46. 羨ましい事は
宰相は机の細密画を眺め、ところで、とアルフレッド王子を見つめた。
「この大規模補修ですが、これだけの規模を一度にされるとは、よく素材や費用がありましたな。人員も相当必要だったのでは?」
余分な金は無いですぞ、と言外に含めた。
「ああ、これかい?」
アルフレッド王子はくすりと笑って、凄いだろう、と自慢気に微笑んだ。
「たった三拍だ」
「は?」
「これは我らの新しい友人がたった三拍で直してくれたんだ」
宰相は一度大きく目を見開き、すぐにジトリと、カイン、ライル、アルフレッド王子の順に見つめた。新しい友人。その意味するところに宰相は心当たりがあった。
「……騎士団長が父からの手紙を預かってきましてな」
とても低く、恨めしげな声だ。何事かと三人は身構えた。
「あのハイエルフ様に御会いして、叡知に触れたぞと、とても、ええ、とても自慢気に、書いてありまして。私に全てを押し付けておいて何を世迷い言を、と思っていたのですが、騎士団長がこれまた得意気にハイエルフ様に挨拶をしたぞ、と宣いましてなぁ」
宰相の怨念が籠った台詞に、はは、とアルフレッド王子から乾いた笑いが零れた。脳裏にグリンフォース錬金研究室長の好好爺ぶりが浮かぶ。
宰相の名はランベルト・グリンフォース。代々続く優秀な錬金術師の一族の当主である。この一族は優秀であるが故に請われて代々宰相をも勤めている。錬金研究室長は彼の父親であり、元宰相だ。早々に息子に地位を譲り、錬金術師に返り咲き人生を研究に捧げて謳歌している。実に羨ましい限りだ、と宰相は常々思っていた。ランベルトの息子は二人いて、一人は政治に向いていないからと騎士団の錬金術師になり、もう一人は見習い政務官だ。まだまだ代替わりは出来ない。それなのに、錬金術の神とも呼べる至高の存在と相対し言葉を交わし、それどころかその叡知に触れるとは!と、宰相は心底羨ましかった。
「まあ、まあ、閣下。この城の修復で恩恵を受けたのだから、閣下も叡知に触れたも同然なのでは?」
ライルの言葉にアルフレッド王子も頷く。
「ああ、もう補修費用に悩まされることはないだろう」
「そう、ですが、こう、もっと触れ合いたかったと申しますか……」
悔しさを滲ませる宰相に、ライルは追い討ちを駆けるように爆弾を投下した。
「カインなんかは抱っこしてましたけどね」
「……………なんですと?」
ギラリ、と宰相はカインを睨んだ。その迫力はSランク魔獣に匹敵し、ゾワッと鳥肌が立ったカインは慌てて目を反らしライルを見た。
「そ、それはお前もしただろう。それに共に馬にも乗って、茶が飲みたいといったら、錬金術で茶も淹れてもらっただろうが」
「お前もかっ、ライル・カトラス!しかも茶だと……?!」
ジロリ、とライルを睨み、ギリッ、と宰相の歯が鳴る。背筋が凍り付いたライルはなるべく目が合わないように下を見た。王子の後頭部が映る。そうだ、とライルは丸投げを決めた。
「い、いや、殿下はどさくさに紛れて抱き締めていました。しかも凄い魔法陣までもらって、魔道具も貰ってたし」
「くっ、殿下までも…………!!!」
愕然とした顔で宰相はアルフレッド王子を凝視した。ちらりとライルを見上げた王子は、呆れたように首を振り、更に投げ返す。
「……飛び火で僕に話を振らないでくれないか。そもそもその魔道具はお前達も貰っただろう?」
「!!!!」
がくりと、テーブルに手をついて、とうとう宰相は項垂れてしまった。
「私が……私が……砦でむさ苦しい陛下や腹黒い帝国の使者の相手をしていた時間、殿下やその護衛は至福の時間を過ごされていたと……」
ギリッギリッ、と歯軋りが聞こえた瞬間、宰相はがばりと起きると扉の前まで行き、いきなり跪いた。
「一身上の都合により、現時点を持ちまして宰相の職を辞職致しますっ」
二、三度瞬きをしたアルフレッド王子は言われた内容を理解して、何でそうなる?と額に手を当てた。
「いや、ちょっと待ってくれ」
「待ちませんっ!殿下!どうかっ、どうかっ!」
