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大賢者の退屈な日々  作者: うり
第一章 はじめてのおつかい
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44. 罠


 四日程降り続いた雨は、早朝に漸く止んだ。


 恵みの雨は畑や森を潤し、減り始めていた川の水位を戻した。


 雨の為、討伐に出れなかったアルフレッド王子は、自室の窓から雨に濡れた王都を眺めた。水滴に朝日が反射して光り輝く街並み。眩しさに目を細めながらも、一日を始める人々を眺めていた。


「漸く止みましたね」


 不寝番の騎士が窓から射す朝日に眩しそうに目を細めた。


「ああ、そうだね。大地も十分潤っただろう」

「雨漏りのない雨の日に皆喜んでおりました」

「そうか」


 アルフレッド王子は微かに笑みを浮かべて、窓から見える城壁を眺めた。三拍で終わった大規模補修。城全体が新築のように作り替えられた。それに伴う混乱は大層根深かったが、長雨の前には鎮火した。


「昨夜侵入した者は捕らえました」

「そうか」

「城内警備の騎士でした。金を貰ったそうです」

「…………」

「やはり貴族籍でした。同じ貴族として情けなく思います」

「君は彼等と違うだろう?実力で勝ち取った地位だ」


 そうだろう?、とアルフレッド王子は、振り返った。


 近衛騎士団は大きく分けて二つに分類される。騎士団員の中から推薦を受け入団試験で実力を認められて入る者と試験を受けずに親の権力により箔付けの為に入団する貴族籍と呼ばれる者達だ。主に前者は第一分団から第五分団で国王、王妃、子供達といった王族の専属警護の任務にあたる。後者は城内警備だ。その実力は雲泥の差があり、貴族籍の者は王族の私室警護すら就くことを許されなかった。


