【5】冒険者生活[1]
身支度を整えて冒険者ギルドに行くのは、とても気分の良いことだった。屋敷では部屋にこもって本を読んでいるだけで、無感情な日々を過ごしていた。これから受ける依頼にどんなことが待っているのか、それを考えるだけでも心が躍る。こういった楽しむ気持ちも、慣れたら感じなくなってしまうのだろうか。できれいつまでも保っていたいと思える気持ちだ、とエレンは思った。
冒険者ギルドに行くと、フロレンツがふたりを呼んだ。
「この三人が、今回の合同のパーティだよ」
フロレンツが紹介したのは、金髪と青い瞳の青年、癖のある金髪の可愛らしい少女、背の高い茶髪の青年だった。
「レオンです」と、金髪と青い瞳の青年。「このパーティのリーダーをしています。今日はよろしくお願いします」
「私はニーナっていいます」と、癖のある金髪の可愛らしい少女。「魔法使いです。よろしくお願いします」
「クラストです」と、背の高い茶髪の青年。「冒険者として未熟者ですが、よろしくお願いします」
三人の自己紹介にジークベルトは、ああ、と短く応えるだけだった。三人からの合同の申し出であったため、彼らはジークベルトのことを知っているはずだ。自己紹介をする必要はないとジークベルトは判断したのだろう。
レオンがジークベルトの背後にちらりと視線を遣る。
「そちらの方は?」
仮面を着けているためか、フロレンツに聞くまでジークベルトに連れがいると知らなかったためか、三人の表情は少々訝しげだ。エレンは努めて笑顔を浮かべるが、仮面を着けているので見えないのだったと自嘲した。そろそろ慣れてもおかしくない頃だが、仮面を着けているという感覚が薄いためつい忘れてしまう。他人はこの仮面が気になるだろうが、エレンはあまり気にならなくなった。
「こいつはおまけだ」ジークベルトが言う。「ただ付いて来るだけだから気にするな。邪魔にはならない」
「エレンです。よろしくお願いします」
三人は顔を見合わせる。気を取り直してレオンが頷いた。
「では、行きましょう。乗合馬車が来ているはずです」
いってらっしゃい、と微笑むフロレンツの見送りを受け、五人は冒険者ギルドをあとにした。多くの人々が行き交う通りを抜け、乗合馬車の停留所へと向かう。
「サラマンダーはどこにいるのですか?」
エレンの問いかけに、さあ、とジークベルトは肩をすくめる。これから討伐に行くと言うのに、知らないとは。
「サラマンダーがいるのは峡谷です」レオンが言う。「ここから馬車で二時間ほどかかります。少し遠いですね」
「討伐の目的は間引きですか?」
「いえ、素材の採取です。サラマンダーのうろこは防具の良い素材になるんです。丈夫な防具が作れますよ」
乗合馬車に乗り込むと、昨日より少し混み合っているように感じられた。行き先によって人出が変わるのだろう。
公爵領からこの町への移動で、長い時間を馬車で過ごすのは――一度だけだが――経験している。まだ慣れてはいないが、二時間程度ならどうということはないだろう。
「エレンさんが持ってるのって、魔導書ですよね」
馬車が町を離れてしばらく、気になったようでニーナが言った。ええ、とエレンは小さく頷く。ニーナは続けた。
「見た目は魔法使いっぽいけど、魔法使いじゃないのね」
「確かに」と、クラスト。「魔力は感じませんね」
「そうですね……。ですが、剣などの他の武具を扱うこともできませんので、魔導書を使っています」
「ジークベルトさんが一緒なら」ニーナが続ける。「魔術でも充分そう。合同を受けてもらえて、私たち幸運です!」
「魔術をそつなく使いこなしそうな雰囲気がありますね」
期待を込めたように言うクラストに、楽しみ、とニーナが言うと、ジークベルトが呆れた口調で言った。
「こいつは飽くまでおまけだ。後衛の最後尾で充分だ」
「でも」と、クラスト。「経験値はいいんですか?」
「こいつは経験値稼ぎで来てるわけじゃない」
顔を見合わせたニーナとクラストが、さらに質問を重ねようとする。それを見兼ねたレオンが口を開いた。
「もうやめろ。それ以上は失礼だ」
「あ、ごめんなさい……」
「いえいえ。お気になさらずとも大丈夫ですよ」
馬車はいくつかの停留所を経由しながら、静かに走って行く。冒険者たちのあいだにも穏やかな空気が流れているが、中には緊張感で顔を強張らせている一団もある。おそらく、手強い敵との戦いが待ち受けているのだろう。
レオンたちも緊張はしていないように見える。魔物の討伐には慣れているのだろう。サラマンダーの脅威も、それほどのものではないということがわかる。
