62. 宰相は宰相を辞めたい
時は数時間遡り、王都。
カララ~~ン………コロロ~~ン………。
正午を告げる教会の鐘の音が王都に響き渡った。驚いた鳥達が一斉に羽ばたく。
「お先にっ」と慌ただしく石畳を駆ける者。
「おばちゃん!いつもの定食!」と馴染みの食堂に駆け込む者。
「もう少しまけてよ」とパンを抱え子供の手を繋いだ女性が露天の果物を値切れば、「ダメだダメだ」と渋面の店主が腕を組んで首を振る。
そんなありふれた日常は真新しく修繕された王城も同じだった。「後はよろしく」と兵士は交替し、「飯だ、飯だ」と昼休憩の者は食堂へと急ぐ。ふぅ、と首を鳴らして伸びをする官僚もいれば、ペンを置きトントンと書類を整理する官僚もいる。帝国との緊張もやや緩和され、隙間風も無くなった王城は、王族不在であっても、平穏を取り戻しつつあった。
――――ある場所を除いては。
ギルドから私室に転移したアルフレッド王子とライル・カトラスは、はぁ、と息を溢した。慣れてきたとはいえ古の大魔法を行使する事実に込み上げる興奮が全く無いわけではない。二人はふふ、とにやける口元を結び、まだ見慣れない修繕されて新しくなった壁を見渡して、ギクリ、と固まった。
執務室側のソファーに座り、書類を積み上げて仕事をしている宰相と目が合ったからだ。
一呼吸、二呼吸置いて、アルフレッド王子は目を眇た。腰の剣に手を掛けたライルは室内警護の騎士を見たが、げっそりとした表情で静かに首を振る騎士に、何かを悟り、はあ、と警戒を緩めた。
「……そこで何をしているのかな?」
ペンを置いた宰相は悪びれもせずにっこりと微笑んだ。
「おや、殿下。お早いお戻りで。いや、便利ですな。転移魔法とは」
「宰相」
「もちろん、いつ殿下がハイエルフ様をお連れしてもお出迎えが出来るようにこうして待機しているのですよ…………本日は要らしてないようですね、はぁぁ…」
アルフレッド王子とライルの陰に誰もいないことを認めると宰相は大袈裟に溜め息を吐いた。
コホン、と咳払いをして気分を落ち着かせたアルフレッド王子は執務室側へと移動した。その後ろをライルが続く。
宰相は立ち上がり、一礼した。室内警護の騎士も胸に手を当てて敬礼をする。アルフレッド王子は片手で制止、宰相の対面に座った。宰相もそれに続く。ライルはアルフレッド王子の座ったソファーの後ろに立ち、視線を巡らせて周囲の状態を確認した。
「連れてきたときは直ぐに連絡するから、自分の執務室で仕事をしてくれ」
「ですが、殿下」
「……宰相」
「まあ、まあ、殿下。意外と便利なのですよ。補佐に頼む必要もなく、殿下へ書類を渡せますからな」
宰相はチラリとアルフレッド王子の執務机を見る。アルフレッド王子は自身の執務机へと視線を移して少し目を細めた。そこには新たな未決済書類の山が出来ていた。
「…………補佐の仕事を奪わないように」
「まあ、あやつは少し肥りすぎですからな。ここまでの道のりは良い運動なのかもしれませんが」
(確かに……)
アルフレッド王子は毎度汗をぬぐいながら息も絶え絶えに書類を届けに来る小太りの宰相補佐官を思い出した。趣味が食べ歩きという三十後半で独身の彼は後退し始めた生え際にいつも汗を光らせている。実直でお人好しの好人物ではあるが、外見には無頓着であった。ライルも思い出したのかプハッと吹き出したが、すぐに真顔で警護を続ける。
「あやつにここまで書類を運ばせようと思いましたが、情けないことに二往復でバテましてな。そこの騎士に代わりを勤めてもらいましたよ」
「補佐の彼には災難だったね」
「何を仰いますか。砦は食事が不味いからと同行しなかったのですから、このくらいは役に立たねば補佐の意味が無いではありませんか」
「まあ、そうだね」
くすりと微笑んで、アルフレッド王子は何往復しても元気そうな宰相を眺めた。王を始め宰相や他の大臣もだが、この国を動かす中年層は若者よりも元気だ。だからこそ国を守れているのかもしれないが。負けてはいられないな、と内心奮起する。
