63. 錬金術とは
アルフレッド王子が寝室から戻ると、執務室には既に錬金研究室室長が来ていた。テーブルに広げられた魔方陣を舐めるように眺めている。息子である宰相と二人、感嘆とも驚嘆ともとれる溜め息をつきながら、魔方陣の素晴らしさを褒め称えつつ会話を続けていた。
「見てください、父上。ここの術式の無駄のなさ。この解釈は斬新ですよ!はぁぁ……素晴らしい………それで殿下が鞄に仕舞われてしまって……」
「おお!この術式とこの術式が繋がっておるのに齟齬がないとは!全くもって美しいのぉ……それはもはや国宝ものだろう。祠ではなく神殿にしなさい……」
「ええ…ええ…そうですね。神殿を作ってお祀りいたしましょう。我等錬金術師の神なのですからね……はぁぁ、何度見ても美しい……」
「この細さで線を引くとは凄いのぉ……均一で全くブレがないとは……素晴らしいのぉ……どこに神殿を建てるかだが……」
「それはもちろん……父上!この術式、エルカヴァの変換式に似ていませんかっ!あの!幻の!偉大な錬金術師の!」
「ふむ……なるほど……そうじゃな、確かに似ておるが……どちらかと言えばこれはドゥーランの変換術式に近いぞ?ふむふむ……して場所は?」
「もちろん我が領地に!はっ!見てください、父上!この紋様は古文書に記されているあの紋様と同じですよっ」
「おお!おお!確かにこれはっ!生きている間にこれ程の魔方陣を見ることができるとはっ……領地は遠い。王城内でなんとかならんか」
「検討しましょう。それにしてもなんとも」
「「美しい……!」」
大変な盛り上がりだった。
アルフレッド王子はややひきつった表情で二人に近づいた。
「何を話しているのかな?」
「それはこの魔方陣の美しさと神殿の建設についてで……」
言いかけた宰相は顔を上げて声の主に気が付いた。アルフレッド王子の冷たい眼差しに、はは、と渇いた笑いを溢しキョロキョロ視線を彷徨わさせて誤魔化そうとする。
「神殿とは?」
「あ、いや、その」
冷や汗が止まらない宰相はトントンと隣の父親の肩を叩く。対面のソファーに座ったアルフレッド王子は軽く腕組をして、もう一度宰相を睥睨した。
「それで?何を、話していたのかな?」
錬金研究室室長は肩を叩く息子を見て、対面のアルフレッド王子に気付き、おや、と居ずまいを正して一礼した。長い三つ編みの白髭が揺れる。顔を上げた室長は眉尻を下げて微笑んだ。
「ご機嫌麗しゅう、殿下。お邪魔しておりますよ」
アルフレッド王子は室長に視線を移して完璧な王子様スマイルで微笑む。
「やあ、室長。呼び立てて悪かったね。待たせてしまったかな?」
「いえいえ、殿下。この素晴らしい魔方陣があれば何時間でも待っていられますなぁ」
なんとも美しいもので、と視線はうっとりと魔方陣を眺める。
「この魔方陣は美しいのかな?見事や素晴らしいのではなく?」
アルフレッド王子は首を傾げた。もちろん、緻密に描かれた絵のように綺麗に整っているようには見えるが、これのどこに美しい要素があるのかは理解出来なかった。
フオッフオッフオッ、と軽快に笑って室長は三つ編みの白い顎髭を撫でた。
「もちろんですとも。まことに見事で素晴らしいですなぁ。しかし、それ以前にとても美しいのです。殿下は錬金術の勉強はなさったのですか」
「いや。まだだ。不勉強ですまないな」
少し表情を曇らせてアルフレッド王子は足を組んだ。
「勉強した方が良いとは思っているのだが…」
宰相は静かに首を横に振った。
「何を仰いますか。殿下がお忙しい毎日をお過ごしなのは宮廷勤めならば皆が知るところ。錬金術など、出来るものにまかせてしまえば良いのですよ。私のように」
是非とも側近に!、と宰相は胸を叩いた。まだ側近の夢は諦めてはいなかったようだ。ふっ、と息を溢してアルフレッド王子はにっこりと微笑んだ。
「では早く後身を育てるべきかな。継ぐものがなくては宰相は辞せないよ?」
「……わかりました。息子の尻を叩きまくりましょう」
「お手柔らかに頼むよ。潰してしまっては宰相は辞められないのだからね」
「心して」
