かわいいひと side A
席で偶然隣り合って、私は彼に出会った。いや、顔にぼんやり覚えはあったけど、隣同士になって初めてズキューン! と心に来るものもあるのです。そう、私は彼に一目惚れしてしまったのだ。
「っかー、もうたまんねっすよ、涼歌ちゃん! あの節の目立たない大きな手! 白くてきめ細かな肌、長くてキレイな形の指! 最高なのはねぇ、爪ですよ、爪。完璧なんすよ。へらみたいじゃなくて、縦長の楕円形でね? あんた手入れしてんでしょってぐらい表面も滑らかで、色もキレイなピンク色! 本当に男の手なの!? って思うぐらい!」
手の甲の血管だって浮いてないのです。変な傷跡もないのです。わかりますか、この感動! と私は身を乗り出した。
「はいはいはい。トキメキは十分わかったから、酔っ払い親父のノリで彼氏語るのはやめなさい。いや、あんたが語ってるのは男の手だけど」
ランチを一緒している涼歌ちゃんが、ぱたぱたと手を振った。その手をがしっと、両手で包んだのはもちろん私。
「だいじょうぶ。涼歌ちゃんの手も大変好みであります。この小さくてほっそりした指と、豪華に飾られた爪は鑑賞に値します」
ひた、と見つめて告白すれば、涼歌ちゃんは空いてるほうの手でペシと私を叩いた。
「手ぇ放してくれないと食べられないでしょ。つーか、ちゃっちゃと食べなさい。ちんたら話してたら講義始まるでしょうが」
しぶしぶ、ネイルアートで彩られた手を手放すと、涼歌ちゃんは半眼になってため息をこぼした。フォークでつんつん皿をつついて、パスタをくるくる回しながら、
「あんたの話聞いてると、中川君が哀れに思えてくるんだけど。手で選びました宣言された日にゃ……」
「別に、手だけだなんて言ってないですよ。平ちゃんは中身も十分可憐です」
「可憐とか言わない。中川君、そのうち泣くよ?」
そうかなぁ……
私もパスタを取り分け、くるくるフォークを回した。そうかなぁ? 可憐って言葉悪い意味になるかなぁ? だって平ちゃん(中川心平というのですよ)見てたら、誰だって同じように思わないかなぁ?
「中川君って言ったら、背も高いしカッコいいじゃない。最近コンタクトにしてさ、一気に注目の的って感じ。やさしいし、人当たりソフトだし。前は全然目立たなかったのに」
涼歌ちゃんの意見を受けて、平ちゃんの姿を想像した。そこらの男子と変わらんよーな気がした。髪型はさっぱりしている。背は、平均よりは高いかもしれない。服装はお洒落……というほどでもないと思う。そうだなぁ、あえていうなら好青年って感じ? 声のトーンなんて気持ちいくて、手つなぐだけで真っ赤になるのが可愛いよ。
私がいつだったか、平ちゃんの指にキスしてなめちゃったときなんて、飛び上がって逃げていたよ。口数が少なくても、態度で全部わかっちゃうような人なんだよねぇ。照れたようにはにかむところが、とてつもなくチャーミング。
カッコいい……のかなぁ? かわいい人って言葉が平ちゃんほど似合う人はいないと思うのに。
「まぁ、指フェチのあんたにゃわからんかもしれんけどぉ」
私の疑いを察したのか、涼歌ちゃんは頬杖ついて傍観者モードだ。そうしていると涼歌ちゃんって色っぽかった。茶色に染めたふわん、とした髪が胸元を流れてドキッとしちゃう。この日当たりのよい席にいるだけで、ドラマのワンシーンみたく映っちゃうんだから不思議。そう、絵になる美人というやつだ。
ぼんやり見惚れていたら、涼歌ちゃんは着信を告げる携帯を取り出した。そうしてサッと顔色を変える。
「ごめん、約束あったの忘れてた! お金ここに置いとくね」
慌しくバッグをつかんだ彼女に、私は言ってやる。
「今日は彼氏A? B?」