 アルフレッド王子の警護には第三分団が担当しており、私室のある塔内部の警護の騎士も、不寝番を務めるこの騎士もそこに所属している。


「そうですが、昨日も一昨日もその前も。そもそも不正や規律を乱していたのは皆貴族籍の者。これが栄えある近衛騎士かと思うと……」


 悔しさを滲ませる騎士は連日捕縛する同僚に憤りを隠せない。


「そうやって怒る騎士がいることは嬉しく思うよ」


 アルフレッド王子はソファーに座りながら穏やかに微笑んだ。


「だが、その憂いも今日で終わるだろう」

「罠に掛かったのでしょうか」

「それはもうすぐわかる」


 騎士交替の時刻になり、ライル・カトラスとカイン・ベルファスがやって来た。不寝番を勤めた騎士と交代する。


「罠に掛かりましたよ、殿下」

「もうじき来ます」


 どこか挑戦的で楽しそうなライルは口の端をニヤリと上げた。対してカインは安定の無表情である。


「おそらく、予想通りかと」


 カインの報告に、アルフレッド王子は、とても綺麗に微笑んだ。


「それは楽しみだね」


 さあ、どう料理しようか。副音声が聴こえるほど楽しげだ。


 程なくして、ノックが聞こえた。アルフレッド王子が応えると、憮然とした表情の宰相が入ってきた。


「やあ、宰相。久しぶりだね。砦までご苦労だったね」

「……万事滞りなく、と申したいところですが、流石に金貨100枚程度では魔法契約には至らず、書面の条約に留まりました。力不足で申し訳ありませぬ」

「いや、書面だけでも交わせたのなら重畳だよ。面倒を掛けた」


 宰相は封蝋の紙が巻かれた羊皮紙を差し出した。アルフレッド王子は受け取ると封蝋を解き、中身を確認する。


 それは❮オーボー帝国とシャンパール王国における不可侵条約❯と書かれていた。あぁ、と感嘆の息を洩らす。


 この半年間求め続けていたものだ。半ば諦めかけていたものを今、アルフレッド王子は手にしていた。


「貴方に感謝する。宰相。これで砦の陛下も少しは安心されるだろう」


 宰相は憮然とした表情を崩さぬまま、これも仕事ですので、と頭を下げた。


「ところで殿下。私めが砦に赴いている間に、大規模な補修工事をなさったようですが?」

「そうなんだ。見違えただろう?」

「全くですな。おかげで見知らぬ場所にいるようで落ち着きません」


 宰相は少し苛立ちを押さえるように一呼吸おいた。


「……殿下」

「なんだい?」

「もうわかっておられるのでしょう?」

「何をかな?」

「私めがここに来た訳を」

「この書面を届けに来たのだろう?」

「殿下っ」

「宰相。言いたいことははっきりと言わなければ伝わらないよ?」

「くっ……」


 宰相は拳を握りしめ、意を決する。


「私の執務室から持っていったものを返してくだされ!」

「ライル」


 ライルは執務机の引き出しを開け、そこから出したように見せながら自身のマジックバッグから籠を取り出した。


「宰相閣下の望むものはどれでしょうか。あればよいのですが……」


 籠を覗き込むライルに宰相は焦り気味に告げる。


「妻と孫娘の細密画(ミニアチュール)だ!」


 ライルは一瞬きょとんと宰相を眺めてから、ぷはっ、と笑い出した。


「失礼だぞ!ライル・カトラス!それよりも無事なんだろうな?傷一つ着いていないだろうな?」

「いや、失礼しました。どうぞ。ご確認下さい」


 手のひらサイズの額縁に入った二枚の絵を取り出して渡す。


 ああ、と息を洩らしながら宰相は大事そうに絵を確認した。


「大丈夫そうだ。良かった……」


 宰相の顔から憮然とした表情は消え、安堵に笑みを浮かべていた。

 

「どうして壁の穴に隠していたのかな?」

「殿下。私は隠してなどおりません。もともと机に置いていたのです。この半年間は書類が山積みになることが多く、一度これが机から落ちてしまいましてな。どうしたものかと壁を見ましたら丁度飾るのに良い穴が空いていたものですから、布を敷き飾り棚の代わりに使っていたのですよ」

「なるほど」


 ではこれも宰相閣下のですね、とライルは籠から金刺繍の入った二枚の赤い厚手の布を取り出した。


「そうだ。あと花を飾っていたのだが」

「あー、そういったなま物は傷みますので、錬金研究室で氷漬けにしてあります」

「花瓶は?」


 どうぞ、と差し出された籠には小さな歪んだ花瓶と紋章が刻印された金の指輪があったが、宰相は迷わず花瓶を掴むと念入りに傷を確かめた。


「それも大切なものかい?」

「ええ、孫娘が初めて錬金術で作った花瓶です」

「そうか。それは貴重なものだね。貴方が心配で焦る気持ちもわかるよ。……うん。これで貴方の疑いは晴れた。もともと、貴方のことは疑っていなかったけれどね」

「何のことです?」

「ふふ、宰相、そろそろだと思うから、貴方もこちらに座って共に確かめようじゃないか」

「話が見えないのですが」


 訝しげな顔で宰相は勧められた通りに、アルフレッド王子の向かいに座った。宰相はテーブルに布を置き、細密画を置いた。その横に花瓶を置く。花瓶全体に歪みはあるが転ぶ事はなかった。


 控えめにノックが聞こえた。アルフレッド王子は目配せすると、カインが扉に近づき誰何する。遣り取りの後、カインはアルフレッド王子に頷いた。


 ライルがアルフレッド王子の背後に立ち頷く。


「さて。始めようか」


 アルフレッド王子は楽しそうに口許を弛めるが、その翡翠の瞳は笑っていなかった。静かな怒りを湛えて怜悧に煌めく。九歳の子供とは思えない眼差しに、対面で見た宰相は背筋に冷たいものが流れた。


 アルフレッド王子がカインに合図すると、カインは扉を開けた。若い文官がおどおどした様子で入ってくる。


「やあ、事務補佐官。今回はご苦労だったね」


 アルフレッド王子はにこやかに声を掛けた。


 若い文官は外務大臣事務補佐官。大臣の代わりに相手国の事務方と折衝を行ったり、現地に赴いたり、書類を作成したり。所謂、外務関係の雑務係である。今回は宰相に同行し、砦において条約締結の事務雑務をこなしていた。


 事務補佐官はソファーに座る宰相に驚いた顔をしたが、机の細密画を見てほっと息を吐いた。


「おお、補佐官殿。此度は世話になったな」


 何が始まるのかと戦々恐々としていた宰相であったが、入室してきたのが事務補佐官と分かると緊張を解いた。


「君も座るといい」

 

 アルフレッド王子がにこやかに宰相の隣を勧める。一瞬、びくりとした事務補佐官だが、アルフレッド王子の手に条約締結の書状を認めると、素直に応じた。


 カインは扉を閉め、そのまま扉の前に立つ。


「二人の尽力に感謝するよ」


 宰相は「勿体ないお言葉ですな」と頭を下げ、事務補佐官は 「ぼ、僕は、い、いえ、私は……全然、全く、何も……」と言葉を詰まらせながら曖昧に濁らせた。


「事務補佐官。砦での活躍は聞いているよ。難しい帝国との折衝に奔走してくれたとか」

「い、いえ、し、仕事ですので」

「妨害も何度か合ったとか。条約締結を阻む何者かがいたのかな?無事に終わって何よりだよ」

「いえ、あの……は、はい……」

「ああ、そうだ。君が砦に赴いている間に大規模補修をしたんだ。見違えただろう?」

「は、はい……」

「宰相は見慣れなくて落ち着かないらしい。君はどうかな」

「え、あの、その……」

「先ほどから歯切れが悪いね。どうかしたのかな。何か心配ごとでも?」

「い、いえっ。そのような事はっ」

「先程は宰相も壁に隠していたものが心配で焦っていたよ」

「私は隠してなどおりません。飾っていたのです」

「そうだったね」


 アルフレッド王子はくすりと笑い、机の細密画を見た。事務補佐官も視線を辿り、その意味に気づく。ぎゅっと汗にまみれた手を握りしめ、事務補佐官は顔を上げた。ごくりと、唾を飲み込む。


