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【1】ファル公爵の旅立ち[1]

 破砕音(はさいおん)が屋敷中に響き渡った。

 脳天を突き刺す鋭さに、目が回るような衝撃が走る。

 投げ込まれた石によって窓ガラスが砕けたのだと、屋敷の者が理解するのにそう時間はかからなかった。

「……またか」

 レイ・テオバルトは重い溜め息を落とす。

 最早、屋敷に怯える者はいない。慣れてしまっているのだ。それくらい、呆れるほどに繰り返されている行為だ。

 侍女たちは素早く片付けに取り掛かり、衛兵たちは外へ向かっている。証拠は今回も上がらないだろう。執事が電話のもとへ走るのも手慣れたものだ。

 テオバルトは屋敷の東側へ向かう。もう窓ガラスを張っている意味はないのではないだろうか、などと考えながら、ひとつの部屋のドアをノックした。

「エレン! 無事か?」

 すぐにドアが開き、隙間から穏やかな顔が覗き込んだ。

「ええ、いつも通りです」


   1


 窓に石が投げ込まれるのは、もう慣れてしまった。突然破砕音が響くので驚きはするが、平静を取り戻すのはすぐだ。後片付けを手伝ったこともあったら、指をすっぱり切ったのでその役割はもうクビになってしまった。

 この公爵邸に平穏はない。常に監視されているし、新しい窓ガラスを張ればすぐに割られる。庭にゴミを投げ込まれることだってある。片付けが大変なので、そろそろ勘弁してほしい。いつも任される使用人たちが可哀想だ。

 しかし、そんなことはどうでもよかった。ガラスが何枚割られようと、たとえ屋敷を焼かれたとしても、どうでもいい。もうすっかり、関心がなくなってしまった。

 若きエレン・ファルが公爵位を継いだのが六年前のこと。この生活は、それからずっと続いている。

 だから、叔父のテオバルトが連れて来た新しい護衛にも、関心はひとつもなかった。侍女が隣町で買って来てくれた新しい小説のほうが、もう少し興味をそそられる。

「エレン。今日から護衛につくジークベルトだ」

「そうですか。よろしくお願いいたします」

 少し上げた視線をすぐ本に戻してしまったのは、さすがに失礼だっただろうか。しかし、エレンにとってはどうでもいいことだ。どうせ、すぐにいなくなるだろう。

「庭くらいになら出られるんじゃないか」テオバルトが言う。「たまには散歩でもしろ。足が腐るぞ」

「ええ、そうします」

 叔父に促されて新しい護衛が椅子に腰を下ろすのを視界の端に捉えながら、エレンは頬に触れる金髪を耳にかけた。そう言えば、長いこと髪を切っていない。そろそろ、侍女たちが意気揚々とはさみを持って来る頃だろうか。

 テオバルトが重々しく溜め息を落とした。

「エレン、私は仕事に行く。部屋の外へ用があるときは彼を連れて行くように。いいな?」

「はい」

 どうせ部屋の外に用はない。不用心にうろついて、投げ込まれた石がたまたま頭に当たりでもした日には、きっと叔父は卒倒してしまうだろう。寿命が縮みそうだといつも言っているくらいだ。余計な心労は掛けるまいとエレンは思っている。食が細くなったとも言っていた。それにしてはふくよかな体型はそのままだ。公爵邸の現状に憤懣やるかたないといった様子だが、早々に諦めたほうが気が楽だ。

 屋敷の中はいつも静かだ。使用人たちは仕事をしているだろうが、この部屋へ来る頻度は高くない。エレンはいつも窓際に椅子を持って来て、穏やかな風を受けながら本を読む。庭を見下ろせば、立派な庭園が眺められる。

