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ファル公爵の旅路【更新停止/未完】  作者: 瀬那つくてん(加賀谷イコ)


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【5】冒険者生活[4]

 フロレンツに教えられた住所へ行くと、他の民家と比べると大きめの屋敷が佇んでいた。広く美しい庭園が目を引く。貴族としての威厳が充分に表現されている屋敷だ。

 ノッカーは錆び付いており、少し重い。叩く音にドアを開いたのは、質素なお仕着せの若い侍女だった。侍女はエレンの仮面に少しだけ面食らったように見えたが、貴族の屋敷の使用人らしくすぐに平静を取り戻したようだ。

「ダンスレッスンの依頼を受けて来ました」

「お待ちしておりました。ご案内いたします」

 侍女に招かれて入ったフロアは、花が飾られてあり明るい。貴族の屋敷にしては質素で、落ち着いた雰囲気だ。

 侍女はひとつの部屋にエレンとジークベルトを案内する。

「依頼をお受けになられた方がいらっしゃいました」

 部屋はダンスホールになっており、そこに背の高い女性と明るい水色のワンピースを着た少女が待っていた。

「ようこそお越しくださいました」と、女性。「わたくしはダンス講師のソフィと申します。ほら、お嬢様」

 女性――ソフィに促されて、ワンピースの少女が淑女らしく恭しい辞儀をする。可愛らしい顔立ちだが、眉間にはしわが寄っている。十五、六歳くらいだろうか。

「メリア・エンベルトです。ようこそお越しくださいました。せっかくご足労いただいたのに申し訳ございませんが、私はダンスなんてやりたくありません」

 険しい表情のメリアに、おや、とエレンは首を傾げた。

「ですが、依頼を出されたのではないのですか?」

「母が勝手に出しただけです。私はやりたくないんです」

 ソフィは困ったように眉尻を下げている。メリアはこうしてダンスレッスンを拒否し続けているのかもしれない。貴族としてダンスは必須だが、それでも拒んでいるのだ。

 やりたくないものを強いられるのは、反発を生むことだろう。貴族界に生きるひとりの淑女として、基本であるダンスをこなせるようになってほしいと親は願っているのだが、メリアがそれを望んでいないということなのだろう。せっかくの可愛らしい顔が台無しだ。

「ダンスは楽しくありませんか?」

「全然。つまらないですわ」

 これは前途多難だ、とエレンは心の中で呟いた。まずはダンスを踊るためのやる気を出させるしかないだろう。

「お嬢様はダンスを踊れないので、パーティにも参加できないのです」と、ソフィ。「お誘いを受けたらお断りするわけには参りませんが、踊れないのでは……」

「別にパーティに行かなければいいじゃない」

 メリアは貴族としての責任を理解していないわけではないのだろう。しかし、それを受け入れられていないのだ。

「基礎はできているのです」ソフィが続ける。「あとは実践のみなのですが、このままでは恥をかく可能性が……」

「男性講師はいらっしゃらないのですか?」

「みな、お嬢様がクビにしてしまいました」

 エレンは顎に手をやる。よほどダンスレッスンを受けたくないのだろう。どうやらダンス自体を嫌っているように見える。無理やりやらされているのでは、確かにうんざりすることかもしれない。どうにか好きになるしかないのだ。

「……では、私と踊っていただけませんか?」

 思い付いて言ったエレンに、メリアは顔をしかめる。

「話を聞いていました? 私は踊りたくないんです」

「練習として踊っていたから楽しくないのかもしれません。練習ではなく、自由に踊ってみてはいかがでしょう」

「…………」

「私も長らくダンスをしていません。久々に踊りたいので、一曲だけお付き合いいただけませんか?」

 メリアは口を「へ」の字にしてしばらく考え込む。それから、渋々といった様子で顔をしかめたまま頷いた。

「わかりました。一曲だけですよ」

「ありがとうございます」

 ソフィがいそいそと蓄音機の準備を始める。エレンは外套を脱ぎ、ジークベルトに預ける。

「つまらなかったら、もう二度と踊りませんから」

「承知しました。そのときは私も諦めます」

 ふたりは互いに辞儀をし、エレンは手を差し出した。その手を取り体を寄せるメリアの姿勢は、なかなか様になっている。ソフィの言った通り、基礎はできているのだろう。あとは、ダンスの楽しさを覚えるだけだ。

 穏やかに始まる音楽に合わせ、ふたりはステップを踏む。音色は彼らを祝福するように響いた。丁寧さを心掛けるエレンのリードに、メリアは羽根のように舞う。言葉を交わさずとも、ふたりの足並みは揃い、呼吸は重なった。