「ふふ、どっちでしょう。――途中退場ごめんね。また今度埋め合わせするから」
隙のない麗しいお顔で微笑まれたら、怒る気なんて失せちゃうよ。私が男だったら、間違いなく落ちています。彼氏Cでございます。わかったですよ、とにこにこ顔で手を振る私を、不意に涼歌ちゃんが見下ろした。少し表情を曇らせて。
「七音、うかうかしてたら中川君、盗られちゃうよ。あんたが思う以上に、彼狙っている子いるからね」
彼狙ってる子、いるからね。
ファミレスを出て、セミの煩い大通りをぽたぽた歩いた。頭の中を涼歌ちゃんの台詞にぐーるぐーる支配されながら。
背も高くて、カッコいい。注目される。やさしいし、人当たり柔らか。
平ちゃんってそんな人? もっと、こう、頼りない感じなんだけど。
恋に落ちたきっかけは、あの繊細な指だった。容姿も性格も吹っ飛ばしてソコしか見えていなかった。思わずガシッとつかんで「私と付き合ってもらえませんか!?」なんて即行で(講義中に)告白したのだ。あんな理想的な形の手、見たことがなかったから。だって手のモデルみたいなの! 指が長い!
返事は、狼狽して戸惑いまくった挙句に、うん、と頷いたものだった。
でもね、付き合っているうちに彼の中身も好きになった。どうしようもなく可愛い人なのだ。人見知りをするのか、マトモな会話ができるようになるまで一月以上。キスだけで三ヶ月もかかった人だ。手を繋ぐのでさえ真っ赤になって未だに避ける。腕を絡めて歩くなんて、もうちょっと先になるのかな。
……涼歌ちゃんが言ってたのって本当に平ちゃん?
別の人から見ればそんな風に映るの? それとも私が勝手に「かわいい人だ!」って思い込んでいるのかな。
……あれ?
真夏の日差しに炙られながら、校門を過ぎた辺りでふと私の足は止まった。
あれれ?
嫌な事実に思い当たって、笑顔が固まっていく。もしかして私、好きと言ってもらったことない、かも。いや、平ちゃんが私に触れてきたことさえ、なくない、か?
いつも押し倒すのが私だったから気にしなかったけど――あれ? 付き合い始めてもうちょっとで半年経つよね。デートに誘われたこともない? あれ? いつも私が「会いたいよ、遊ぼうよ」って誘っていた? デートだって平ちゃんを引っ張って買い物に出かけるばかりだったかもしれない。私ばかりが楽しんでいたのかも……?
私、彼女だよね? え? 実は違ったりする? 私の勢いづいた告白に、思わず頷いちゃったとか!?
一度考え出したらこの暗い思考は止められなかった。足がふらりと動いてもぐるぐる脳裏を占めている。
最初まともに口利いてくれなかったのって、もしかして嫌がってた? そういえば目線さえなかなか合わせてくれなかった気がする。無理やり付きまとって喋らせてた? 触れてくれないのは、好きだと言ってくれないのは、そのせいか!?
ぴしゃーん!! とばかりに雷が落ちたような気分になった。
いやぁ、もう、笑っちゃうぐらいビンゴっぽくないっすか、これ。つーかヤバくないっすか!? うわ、どうしよう。どうしたらいいんだろ、こんなとき。てか付き合って五ヶ月が過ぎようってころに気付く事実ですか!?
お、落ち着くんだ七音。深呼吸してー……恋愛マスター涼歌ちゃんに、相談だ。
――ただいま電話に出ることができませ
『ん』が聞こえる前に携帯を切った。
「……」
っふ。そうだよね、デートだもんね!? もう彼氏と会っていちゃいちゃしてるよね!? ぐあああ、誰にこんなこと相談したらいいんですか!? いや待て。ただの被害妄想だって可能性もあるのです。平ちゃんから直に言われた訳じゃないですし、涼歌ちゃんだってきっとそう言ってくれるはず!
