表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。

クサイ足 〈フランク・ザッパに捧ぐ詩〉

作者: 毛利秋王

【登場人物紹介】


(わたし) ……… 主役です。

(ぬし)1 …… 道ですれ違った。

(ぬし)2 …… ライブハウスにいた。

叔父(おじ) …… 足が臭かった。







【1】




 突然ですまないが、叔父の足の臭いは強烈だった。食事中の方には本当に申し訳ない思いでいっぱいだが、これは紛れもない事実なのだ。


 私が叔父と初めて会ったのはいつだっただろうか。正確には覚えていないし、この世に生を受け、物心ついた子どもが周囲を見渡すと、そこに家族がいた。言ってみれば、そんな感覚に近い。

 そう、あの叔父は気が付いたら私たちの傍にいた。ということは、つまり、あの、他に例えようの無い、この世のものではない魔物が近くに潜んでいた、ということになる。

 悪臭という表現を通り越し、私たち家族は叔父の足を“殺戮兵器”と呼んでいた。父が叔父を家へ連れてきた時は陰で「殺戮兵器が来たぞー!」と本人に聴こえないよう気を配りながら笑いのネタにしていたが、それはあながち嘘でもなかった。先ず、玄関へ叔父が入って来る。すると、玄関に残された彼の靴が「逆芳香剤」とでもいうのか、最低でも一週間はあの臭いが玄関に充満することになる。そのため、我々は息を止めて家を出入りする羽目になってしまうのである。叔父が通った廊下、叔父が歩いた和室、叔父が座った座布団、それら全てに逆芳香剤をばら撒いて彼は去っていくのだ。


 ある日の夜、気の良い私の父は叔父を連れてきただけでなく、彼を家に一泊させたことがある。私には兄と姉がいるが、隣の部屋で寝ていた私たち兄弟は、部屋の壁をすり抜けて忍び寄ってくる逆芳香剤の臭いに一晩じゅう苦しめられることとなった。そこにいた誰もが苦行に耐え、眠ったフリをしていたが、深夜二時になっても寝付けず、ついに兄が「ホンット、くっせえなー!」と口を開いた。その言葉に姉も反応し、「寝れないわよね、殺戮兵器が居ると」と答えた。私は聴こえていないフリをして、いびきをかいては熟睡している演技に集中した。そんな私の顔を兄と姉が覗き込んでくるのが気配で分かったが、彼らに本当は眠っていないと悟られないよう、更に深い眠りに入っているように見せかけた。

 

「こいつ、よく眠れるよなあ」

「おーい、寝てるのかー?」

 兄と姉が俺の耳元で囁きかけるも、私は眉間に皺を寄せ、より深いレム睡眠へと突入しているよう演じ切った。我ながら、眠りの演技だけなら名子役だ! アカデミー賞ものだと思った。


 その翌日、叔父が帰った後は地獄そのものだった。部屋の中は一見いつもと何の変哲も無いが、至る所に彼は地雷原を設置していたのである。叔父の足が触れた所に我々の身体が触れるとたちまち感染爆発を引き起こしてしまう。“臭い感知器”がここにあれば、

「全員、退避―――っ!!」

 と叫んで我々は一目散に家から脱出しなければならなかったはずだ。マスクを装着した母は、逆芳香剤がこびりついた布団を干すミッションに何とか成功するも、今度は庭中にあの臭いが蔓延することとなった。シーツを洗濯するも臭いは取れず、洗濯機内に逆芳香剤が充満してしまい、我々の衣類をその中へ放り込むことができなくなってしまったのである。

 何故、これほどまでに彼の臭いは常軌を逸していたのか? 幼い頃から私はそんな素朴な疑問を抱き続けていたのだが、もちろん本人に訊く勇気もなく、叔父自身も逆芳香剤に包まれた日常に慣れてしまったために、彼にとってそれはとても居心地のいい状態であることだけは理解した。


