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第1話 転生


  一粒ひとつぶの砂の中に世界せかいを見

  一輪いちりんの花に天国てんごくを見るには

  君の手のひらで無限むげんを握り

  一瞬いっしゅんのうちに永遠えいえんをつかめ


  ウィリアム・ブレイク『無垢むく予兆よちょう


 憂鬱ゆううつなのは部活を卒業したからなのか、受験が本格化するからなのか。

その両方でもあり、両方でもない。

小中と地元の剣道場に通った私は、高校生活の大半を剣道部につぎ込んだ。

それ程までに入れ込んだにも関わらず、最後の大会は入賞も果たせず終わるという体たらくだった。

苦手な上段からの打ち込みに抗しきれず……いや、もうよそう。

受験についても悔やまれる。

母体となっている大学にエスカレーターできる高校だったから入ったはずなのに。


八代やしろさんは、お家は神社?」


「違いますけど?」


「あらぁ、やしろなんて名字だから勘違いしてたわ。あなた、今の成績だとエスカレーターしても神道しんとう科しか行けないわよ。家が神社だからのんびりしてるのかと思ってたわぁ。これから勉強も頑張らないとね、ファイト!八代直美やしろなおみさん」


あの担任の馬鹿にしくさった顔を思い出すと、メンをぶち込んでやりたくなる。

やや暴力的な妄想にふけっていたら、黒板ではいつのまにかみん王朝が滅亡していた。

世界史の教師が連呼していた「明るいのに暗いのがみん」という、それを覚えたらテストの役に立つかどうか怪しいフレーズしか覚えていない。どうしよう。

取り返しがつかないほど進行した黒板から目を逸らすと、キモオカくん、もとい忍岡しのおかくんの背中にダーツが生えていた。

えっ、いじめられているのはなんとなくわかっていたが、これはやり過ぎではないか。

いくらキモイからってあんまりだ。

忍岡健しのおかけんくんは、ノートにエログロな漫画をびっしり描いているのが発覚してから男子たちにめちゃくちゃいじられるようになり、女子からは毛虫かゴキブリのように扱われるようになっていた。

私はといえば女子のはしくれとして、キモいなぁとは思うもののあまり露骨な態度を取るのはよそう、みたいな立ち位置でいた。

それに……友達がいないという点では私も忍岡くんも同じだ。

剣道部ではストイックに稽古に打ち込んでいるばかりで、部活のみんなとはついぞ打ち解けなかった。

部活全体のラインとは別に剣道部女子のライングループがあるのは気づいていたが、そんなこと気づいたところで何かアクションができるわけではない。

忍岡くんの学ランの背中に染みが広がっていく。

世界史の教師はヌルハチがいかにすごいかを話すのに夢中できづいていない。


「時に八代!ヌルハチが出てくる有名な冒険映画があるが、わかるか?」


「インディ・ジョーンズ2ですか」


「……さすがだ。たくさん映画を観る熱量のいくぶんかでも授業に向けてくれよな」


骨だけで出てくるって言っていいのか?