決意に満ちる宰相に、室長ははて?、と首を傾げた。
「お前はまだ宰相を辞められないのか?」
「ええ、末息子は宮廷に上がったばかりですからね。未だ雑用に奔走しております」
「……それは道が長いのぉ」
「……ええ、まったく」
親子は遠い目をして窓の外を眺めた。宰相の年には息子に宰相位を譲り、錬金術師に戻っていた室長は、大変だのぉ、と孫を思い浮かべた。息子である宰相には二人の息子と三人の娘がいる。長男は幼い頃より錬金術の勉強以外は大嫌いで、騎士団の錬金術師採用試験は合格したが、官僚採用試験は見事に落ちた。歴代最低点を取ったことでも有名だ。彼は早々に結婚して、室長には曾孫にあたる娘がいる。現在長男は騎士団の錬金術師として、王に付き添い砦に勤務している。三人の娘達は皆それぞれに嫁ぎ、嫁ぎ先の領地で暮らしている。昨年成人したばかりの末っ子の次男は兄とは違い、錬金術だけでなく政治・経済の勉強も優秀で、去年行われた官僚採用試験に見事に合格した。だが、優秀とはいえ新人。歴代宰相の家柄とはいえまずは雑用からである。そこから宰相補佐官へは遠い道のりだ。
「彼には期待しているよ。しっかりと頼む。次代の王の為にね」
「殿下の為にしっかりと教育いたしましょう」
宰相は力強く王子を見たが、アルフレッド王子は無言で微笑んだ。
「次代の王は殿下ですぞ」
「……ああ、魔方陣の美しさについてだったね。室長、ご教授願えるかな?」
「殿下っ」
室長は二人のやり取りに、フオッフオッフオッ、と笑ってから慈愛を込めた眼差しでアルフレッド王子を見つめた。
「もちろんですとも。殿下。ですが、ご自愛下さいませなぁ」
「……分かっているよ」
「でしたら重畳。言うべきことはございませんなぁ。さて、魔方陣でしたなぁ」
さらりとテーブルの魔方陣を撫でて、室長はさてさて、とアルフレッド王子に微笑んだ。
「殿下は魔法陣と魔方陣の違いは御存じでしょうか」
「そうだね。確か、魔法を行使するのは魔法陣で、錬金術をするのは魔方陣だったかな?」
「概ね合っていますなぁ。魔法陣とは、詠唱を陣に換えたもの。魔法文字で省略された詠唱そのものなのですな。ですから、誰でも魔力を通せば使用できるのが魔法陣ですなぁ。最も自分の属性以外のものは威力が弱くなりますから適性も必要ですなぁ」
「なるほど」
アルフレッド王子は振り返り、背後に光る転移魔法陣を見た。繋いだ二つの魔法陣の間しか移動できないのは属性が無いからなのか、と納得する。
首を伸ばして床を見ても何も見えない宰相は少し残念そうに首を振った。
「殿下には見えているその転移魔法陣の魔法文字はおそらく失われた古い魔法文字を使われているのでしょう。ライル・カトラスも読めないと言っておりましたからな。ダンジョンに現れる転移魔法陣や、縦移動のみ可能な転移魔法陣の文字も解読不可能なのですよ」
未だ解読に成功したものはおりません、と宰相は悔しさを滲ませた。お前も若い頃は挑んでおったなぁ、玉砕していたがなぁ、と室長は楽しそうに笑った。少し苦笑気味にアルフレッド王子は宰相に微笑んだ。
「それは残念だったね。歴史に名を残せたかもしれないのに」
「私は名を残したいのではなく、知りたいのですよ。探究心を抑えられないのです」
「それか錬金術師というものですなぁ」
カラカラと室長は笑って、さてさて、と話を戻した。
「魔法陣については理解いただけましたかな?」
「うん。よくわかったよ」
「それでは魔方陣の説明をいたしましょうなぁ。錬金術師が使う魔方陣とは、術式を簡略化し図形化したもののこと。錬金術とは術式によって物質を変化させる技術の総称なのですなぁ。物質を変化させるといえば、鍛冶屋もそうですな。鉄の塊を剣に変化させる。ですが鍛冶屋は鉄を打ち、熱しては打ち、を繰り返しますなぁ。それは錬金術ではなく職人技。その職人技を術式で行い同じ結果を出したものが錬金術なのですなぁ」
「なるほど。では室長も錬金術を用いて剣を作れるのかな?」
「もちろんですとも。最も我等錬金術師が作る剣とは無骨なもの。兵士や冒険者が使うような実用品ですなぁ」
「騎士の剣は難しいのかな?」
