婚約破棄されたうえ追放されたお飾り聖女ですが、呪われたからって今更泣きつかれても、もう遅いです
「お前が聖女であろうが関係ない。俺はお前を愛していない、だから婚約は破棄する」
私、セラ・シェルフィードは、この国フルーフェルに「聖女」として生まれた。
聖女というのは、呪いを浄化できる能力を持った者のことだ。
そんなふうに言うと、なんだかすごい感じがするけれど――
この国において聖女というのは、単なるお飾りだ。
理由は単純。かつて数千年にも渡り呪いを撒き散らしていた不老の魔王は、百年前、とうとう人間の勇者様に討伐されたから。
呪いというもの自体が、もはや過去のものとなり、もう聖女の力は必要なくなった。
それ自体は、とても素晴らしいことだと思う。
誰だって、呪いを受けたくなんてない。
聖女の力なんてなくても平穏に生きてゆける。それはとても幸せなことだ――が。
「もともと、役立たずの『お飾り聖女』のくせに、この国の第二王子である俺の婚約者でいられたことがおかしかったんだ。俺はおまえなんかじゃなく、本当に愛する者と結婚したい」
「ごめんなさい、セラ……。あなたの婚約者を奪うような真似、したくなかったのに。私、ユベル様を心から愛してしまったの……」
私の婚約者――いや。「元」婚約者であった、この国の第二王子であるユベル。
その腕の中にいるのは、社交界などでよく顔を合わせていた侯爵令嬢、エイミーだ。
「そう……エイミーのおかげで、俺は真実の愛に気付けたのだ。セラ、お前は可愛げがないし、俺に甘えたり、頼ったりもしてくれない。だがエイミーはとても可憐で純粋で、エイミーといると、俺は心が安らぐのだ……」
うっとり、と陶酔した様子でエイミーを見つめるユベル。
もはや、どこから突っ込んだらいいのかわからない。
だけどとりあえず、指摘できるところから指摘してゆく。
「ユベル様……あなた、騙されています。エイミーは純粋な子ではありません。私、昔からエイミーに意地悪なことばかりされてきたんですよ」
エイミーは昔からユベルを狙っていて、婚約者である私に嫌がらせをしてきた。
わざと私の服に飲み物をかけたり、私の持ち物を壊したり……。
陰湿な嫌がらせにずっと困っていたけれど、ユベルが言った通り、私は彼に頼ることはなかった。
困ったらすぐ婚約者に頼るような、弱い女だと思われたくなかったし。
それに、王子であり日々社交などで忙しい彼に、甘えてはいけないと思っていたから。
お飾りの聖女なんかじゃなく、「王子の婚約者」として相応しい人間になりたくて。
ずっと努力してきた。なのに……
「セラお前、エイミーを侮辱するのか! 婚約破棄されたくないからといって、見え透いた嘘をつくな! 心優しいエイミーが、意地悪などするはずないだろう!」
どうしよう、頭が痛くなってきそうだ。婚約者だった人が、こんなにも愚かだったなんて。
(人の婚約者を奪って平気な人間が、心優しいわけないでしょう……)
元婚約者とはいえ、ここまで馬鹿さかげんを見せつけられたら、一気に気持ちが冷えてきた。
「……はあ、わかりました。それでは婚約は破棄ということで、了承します」
王子に婚約破棄されるなんて、大変に不名誉なことではある。
だけどお飾りであっても、私は聖女だ。
婚約が破棄されたからといって、そんな凄絶に酷い目にあうとかはない……はず。
そんな、甘いことを考えていた。
このときまでは。
◇ ◇ ◇
「セラ! セラはいるか!」
もう二度と顔を合わせることはない、というか顔を合わせたくないと思っていたユベルが私のもとを訪ねてきたのは、婚約破棄から一ヶ月後のことだった。
ちなみに婚約破棄された後、私は家に引きこもっていた。
王子に婚約破棄されたことを、両親からは嘆かわしい、醜聞だと責められた。
そうは言われても、悪いのは勝手かつ一方的に破棄を言い渡してきたユベルなのだが。
何せ相手は王族だ。我が家は聖女の家系とはいえ、王子と「お飾り」では、どうあがいたって分が悪い。泣き寝入りするしかなかった。
そして、いろいろな噂が落ち着くまでなるべく家の外に出るな、と両親から言われたのだ。
とはいえ私は、もともと外に出るより家の中で小説を読んだりしているほうが好きなタイプなので、これを機にまったり自由を満喫していた。
家の中にこもっていても、好きな小説を読み漁っていられれば、私は幸せだったというのに。
この第二王子サマは、その幸せすらぶち壊すというのだろうか。
「なんのご用でしょうか、ユベル様」
内心でどんなに面倒だと思っていても、相手は第二王子。