この世界史の教師は映画好きで、度々こういう映画ネタをぶちこんでくる。

“このナポレオンの映画を撮ろうとして断念した有名な映画監督は?”とか。

その時に正解したら、今時の高校生でキューブリックを観ているのは偉いとかなんとか褒められて、以来気に入られてしまった。

クラスの中でカースト上位の女子たちが、こそこそと小声で喋って笑っている。

どうせ、八代は先生とデキているとかなんとか、そういうくだらない話だろう。

彼女たちは、こういう些細なことをなんでも色恋沙汰に結びつける。くたばればいいのにな。

そんなやりとりをしている内に今日最後の時限である世界史は終わってしまった。


 担任からの連絡事項が終わり、私は学校を出て駅に向かった。

しかし、ダーツを投げつけるのはまずい。

からかいの範疇を超えている。

明日、先生、担任ではなく、世界史の先生でもなく、もう少しマシなだれかに報告しよう。

そんな事を考えながら駅前にさしかかったところで脚を止めた。


「あー、単語帳忘れたか」


今日は山手線をぐるぐる回りながらひたすら英単語を攻める予定だったのだ。

私は予定や自分で決めたルールを変えるのが苦手だった。

そのくせにめちゃくちゃに忘れっぽいので、こういう自分の決めたルールに縛られて、やらなくてもいい作業がよく発生する。

単語帳を忘れたから今日は別の勉強をするか、とはならない。

単語帳を忘れたら単語帳を取りに行かなくてはならない。

でもしょっちゅう忘れる。

発達障害のひとによくある特徴らしいが、診断を受けた事はない。

自分のヤバさにお墨付きがつくのが、なんとなく怖かった。

私は学校へと引き返しはじめていた。

通学路にガリアーノのコレクションとかにありそうな、もとは高級だったボロ布みたいなものを見に纏った若い男が立っているのを見て、私は目を合わさずに通り過ぎることを瞬時に判断した。

そのガリアーノ男は手に古ぼけた木製の砂時計を持っていた。

まあ、ディティールはどうでもいい。

まず、目つきがヤバい。ぜったい変質者だ。

ガリアーノ男は焦点の合わない目をしたまま、大声で叫んだ。


「ついに見つけたぞッ!我らが救世主」


うわうわうわー、確定でヤバい人だ。

私は足早にその男の横を通り過ぎ、校門をくぐると走って教室に向かった。

教室のドアを開けようとして私は固まった。男子が5人、あと3人の女子、いずれもあまり話したことのないちゃらちゃらした感じの子たちだったが、彼らに囲まれてパンツ姿の、それも股間のところが少し黄ばんだブリーフ、それ一枚だけになった忍岡くんがうつむいていた。