「そうですなぁ。出来なくはないのですよ。理論上は家でも錬金術で作れますからなぁ」
「それはすごいね」
「あくまでも理論上ですよ、殿下」
実際には不可能に近いでしょう、と宰相は首を振る。
「そうなのかい?」
そうですなぁ、と室長は長い三つ編みの髭を撫でた。
「錬金術は術式によって物質を変化させると申しましたが、この術式が厄介なのですなぁ。例えばこのポーションの錬金術ですが、従来であれば『粉砕』『調合』『濃縮』『生成』の四つの過程を経ますな。薬師が作る工程を錬金術で行っている訳ですが、その一つ一つが独立した術式なのですなぁ」
室長はテーブルの魔方陣をくるりと回してアルフレッド王子の方に向けた。そして、その中の一つの幾何学模様を指差す。
「この魔方陣ですと、ここが薬草を『粉砕』する術式を表しておりますなぁ。そして」
また別の幾何学模様を指差す。二つは近い場所に描かれているが、その間にも幾何学模様は幾つかあった。
「ここが粉砕した薬草を水と『調合』する術式ですなぁ。二つは独立した術式で、本来ならば繋がることはないのですなぁ。術式は必ず始まりの式と終わりの式がありましてなぁ。それは工程事に違うのですなぁ」
「始まりの式と終わりの式?」
「はい。この『粉砕』ですと、そうですなぁ、始まりの式は、さあ、これから粉砕を始めるぞ、という掛け声のようなもので、終わりの式は、そこまで!粉砕終わり!、というような効果の終了を命じるようなものなのですな。これがないと始まりの工程とその効果の終了が判らず、錬金術が始まらない上に、始まっても終わりのないことになりますので、必要な式なのです。ですが魔方陣の中で、それぞれが独立してしまえば、一つの魔方陣にする意味がなくなります。そういった魔方陣をあえて作ることもありますが、ポーションのように結果がまとめて一つならば繋げた工程にしなければなりませんなぁ。ところが、『粉砕』の終わりの式と『調合』の始まりの式は繋がらないのですなぁ。ここをどう繋げるか、それが錬金術師の腕の見せ所なのですなぁ」
室長は『粉砕』と『調合』の間の幾何学模様を撫でた。
「魔方陣を描くとき、作成者はその図形に術式を籠めます。錬金術師は作成者の籠めた術式を読み取って魔方陣を発動させるのです。ですから、術式を知らぬものに魔方陣は発動しないのです。が、繋ぎが拙いと魔力が途切れたり均一に巡らなかったりと齟齬が出るのですな。錬金結果は錬金に時間が掛かったり品質劣化へと繋がる訳ですなぁ。魔方陣に籠める術式が多ければ多い程、齟齬や歪みが出やすいのですなぁ。この魔方陣は従来のポーション用魔方陣とは違い、齟齬が全く無いのですなぁ。一つ一つの工程で止まることもなく魔力の流れにも無駄がないのですなぁ。術式と術式を繋ぐ式も細かな調整が成されていて澱みがないのです」
「澱みとは?」
そうですなぁ、と室長は考えるように三つ編みの白髭を撫で、フオッ、フオッ、フオッと楽しそうに笑った。
「では、剣術に準えてみましょうなぁ。手合わせを思い浮かべて下さい。殿下は上段に構えていたとします」
アルフレッド王子は、ふむ、と言って架空の剣を握って上段に構えた。
「振り下ろした剣を相手に弾かれ、今度は下段から切り上げようと構えます」
アルフレッド王子は振り下ろした剣をライルに弾かれた手合わせを思い浮かべた。剣を弾かれたと同時に腰の位置で切っ先を地面に向けて剣を構え下段から切り上げる。実際に架空の剣を上段から下段に構え直して切り上げた。それは足を組んだ姿勢であっても、流れるような所作でそこに迷いはなかった。幼少より訓練と実戦で培われた経験が一連の動作を可能にしていた。
「お見事です、殿下」
貴族の嗜み程度とはいえ剣術を習っていた宰相は、少年王子の実戦で鍛えられた型にはまらない柔軟な剣術に感嘆した。型通りしか学ばない貴族の嗜み剣術では、相手に弾かれた直後に的確な角度で切り上げることは難しい。大抵の貴族は弾かれたらそこで授業は終わりである。嗜み程度とはそういうことだ。だが、アルフレッド王子の剣術は、実戦用だ。迷いや戸惑い、思考の停止は命の終わりを意味する。