敬語を使わず話して、不敬罪とか言われたらたまったものではない。
冷静に、けれど卑屈になることなく話す。
「エイミーが……エイミーが呪われたのだ。このままでは命を落としてしまう」
「――え」
呪い。その存在自体は、聖女としてもちろん知っている。
だけど、呪いなんて過去のもの。
現代ではもはや御伽噺に等しいものだと。
私だけでなく、この国の誰もが思っていただろう。
「最初は、何かの病ではないかと思い、医者に診てもらった。だがどんな名医に見てもらっても、これは医術では治せないと言われ……。あらゆる医者や魔法使いにエイミーを見せた結果、これは呪いだという結論になったのだ」
「……それで、私にエイミーを治癒させようというのですか」
私よりもエイミーのことを好きになったからと、人をゴミのように捨てておいて。
エイミーが呪われたからといって、都合よく力を使おうというのか。
なんという身勝手。なんという傍若無人。
そんな思いを込めてじとっとユベルを見ると、さすがに気まずいようで、ぐっと言葉を詰まらせていた。
「うるさいうるさい! 今までずっとお飾りだったのに、やっと俺の役に立てるのだ! 感謝しろ」
うっわあ。うん、あまりにもアレすぎて、もう「うっわあ」としか言えない。
ため息を五千回くらい吐きたい気分とはいえ――
いくらなんでも、命を落としそうな人を、見捨てることはできない。
「……わかりました。聖女として、私は自分の役割をまっとうします」
とっとと呪いを浄化してしまおう。
そして今度こそ、ユベルの顔もエイミーの顔も二度と見たくない。
◇ ◇ ◇
ユベルに連れられて、エイミーの住む屋敷へ行くと――
ベッドに横たわるエイミーは、悲惨なことになっていた。
いつも着飾っていて、上質な化粧品で輝くようだった肌に、禍々しい模様が浮かんでいる。
更に、指先はまるで魔獣のように鋭く変化していた。
体調もかなり悪いようで、ぜえはあ、と苦しそうに息をしている。
(これは……想像していたより重症だわ)
相手がエイミーとはいえ、思わず同情してしまうくらいには、辛そうだ。
隣に立つユベルは、目に涙を浮かべてエイミーを見つめるが――
「あんなに美しかったエイミーが、このような姿に……。ああ、なんて残酷なことだ。このままじゃ愛せない」
――彼の涙は、エイミーを思いやっているわけではなく。
「かわいそうな自分」という悲劇に酔ってのもののようだ。
せっかく美しい女性と結婚できると思ったのに、呪いによって彼女が醜くなってしまった。自分はなんてかわいそうなんだ、と。あまりにも身勝手で、吐き気のする嘆き。
私は今度こそ、本格的にエイミーに同情した。
愛を誓った相手でも、醜くなれば愛せないなんて平気で言うこの男は、呪いなんてなくても、いつかエイミーのことを捨てるだろう。もっと美しく、もっと若い女性がいれば悪びれずもせず乗り換えるのだ。
そう考えると、私は婚約破棄をしてもらって本当によかった。
こんな男と生涯を共にするなんてとんでもない。
私の方から破棄するには身分的に問題があるから、ユベルから言ってもらえたのは、今となっては万々歳だ。
「すぐに、癒しの力を使いますから」
私はエイミーの前に立ち、聖女の力を発動させる。
お飾りではあっても、聖女としていざというとき人の役に立てるように、この力を使う勉強と練習だけは、幼い頃から何度となくしてきた。
――お飾りでない聖女としてこの力を使える相手が、エイミーだというのは、皮肉なことかもしれないけど。
「!」
私の周囲に柔らかな光が生まれ、ユベルが息を呑む。
木漏れ日のような淡い煌めきは、やがて私からエイミーのもとへと移り、彼女の身体を包み込んでゆく。
「なんと……!」
思わず、ユベルが感嘆の声を漏らした。
光に包まれたエイミーの身体から、呪いによる禍々しい模様が消えてゆくのだ。
血色が悪くなっていた頬も薔薇色になり、渇いていた唇も潤いを取り戻す。
(これが、聖女の力……)
私も、こんなにちゃんと呪いというものを浄化したのは初めてだ。
だから、自分でも驚いた。
美しい光が全てを癒やし、苦しみを取り除く。
まさに、奇跡としか言いようのない光景だった。
「……! 身体が、楽になった……!」
エイミーは、ベッドから跳ね起きる。
禍々しい模様のなくなった自分の手や腕を見ると、目を潤ませていた。
それを見て、ユベルもまた目に涙を浮かべ――
「よかった! 元の美しいエイミーに戻ったな」
仮にも愛する相手の呪いが浄化されて、真っ先に言う言葉がそれ……?