「そうだ」ニーナが手をたたく。「依頼が終わったら、みんなで食事でもどうですか? お疲れ様会やりましょ」
「無事に生きて帰れたらな」
素っ気なく言うジークベルトに、ニーナは唇を尖らせる。
「サラマンダー相手に、命の危険はないですよお」
「そうやって油断して死にかけたやつを何人も見た」
ジークベルトはおそらく、ニーナたちより経験値が高い。その彼が言うのだから、間違いはないのだろう。少しの気の緩みが、命の危険につながるのはよくあることだ。
「ニーナは気を抜きすぎだ」
レオンが語気を強めるので、ニーナはしょんぼりと肩を落とした。いまは気を抜いていても、いざ戦いになったら集中力を発揮するのではないかとエレンは思う。少なくとも、エレンよりは戦いの経験が多いことは間違いない。いまは気を張り詰めていなくとも、本当に油断するようなことはないだろう。将来有望な若者たちだ。このまま真っ直ぐな冒険者に育ってほしい、とエレンはそう思った。
馬車がようやく峡谷へと到着すると、外へ降りたニーナが大きく伸びをした。二時間と少し馬車の中でたたんでいた足は、すっかり疲れてしまった。討伐に向かうには、足のストレッチを先にしたほうがいいかもしれない。
「サラマンダーが生息しているのは、峡谷の北側です。巣に入ると危険なので、気を付けて行きましょう」
レオンが先を歩き出す。二番目にニーナ、その次にクラストが続いた。ジークベルトはエレンを先に行かせ、最後尾につく。サラマンダーが現れても自分の出番はなさそうだ、とエレンは心の中で呟いた。
峡谷の入り口は林になっている。レオンは道を熟知しているようで、迷うことなく進んで行った。
「どこがサラマンダーの巣か把握しているのですか?」
エレンが問いかけると、レオンは歩きながら応える。
「以前と同じなら把握していますが、移っている可能性はあります。ただ、目印がないので、巣に突っ込んでしまう場合もありますね……。ですが、サラマンダーは大きな群れを作らないと言われています。巣に入ってしまったとしても、俺たちだけで倒せるんじゃないかと思います」
「頼もしいですね」
「単独行動しているサラマンダーを狙いましょう。この辺りで遭遇できれば、一番に楽なんですが……」
十分ほど歩いたところで、林を抜ける。視界が開けると同時に、高く切り立った崖が現れた。崖の下は川が流れているようで、落ちればひとたまりもないだろう。
その危険に目を瞑れば、とても美しい光景だった。向こう側に見える崖は森になっていて、青々とした木々が崖下から吹き抜ける涼やかな風を受け穏やかに揺れている。あまり端に行くなとジークベルトが言うので、エレンは川を覗き込みたい気持ちを抑えた。崖の綺麗な層が、歴史的な雰囲気を感じさせる。考古学者などが研究のために訪れることもあるかもしれない。対岸へつながる橋が架かっているが、彼らが渡る必要はおそらくないだろう。もし橋の中で討伐対象と遭遇してしまえば、身動きが取れないからだ。
「綺麗なところですね」エレンは言った。「心が洗われます」
「観光名所でもあるから」と、ニーナ。「たまに、旅行者の護衛につくこともあるんですよ。サラマンダーは強くはないけど、旅行者には充分に怖い存在だからね」
「サラマンダーの他に魔物はいないのですか?」
「出てもポケットラットやグリーンウォンバットくらいかな。それぞれ縄張りがあるから、大型の魔物が近くに棲むってことはないの。小型の魔物には関係ない話ですけどね」
ニーナの言う通り、歩みを進めていると小型の魔物が出現した。こちらに気付いていない場合は無視するが、中には好戦的な個体もいる。小型の動物だけなら、レオンの剣術とニーナの魔法で充分だった。
「優秀な子たちですね」
エレンが言うと、ジークベルトは肩をすくめる。
「これくらい余裕でできなくちゃ困る。ポケットラットやらグリーンウォンバットやらなら、お前だって倒せるだろ」
「移動しながら討伐したことはありませんから。それに、このままならあなたの出番もないのではありませんか?」
「ないに越したことはねえだろ。合同を申し込んで来たのだって、万が一のときの保険が欲しかっただけだろ」
なるほど、とエレンは呟いた。そういった理由で合同を依頼する場合もあるのだ。自信がないのだとエレンは思っていたが、三人の実力は申し分ないように見えた。依頼を失敗する確率を大きく下げ、確実に成功させるためのひとつの方法なのだろう。それがジークベルトなら間違いない。