毎日宰相がこの執務室に入り浸りでは色々齟齬が出るだろう。第一見張られているようで落ち着かない。と、アルフレッド王子は考えを巡らせる。どうにか宰相に自身の執務室に戻らせる方法はないものか。だが強権を発動するのはアルフレッド王子の意図するものではない。
(どうするか……)
アルフレッド王子は左拳を軽く顎に当てて、ふむ、と考え始めた。
政治家との百戦錬磨の猛者である宰相に、若輩者の王子が論破できることはないだろう。のらりくらりとかわされるのは目に見えている。現に今も会話がすり替えられているのだから。
アルフレッド王子はふと、テーブルの上に折り畳まれた手紙が目に入った。チラリと覗く縁は美しく凝った意匠で飾られている。……そうだ、と思い付いたアルフレッド王子はとても柔らかくにっこりと微笑んだ。
「意匠の美しい手紙だね。奥方からかな?」
「はは、いえこれは孫娘からです」
「確か僕よりも二歳上だったね。凄いな。もうそんな意匠を使えるのかい?」
「自慢の孫なのですよ。中身は錬金術の理論の確認なのですが、毎日昼夜問わず送ってきましてな」
「ま、毎日……それは、大変だね」
「息子でしたら一喝するところですが、孫娘とは可愛いものですな、ついお祖父様が一番と云われると怒れません」
(じじバカだな)
(じじバカですね)
(これがじじバカというものか)
ライルと警護の騎士、アルフレッド王子は共通の思いを抱いたが顔には出さずに、ははは、と優しく手紙を見つめる宰相を温かく見守った。
「手紙といえば、僕も今日、リリーからとても面白いものを貰ったんだ」
「リリー、様というと……ハイエルフ様!?」
「そう、ハーフハイエルフのリリーだよ」
「な、何を!?何を戴いたのですかっ!?」
書類を崩しそうな勢いで身を乗り出した宰相にアルフレッド王子は涼しい顔で微笑んだ。
「連絡用の小鳥だよ」
「こ、小鳥……?」
「そう、小鳥だ。離れた相手に伝言を届ける小鳥、これだよ」
鞄から折り紙を取り出したアルフレッド王子は宰相の前でヒラヒラと振った。
「これは……紙?ですか?」
「そう、紙の鳥だ。これが鳥になって相手に伝言を届ける。リリーは伝説の神鳥を使っていたよ」
その時の光景を思い出したのかアルフレッド王子は目を細めた。
「なんと神鳥ですかっ!?そ、それは光る鳥のことですかっ!?」
「ああ、光輝いていたね」
そうでしたね、とライルも頷く。
「ラ、ライル・カトラス!お前も見たのか!?」
「はい。私は殿下の護衛ですので」
「くっ………」
悔しそうにガックリと項垂れた宰相は、拳を握り締め、ぐぬぬ、と唸った。だが、はっ、と目を見開き、またもや身を乗り出してきた。
「殿下。側付の錬金術師は要りませんか?錬金術で解決できることは、私が何でも致しますぞ?」
「……………宰相」
「も、もちろん、貴族の嗜みとして剣術も出来ますぞ。素材採取は魔物とも戦いますからな」
「……王も不在の時に宰相まで不在には出来ないだろう」
「何を仰いますか。アルフレッド王子殿下。あなた様がおります。殿下が城で執務をする間に、私めが殿下の代理としてハイエルフ様とお会いします!!」
本音が出た。
アルフレッド王子の目が冷たく細められる。
「………宰相」
「殿下、どうか殿下、私をお側にっっ!」
「宰相。貴方が執務室で仕事をしない限りこのリリーの小鳥を飛ばさないよ」
「そんなっ!?」
飛ぶところを見たいだろう?とアルフレッド王子は微笑む。
「リリーを連れてきた時はこの鳥で連絡しよう。もちろん、日々の伝言も小鳥で届ける」
どうする?、と問い掛けるアルフレッド王子に、逡巡していた宰相は大きく息を吐いて座り直した。
「はぁぁ……………コホン。約束ですぞ?殿下」
「ああ。約束する」
「仕方ありませんな。では戻るとしましょう」
宰相は立ち上がり、書類をトントンと揃えた。
「いや、今回はここにいてくれて助かったよ。話がある。宰相としての、そして錬金術師としての貴方に」
「…………何か、ありましたか」
「そうだ。至急の協議が必要だ」