あんたにとって重要なのはエイミーの美しさで、彼女の健康とかはどうでもいいんかい。
ろくでなしだとは思っていたが、ここまでだとは、どん引きだ。
まあ、もう私の婚約者ではないので、どうでもいいけど。
むしろ、こんな男と結婚しなきゃいけないエイミーご愁傷様、という感じ。
というか、今はそれより、もっと気になることがある。
「呪いなんて、過去のものだったはずなのに。一体、どうしてエイミーは呪われたのでしょう。エイミー、何か思い当たることはない?」
「……っ、あ、あるわけないでしょう。私は、呪われるようなことなんて、何もしてないわ!」
「でも、何もせず呪われたなんて不思議だし。些細なことでもいいから、何か思い出せない? どこか、呪いを受けるような場所や道具があるなら、それを浄化しないと、また次の犠牲者が出る可能性があるわ」
「わからないって言っているじゃない。私を疑っているの? 私はおかしな呪いにかかった、被害者なのに!」
「いや、そういうことじゃなくて……」
「おい、エイミーをいじめるな!」
はい? これのどこが、いじめだというのか。
聖女として、呪いの犠牲者を増やさないために、原因を特定したいだけなのに。
「ああ、そうか。原因はお前なんじゃないのか、セラ」
「――はい?」
「お前、婚約破棄されたことで、エイミーを恨んでいたのだろう。だからエイミーを呪ったのだな! それを聖女の力で浄化してみせれば、私の気を引けると考えたのだろう、そうなのだろう!?」
あっはっは。呆れて物も言えない、もはや乾いた笑いが込み上げてくる。
聖女の能力は呪いの浄化であって、呪うことではない。
私が誰かに呪いをかけるなんて、できるはずがないのだ。
迷惑なストーカー女でも睨みつけるかのような形相のユベルに、私はにっこりと微笑みを浮かべる。
「ご安心ください、ユベル様。私、あなたのことは、これっぽっちも愛しておりませんので。あなたの気を引こうなんて考えておりません、むしろあなたに好かれるなんて、考えただけで虫唾が走りますわ」
「ふん、強がりおって。どうせ俺に未練があるのだろう」
「まあ、うふふ……」
にっこり、にこにこ。
度を越えた呆れは、一周回って人を笑顔にするものなのだなあ、と初めて知った。
「お言葉ですが、家や国の未来のために昔から決められていた婚約を、身勝手な理由で一方的に破棄したうえ、エイミーの人となりについて進言しても聞く耳を持たず、それでいて呪いで困ったら情けなく私に頼って、礼を言う前にそんな馬鹿げたことを仰る呆れたお方のどこに、未練を持つ要素があるというのでしょう?」
詰まることなく、笑顔のまま言った。
ユベルは、こんなことを言われるのはまるで予想外だった、とばかりに、ぽかんと口を開け間抜け面をしていた。
あんな婚約破棄をしたくせに、私がまだユベルに未練があるだなんて、本気で思っていたのかしら。
口を開けっぱなしだったユベルの顔は、みるみるうちに赤くなってゆく。
「第二王子であるこの俺に、なんて無礼な! お前みたいな女、この国から追放してやる!」
――呪いを浄化したというのに礼の一言すら述べず、それどころか、こんなことを言うなんてね。
その言葉で、もう決心がついた。
私は既にこの男の婚約者ではない、自由の身だ。
だったらもう、自分の幸せのために生きたっていいでしょう?
「ええ。言われなくても、こんな国、こっちから出て行きますわ」
◇ ◇ ◇
行くあてなんてない。
この先のことなんて何もわからない。
それでも、心は不思議と軽やかだった。
だって私は今、とても自由だから。
「あーんなふざけた王子とも、国とも、親ともおさらば! 自由サイコー!」
今まで住んでいた国・フルーフェルから、隣国ニースフェンへと続く道中の森で、私はルンルンとスキップをしていた。
先のことなんて何もわからないのにこんなにポジティブでいるのは、前向きというか愚かなのかもしれないけど、それでもあんな国にいるよりはずっとマシだ。
一応、聖女の力として、呪いの浄化以外にも、水の浄化や回復もできるので、この力を使えばどこへ行ってもきっとなんとかなるだろう。……多分。
「――ん?」
そのとき――グルルルル、とまるで魔獣の鳴き声のようなものが聞こえた。
「まるでっていうか、これ魔獣の声っ!?」
前方を見ると、黒い鱗に包まれた、大型犬くらいの魔獣が唸り声を上げている。
(あれ……でも、ちょっと待って)
まるで、黒い紙の上に白い墨で書き殴ったように、見覚えのある模様が浮かんでいる。
(あれ、エイミーにも浮かんでいた模様! ……まさか、呪いによって人間が魔獣化してしまったの!?)