私はゆっくりと壁の影に隠れて、盗み見るような格好となった。


「キモオカくんがシコってくれるそーです」


「えー、ちょっとーやめなよー」


「お前も男が一人エッチするの見てみたいって言ってたじゃん」


「おまえらヤッちゃってるくせに今更じゃん?」


ひときわガタイのいい男子(誰だっけ?バスケ部のやつ)が、忍岡くんの黄ばんだブリーフを一気に脱がした。

女子たちが一斉にきゃあきゃあ騒いでいた。


「こいつ意外とおっきくね」


「いや、見られておっきしちゃったんじゃないの!キモオカくん、変態だから」


清純派っぽいメイクのわりに目つきがきつい女子、誰だっけレナちゃんだったかユマちゃんだったかが、定規で忍岡くんの股間のものをつんつんしている。


「オラ、早くシコれよ。自分の書いたマンガ見て、いつもやってんだろ」


ガタイのいいやつが忍岡くんのお尻をまあまあ強めに蹴った。

蹴られた忍岡くんは股間のものに手をやった。その手は震えていた。

私はなんだか頭が動転してしまって、腰をかがめながらその場を後にした。止めもせず、誰にも報告すらもせず、ただ後にしたのだ。


 翌日、登校すると下駄箱のところに忍岡くんが佇んでいた。

私はせいいっぱいの作り笑顔を浮かべて、おはようといった。


「昨日見てたよね」


私はヒッと息を呑んでしまった。私の怯えたような反応は、いかなる返答よりも明確だった。


「見てたんだね」


忍岡くんは、力無く笑うとすたすたと廊下を進んでいった。

何かが手遅れになってしまったとき、人はそれに気づいていながら、立ちすくんでしまうことがある。

私は下駄箱の前の柱に手をついたまま、リノリウムの床を見つめながら、脂汗でセーラー服がぐちょぐちょになっていくのを感じた。

私が正気を取り戻したのは、耳を突く悲鳴によってだった。


「いやあああああ」


「刺した!刺した!マジかよ!」


何人かの男子生徒と女子生徒、昨日見た子もいれば、そうでない子もいたが、脚をもつれさせながら走っていく。


「まってよ」


それを走っておいかける妙にのんびりした声の主は忍岡くんだった。

その手には血のついた、どこで買えるんだよそんなんという感じの厨二病デザインの大型ナイフが握られていた。

ナイフのナックルガードにスパイクがいっぱいついていて、兄貴がヘビロテしてたスタローンの映画「コブラ」でカルト教団の殺人鬼が使ってたやつみたいだ。

逃げる生徒達はよほど混乱しているのか下駄箱のところに向かわず階段を駆け登っていった。

追いかける忍岡くん。

私はひとりでにそれをさらに追いかけていた。

私は彼がいじめられているのを知っていて、傍観した。

こんなことが起こる前になんとかなるチャンスがあったのに、みすみす見逃した。

今からでも、どうにか止めなくては。


「あ、先輩、なんかさっきの三年生、刃物」


踊り場でへたりこんで震えているのは、部活の後輩女子だった。朝練のために防具入れと竹刀を持っている。


「借りるよ!」


私は後輩ちゃんから竹刀をひったくると屋上に向かった。

屋上では刺されて血溜まりを作りながらうずくまる男子、切り付けられて貯水塔にもたれたまま痙攣している女子、などなど惨状が広がっていた。

私は鞘袋から竹刀を抜いた。

忍岡くんはレイナちゃんだったか、エマちゃんだったかを屋上の柵に押しつけて、首筋に刃物を当てている。

この恐怖の壁ドンに女の子は失禁してしまっていた。


「忍岡くん、もうやめて」


私は竹刀を構えて、忍岡くんにはっきりとした口調で話しかけた。忍岡くんはゆっくりと首をこちらに向けた。


「三人殺そうが四人殺そうが、一緒じゃない?」


「えっと、死刑は三人以上だから……あれ?」


「………」


「……いやいやいや、きっと一緒じゃないよ。だから、もうやめてよ。それに……ごめん。私、もっと前に先生に言うとか、なにかするべきだった」


「もうどうだっていいさ、そんなこと。それに君に見られちゃったし。もう終わりさ」


「それ、どういう意味?」


忍岡くんは少したじろいだような様子を見せたあと、ナイフを握り直した。


「もう、言う必要はない」


忍岡くんがナイフを振りかぶる。

私は全国大会で発揮できなかった全力の踏み込みを繰り出し、渾身の突きを手に向けて放った。

忍岡くんの持っていたナイフは空中に弾き飛ばされて、キラキラ光りながら放物線を描いて、校庭へと落ちていく。

女の子はそのままへたり込んだ。

私は突きを放った勢いのまま、すり足が止まらず、忍岡くんに、そして柵に突っ込んでいった。

柵が、

『言っていなかったけど俺はもう寿命が尽きています。ソーリー』

みたいな切なげな音を立てて、曲がる。

というか折れて、外れた。


「え、ウソッ」


「えっ?」


「あっ?」


私と忍岡くんは不覚にも抱き合うような体勢で屋上から落ちていく。

忍岡くんに見えたかはわからないが、私は見た。あのガリアーノ男が校庭に立っているのを確かに見たのだ。


「我らが救い主よ、お迎えにあがりましたぞ」


男は手にした砂時計を回転させながら、叫んだ。


「悩み多き今生こんじょうを捨て、次なる生で解脱げだつを目指せッ!サンサーラ!」


落下していく景色がにじみ、歪んでいくのを感じた。


 背中に当たるゴツゴツとした感覚で目が覚める。

見上げれば左右には岩肌が屹立し、背中のゴツゴツしたものも岩だった。

崖の下?

