜ばしいことだ。
「では僕が同行します」ハンネスが言う。「そのほうが必要な物がわかって手っ取り早いでしょう」
「お店はいいのですか?」
「彼らだけでも充分こなせます」
ハンネスと他の四人がそれでいいのなら自分は構わないとエレンは頷いた。ハンネスはもしかしたら、昨夜のことを気にしているのかもしれない。エレンの身を案じていると言うよりは、追跡者の正体を知りたいのだろう。同行者に追手がいることを、気にしないわけにはいかないのだ。
「おはよう、諸君!」
快活な声とともにディータが宿に入って来た。
「兄さん。どうしたの?」
「早く弟の顔が見たくて迎えに来ちまった」
明るく言うディータに、ウーヴェは呆れたように目を細める。やはり兄の愛は一方通行のようだ。それでもへこたれないところを見ると、ディータの精神力はかなり鍛えられているらしい。ウーヴェも慣れているように見える。
「それじゃあ、お願いします」
「はい。またあとで」
ウーヴェたちが店に出発して行くと、三人は冒険者ギルドに向かった。朝日を受ける町は、にわかに賑わい始めている。行き交う人々は朗らかに微笑み、町が豊かであることが窺えた。同じ伯爵領らしいが、アテマとはまた雰囲気が違う。町が乏しくならないのは、良い領主の証だろう。
宿を出る前、碍魔系の魔道具の在庫がないことをディータがこっそり教えてくれた。ウーヴェが碍魔系の魔道具の素材は上位ばかりだと言っていたことを考えると、やはり簡単に用意できる物ではないのかもしれない。
朝ということもあり、冒険者ギルドは活気に溢れていた。みな、これから依頼を受けて出掛けて行くのだろう。
ハンネスが受付のカウンターに歩み寄ると、若い女性が応対に出て来た。ウェーブのかかった髪を肩で一括りにした可愛らしい女性だ。二十代前半くらいだろうか。
「おはようございます! 依頼を出されますか?」
「はい。このふたりが受けますので」
「承りました」
ハンネスから依頼書を受け取り、女性は別の紙にそれを書き写す。それから手早く半分に切って判子を押した。
「いってらっしゃいませ!」
他の冒険者の呼び掛けに応えた女性は、アメリーという名前らしい。この元気な声と笑顔で見送られたら、やる気も出るというものだろう。このギルドにいる冒険者がはつらつとしているのは、彼女のお陰なのかもしれない。
「こんな直でいいんですね」
エレンが依頼書を見ながら言うと、ハンネスが頷いた。
「ギルドは依頼達成の実績が増えればなんでもいいんです」
「なるほど……」
冒険者ギルドも業績が肝なのだろう、とエレンは考える。ギルドとして運営していく上で、受けた依頼を確実に達成させる必要がある。失敗することはギルドにとって不利益で、冒険者の経歴にも傷が付くことになるだろう。自分の実力に見合った依頼を受けるのが肝要なのかもしれない。
「採取したい素材は」と、ハンネス。「岩トカゲの爪と針草です。針草はその辺にいくらでも生えていますし、岩トカゲの捕獲もそう難しいことではありません」
「お前が付いて来る必要あるのか?」
「何か文句でも?」
「突っ掛かってくんなクソガキ」
「こら! 仲良くしなさい!」
空気が凍り付くジークベルトとハンネスにエレンが言うが、ふたりはすました顔をしている。ふたりは元々から気質が合わないのかもしれない、とエレンは思った。気の強いふたりだ。衝突してしまうのは致し方ないことだろう。
草原に出ると、さっそくハンネスが腰を屈めた。
「これが針草です」
「え? もう見つけたのですか?」
「どこにでも生えていますからね」
ハンネスが指差したのは、地面から突き出すように生えている草だった。外見は確かに針状で、触れると草にしては少し硬い。群生の中に手のひらを押し当てれば突き刺さるかもしれない。試そうとしたエレンをハンネスが制した。
「興味本位で行動を取るべきではありません」
「どれくらい痛いのかと思いまして」
「回復薬の無駄遣いです」
「すみません」
回復薬が必要になる程度には怪我をするのか、とエレンは心の中で呟く。回復薬も使用したことがないので一度は試してみたいのだが、ハンネスは許してくれないだろう。
先端に触れないよう注意しながら、ハンネスは手早く針草を採取する。十本ほどを束にしていくつかかごに詰めると、これで充分です、と立ち上がった。
「もういいのですか? 僕たちは何もしていませんが……」
「慣れていないと怪我をしますから」
「次は岩トカゲの爪でしたか」
「岩トカゲもその辺にいくらでもいますよ」
ほら、とハンネスが前方を指差す。その視線の先にいたのは、その名の通り背中に岩がくっついた四足歩行のトカゲだった。体はサラマンダーより少し小さく、こちらに気付いてもとぼけた顔で過ぎ去って行く。愛嬌のある魔物だ。
ハンネスがおもむろに歩み寄って行くと、岩トカゲは彼のそばで足を止める。ハンネスは岩トカゲの頭を撫で、前足に触れた。岩トカゲはぼんやりとした顔のまま、抵抗することはない。ハンネスが優しい手つきで爪を切っているあいだ、岩トカゲは大人しくしていた。爪の採取を終えると、ハンネスは背中を撫でて解放する。岩トカゲはまるで何事もなかったかのようにのんびりと去って行った。