私を唯の錬金術師に!、と宰相は必死に言い募る。
「落ち着いてくれ、宰相」
「いえ、もう宰相ではございません。いち錬金術師の端くれにごさまいます!」
宰相なんてしてるから機会を逃す、これからは錬金術師として相見える日を心待ちに…!、とぶつぶつ呟く宰相に、アルフレッド王子は掛ける言葉を失った。
「……これはもう、リリーに会わせるしか無いんじゃないですかね」
「それしかないか……」
嘆息するアルフレッド王子に、カインは心配気に眉根を寄せた。
「この様子ではまた怯えさせるのでは……?」
ああ、とアルフレッド王子とライルは遠い目をした。錬金術師達に拝まれ怯えていたのを思い出す。だが、今はそれしか方法は思い付かなかった。
「そんなに会いたいのなら、会わせよう。今度連れてくると約束する。だから思い留まってくれ。貴方の辞職を受理するわけにはいかない」
宰相は顔を上げた。その目は期待と疑心に満ちている。
「……本当に本当ですか?」
訝しげな顔の宰相にアルフレッド王子は強く頷いた。
「ああ、本当だ。約束する」
「では、今しばらくは宰相を続けましょう」
宰相は残念そうに頷いて立ち上がり、辞め損なってしまった、とソファーに座った。だがその目は全然残念そうではなかった。嬉しそうに輝いている。
その様子に多少引きはしたものの、ほぅ、とアルフレッド王子とその護衛達は安堵の息を吐いた。帝国の件が片付くまでは宰相にはいてもらわなければならない。
宰相はキョロキョロと辺りを見回しながら、わくわくした声で訊ねた。
「それで、どのような魔道具ですか」
「これだ」
アルフレッド王子は首から鎖を引っ張り、指輪を見せた。七色に輝く銀の指輪に宰相は魅了されたかの様にうっとりと眺めた。
「あぁ……美しい。なんと、これはまた見事な……して、用途は何でしょうか」
「凄いものだよ。ライル」
「はっ」
一礼して、ライルは扉の前に立った。
「ではよく見ていて下さいよ、閣下」
宰相が凝視するのを確認して、『私室に転移』と唱えた。瞬時にライルが消える。
「消えた?!ライル・カトラスは何処に……?」
「ここです、閣下」
声の聞こえたほうを向くと、アルフレッド王子の私室にライルが立っている。
「これは一体……」
「転移魔法だよ」
何でもないように告げるアルフレッド王子の言葉を、宰相はなかなか理解出来なかった。未知の単語を聞いているように思えて、宰相は王子の言葉を復唱してみた。転移魔法、と。その意味がじわじわと染みてくる。伝説の、幻の、お伽噺に登場する、例の、魔法。
宰相は震える手で指輪を指差す。
「て、転移……?ほ、本物……?」
「驚くのも無理はない。伝説の魔法だからね」
伝説どころではない。錬金術師達にとっては禁断の秘術に等しい。現存し伝わる縦方向の移動魔法陣でさえ、どの錬金術方式や古代から伝わる術式をもってしても理解不能で、線一つ歪んだだけでも発動しない。完璧な複写で何とか起動出来るだけ。だからこそ幻と言われるのだが。ただお伽噺として伝わっているのだ。実在はしたはず、と生涯掛けて研究するものもいるが、大抵は途中で挫折する。開けてはならない禁断の扉なのだ。転移魔法は。
それが目の前で起こった。縦移動ではない。確かに消えて同じ部屋の別の場所に現れたのだ。
「はぁぁぁ……これは……どのように再現されているのですか」
「あそこの床に転移魔法陣が描かれている」
転移魔法陣?!と慌てて立ち上がり、宰相はライルの立つ床を隈無く調べた。だが、ひび割れも穴一つない綺麗な床石がはめられているだけだ。
「何も見えませんが」
「悪用されないように登録者にしか見えない仕様です」
答えるライルに床に触れながら宰相は、お前は見えるのか、と訊ねた。
「見えますが、何が描いてあるのかは読めませんね。一つも理解出来ないですよ」
「やはりか……」
諦め宰相はソファーに座った。見えないのは残念だが、心は高揚している。
「この指輪がその魔法陣と繋がっていて、何処からでもそこに転移出来る」
「夢の様ですな……」
