第10話 舞踏会
けっきょく、私は断りきれなかった。
あれよあれよと言う間に舞踏会参加の準備が整えられていく。
「さあ、白以外のドレスならばどれでもお選びください」
メイドみたいな人に勧められるままに、ずらりと架けられたドレスを見る。
「なんで白はダメなんですか?」
「白はかねてより予定されていたデビュタントのためのものです。本日は、十四歳になられるテレーズ様、王太子殿下の許嫁であるテレーズ様が社交界にデビューされるんですよ」
よくわからんルールが沢山あるらしい。
さあ、困ったぞ。
私は適当にAラインっぽい細身の紺色のドレスを選んだ。
きっとごちゃごちゃしてたり、めっちゃふくらんでいるドレスよりは踊りやすいだろう。
いや、そんな悪あがきをしたところでそもそも踊りなどわからないのだが。
「でも、ここだけの話ですけど、私はテレーズ様よりもナオミ様のほうがうらやましいですわ。ジュリアン様はたくさんの事前の申し入れを全て断って、どうしてもナオミ様と踊りたいと。私もあんなお金持ちに……失礼、素敵な殿方に見染められたいですわ」
私は、心の中に何か氷のようなものが滑っていくのを感じていた。
……もう、気にしない気にしない。
次は靴、踊り用の靴。
なんかヒールのついたパンプスっぽいやつばっかりだったので適当にシルバーの靴を選んだ。
他にも髪をアップしたり、色々あった。
色々あったが、そんなことよりも、だ。
準備をしている中で一人のベテランぽい壮年のメイドさんが私を見るなり泣き出した。
泣き出して部屋の外に駆け出していったメイドさんを私は追いかけて呼び止める。
「えと、私がなにかしましたか」
「ああ、信じられない。姫様、よくぞご無事で……亡くなってしまったと聞かされ、お屋敷にも近づくことを許されず、婆やは泣き暮らしておりました」
「姫様???」
私の、漠然と感じていた不安が的中したのではないか。
「私はナオミという冒険者で……」
「ですから、ネイオミ姫でしょう。この婆やが姫様の顔を忘れるものですか」
やっぱりだ。
この身体には元の持ち主がいたのだ。
今の状況は、人格を持った誰かの身体に、私が乗り移っているようなものなのだ。
「しかし、なぜここに来てしまったのです。この王宮は蛇の巣。危険だから近づいてはいけないとあれほど」
私はなるべく嘘をつかずに相手を納得させるストーリーを考えて、なんとか喋る。
「私は事故にあって以前のことは覚えていないの。婆やさん?のこともわからないんです」
婆やは顔を覆ってひとしきり泣くと、赤く目を晴らして言った。
「姫様にとってはもしかしたらその方が幸せなのかも……しかし、なんてことでしょう」
婆やは私の手を取った。
「その首飾りだけは……大切にお持ちください。いつか姫様が日の当たる道を歩くことがあるやもしれません」
◇
舞踏会の開かれる大広間は、壁一面が建国の歴史か何かを描いた巨大なモザイク壁画で彩られており、見るものを圧倒していた。
また二回席のようなものがあり、石造りの階段で登るようになっている。
私はジュリアンのエスコートを受け、舞踏会に臨む。
「すごい。はじめてとは思えないコーディネートです……とても、似合っていると思いますよ」
風呂上がりみたいに上気した顔でジュリアンは言う。
「ジュリアンさんも、その服素敵ですね」
ジュリアンの手は手袋越しでもわかるほどしっとりと汗ばんでいる。
壇上ではお人形のような白いドレスの美少女と、豪奢な軍装に身を包んだ王太子トロイエが踊る。
あのテレーズというお姫様、王太子の細い目と対照的に、ビックリするほど目がでかい。
可愛いけど、ちょっと面白の領域に踏み込みつつある顔だった。
ワルツ調の曲が静かに流れる中、私はステップを華麗に踏む。
舞踏会なんて絶対無理と思っていたが、見よう見まねで身体を動かしていると、意外と踊れちゃったり。
いや、冗談抜きで普通に踊れている。
「ナオミさん、どこで習ったんですか?僕なんかよりずっと」
もしや、この身体の持っている記憶ということなんだろうか。
ワルツっぽい曲が終わり、タンゴのような聴いたことのあるような曲が流れてくる。
んんん〜?