アルフレッド王子は扉の前で宰相を護衛または監視していた自身の直属の騎士に積み上がった書類を宰相執務室へと運ばせた。宰相が戻るまでその書類を警護するように命じる。騎士が出ていった後、扉の前にライルが立った。
綺麗に片付いたテーブルを前に宰相は居ずまいを正した。
「どうなさいました」
「宰相はポーションを作れるのか?」
「いきなり何ですか。そんな初心者錬金術、作れないで錬金術師は名乗りませんよ」
「では鑑定は?ポーションを鑑定したことは?」
「もちろんありますとも。ポーションは性能にバラつきがありますから、基本は鑑定しないといけません」
「やはりそうか………」
「ポーションに何か?」
「…………今市販されている、または作られているポーションは毒入りだと判明したんだ」
「何ですと?!」
アルフレッド王子はリリーから聞いた現状のポーションについて話した。それは宰相にとって初めて聞く内容で、代々錬金術師として受け継がれた知識を覆すものであった。
「何と云うことか……」
愕然とする宰相に、アルフレッド王子はライル、と合図する。ライルは鞄から紙を取り出してテーブルに広げた。
「これがリリーから貰った新しいポーションの錬金魔方陣だ」
「何と!これはまた見事な……無駄のない美しい魔方陣……はぁぁ………素晴らしい……」
感動しつつも食い入るように眺める宰相に苦笑したアルフレッド王子は、まだ冒険者服のライルに着替えと錬金研究室室長を呼ぶよう指示を出した。ライルは一礼して出て行き、代わりに扉の外にいた騎士が室内警護に立った。
「宰相、僕も少し着替えて来るが構わないかい?」
「ええ……ええ……殿下。私はこの美しさを眺めておりますのでどうぞごゆっくりと」
「ありがとう」
アルフレッド王子は寝室へと行き掛け、ふと飾り棚の前で足を止めた。腰の鞄からリリー人形を取り出すと、周辺の物を移動させて、人形用にスペースを空け、そこに飾った。
「どうかなさいましたか?殿下が人形とは珍しい、です、な………?」
その様子を目の端に捉えた宰相は珍しい光景にはて?と首を傾げた。が。次の瞬間、震える手で指差した。
「もももももも、もしや!?それは!?まさかっ」
「ああ、これか?リリーから貰ったリリー人形だよ」
「ああああ!何と云うことか!」
「どうかしたのかい?」
「どうかではありませんぞ!直ぐに祠を作って祀らねばっ!!」
宰相はその場に跪き、ハイエルフ様人形!この世の神!ああ!眩しいそのお姿!、と崇め出した。
そうきたか、とアルフレッド王子はリリー人形を宰相に見られたことを後悔した。
「宰相、落ち着いて」
「いいえ、殿下!私は冷静ですっ。興奮などしておりません!」
「……………」
少し面倒臭くなったアルフレッド王子は、人形を鞄に仕舞った。
「ああ!何を為さるのですか!?祠を作るためにも寸法を測りませんと!」
「それはリリーが嫌がりそうだから、祠を作るのは禁止。それからこれは僕が貰ったものだ。勝手に拝まないように」
「殿下ぁぁぁ……」
アルフレッド王子は嘆く宰相を無視して寝室へ入った。
必要最低限の家具しかない狭い寝室だ。ふかふかの絨毯の上には、ベッドと魔道ランプの置かれたサイドテーブルと椅子。壁際に衣装タンスと装飾のない姿鏡だけだ。防犯の為、この部屋には窓がない。唯一の灯りは魔道ランプのみだ。
ふう、と椅子に座ったアルフレッド王子は、魔道ランプを眺めた。鞄からリリー人形を取り出してランプの台座の前に座らせるが上手くいかない。サイドテーブルの引き出しから本を数冊取り出して重ね、倒れないように寄り掛からせた。
魔道ランプに照らされてリリー人形の銀髪がキラキラと光る。
「……椅子を用意しようか。……ふふ。リリーが居るみたいだね。不思議な感じがする。大丈夫。宰相達、錬金術師から僕が守るよ」
ポンポンと人形の頭を撫で、アルフレッド王子は衣装箪笥から服を出して着替えた。この塔に移り、側使いや世話役もいない騎士に囲まれた生活。一人の着替えも慣れたものだ。鏡で全身を確認して執務室へと戻った。
読んでいただき、ありがとうございました。