だとしたら、放っておくことはできない。
私はすぐさま聖女の力を発動させ、魔獣の呪いを浄化しようとし――
「ァア……グ、ァアアアアアアアアア!」
魔獣は、もとは人間なのだろうが、呪いによって理性を失っているようだ。
自分を蝕んでいる呪いに苦しみもがくように、悲痛な声をあげて暴れる。
「大丈夫! 落ち着いて」
鋭い爪で引っかかれ、頬から血が流れる。
だけど私は、逃げずに魔獣に手を伸ばした。
(今までずっと、「お飾り」の聖女だと言われてきた。でも、せっかくこんな力を持って生まれてきたんだもの……。私に助けられる人がいるのなら、助けたい)
「大丈夫……必ず、助けるから」
黒く硬い鱗を、そっと撫でる。
そうして、聖女の力を発動させ――
「……!」
眩い光に魔獣が包まれると――
次の瞬間、私の前には、とても美しい青年が立っていた。
明け方の陽の光のような金髪。
澄んだ海のような青い瞳。
通った鼻筋、精悍かつ優美な顔立ち、品のいい佇まい――
どれをとっても、まるで奇跡のような造形で、思わず目を奪われた。
「まさか、元の姿に戻れるなんて……助けてくれて、ありがとうございます」
青年は恭しく礼をし、感極まっているような顔で私を見つめる。
「呪いに蝕まれ、とうとう全身が魔獣と化し……理性まで失っていたところで、あなたの声が聞こえました。もうろくに思考することもできず、暗闇の中で、わけもわからずもがき苦しむ感覚だったのですが……。あなたの『大丈夫』という声は……確かに、私の胸に届きました。本当に、ありがとう……」
彼はその場に膝を着き、最大限の感謝を表すように頭を垂れる。
「い、いえ! 私は聖女として、するべきことをしただけですから」
こんなふうに全身で感謝を表してもらうことになんて、慣れていない。
照れくさくてドギマギしていると、彼がじっと私の顔を見つめる。
「……その傷。私のせいですよね」
「え、あ……」
私の頬には、さっき魔獣化して理性を失っていた彼がつけた傷がある。
「大丈夫です、気にしないでください! このくらい、治癒できますので」
聖女の力を使って、自分の傷を消してみせる。
彼は、心からほっとしたような、優しくて綺麗な笑みを浮かべた。
「よかった……。ああ、いえ。傷が消えたことはよかったとはいえ、あなたに傷を負わせてしまったことは、何もよくありませんね」
「いえいえ。呪いのせいだったんですし。気にしなくて大丈夫ですって」
「でも、痛かったでしょう? それに……怖かったでしょう」
彼は私の頬、さっきまで私の傷があった場所を、そっと包み込むようにしてくれる。
その掌からは、心から私を労わる優しさが伝わってきて……なんだか、少しも嫌じゃなかった。
「あなたは勇敢で……とても、優しい方だ」
――嫌じゃないどころか、ドキンと心臓が音を立ててしまう。
澄んだ青い瞳で、まっすぐに見つめられると、身体が溶けてしまいそうだ。
「治癒できたからといって、あなたを傷つけたことを、なかったことにしていいわけがありません。傷の責任を、とらせてください」
「そんな、いいですって……」
「あなたは、どこかに行く途中だったのですか?」
「え、ああはい、ニースフェンまで。といっても、具体的に行くアテはないんですけど……」
国を追放された経緯を簡単に説明すると、彼は驚いたように目を見開いた。
「なんと……今まで、大変だったのですね。そういう事情であれば、ぜひ我が国にいらしてくださ」
「我が国?」
「私はニースフェンの王子、ヒースと申します。あなたを、私を救ってくださった聖女様として、我が国にお迎えいたします」
◇ ◇ ◇
そこからは、あれよあれよという間に話が進んでいった。
ニースフェンの城に「王子を救った聖女」として迎え入れられた私は、瞬く間に人々に崇められ、元いた国では考えられないような好待遇を受けることになった。
ちなみに、ヒース様が呪いにかかってしまった経緯だが――
ヒース様は優しく国民想いの王子であるため、国民からも大層慕われている。
そんな彼だが、ある日城を浮遊していた謎のモヤから王を守った結果、呪いにかかって魔獣化してしまったらしい。
魔獣化が進行するにつれ人間としての理性も薄れておき、このままでは暴走して臣下や民衆を傷つけてしまうと考えたヒース様は、国を出て、人々のいない森へ逃げ込んだ。
そこで、私と出会ったというわけだ。