絶対聴いたことある曲だよ、これ。
私はその曲の美しい調べに耳を傾けながら、踊る。
「たまたま、相手がいなくてよかった……ナオミさんとこうして一緒の時間を過ごせるなんて」
緩みきったジュリアンの表情を見ていると、心に氷の塊のようなものが落ちてくるのを感じた。
「私は嬉しくありません」
ジュリアンの動きが止まった。
私の頭の中ではやめろやめろという声が聞こえたが、それらを無視して私の口はつるつると本音を述べていく。
「相手がいない?防犯のため?そんな嘘をついて誘い出されても、嬉しくない。なんというか、フェアじゃない。好いてくれること自体は嫌ではなかったのに、残念です」
私は硬直するジュリアンの手をふりほどくと、舞踏会を後にしてしまった。
会場には少しのざわめきと、哀れな男の子の化石が残された。
◇
部屋に戻って、乱暴にドレスを脱ぎ捨てると、布団に飛び込む。あー、やってしまったー。
あんなことするくらいなら、お誘い自体をキッパリ断っておけばよかったじゃんかよ。
まあ、やってしまったものは仕方ないか。
私は枕を手繰り寄せると顔を埋める。
顔に何かが当たり、ちょっと痛かった。
外し忘れた首飾りだった。
私は首飾りを手に取り、トップを開いてみる。
窓から差し込む月明かりに照らされて、赤ん坊を抱いた男女は何も言わずに私を見つめてくる。
「だから、誰なのよ。あなたたち」
私がそう呟くと、部屋の片隅からごとっという音がした。
室内だ。
私はベッドの横にあった燭台を引っ掴むと、音のした方向に投擲した。
げあっ、という蛙を踏んだような声がする。
「アスウェン、アスウェン!」
見ると、カーテンの下に双子の冒険者の一人アスウェンが頭から血を流して倒れている。
抱き起こすのは弟のオスウェンだろう。
「クソ女が、兄貴をよくも」
おいおい、部屋に勝手に忍び込んでいたのが悪いだろうよ。
「この死に損ない、大人しく死ねッ!」
オスウェンは手にしたスローイングナイフを投げつけてきた。
私は咄嗟に布団を捲り上げる。
ナイフは布団を貫通し、顔の横の虚空を突き刺して止まった。
本気のやつじゃん、これ。
私は下着姿のまま布団を持ってベッドから飛び降りる、と同時に布団をオスウェンに向かって放る。
宙空で大きく広がった布団はオスウェンの頭の上から覆いかぶさった。
布団を引き剥がそうとバタバタするオスウェンを、私は燭台でひたすらにぶん殴る。
やがて、血に染まった布団の中でオスウェンは動かなくなった。
やってしまった。
少し普通の人間と見た目は違っても、まぎれもない人(だよね?)、それを殺してしまったのだ。
何かがちがち五月蝿いなと思ったら、ひとりでに自分の歯が鳴っている音だった。
私は下着姿のまま、部屋を走って出ようとした。
私がつくった死体と一緒の部屋にいたくない。
背中に軽い衝撃が走り、わたしの両肩の後ろから小ぶりな腕が伸びてきた。
その手には矢が握られている。
「殺す」
最初に伸びていたアスウェンの方は全然死んでなかったらしい。
私は首を突き刺そうと突き出された鏃を歯で咬むと渾身の力をこめて首をそらした。
木の裂ける音と共に、矢がへし折れる。
私は背中にアスウェンを背負ったまま後ろ足で走り、壁に激突した。
くぐもった悲鳴が背中から聞こえるが、それでもこのパック族の暴漢は手を離さない。
衝撃で開いたのか、廊下の灯りが部屋の中に差し込んできた。
急に背後のアスウェンの力が抜ける。
ふりほどいてアスウェンを投げ落とし、背後を振り返ると、うつ伏せに倒れたアスウェンの背中にナイフが生えていた。
部屋の中にはもう一人、私と同じく殺人の経験に衝撃を隠せず、小刻みに震えるジュリアンの姿があった。
◇
私たち二人は着替えをして応接間に通された。
落ち着くまでに少し時間を要したが、若いメイドさんが入れてくれた紅茶を飲んでいると歯噛みがおさまってきた。
「ジュリアンさん、ありがとう。あんな酷いことを言ったあとだったのに」
ジュリアンの方はまだ落ち着かないのか、震えている。
「とんでもない。僕のほうこそ、嘘をついて、むりやり舞踏会に誘ったりして。僕、謝ろうと思って、それで」
謝ろうと思って追ってきたところで乱闘の物音に気づいて踏み込んだ、ということらしい。
「貴女のいった通りです。私は、フェアでなかった。紳士にあるまじき行為でした。ごめんなさい」
しょげているジュリアンを見ていると、ほんのさっきまでうざいと思っていたのが信じられないくらい、可愛らしく思えてきた。
「でも、さっきは紳士らしく私を助けてくれた」
私はジュリアンの手を取ると、手の甲に口づけをした。
「あ………」
ジュリアンが喘ぎ声みたいなのを出すので、私は笑い出しそうになってしまう。
私はジュリアンの耳に顔を近づけると囁いた。
「懲りずにまた誘ってくださいね」
ジュリアンの耳が真っ赤に染まっていく。
こほん、という咳払いの音がして、振り向くと宮宰のマルタンが立っていた。
は、恥ずかしい。
二人きりだと思えばこその悪ノリだったのに、見られていたとは。
「実は今日できた死体は三つあるのです。ナオミ殿が襲われたことと関係がないか調べるため、お手数だが検分にお越しねがおう」
マルタンは慇懃にそう言った。