 ふと、エレンは顔を上げた。新しい護衛に視線を遣る。

「どうぞ、自由に過ごしてください。と言っても、本を読んでいるくらいしかやることがありませんが。地下に書斎もあります。必要な物があれば使用人に言ってください」

 男は不審に満ちた表情をしている。それはそうか、とエレンは思った。護衛対象である自分に「自由にしてくれ」などと言われても、そうするわけにはいかないだろう。

 男は長身の細身だが、筋肉がしっかりついているのがよくわかる。短く整えられた紺色の髪に、瞳は鮮やかな青。男のエレンから見ても、端正な顔立ちをしていると思う。

 そこで、はたとエレンは気が付いた。

「……えーっと……」

「なんだ」

「お名前、なんでしたか」

「……ジークベルトだ」

「失礼しました。一度では覚えられないものでして」

 正直なところを言ってしまえば、覚える気がなかった、というだけだ。いままで叔父が護衛を雇ったことは何度かあるが、みなすぐに辞めてしまう。覚えても無駄だろう。

「……お前は命を狙われているのか?」

 淡々と静かにジークベルトが言う。エレンは頷いた。

「そのようですね」

 ゴミが庭に投げ込まれるのは嫌がらせにしても、窓ガラスを割られたり常に監視されていたりするのは、命を狙われているからに他ならない。幸い石が人に当たるようなことはいままでに一度もないが、監視されているというのは使用人たちに居辛くさせる要因のひとつだ。

 監視されていてもエレンが殺されていないのは、屋敷に魔法が掛けられているためである。エレンは部屋にいるときに窓を開けているが、安易な発想で言うとそのときを狙えばいい。しかし叔父が屋敷に掛けた魔法は、目眩ませの役割を担っている。人の気配を観測できないようにするためのものだ。そうでもしなければ、石が投げ込まれるたびに怪我人が出てしまう。怪我で済めば良いほうだ。

「爵位がある人間は、命を狙われるのが普通なのか?」

「……聞いたことがありませんか? ファル公爵の罪を」

 ジークベルトは訝しげに眉根を寄せる。エレンは本を閉じた。たとえすぐ辞めるとしても、一応は護衛として雇われたのだから、説明をしておく必要があるだろう。

「私の父の話です。一言で言えば殺人ですね。父は王命により処刑されました。それが六年前のことです」

「それと、お前が命を狙われることになんの関係がある」

「私の命を狙う者には、ふたつのパターンがあります。ひとつは、贖罪が父の処刑だけでは充分ではないと思う者。ひとつは、私を殺して爵位を奪おうとしている貴族です。後者のほとんどは、若い私が公爵位を継いだことが気に食わない者たちですね。父のときはありませんでしたから」

 嫌がらせや監視は、エレンが爵位を継いだ六年前から続いていることだ。始まった当初は大騒ぎだった。エレンを別邸に移り住ませることも検討されたが、衛兵や魔法使いによる探査で攻撃の特定に至り、叔父が魔法を掛けた。しかし石を投げ込む者は衛兵が駆け付ける頃には逃げているし、監視している者は魔法で姿を消している。こちらも魔法で目眩ませをすることができても、危険であることに変わりはない。エレンは別邸への移住をと叔父に言われたが、おそらく監視者によってすぐに情報が洩れてしまうだろう。手間を増やすだけだと、エレンはそれを拒否した。それに使用人たちが危険に晒される可能性があるのに、自分だけ逃げるのも卑怯な気がした。使用人も大事な者たちだ。

「……どうでもよさそうだな」

 ジークベルトが呟くように言うので、エレンは肩をすくめた。どうやら彼は人の感情の機微に(さと)いようだ。

「爵位は弟が継ぐ予定でしたので、元々どうでもいいです。後継者はいま叔父が探しているところです」

「その弟はどうした」

「暗殺を回避するため妻子とともに国外へ移住しました」

「公爵家はいまはお前と叔父だけか?」

「そうですね……。私に妻はいません。この状況では娶れませんからね。婚約者はいましたが、父の罪が発覚したときに解消しました。巻き込むのは申し訳ないですから」

 弟は賢明な判断をしたと思う。屋敷を出るとき何度も謝ってくれたが、当然の行為だと諭し見送った。弟は「兄さんもこの屋敷を出てくれ」と言ったが、弟に追手が行かないためにも、この屋敷に自分が留まることが最善だと思えた。

 婚約者は解消を望まなかった。ともに状況を改善させようと考えてくれていた。心から愛してくれていたことはよくわかるし、エレンも彼女を愛していた。だからこそ巻き込みたくなかった。説得は骨が折れることだった。納得はしてくれていないようだったが、彼女の保身を優先させることが大事だといまでも思っている。最終的に叔父が諭し、婚約の解消を発表した。これで彼女は安全なはずだ。




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