思いつきを否定しながら学校をふらふらと歩いた。エアコンのきいた部屋を目指して、日陰を選びながら。すると、耳に飛び込んだ単語に飛びあがった。
「……君が好きです!」
どっきーん、と心臓は当然跳ねました。だって告白ですよ。自分に向けられたものじゃなくとも、やっぱりドキドキしちゃうじゃないですか。どうしよう。ここを通り抜けたかったのに引き返そうか。まったく……告白するならもっと人目を忍んで欲しい。うっかり盗み聞きがバレたら、体裁悪いじゃないですか。もちろん出歯亀する気なんてありませんけど。
――校舎の中回って行こう。
そう視線を巡らせたとき、再度私は凍りついてしまった。だって告白を受けてる相手が……平ちゃんだったから。
うそ。
思わず隠れてしまった。平ちゃん、今って講義じゃないの? 思わず持っていた携帯を握りしめた。どくん、どくん、と突如大きくなった心音に邪魔されて、会話が聞き取れない。どうしよう、近づくか近づくまいか。この位置では平ちゃんの背中しか見えなかった。相手の子、だれ? わからない。見覚えのある髪型だけど、それだけじゃ判別できない。
ごくん、と生唾を飲み込んだ。汗が張りついて、手や背中が不快だった。緊張に気持ちが高ぶって、呼吸をするのも忘れてしまう。
――平ちゃん、断って。付き合っている彼女がいるからって、言って。
乱入したい気持ちを抑え、祈るように瞼を閉じた。だがそっと目を開けた瞬間、平ちゃんが女の子の肩に両手を置いているのが、見えた。私には、触れようともしない平ちゃんが。
あの、大好きな手で。
すごい真剣な顔で。
――まさか、キス、する直前……?
目の前が真っ暗になった。吐き気がして、両手で口を押さえた。その拍子に足が石か何かに当たる。よろめいていたらしい。
二人が驚いたようにこちらを見た。沈黙が落ちる中、平ちゃんが「ナナ、これは――」なんて言った。だけど、「あ、あはははは!?」なんて笑い声で遮った私はバカでしょうか。びっくりしている平ちゃんに、くるりと背を向けた。呼び止める声が聞こえたけど、立ち止まる余裕なんかなかった。私は全力で走って、その場を後にしたのだ。
七音、うかうかしてたら中川君、盗られちゃうよ。あんたが思う以上に、彼狙っている子いるからね。
予言めいた涼歌ちゃんの台詞が、耳の奥で何度も木霊する。女の子の肩を抱いた平ちゃんの姿は、瞼に焼きついて離れない。
夜中になってズキズキ痛み出した胸を押さえた。こんなに時間が経ってから涙が溢れてくるなんて、どうかしている。ボロボロ泣くほどショックだったなんて。
「どうして、こんな、苦し……」
バカだ、七音。これほど真剣に、平ちゃんを好きになっていたと今頃気づくなんて。
手だけじゃなかった。平ちゃんが、私、大好きだったんだ……
翌朝、鬱な気分で登校すると、涼歌ちゃんがあんぐりあごを落としてた。ああ、美人なのに台無しですね……。
「な、七音、どうしたの? 象に踏まれたパンみたいなその顔は」
おはようもなしに、涼歌ちゃんは開口一番そんなことを言う。
「うるさいですよ。ちょっと血の巡りが悪いだけで、マッサージしたら戻りますよ」
まさか夜中泣いてました、なんて言えるわけがない。それっきり無言で席に着いて、講義の準備にかかった。今日は、平ちゃんに会えない日だ。講義が互いに重ならない。オマケに朝は平ちゃんが学校へ来ない。その事実にホッとした。
「ねぇ、昨日あれから何かあった? 電話くれたよね。夜にかけたけどあんた出ないしさ」