 ダンスで重要なことは、パートナーの魅力を最大限に引き出すことだ。女性の美しさで観客を魅了するためにリードは存在している。男性は陰の立役者である。目立とうなどとは言語道断。ダンスの主役は女性なのだ。

 ゆったりと時が流れる。メリアの表情から退屈の色が消え、次第に頬が紅潮していった。足取りも軽やかに、背筋もぴんと伸びている。指先は美しく風を捉え、しなやかな弧を描いた。エレンはいま、メリアの美しさを引き出していると自負している。メリアの表情は、明るく輝いている。なにより、エレン自身も楽しんでいた。ダンスとは本来、楽しむためのものである。嫌々で踊るようなものではないのだ。

 音楽が止まり、ふたりは辞儀をしてダンスを終えた。

「あなた……いま何か魔法を使ったでしょう」

 息を整えながらメリアが言うので、エレンは首を傾げる。

「こんなに楽しかったのは初めて。魔法で私を騙したのね」

「そんなことありませんよ。ですが、楽しかったのなら何よりです。とても上手に踊れてらっしゃいましたよ」

 賞賛するエレンに、メリアは薄く微笑んだ。

「ダンスとは本来、とても自由なものです。表現の世界に縛るものは何もありません。自分らしく踊ることと、上手な引き立て役のパートナーがいれば楽しくなりますよ」

「いままではパートナーが悪かったってことですか?」

「そうかもしれません。ダンスにおいてパートナーは重要です。リードが下手では、踊っても楽しくないでしょう」

 メリアはこれまで、良いパートナーに恵まれなかったのかもしれない。自分ばかり目立とうとするパートナーが多かったのだろう。勘違いされがちだが、ダンスは技術があればいいというものではない。楽しんでこそのものである。とは言え、社交パーティで上手く踊れないと恥をかく可能性もあるため、上達するに越したことはない。

「よくわかりました。ダンスって楽しいものなんですね。依頼を受けたのがあなたでよかった」

「お役に立てたならなによりです。ぜひ楽しく踊れるようになってください。きっと良いパートナーがいますよ」

「はい。ありがとうございました。私が上手く踊れるようになったら、また一緒に踊ってください」

 メリアは晴れやかに微笑んだ。この表情が見られただけでも、この依頼を受けた甲斐があったというものだ。

 エンベルト邸をあとにすると、討伐や採取の依頼とはまた違う達成感に包まれていた。誰かの役に立てたのだということを実感し、満ち足りた気分だった。

「僕でも人の役に立つことができるのですね」

 エレンが言うと、ジークベルトは肩をすくめる。

「役立たずな人間なんていないからな」

「そうですか? 僕は割と役立たずですよ?」

「できないことがあるってだけだろ」

 意外なジークベルトの言葉に、エレンは首を傾げた。

「確かに、それはそうかもしれませんが……。あなたにもできないことはあるのですか?」

「あるだろうな。俺も一応、人の子だからな」

「なんでもできそうな気がしてしまいますね」

「お前よりはできることが多いだろうな」

 その少ない「できること」で人の役に立てたのなら、これ以上に嬉しいことはない。あの晴れ晴れしいメリアの表情は、この先きっと忘れることはないだろうと思った。

「だが、お前があれだけ踊れるとはな。腐っても貴族か」

「子どもの頃から叩き込まれますからね。特に、公爵家は社交パーティにおいて王族の次に目立つ存在です。ダンスで恥をかいては、家名に泥を塗ってしまいます」

「面倒なもんだな。ダンスひとつで泥を塗るのか」

「社交界では完璧さを求められます。完璧なマナー、ダンス、所作……。指先から爪先まで、すべて完璧でなければなりません。それができなれば付け込まれてしまいます。それが上流貴族というものです」

「嫌な文化だ。だが、庶民の生活に貴族の動向が影響すると考えると、確かに完璧さを求められるのかもしれねえな」

 貴族は社会の上に立つ人間だ。貴族の取り決めが、その町の民に影響を与える。貴族はその責任を負う義務があるのだ。特に上流貴族の権力は強い。軽率な行動や発言は認められない。それらで処分されることもあるのだ。エレンの旅の目的も、おそらく貴族たちのあいだに反発を生むことになるだろう。重い罪に問われるかもしれない。それでもエレンは、もう立ち止まることができないのだ。

 雨の町は密やかに。いつもと少し違う日常を描いている。少し風変わりな依頼も良い経験となった。たまにはこんな日があってもいい。きっとそうして、退屈だった六年間を次第に忘れていくのだろう。



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