第一章 この縁談……破断させていただきますっ!(1)
──連なる山々を背にした、港湾の古都・ズィルマ。
よその都市部ではコンクリート製の建物が立ち並ぶこの時勢。
木造の邸宅と商業施設が街の多勢を占める、潮風と木の香が同居する都。
この地では古来、細い目……いわゆる糸目が美しいとされている。
糸目は形状によって三タイプに分類され、弓の弦になぞらえた序列がある──。
常に真横に閉じた印象の「弦・糸目」。
さらに良きとされるのが、常に微笑んだ印象の「下弦・笑み糸目」。
さらにさらに良きとされるのが、常に伏せた印象の「上弦・伏せ糸目」。
上弦・伏せ糸目は百年か千年かに一人と言われる逸材で、いまその存在は知れず、事実上この地で最も美しいのは、下弦・笑み糸目である。
「ふああああぁ……」
その希少な笑み糸目を持つ令嬢、フィルル・フォーフルール。
ズィルマの歴史ある豪族、フォーフルール家の麗しき十七歳。
フィルルは新興の豪商、ラッシュ家の邸宅、その最上級の客間にて、お見合いの場でありながら、生あくびを発していた。
「……あら。これは失礼を。ウフフッ♥」
微笑に見える下弦の糸目を、さらに湾曲させた笑顔で取り繕うフィルル。
細く長い指を揃えた右手で、口紅鮮やかな唇を隠す。
白く丸い木製テーブルを挟んで座るのは、見合い相手の美青年、ドグ・ラッシュ。
ドグもすぐに愛想笑いを返して、やや乱れた雰囲気を均した。
「……はははっ、さすがフィルルさん。あくびの顔もお美しい。しかし、あなたを退屈させてしまった己の不甲斐なさ、猛省せねばなりませんね」
「いえ。わたくしこそ、お恥ずかしいところを……。昨晩、面白き推理小説に当たってしまったもので、つい遅くまで読みふけって。ドグ様は、読書は?」
ただの気の緩みゆえのあくびを、フィルルは適当な嘘と質問でごまかす。
ドグは疑う様子もなく、その質問への返答を思案。
「本……ですか? いや、わたしはあまり……。もちろん勉学には励んでおりますが、趣味の読書……娯楽本や俗書の類は、長らく目にしていませんね」
「あら、そうですの?」
「ええ。娯楽で目を酷使し、眼鏡のお世話になってはつまらないですからね。ははっ!」
(チッ……!)
フィルルは閉じた唇の奥で、小さく舌を鳴らしながらドグをあらためて見る。
テーブルから上だけでもわかる、恰幅の良さ、背の高さ、脚の長さ。
顔は小さく、顎は尖り、鼻は高く、目はやや釣り目ながらも形良い。
濁りのないライトブラウンの瞳。
総じて整い、加えて利発そうな印象の容姿。
しかしフィルルには、それだけでは大いに物足りない。
(眼鏡が……眼鏡が足りないのですっ! わたくしのお見合い相手にはいつも! ああもう……眼鏡男子以外は……わたくしに近づかないでくださいなっ!)
フィルル・フォーフルール、十七歳。
天から腕力も富も血筋も、そして当地における美の象徴たる笑み糸目をも、授かりながらも──。
──重度の、病的な、眼鏡男子フェチ。
この古都・ズィルマでは、眼鏡をかける者を、風雅に欠けた野暮助としている。
人は視力が低下すると、ついつい目を細めてしまう。
この所作が「無理に糸目を作っている」と解釈され、視力を補うためのものである眼鏡の印象も、野暮ったいものだとされていた。
(わたくしは……物心ついたときからの、無類の眼鏡男子好き……。初恋の男子? 好きな本の登場人物? 行きずりの旅人? なにがきっかけかは、もう忘れましたが……。わたくしは! 眼鏡の! 男性と! 婚約! したいのですっ!)
フィルルはノー眼鏡男との縁談の場にいることへの退屈さと不快感を、生来の笑み糸目でごまかしつつ、心中で欲望を喚く。
(幸いわが家の後継ぎには、ファルン兄様がおります。わたくしは、家を出ようとすれば、出られる身ですが……。このズィルマの地を一歩出た瞬間! わたくしは! 目が細いという! 野暮ったい印象の女に……速攻で転落! この地における糸目のアドバンテージ……加護を、失ってしまうのです! おお……!)
上物の眼鏡男子と恋仲になるには、古都・ズィルマの恩恵を受けねばならない。
しかし眼鏡が野暮ったいとされるこの地では、上物の男子ほど瞳のケアに気を配り、眼鏡をかけない。
その相反する条件が、縁談話が絶えない名家の令嬢に、重くのしかかった────。