「わ、私も壁の穴に飾っていたものがありまして」

「ああ、そうなのかい?ライル。何か残っているかな。もうほとんどが持ち主に返却されてね。中には風紀や規律を著しく乱すものがあって、対応に苦慮しているよ」

「嘆かわしいことですな」


 ライルは籠を覗き込むと、ありますね、と頷いた。


「持ち主確認の為に品名と形状をお話いただけますか?」


 事務補佐官はさらに強く拳を握った。


「ゆ、指輪だ。紋章が刻印されている」

「指輪の素材は?」

「き、金だ。金の指輪だ」

「では、この指輪の由来を教えてください」

「ゆ、由来……?」

「紋章付きの金の指輪など幾らでもありますので、持ち主確認の為に詳しく聞いております。宰相閣下も詳しくお話下さいましたよ」


 事務補佐官は隣に座る宰相を見た。頷く宰相に、事務補佐官は拳を震わせる。額から汗が吹き出し流れ落ちた。


「部屋が暑いかな。補修で隙間がなくなってしまったからね。だがすまない。書類が舞うから窓は開けられなくてね」

「ふむ。では錬金術師に部屋が冷える魔道具でも開発してもらいましょう」

「ああ。それはいいね」


 和やかに話すアルフレッド王子と宰相を横目に、事務補佐官は必死に汗を袖で拭う。


「補佐官殿、由来を教えてください」


 ライルはもう一度繰り返した。事務補佐官は、キョロキョロ忙しなく視線を動かした。


「じ、実は、その指輪は、つ、妻の家に、その伝わっていたもので、わ、私が預かっているだけで、ゆ、由来までは……」

「なるほど。ライル」

「はっ」


 アルフレッド王子が差し出した掌に、ライルは籠の中の指輪をころんと置いた。


「こちらです」

「ありがとう。さて、事務補佐官。最終確認だ。この指輪で間違いないかい」


 紋章を見えるように向けられた事務補佐官は、慌てて受け取ろうと手を出すが、パッとアルフレッド王子は指輪を握りしめた。


「確認がまだだよ」

「それです。間違いありません。ですから、返してくださいっ」

「………本当に間違いないんだね」

「そうです!」

「…………そうか。………うん。実に残念だよ」


 アルフレッド王子は指輪を摘まむと紋章を眺めてから、事務補佐官を見た。その目は鋭利な刃のように冷たく厳しいものだった。事務補佐官は射すくめられたように固まった。


「君の奥方は代々続く由緒正しい伯爵家の出だったね。国内で婚姻がなされ、他国の血は入っていないはずだ。この紋章は我が国のものではないが、一体何処で手に入れたのかな。伯爵に聞けばわかるかい?」

「あ、いえ、その……」

「それにね。この紋章。僕は知っているんだよ」

「!」

「帝国宰相ミスキーヤ家のものだ。かの家と繋がりが?」

「あ、お、おそらく、何代も前に交流が合ったのかもしれません……」

「何代も前ね。ふふ、おかしいな。ミスキーヤ家はね。宰相に就任した三年前に紋章を新たに作り替えていてね。これはその新しい紋章だよ。一体いつ、何処で手に入れたのかな?」


 アルフレッド王子は穏やかな口調なのに、その視線は鋭く冷たい。とても九歳の子供には思えず、事務補佐官は畏怖から身体が震え始めた。


「くっ……!」


 事務補佐官は突然立ち上がり扉に向かおうとしたが、カインによって阻まれ床に押さえつけられた。


「離せっ!」

「事務補佐官」


 アルフレッド王子の冷たい声が響いた。


「言い訳は牢の中で言うといい。納得のいく説明を期待しているよ」


 愕然とした顔のまま事務補佐官は縛られ、扉の外に待機していた騎士に引き渡された。


 騎士に挟まれ連行される事務補佐官の背後で、パタン、と扉が閉まる音が聞こえた。それはまるで、未来が閉ざされた音のように聞こえ、事務補佐官は、あああぁ、と慚愧の声を漏らした。降りる螺旋階段が奈落への道に思え、後悔と恐怖に戦いた。


 






読んでいただき、ありがとうございました。

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