ニースフェンの人々は、ヒース様はもう戻ってこないものだと嘆き悲しんでいたため、私と共に城へ戻ったときは皆歓喜の声をあげて、盛大な祝福のパーティーが行われたほどだ。
「聖女殿、あなたのおかげだ。ヒースを救ってくれて、本当にありがとう」
「こ、国王陛下! いえ、そんな。私は聖女として、当然のことをしたまでです」
「だが、ヒースは本来は心優しい男だとはいえ、魔獣化した際は恐ろしかっただろう? なのにあなたは、逃げることなく、ヒースを励まし、聖なる力で包んでくれたと聞いた。あなたは、本当に素晴らしい聖女殿だな」
「ま、誠にありがとうございます……」
祝福のパーティーでは、ニースフェンの国王陛下から直々に感謝の言葉を賜り、周囲からは尊敬の眼差しで見られるとともに盛大な拍手を送られた。
それ以降も、私は過分なほどの生活を送らせてもらっている。
お城の、天蓋つきのふかふかなベッドがある広い部屋を与えられ、食事は毎日三食おやつ付き。読書好きな私にはありがたいことに、お城の書庫にも出入り自由。晴れた日は、綺麗な花が咲き乱れる庭園をお散歩したり、アフタヌーンティーを用意してもらったり、至れりつくせりだ。しかも……。
「セラ様、新しいドレスです! さあ、お着換えしましょう」
「今回のドレスも、きっとセラ様にお似合いです~!」
メイドさん達が非常に気さくで、なぜか私を着せ替えるのが大好きだ。
ニースフェンの王妃の子は、偶然なのだが男子ばかりで、現王族には女性が少ないらしい。
だからメイドさん達は、女である私のお世話をするのが新鮮で楽しいそうだ。
なんだか着せ替え人形にでもなった気分だけど、正直、嬉しい。
前の国では、「聖女は姫ではないのだから、あまり華美な服装は避けるように」と言われ、質素な服にばかり身を包んできた。だから、フリルやリボンのついた綺麗なドレスに、密かに憧れていたのだ。
「さあさセラ様、お花の髪飾りもつけましょう!」
「お口に紅をさしましょう!」
(なんだか本当に、着せ替え人形だなあ……)
されるがままになっていると、部屋のドアが、コンコン、とノックされる。
「失礼。セラ様に話が……おや?」
入室してきたのは、ヒース様だ。
新しいドレスに身を包んだ私を見て、彼はかすかに目を見開く。
「……あなたはもともと美しいですが、そのドレスを着た姿も、とても綺麗ですね」
にっこり、と。ヒース様は、極上の笑みでまっすぐ言い放つ。
そ、そんなにまっすぐ言われたら、なんだかドキドキしてしまうのですが……!
「あ、ありがとうございます。そ、それでその、何かご用でしょうか?」
「ああ、失礼。呪いについての調査報告を、と思いまして」
「……! ありがとうございます」
呪いなんて、本来は過去のものだった。
なのにどうして、最近になって急に呪いがまた発生し出したのか。
原因が解明できなければ、また次々と被害者が出てしまうかもしれない。
だからヒース様に、呪いについての調査をお願いしたのだ。
(こんな早急に対応してくれるなんて。本当に、ユベルとは大違い……)
城に仕える魔法使い達が、魔法の力で調べたという、報告書に目を通すと――
「……! これは……」
◇ ◇ ◇
私が元いた国・フルーフェル。王城の、ユベルの部屋にて――
「ユベル様、しっかりしてください、ユベル様!」
「ぐ……っ。うぅ……」
全身を呪いによる不気味な模様に包まれ、指先から魔獣化が始まっているユベルは、ベッドに横たわってもがき苦しんでいた。
「お、おまえのせいだぞ、エイミー……! おまえが、宝物庫に封印されていた宝箱を開けたりするから……っ!」
「何それ! ユベル様が、宝物庫にあるものをなんでもやるって、ドヤ顔で言ってきたんじゃない! 高価なものが入っていそうだからあの宝箱を開けたのに、呪われた宝玉が封印されていたなんて詐欺だわ! 私のせいじゃないもん! 悪いのは私を宝物庫に入れたあなたでしょ!」
「なんだとぉ!? ぐ……ゴホ、ゴホッ!」
「……なるほど。そういうことだったのですね」
一連の、聞くに堪えない話を聞いていた私は、深いため息を吐く。
「自分達で封印を解いて、呪われるなんて……。まさに自業自得じゃありませんか」
「ゴホッ……って、ん!? セラ!? なぜおまえがここに!?」
「何それ、あんためっちゃいい服着て……ってか隣の超絶美形は誰よ!?」
私の存在に気付いたユベルとエイミーは、目を丸くして驚いた。