「別に大したことはありません。……現実を知っちゃって凹みまくってるだけで」
勘が鋭い涼歌ちゃんに、ぽとりと本音を落とす。彼女は「は?」なんて聞き返してきたけど、これ以上口にするのも嫌だった。苦々しい感情はまだ胸の内をくすぶっていたから。
「え、なぁに? 本気で落ち込んでない?」
「私だって、落ち込むときぐらいありますよ」
言って、ペンを握り締めた。憂鬱は晴れないけど、今はそっとしておいて欲しい。理由を説明したら、涙が溢れそうだった。頑なに口を噤んでいると、隣で涼歌ちゃんは携帯を触り始めた。今度は何番目の彼氏に連絡取っているのだろう。……どうでもいいけど……。ため息は止め処なくあふれ出た。
講義内容が右から左に抜けていく中、考えるのは平ちゃんのことばかりである。平ちゃんに撫でてもらいたい。あの手で頬に触れて欲しい。声を聞かせて欲しい。あの困ったような笑顔が見たい。会いたい。会いたい。会いたい。……でも、怖い。
唇を噛みしめた。会いたいはずなのに、平ちゃんと会いたくなかった。こんなことって、本当、どうかしてるよ……
「昨日の埋め合わせするから、明日出てらっしゃいよ」
涼歌ちゃんが唐突に明日の予定を宣言したのは、学校を出る直前だった。講義中にふらりと姿を消したきり行方不明だったので、先に帰ったんだと思ったのは内緒です。(だって彼氏ABといるらしいし。)
「涼歌ちゃん、気にしなくていいですよ。あの後私もすぐお店出たし」
「何言ってんの。あんた、私と離れてから落ち込んだんでしょ? それに、電話取れなかったし……。気晴らししましょーって言ってるのよ。じゃあ夕方五時半に河原橋で。来ないと風月庵のパフェおごりだかんね」
絶対来なさいよ! としぶる私に念を押す彼女。時々涼歌ちゃんって強引だ。相手の都合を無視して約束を取り付けてくる。女王さま気質って言うのかな。
明日は平ちゃんと会う予定あったけど……
お祭り一緒に行こうね、という約束をずっとずっと楽しみにしていた。でも今、彼と会うの恐い。平ちゃんが別れを切り出してこないか、恐い。別の子が好きって言われたら――
昨日からずっとオフにしている携帯は、翌日、涼歌ちゃんとの待ち合わせまでオンにすることはなかった。
平ちゃんと私を結ぶはずのツールがこんなに重たいなんて、初めて知ったのだ。
絶対来なさい――その言葉の通り、パッとしない出で立ちで私は待ち合わせまでやってきた。気分はやっぱりブルーで、笑顔は作れそうにない。俯き加減で橋の欄干にもたれかかっていると、浴衣姿の女の子がちらほら視界に入ってきた。……本当なら、私も浴衣を着る予定だったのですよ……。
恨めし気に目が追いかけるのは、楽しそうに笑う女の子たち。その隣には男の子がいて、微笑ましかった。デートなんだ、と一目でわかる幸せオーラが目映くて困ります。ふふんだ、こっちも美人の涼歌ちゃんとおデートです。別に羨ましくなんか、ないですよ。羨ましくなんか……
「いた、ナナ!」
後ろからかけられた声に、ぎくん、と肩が弾んだ。この声は――!
振り返りもせず走りました。だって、この声は平ちゃんだから。
慌てて携帯をオンにして涼歌ちゃんに電話した。待ち合わせの変更をお願いしないといけません。でも繋がったと同時に聞こえてきたのは、勝ち誇ったような笑い声。
『ちゃーんと中川君に会えたでしょうね』
なんていわれた日にゃ、携帯握りつぶしかけました。は め ら れ た ! 後ろからは、ナナ、と呼び声。嫌ですよ。私、平ちゃんと別れるの、嫌ですから!