脳内のライルに下段の攻撃も受け流されたアルフレッド王子は、苦笑気味に架空の剣を手放し姿勢を戻した。
「まことお見事でしたなぁ。殿下は基本の型を踏まえ実戦にて培った経験から躊躇無く構え直された。そこには齟齬も迷いもなく、澱みが無い」
「…ああ、なるほど。そういうことか。流石は室長。分かりやすい例えだったね」
「恐縮でございますなぁ。フオッ、フオッ、フオッ。ご理解いただけて何よりですなぁ。式を繋ぐことは錬金術師ならば出来て当然のこと。ですがのぉ、その繋ぎ方は千差万別。何よりも経験と深い知識が必要なのですよ。澱みが無い魔方陣は美しいものです。全く違う剣の構えでも、動作に流れが出来ていれば止まること無く構えられ、齟齬や歪みはありません。それは美しい剣術ですが、剣を習い始めの者はどうですかな?新人兵士は?出来るものもいるやもしれませんが、精度や錬度は落ちますなぁ」
なるほど、とアルフレッド王子は理解し、錬金術の奥深さと難しさを改めて認識した。
「よくわかったよ。騎士の剣も家の建築も術式が多岐に渡り、多くの繋ぎが必要で、その全てを一連の魔方陣に組み込むと齟齬や歪みが出てしまうのだな。歪んだ家は完成したとはいえない」
「そうですなぁ、素材が多く、仕上がる形状が複雑に為ればなるほど術式の数は増え、繋げる式も増えますからなぁ。歪みや澱みは完成品の歪みに出てしまうので、練習課題には最適ですが、複雑な錬金依頼は基本お断りしておりますなぁ」
ふと、アルフレッド王子の心にリリーの笑顔が浮かんだ。様々な事を笑顔で実現してしまう銀髪の幼女だ。
「リリーなら出来そうだね」
ぽつり、と思わず呟いたアルフレッド王子の言葉に、対面の親子は揃って頷いた。
「「ハイエルフ様でしたら可能でしょう(なぁ)」」
そうだね、と苦笑気味にアルフレッド王子も同意する。
「色々作っていると言っていたしね」
「それはそれは。そういえば、息子に聞きましたが、殿下はハイエルフ様に素晴らしいものを贈られたと?」
きらりん、と室長は目を輝かせた。見たい、触れたい、拝みたい、と全身で訴えている。やや身構えながら、アルフレッド王子は頷いた。
「……う、うん。貰った、かな?」
室長はじっとアルフレッド王子を見た。その眼光は普段の好好爺とは違い、宰相現役時代のもので、あの王でさえ怯み逃げられなかったとされるものだった。
「では、神殿を作ってお祀りいたしませんといけませんなぁ」
冷や汗が流れたアルフレッド王子は、それでもぎゅっと手を握りしめた。ごくりと唾を飲み込んで勇気を出す。室長の目をしっかりと見つめ返した。
「……神殿は却下だ。あれを祀ることは、許さない」
「おやおや、殿下は独り占めなさるおつもりで?」
「……独り占めも何も、僕が個人的に貰ったものを提供する義務はない」
じっと二人は見つめ合った。
無言の時間が流れる。
ふっ、と視線を緩めたのは室長だった。元の穏やかな眼差しで愉快そうに微笑んだ。
「フオッフオッフオッ。なるほど。一理ありますなぁ。……わかりました。潔く諦めましょう」
「父上!?」
「一歩も退かぬその胆力はお見事ですな。王でさえ逃げたしたものを……。王妃様のお血筋でしょうなぁ。……ハイエルフ様にお会いしたときにお願いして頂けば良いのだ。それまでに神殿を用意すれば良いのだよ」
「な、なるぼど。分かりました。準備いたしましょう」
親子の会話を聞きながら、アルフレッド王子は、ふう、と緊張の糸をほどいた。然り気無く手汗をハンカチで拭う。
「城内は許可出来ないよ」
「まあ、そうですなぁ。教会の手前もあるでしょうから、やはり領地に作るしかありませんなぁ」
「領地の事に口を出すつもりはないが、あまりリリーを怯えさせないように頼むよ」
「もちろんでございますとも。我らとしましても、敬いこそすれ恐怖を与えるつもりなど毛頭にもございませんからのう」
フオッ、フオッ、フオッと楽しそうに笑う室長に、疑わしげな目を向けてしまうアルフレッド王子であった。
読んでいただき、ありがとうございました。