「呪いの調査報告書を読んだ結果、呪いの発生源はこの城の宝物庫だと判明しましたので。城の人々、多くの国民……それどころか、呪いによる被害は隣国のニースフェンにまで及んでいます。一刻も早く呪いの発生源を浄化しようと思い、参りました。私が聖女だということも、エイミー様を浄化したことも皆知っているので、兵士さん達も簡単に城に入れてくれましたしね」
淡々と説明すると、ユベルはじいっと私を見たあと、ふっと笑った。
「は……はは! なんだが長々と言い訳をしているが、つまり、俺が心配で来てくれたのだな!?」
「違います、全然違います、絶対違います。虫唾が走るのでやめてください」
「照れなくていい。そんなに綺麗な服に身を包んで、化粧もして、少し見ない間に美しくなったじゃないか。今のおまえなら、また傍に置いてやってもいい」
「……あなたは本当に、他人の美醜にしか興味がないんですね」
そりゃあ私だって、ヒース様に微笑みかけられればその美形っぷりにうっとりしてしまうし、気持ちがまるでわからないわけではない。人間、誰しもそういう部分は持っているのだろう。
だからといって、エイミーが呪いにかけられていたときさえ、彼女の健康よりも、美貌が損なわれたことを嘆いたり。ひさしぶりに会った私に対して、真っ先に見るのが容姿だったり。いくらなんでも、ユベル様は酷すぎると思う。
「な、なんだ。なぜそんな冷たい目を、俺に向ける? おまえは、俺を助けにきたんだろう!? ゲホ……ッとっとと呪いを解け! そうしたら、また愛してやるから!」
ユベルはベッドから起き、私に近付こうとする。
けれど呪いに蝕まれている彼は、足に力が入らないようで、ドテッとベッドから落ちた。
「セ、セラ……! 頼む、俺にはもう、おまえしかいないんだ……!」
ひどく情けない姿になってもなお、ユベルは私に縋りつくように、手を伸ばしてくる。
いっそ哀れになったけれど、ユベルの手が私に触れる前に、ヒース様がさっと私を守るように前に立ち、彼に問う。
「呪いの原因となった宝玉はどこですか。セラの力で、それを浄化してもらいます」
「そ、そんなことより、まず俺のことだろうがっ! そこをどけ! その女に、俺の呪いを浄化させろ!」
フルーフェルとニースフェンは国交があるし、ユベルはヒース様が何者か、わかっているはずだと思うが。呪いで切羽詰まっているとはいえ、あまりに傍若無人な振る舞いだ。
ヒース様は青い瞳をすっと細める。
いつもは穏やかな海のような瞳が、今は氷のように見えた。
「――答えろ。呪いの根源は、どこだ」
ヒース様の放つ迫力に、ユベルはビクッと怯えた顔をする。
「ほ、宝物庫の、一番奥……。俺達が封印を解いたことが誰にもバレないよう、隠し扉の中にしまってある」
まったく。最初から隠さず私に言っていれば、こんなに被害は大きくならなかったし、ヒース様だって呪われずにすんだというのに……。
(てか、ユベルは呪いの原因が自分達だってわかっていたうえで、責任転嫁のためだけに、聖女の私を追放したってことよね? 本っ当に、何も後先を考えていないんだな)
「行きましょう、セラ」
「はい、ヒース様」
ヒース様は城の廊下を早足で進みながら、警備の兵士達に声をかける。
「呪いの根源は、宝物庫にあると判明しました。宝物庫を開けてください!」
王家の宝物庫なんて本来は簡単に入れる場所ではないが、私が聖女で、今は非常事態ということもあり、許可が下りた。
ユベルが言っていた場所を探ると、確かに、いかにも大切なものが入っていそうな宝箱があった。中を開けると、禍々しい黒いモヤに包まれた、黒い水晶玉のようなものが入っている。
「これが、呪いの根源……」
「セラ様、浄化できますか?」
「今までの呪いより、格段に強力そうですが……やります」
自分の中の、聖女の力を解放する。
眩い光が呪いの宝玉を包み込み、呪いを打ち消してゆく。
「……っく」
けれどやっぱり、さすがに呪いの根源は強力だ。
エイミーやヒース様の呪いを浄化したときのように、簡単にはいかなさそう。
はっきり言って私は、ユベルのことなんてどうでもいいし、この国にも未練はない。
だけどこの呪いの根源を放置していれば、ニースフェンにも被害が出る。
それに、ユベルやエイミーは自業自得だったとしても、他の人に罪はない。
理不尽に呪いにかかってしまう犠牲者を、これ以上、一人も出したくなかった。
(もう、「お飾りの聖女」なんて言われるのは嫌。これ以上被害者を出すのも嫌。絶対に、浄化してみせる……!)