『いい機会なんだから、じっくり中川君と話しなさいよ。このおバカ』
「お、おおおおバカって何ですか! おバカって」
『恋愛は一方的にするものじゃないの。だから隙ができるのよ。彼女がいるって言っても諦めない輩が出てくるの。わかる!?』
我武者羅に走りながら唇を噛んだ。隙だなんて考えたことなかった。だって私は確かに平ちゃんが好きなのだ。それ以上に何が必要? 何が足りないの。
人ごみが邪魔をする。行く手をふさぐ。どうして今日が祭りなの。ぜぇはぁ言いながら振り返れば、真っ直ぐにこちらを目指す平ちゃんがいる。――どうしてこの人ごみで、私を見つけられるの。
「ナナ!」
声と同時に、腕をつかまれた。二の腕だって一掴みにする、大きな手に。
「一昨日のことだけど」
「き、聞きたくないです!」
両耳をふさいで、目を閉じた。聞きたくないです、と首を振りながら背中を向けた。うわ、どうしよう。平ちゃんを前にしたら、身体震えちゃってる。うわ、うわ、涙まで出てきちゃうよ。頭の中までぐちゃぐちゃで、どうしたらいいのかわからない――
ぐい、と強引に引っ張られた。倒れかけた私を支えるのは、人の温もりだ。汗ばんだ肌と、走って切れた息遣い。どくどく聞こえてくる鼓動は、私以外のもの。
抱きしめられていた。あんなに望んでいたのに、今このときに。
「は、放してください!」
ぐぐぐ、と腕を立てて必死に抵抗しなきゃいけないのが辛い。放して、と喚けば、上からふ、と笑う気配がした。
「一昨日のあれは……これと同じだよ」
目にいっぱい涙をためたまま、思わず顔をあげた。そこにあるのは、やさしい微笑だ。でも、傷ついたような。
「抱きつかれたから引き剥がした。でもそこ、ナナが見てて。すごい悲しそうだったからヤバいなって思ったけど、携帯繋がらないし」
へ、と瞬いた。とても困った、と笑う彼の笑顔が曇っている。
「怒ってるんだろうけど、誤解されたままは嫌だったから」
私から離れていく手を思わずつかんだ。彼の右手を、両手で。
涼歌ちゃんの台詞が耳に響く。恋愛は一方的にするものじゃないって奴。なにこれ、私すごい空回りしてる。ちゃんと話さなきゃダメだ。勘違いしていたこと、勘違いされていること。
「私、怒ってなんかないですよ。私、私が逃げたのは、平ちゃんと別れたくなかったから。お別れを、切り出されるんじゃないかって……恐くて」
こわくて。
それだけ言うと、後は声にならなかった。平ちゃんの手だけは放さずに、わんわん泣いた。往来で大泣きしたので、平ちゃんがおろおろしていた。必死になだめようとして、でも頓珍漢なこと言って訳わかんない。結局、平ちゃんに引っ張られるまま、私たちはその場から消えた。
そう、私が大好きなのは、この平ちゃんです。
不器用で、やさしくて、照れ屋で、かわいい人なのです。
祭りのやぐらから少し離れて、人気のない草むらで私たちは話をした。文字通り向かい合っての話しあいだ。(なぜか平ちゃんは正座スタイルでした)
祭りの熱気は、ここからじゃ少し遠い。そんな中、素っ頓狂な声を私は出した。だって明かされた真実は予想もしていなかったから。
「ええ!? じゃあ、じゃあ平ちゃん、狙って私の隣の席に?」
平ちゃんは顔中赤く染めながら、ぼそぼそ喋った。いわく、私のことを前々から好きでいてくれたこと。近づきたくて、講義が同じ時はいつも近くの席を取っていたこと。でも私はまったく平ちゃんを眼中に入れてなかったこと。気を利かせてくれた涼歌ちゃんが隣の席を空けてくれたこと。
そして私からの告白が真剣に嬉しかったこと。
でも、私は平ちゃんの手ばかりが大好きで、平ちゃん自身へなかなか目を向けなかった。平ちゃん自身も、自信のなさから目を合わすことさえ最初はできなかった。