次に驚いたことには、着ている服に見覚えがない。

薄緑の簡素なチュニックの上に花柄の刺繍が入った皮のベスト。下は際どい短さのスカート、茶色いロングブーツ。

なんだ、このRPGのお転婆な村娘みたいな服装は。

おまけに首元にはアンティークショップにありそうな陶器製のヘッドが着いたペンダント。

ヘッドを開けると、しまりのない表情をした西洋の貴族みたいな服装の男女の油絵。

女性は赤ん坊を抱いている。

誰だこいつらは……。


「落ちて頭打って、幻覚見てるとか、そういうやつかな」


ためしにほっぺをつねってみるが、普通に痛い。

普通に痛いし、それに、なんだか力加減を間違えたかと思うくらい、ヒリヒリする。

よっと、立ち上がるといつもより心なしか視界がクリアーな気もする。なんだかおかしな感覚だった。

歩いてみると、これまた違和感が半端ない。

ジャンプ、ついでジョグ。引くくらい飛べるし、ジョグのスピードじゃない。これはランだ。


「この星はやたら重力が軽くって、スイスイ動けらぁって……そんなわけないよね。なんだろう、やっぱり夢でも見てるのかな」


私は走っている途中で見つけたイイ感じの流木をくるくる回しながらぼんやり考える。

兄貴の持ってた漫画に毒されすぎていたのも、私が学校で浮いていた一因かもしれないなー、なんて。

左右の崖がなだらかに低くなっていき、岩肌の両岸が森へと変わっていった。

さらに進んでいくと、小川のせせらぎのようなものが聞こえた。

音の方向に歩いていくと、岩の隙間からちょろちょろと水が見えるようになり、やがて本格的に小川になった。

私が今まで歩いていたところも、雨量によっては川だったのかもしれない。

私は発見した小川の水がとても澄んでいたことに安心し、ベタベタする顔を洗った。

なんだか水面に映る自分の顔に違和感をおぼえたが、それを追求する暇はなかった。

顔を洗っている間に、目の前にわけのわからない生き物が立っていたからだ。

それのピンク色の肌には皺がよりまくっていて、顔には黒い目と黄色い汚い牙をはやした小さな口、赤ちゃんめいた丸っこい手にはピクピクした瀕死の鶏っぽい鳥が掴まれている。

その生き物は直立したハダカデバネズミを思わせた。顔のつくりにはいくぶんかブタのような要素もあったが。

ちなみにサイズは幼稚園児くらいある。

ハダカデバネズミは、鳥をどさっと落とすと叫んだというか鳴いた。


「ピキュー!ピ、ピキュー!」


途端に川を挟んだハダカデバネズミの背後の森から、ぞろぞろと同様のデバネズミ達があらわれた。

皆、めいめいにいい感じの棒とか石とかを掴んでいる。

そして、予想はしたが、襲いかかってくるのだった。


「め、めーんッ」


私は踊りかかってきた一体のハダカデバネズミの鼻面に棒切れを叩き込んだ。

ハダカデバネズミは吹っ飛んだが、顔を押さえているだけだ。

流石に死にはしないか。

三体が川を越えてじりじりと迫ってくる。

尖った木の枝を繰り出してきた一体に対して、小手を打つ。

そいつは木の枝を取り落としたが、他の二体は慎重に距離を詰めてくる。

別の一体にこちらからメンを見舞った後、切り返しのように隣の一体もポカリと叩いた。

しかし、どれも致命傷には至らない。他の個体もいつのまにか小川を渡っている。まずい。


「女、これを使えッ」


風を斬る音と共に、私の目の前の地面に西洋の剣、それも両手で扱うようなデカい剣が突き刺さった。

私はこんなの振れるんかと思いながらも、急いでそれを引き抜いた。


ドウッ!」


引き抜き様に胴を放つと三体のデバネズミが血飛沫をあげて六つの肉塊へと変貌した。


「ええっ、ちょっと私すごくない?」


剣を投げたと思しき人物、これまた鎖帷子くさりかたびらを着て、その上から赤い布みたいな物を被っている(サーコートとかいうやつかよくわからん)を着た、BBCの歴史ドラマみたいな格好の男が現れた。

金髪で鼻が高いが、肌は褐色だ。

どこの国の人だかさっぱりだが、イケメンだ。


「おお、中々の太刀筋だな。だが、少々腕に覚えがあるからといって」


男は指抜きの手甲をつけている。拳を握るとデバネズミの一体に繰り出した。空気の唸る音がして、デバネズミの頭がスイカ割りのように砕け散った。


「棒切れ一本で、ゴブリンの巣に突っ込んでいくのは感心しないな」


男は喋りながら回し蹴りで三体のデバネズミを同時に屠った。

その動きに圧倒されていると、いつのまにか一体のデバネズミが岩を構えて私に肉薄していた。

しかし、そのネズミは眉間に矢を生やしてどうと倒れた。


「そうそう。お嬢さん、油断は禁物だよ」


樹上を見上げるといしゆみを構えたアジア人の少年が枝に座っている。

見た感じは少年なのだが、私はその表情になぜか違和感を覚えた。


「エーヴァ、仕上げだ」


男の背後に美女が音もなく立っていた。

オフショルダーのベルベットのような素材のドレスを見にまとっている。

この人は見た目は白人女性という感じだが、なんと耳が尖っていた。

女性が胸の前で印を組む。


「悪しき者の魂を聖火せいかへの供物くもつとなさん スヴァーハ」


ハダカデバネズミ達の周囲の空気が揺らぎ、そして燃え上がった。彼らはピュイピュイ言いながら倒れていく。

どうやら全てやっつけたようだ。


ところで……いったいなんなの、この世界は。

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