「……っ!!」
自分の身体の中にある全ての力に命じるように、最大限、聖なる力を放出する。
すると――黒水晶のようだった宝玉から、黒いモヤが晴れ、どこまでも澄んだ水晶になる。
「すごい……! 呪いの根源を、浄化できたのですね」
「ええ、ヒース様。ですが、まだ喜んではいられません。呪いの根源の浄化は、あくまで『これ以上呪いにかかる人を出さない』ためのもの。既に呪いにかかっている人達については、一人一人、呪いを浄化していかなければ」
私は、一緒に来ていた城の兵士さん達の方を見て、告げる。
「既に呪いにかかっている人、呪いの兆候がある人は、私の方へ! すぐに浄化します」
「お、俺、まだ他の奴らよりはマシだからって今日も働かされてるんだけど、呪いの兆候が出てるんです! 浄化してください!」
「俺もお願いします!」
「他の、呪いにかかってる奴らも集めてくる!」
私の前に、呪いにかかった人の列ができ、私はそれを一人一人浄化してゆく。
強力な呪いの根源の浄化に比べたら、一人ずつ浄化していくことは、人数は多くても楽ではあった。
「す、すごい! ずっと苦しかったのに、一気に身体が楽になった……!」
「さすがは聖女様だ! 本当にありがとうございます!」
「ああ、なんでユベル王子は、我が国からこんなお方を追放してしまったのか……!」
呪いを浄化された人々は、みんな歓喜し、中には感涙する人々までいた。
(よかった。みんなが元気になって、笑顔になってくれるのは、やっぱり嬉しい)
そんなふうに、一生懸命みんなの浄化をしていると――
「お、おい! なんで、王子である俺を差し置いて、他の下等な奴らを先に浄化してるんだ! 俺の呪いを浄化しろぉ!」
ゼイゼイと息を切らしながら、床を這いつくばって、ユベルがやってきた。
そんなユベルが私の前にやってくる前に、ヒース様がすっと彼の前に立つ。
「――セラ様。そして、皆様。私から一つ、頼みがあるのですが」
「……? なんでしょう、ヒース様」
彼はにっこり、と。それはそれは優美な微笑みを浮かべながら。
「ユベル王子には、死なない程度に、呪いを残してあげてください」
美しい声で言われた言葉に、ユベルはゾンビのような顔で「んなぁー!?」と声を上げた。
「今回の、この大規模な呪いの騒動を巻き起こした原因は、彼とその婚約者にあります。……前々から、国交の中で、ユベル王子の浅はかさには辟易していたのですが。隣国の王子がこれでは、この先我が国にも迷惑がかかります。実際、今回の呪いで、ニースフェンにも被害は出ているのですから」
それはまったくもってその通りで、今回フルーフェルは、他国にまで呪いを発してしまった、賠償をしなくてはならない立場だ。
というか、もともとフルーフェルとニースフェンでは、ニースフェンの方が、これまでの歴史や国の規模からいっても、立場は圧倒的に強いのだが。
「なるほど、確かにそうですね……というか、ヒース様が思いっきり被害者ですものね」
「――いえ、私のことはいいのです。私が言いたいのは、そういうことではなく――」
(ニースフェンの民や……フルーフェルのことであっても、罪のない人々が被害を受けたことは、許せないのだろうな)
「……ともかく。彼のような人間は、一度、思いきり痛い目を見ないと懲りないでしょう」
「それは……確かに、私もそう思います」
大きく首を縦に振ると、周りの兵士さん達も頷いた。
「ずっと耐えていましたが、今回の呪いの件では、私も妻子も危うく命を落とすところでした」
「不敬で罰せられる覚悟で言いますが、ユベル王子がこのままでは、この国の未来に関わります」
兵士の皆さんも、ユベルの愚かさ、傍若無人さを嘆いていたらしい。
本来、お城に仕える兵士がこんなこと言わないと思うが……
それほどユベルが昔から、日常的にずーっと酷かったということ。
これは単なる愚痴などではなく、この国の未来を憂いてのことなのだ。
すると、そこで後ろから声がして――
「話は全て聞いていた。私が許可しよう」
振り返ると立っていたのは、フルーフェルの国王陛下だ。
「国王陛下!?」
「父上!? 何を言っているのですか!」
「黙れ、馬鹿息子が……」
国王陛下は、氷のような目でユベルを一瞥する。
ユベルは、父でありこの国の最高権力者である彼のその視線に、ビクッと肩を震わせた。