(自信溢れてるなら、私が気付く前に告白してくれたはずですもんね……)
だから平ちゃんは、自分に自信をつけるために、私の意識が手以外にも向かうように努力をしていたようだ。メガネをやめて、ぼさぼさ頭をやめて、服装も意識してアレコレ買って。
「でも、そんなとこ一切見てくれてなかったけど。いつも手ばっかで」
ひらひら、と苦笑して平ちゃんは手を振った。ナナ、と呼ぶようになってくれたのも、そういえば最近になってからだ。私はそんな彼の努力とは違った――変わらない中身をずっと見ていた。それも私からのリアクションばかりを一方的に。
申し開きの言葉もございませんです、はい。
平ちゃんの努力は私を除いて実りまくり、たまに告白されるのだ、と言った。ううう、と罰が悪そうに小声で。
「でも待った。……じゃあなんで平ちゃん、私に触らないですか」
すると、平ちゃんは盛大に目線をそらした。なんでやねん。なんでそこで目ぇそらすねん。
「へ・い・ちゃ・ん・?」
ハートマーク付けて無理やり視界に入ってやると、また別のほうを見る。待てコラ。
「平ちゃーん、どうして目線そらすのですか~?」
ずい、とさらに顔を近づけると、近づいた分だけじりじり逃げていく。一定間隔をあけて、私を近づけさせないつもりか?
「……どうして逃げるのですか」
「あ、暑いでしょ、くっついたら!」
言い訳になってない! 腹が立って平ちゃんを押し倒した。さあ言え、と馬乗りになって脅しつけたのだ。そこでも顔を逸らすか!? 意地でも視界に入ってやれば、堪りかねたように平ちゃんが叫んだ。
「わかったからナナ、上着着て、上着!」
「……なんでですか」
この暑いのに、上着なんて。キャミで十分じゃないですか。
すると、平ちゃんは顔を背けながら、「……押し倒したく、なる、から」
耳まで赤く染めて、平ちゃんはぷるぷると震えた。その言葉にせずとも伝わってきそうな「嫌わないで、嫌わないで!」という主張に、力が抜けていく。だから、抱きつくたびわーわー騒いでたとか? 指なめて、飛ぶように逃げたとか? ああ、そういやこの姿勢だったら、胸元丸見えですね……確かに。
ふ、と笑いがこみ上げた。くすくす笑えば、「……ナナ?」と、様子をうかがうようにむくりと彼は身を起こす。
本当に、この人はどれだけかわいいんだろう。
「いいんですよって言ったら?」
私の顔も、今きっと真っ赤です。平ちゃんの大きな手を取って胸に押し当てた。キレイな手に触れられてる、と思うと心臓が口から飛び出しそうだ。一方、平ちゃんは仰天した。
「な、ナナ!? 何す――」
「ドキドキしてるの、わかりますか? これ、嫌だからこんなドキドキしてるんじゃないですよ。平ちゃんの手だから、こんななのですよ」
平ちゃんが怯えた犬のような顔でこっちを見る。私は赤くなった頬のまま、精一杯笑いかけて、目を瞑った。平ちゃんの手が、辿々しく頬に触れる。唇が、重なる――
「って、涼歌ちゃん! 見世物じゃないですよ!?」
言って手近にあった小石を茂みに向かって投げた。運良くヒットしたのか「あいた」なんて悲鳴がきこえてくる。そこから出てきたのは、違わず美人の涼歌ちゃんだ。浴衣姿が色っぽい。
「ああん、もう。いいとこなんだからぁ、遠慮せずチューしちゃえばいいのに」
「人に見せびらかす趣味はないです! というか、いつから」
「ほぼ最初から。だって、あんたがまた暴走しないか心配してたのよ」
「そしてデバガメ……。余計なお世話って言葉知ってますか!? しかも開き直り!?」
「まぁまぁ。私の計らいでうまくいったわけでしょう? 感謝なさい?」
「まぁまぁ、じゃないです! 涼歌ちゃんは大体いつも――」
どうどう、と押さえにかかる平ちゃん。ええい、放すのです! 私は馬じゃありませんよ!?