「少し多めに採らせてもらったので、これで充分です」
「……俺たちが来る必要あったのか?」
「頼りになる子ですね」
エレンとジークベルトの出る幕はなく、依頼を出したハンネス本人だけで事が終わってしまう。特に魔物と遭うこともなく帰路につくと、まだ昼前だった。
何かに気付いたハンネスが、おや、と足を止める。
「珍しい実が生っていますよ」
そばの木を見上げてハンネスが言った。彼が手を伸ばした先を見ると、紫色の小さな実が生っている。
「これはスリーパーという果実です。その昔、睡眠導入剤として使われていたそうですが、そのような効果はないと実証されています。現在は薬の材料に使われています」
「面白いですね。睡眠導入剤として使われていた頃は、プラシーボ効果のようなものがあったのでしょうか」
「そう考えられています。思い込みとは恐ろしいものです。せっかくなので採っていきましょう」
ハンネスは実を五つ採り、かごに放り込む。
「僕たちは本当に付いて来ただけでしたね」
「僕が集中して採取をできたのは、おふたりが周囲を見張っていてくれたおかげですよ。魔物の襲来を警戒しながら採取をしたのでは、気が散りますからね」
とは言え、この辺りには警戒するような魔物は現れないとエレンは聞いた。町のすぐそばだ。魔物が出現すればまず町の自警団が退治に来る。そうして町の安全は確保されているのだ。そうでなくとも、魔物は冒険者によって間引きされている。おそらく、ハンネスひとりでも採取を終えることができただろう。エレンたちはただの見守りだ。
町の門が近付いてきたとき、ハンネスが足を止めた。
「構うな」
ジークベルトが低い声で言う。ふたりが厳しい表情になる中、エレンはただ振り向くことなく歩いた。
「わざと気配を出してやがる。手出しはして来ねえだろ」
「面倒なものに好かれたものですね」
「こういう輩が現れるだろうと予測はしていた」
エレンが感じるものは、ジークベルトとハンネスほどは判別できていないのだろうと思う。エレンの感知スキルは高くない。それでも肌を針で刺されているように感じるのは、それほど強い気配ということだろう。いわゆる殺気というものなのかもしれない。エレンにはよくわからないが、ふたりの空気が凍り付いているのはわかる。
「碍魔の仮面だと気付かれれば、面白がるやつはいるだろうとは思っていたが。案外、早かったな」
「気付くのが遅すぎでは?」
「スキルで気配を遮断してるやつをどうやって感知しろって言うんだ。お前だって気付いてなかっただろ」
「僕はただの商人ですよ。感知できるはずがないでしょう」
「まあまあ。言いっこなしですよ」
飽くまで朗らかに言うエレンに、ジークベルトとハンネスが少し呆れたように息をつく。予想外の反応にエレンは首を傾げた。殺気に怯えると思っていたのかもしれない。
うーん、とエレンはまた首を捻った。
「どうするつもりなのでしょうか」
「どこかしらで接触して来るだろうな。敵か味方か……」
「味方とは思えませんが」
「敵でもないだろ」
相変わらず監視は続いている。殺気ではあるが、敵意ではないように感じられた。ジークベルトとハンネスがそばにいるとは言え、その気になればいつでも奇襲を掛けられるはずだ。どれほどの実力かは計り知れないが、少なくともエレンより強くなければこんな行動は取れないはずだ。
「ひたすら面白がっている。ただの興味本位。それだけだ」
「いずれ」と、ハンネス。「接触して来るでしょうね」
「どうだろうな。そのうち飽きるかもしれない」
「では、飽きてくれるのを待ちましょうか」
ジークベルトとハンネスが向けてくる視線が、のん気すぎる、と言いたげなのがはっきりとわかる。危機感が欠如しているというのは、叔父にもよく言われたことだ。しかし実際、あまり危機だとは思っていない。たとえ奇襲を掛けられたとしても、ジークベルトが即座に反応するだろう。エレンがひとりきりになることはほぼない。だと言うのに危機感を持てというほうが土台無理な話である。
「なんにしても」エレンは言う。「ハンネスくんに危害が及ばないならなんでも構いません。どうでもいいです」
「お前な……」
「いざというときは、ハンネスくんを守ってくださいね」
「甘く見ないでください。自分の身くらい自分で守れます」
ハンネスが不満げに言うので、おや、とエレンは呟いた。
「それは失礼いたしました」
「お前はただの商人なんだろ?」
「商人でも自分の身を守る術くらい持っています」
エレンは、ハンネスはおそらく自分とは比べ物にならないほど強いと思っている。自分が守られなければならないほど弱いことは自覚しているが、ただの商人だと主張するハンネスのほうがおそらく戦闘能力は高いはずだ。そうでなければ、この肌を刺す気配に平然としているわけがない。
「エレンさんも妙に図太いですよね」
「それほどでも」
「褒めてないですからね」