「もっと凄いのは、シアラの町に転移出来ることかな。あちらに拠点を作ってね。そこにも転移魔法陣を描いてくれたんだ。何時でもあちらに行けるし、直ぐにここに戻れる」
本物の転移魔法に、宰相は一瞬言葉を失い、ああ、なんと素晴らしい……!、と漏らした。
「ハイエルフの叡知とは、斯様に凄まじいものであるとは……」
頬を紅潮させ、興奮気味の宰相は、はぁ、とうっとりと宙を見つめた。
「ああ、御会い出来る日が待ち遠しい……」
中年男のうっとり顔を気持ち悪いと思ってしまったアルフレッド王子はやや視線を反らした。背後でライルがうへぇ、と喉を押さえる。
「わ……わかった。なるべく早く機会を作ろう。彼女には討伐に行けば会えるだろうし」
「よろしくお願い致します」
宰相は膝に頭が着くくらい深く頭を下げた。ああ、と苦笑気味の王子の応えに頭を上げた宰相は、窓から射し込む日の光に反射して輝く王子の髪を見て、ふと、思い出した。
「そういえば、殿下。騎士団長から伝言がありました」
「聴こう」
「砦に戻る途中の町で、人攫いの話を聞いたそうです」
「人攫い?また物騒な話だね」
「その人攫いは、金髪緑の目の見目の良い者ばかりを選んでいるそうてす。しかも抵抗すれば手足を切り落とされ、直ぐに血止めの魔法を施されると」
アルフレッド王子はライルをちらりと見上げ、知っていたか?と聞いた。いえ情報はありません、とライルは訝しげに首を傾げた。
「しかし変ですね。傷がつけば商品価値が下がってしまうから普通は無傷が鉄則のはずです」
「そうだ。騎士団長もそこを気にしていた。拐うものを選んでいる時点で依頼によるものではないかと。価値に重きを置いていないのであれば、ろくな目的ではないだろうと」
ふむ、とアルフレッド王子は拳を顎に当てた。殿下、と宰相が強い眼差しで諌めようと
する。
「くれぐれも、妙な事を考えませぬように」
「いや……偶然にも僕は金髪で緑の目だな、と思っただけだ」
「囮になどなられてはなりませんぞ」
「そんなことはしないよ。ただ、そうなる可能性もあるかもしれない、それだけだ」
「それだけではありません!陛下の悪い所は真似されなくて良いのですよっ」
「ああ、もう討伐に行く時刻だ。では、宰相、また明日」
「殿下っ」
アルフレッド王子は机の指輪を手巾で包みライルに渡した。ライルはマジックバッグに仕舞い宰相に一礼する。
「では閣下、お帰りの際には廊下の騎士に一声掛けてくださいね」
では、と三人は魔法陣の上に立ち、『転移』と唱えた。
「殿下!!」
宰相が叫んだ時には、シアラの町の拠点の魔法陣に立っていた。
「人攫いか」
「調べますか?」
「いや、既に騎士団長が動いているだろう。それとなく周辺の警戒をしてくれ。接触してきたときは囮になる」
「「殿下っ」」
「大丈夫だ。斬られないようにするよ」
「そういうことではありません」
ふふ、と笑うアルフレッド王子にライルは肩を竦め、カインはやれやれと首を振った。もう四年の付き合いだ。アルフレッド王子の行動理念はよく知っている二人である。護衛として、絶対に拐わせないと目線を交わして固く誓うのであった。
三人は手早く冒険者の服に着替えた。カインは薬を生成している蔦に礼を言い、ライルは離れた処で目を反らしている。
「リリーは部屋にいるのかな?」
アルフレッド王子が蔦に尋ねると蔦は葉を揺らした。
「これは……肯定、いや否定か?難しいな」
「おそらくですが、留守、なのでは?」
葉がバサバサと揺れた。
「肯定のようだ。留守か」
「宰相閣下はお預けのようです」
くすりと笑いながら扉を開けて廊下に出る。鍵を掛ける前にカチャリと音がした。蔦が閉めたようだ。鍵要らずだな、と誰もが思ったとき、急に階下が騒がしくなった。
「何かあったのかな」
「確認しますか?」
「いや、一緒に行こう」
三人は顔を見合わせて頷くと、階下へと急いだ。
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