そしてタイミングよく鳴り響く携帯。ジェスチャーと目で黙りなさい、と命令する涼歌ちゃん。
「それじゃあ、彼氏Aと待ち合わせしてるから。ごゆっくりね」
「早くいっちまえ、ですよ!」
やぐらの方へ消える彼女をしっし、と追い立ててしまうと、再びしんとした空気が舞い降りた。後には私を押さえる平ちゃんと私の二人きり――
「うひゃぁう!?」
変な悲鳴を上げたのは私だった。だってね、平ちゃんがくんくん匂いをかいでいたから! いやあああ、さっきの全力疾走で汗かいたのに! ってそうじゃない。それだけじゃない。『押さえ込む』という名目で私の胸に当たる、形のよい手を今さらながら意識してしまう。というか、後ろから抱きしめられてる状態じゃないですか、これ!
ぼかん、と湯気が頭から出そうだった。耳まで熱が宿る。照れまくってしまう自分に、頭が混乱する。待って、待って、ストップ! 理性飛びそう。どうして? 私から抱きつくのは全然平気なのに。背中が、平ちゃんとくっついている箇所が、触れられてる部分がどうにかなってしまいそう。あんなに避けられてた平ちゃんに、あのキレイな手に――
でも平ちゃんはパッと身を離した。「それじゃ、俺たちも行こっか」なぁんて言いながら、赤い光のほうへ、祭囃子の聞こえるやぐらのほうへ、スタスタ歩いていく。ちょっと、このタイミングでそれですか!? 肩すかしもいいところです。好きな人から触られて、期待していたのに。
平ちゃん、と追いかけて軽くにらんだ。すると彼はにへら、と笑みを広げる。
「手だけじゃない、みたいだし」
自分の両手を眺める平ちゃん。心底嬉しかったのか締りのないお顔だ。そんな幸せ~~って顔されたら、何も言えなくなるじゃないですか。
……しょうがないなぁ。こういうところもひっくるめて、好きになっちゃったんだもの。
あの手に触れてもらったのか……とリフレインしかけた私は、ふと平ちゃんの左手をつかんだ。
「あああああ! ちょっと平ちゃん、手に傷、傷ができてる! うそ、いつの間に!? 平ちゃんの手に傷がー!」
「え? あ。本当だ。草で切ったかな……ってナナ、何してんの!?」
声を裏返すような悲鳴、あげなくてもいいですよ。かぷ、と平ちゃんの手を軽く噛むように舐めただけなのに。
消毒です。必要です。血の味が広がって不思議な感じがします。すると、平ちゃんはぷるぷる震えながらフリーズした。心なしかなみだ目だ。舌を動かすと、「うわぁ!?」なんて飛び跳ねた。さっきまでの余裕はどこへいったのか。
「かわいい……」
思わずぽろっと零れた。すると平ちゃんは「あ」とか「うう」と言ってにじり下がり、やがてダー! と逃げていく。その逃げっぷりはウサギのよう。
やっぱ平ちゃんは、こうでなきゃ。
「平ちゃん、置いてかないで下さいっ」
追いかけて、腕を絡めると今にも目を回しそうな平ちゃんがいる。顔が自然と笑みを作ってしまった。
何度も言います。私の大好きな彼は、手がキレイで、世界で一番可愛い人なのです。
ときどき……かっこいいと思うけど、ね。
最後まで読んでくださって、ありがとうございました。
平ちゃん視点を書いた『かわいいひと side B』もございますので、よろしければどうぞ!