「ユベル、お前は昔から本当に愚かだった。年齢を重ねれば、自然に成長していくだろうと思い、今まで看過してきたが……。今回の呪いの件で思い知った。私はお前に甘すぎたようだ」
陛下は冷たい声でそう言い放った後、更に続ける。
「お前の呪いは、しばらく残しておく。そして、呪いを浄化した後は、裁きだな」
「さ、裁き……? なんですか、それは」
「お前とエイミーは、勝手に封印を解いて国に呪いを蔓延させた、罪人だ。裁きを受けてもらわねば、国民達は納得できないだろう。だから国民投票を行い、正式にお前の罰を決めようと思う」
これほどおおごとになってしまった以上、国の人々の感情などを考えると、そのくらいするべきなのかもしれない。
今はまだ、呪いが蔓延していて国民達は混乱しているし、浄化が何より優先だ。
だから少し間を置いて、それから国民投票を行う。
その間、ユベルには呪いで苦しんでもらう、と。
「もともと、王位は第一王子のオズワルドが継ぐ予定だったから、お前らがどうなろうが、問題はないしな。投獄か、獣の出る危険な地帯への追放か、それ以上か……。どんな裁きを言い渡されても、受け入れることだな」
国王陛下のお言葉に、ユベルは絶望に顔を歪め、情けない声を上げたのだった――
「そ、そんな~!」
◇ ◇ ◇
その後、私の力によって、呪いにかかった人々は、貴族や庶民にかかわらず皆平等に浄化されたけれど……
ユベルだけは、「完全な魔獣化はしないように、だけど苦しむように」というレベルで、呪いを残してある。
「うぅ、苦しい~……」
ユベルの部屋からはずっと、呪いの苦しみにもがく声が聞こえてくる。
ちょっとかわいそうだと思うけど、自業自得だ。私の力で、死ぬことはないようにはしてあるし。ただ、死ねずにずっと苦しむだけで。
(まあ、呪いを浄化したところで、ユベルとエイミーには、裁きが待っているんだけど……)
「もう一週間もしたら、ユベルの呪いも解いてあげましょうか」
「優しいですね、セラ様。もっと苦しめてもいいと思いますが」
自室で、ヒース様と二人でお茶していると、彼はにっこりと笑ってそう言った。
(とても優しい人だけど、意外とドS……?)
「……どうしました、セラ様。私の顔をじっと見て」
「ああ、いえ。ヒース様も意外と容赦ないんだなと思って」
「……幻滅しましたか?」
「まさか。完璧なヒース様にも人間らしいところがあるんだって、むしろ安心しました」
私の言葉に、ヒース様はほっとしたように息を吐き出す。
「私は……自分自身が呪いによって魔獣になっていたことでは、ユベル王子を恨んでるわけではありません。ですが、ユベル王子があなたを一方的に婚約破棄して追放したことが、許せない」
「え……っ?」
「……セラ様が婚約破棄され、追放されなければ、私とは出会わなかったということも、わかっています。だからといって、ユベル王子があなたにした酷い仕打ちは、許されるものではない」
――私のために、怒ってくれているの?
ヒース様はお優しいから、これが私じゃなくても、きっと怒ってくださるのだと思う。
だけど嬉しくて、胸がドキドキして、頬がかあっと熱くなった。
「あ、あの、ヒース様。私、ユベルに婚約破棄されたことなんて、もう気にしていません。むしろ、結婚せずにすんで、本当によかったと思っていますから」
「それは……そうですけど」
ヒース様が、ふと私の瞳をじっと見つめる。
……なんだろう。その瞳の奥に、まるで甘い熱のようなものを感じて。
ドキドキと、胸の高鳴りが止まらない。
「……あなたは一度、ユベルによって、この国を出ていけと言われたのでしょう。ですが、人々の呪いを浄化したあなたは、今や聖女であり、英雄です。この国は、またあなたを歓迎するでしょう。ですが――」
ヒース様はそこで一度言葉を止めると、真剣な眼差しを私に向ける。
「……私は、あなたを愛しています。どうか、これからも、私の傍にいてくれませんか?」
「……っ」
――ああ、もう、ヒース様。
そんな、照れたような微笑みを浮かべて言うのは――反則、です。
「……私も、あなたを愛しています。この先も、あなたと共にいたい」
その後私は、ニースフェンの聖女兼王妃として、ヒース様と幸せな日々を贈ることになるのだけど――それはまた、別の話。