 幼少期の強烈な体験もあり、私は“臭い”に対し異常なほど執着するようになった。これが我が人生のテーマとなり、これが私の生きる道だと思うようにさえなったのだ。



 断っておくが、私は変態ではない。ただ、私の知的好奇心がそうさせているだけなのだ。それは人間の本能であり、私はその本能のままに我が道を突き進んでいるだけなのだ。









【2】




 成長した私がある日、外を歩いていると、どこからともなく悪臭が漂ってくる。すると、咄嗟に私はその“主”を探し始める。まるで犯人を追い詰めようとする名探偵のように。

「やめてくれ、俺はもう、謎は解きたくないんだ!!」

 と言うなんて野暮な話だ。好奇心と探求心が私を奮い立たせる。私なら37歳になってもその情熱が失われることなど決して無い。その臭いを分析し、『これは身体のどの部分から発せられているのか?』と推理しながらヤツ(真犯人)を突き止めるのだ。

 これ以上にスリリングな体験があるのか? 勿論、答えは「NO!!」だ。


『この強烈な酸味をおびた臭いは……ワキガに違いない!!』

 犯人とおぼしき人物の脇から発せられるその臭いは、たまらなく刺激的だ。ひとたび近づき鼻をクンクン鳴らすと、たちまち胃酸が逆流してくるのである。


 ……と、無謀にも一人の戦士が彼の前に立ちはだかったではないか!

 どうやら戦士はマスクを装着しており、真犯人が近づいているのに気付く様子も全く無い。

 真犯人が彼の横を通り過ぎようとしたその時、何と、戦士はおもむろにマスクを外し始めた!

 戦士の目の前を通過する犯人。私は、固唾を呑んで見守っていた。

 異変に気付いた戦士が犯人の方を振り向く。と思った瞬間、犯人は脇に挟んだ凶器を振りかざし、彼の鼻めがけて突き刺した!!


「ヴッ……ヴゥエェェ~~~ッ!!」


 そこら一帯に戦士は嘔吐した。真夏の太陽が照りつけるアスファルトに飛び散る嘔吐物は、キラキラと反射して実に眩しい。この光景を例えるならば、アニメ『あしたのジョー2』で力石徹の亡霊に憑りつかれた矢吹丈が、幻のあのテンプルめがけ渾身の力を振り絞り、得意のクロスを叩きこんだ後の、あの演出に酷似していた。別名、“光るゲロ”。あの、伝説の出崎マジックをCG無しで忠実に再現できるとは……恐るべし!!

 しかも、吐き出したゲロをよく見ると、コーンの粒がそのまま飛び出してきているではないか!

 ……戦士よ!! 貴様、小学生の頃に「一口につき30回噛んでね」と先生に教わらなかったのか? あん?! 更によく見ると、クルトンまで原型を留めている! 戦士よ、貴様の腹の中には最新式3Dプリンターが搭載されているのか? あん?! 復元できるぞ、こりゃ!

 

 それにしても戦士よ、貴様はあまりにも無謀な挑戦をしてしまったな。その証拠に、見よ、皆の者! もがき苦しむ戦士の姿を!! その様はまるで、矢吹丈のトリプルクロスをまともに喰らい、顎を粉々に粉砕されたウルフ金串と瓜二つではあるまいか!!

 戦士は更にもがき苦しんでいた。それは、ゴロマキ権藤に再び顎を粉砕されたウルフ金串そのものだ!!

 戦士よ……いや、ウルフよ。貴様、ジョーに30万円を借りておきながら、利子を付けなかっただろ?! しかも、たしか原作では最後まで結局カネを返さなかっただろ、お前わ?! ここで自らの罪を認めるんだな、ハーーーッハッハッハッハッハッ!!



 颯爽と風を切って歩く主に向かって吐き出しそうになるのを必死でこらえる私たちは、海底二万マイルへと潜水するがの如く、死にもの狂いで息を止める。そこは未知なる深海ディープブルーであり、深い海の底に沈んだタイタニック号を発見した時の喜びを連想させてくれる。何気ない日常に潜む、何ともいえないスリリングなひと時だ!


 私はこの貴重な体験を与えてくれた主に感謝し、通り過ぎていく彼を遠くから拝むのが至上の喜びだった。彼が街のど真ん中を歩くと、人々は勝手に道を開けてくれるのである。その様は、まるでハリウッドスターがレッドカーペットの上を優雅に歩く姿そのものだ。もしも彼が軽自動車から降りてきたとしても、その光景は真っ白なリムジンから登場する姿と何ら変わりは無い。そして、ある意味彼はハリウッドスター以上の存在であると私は思っている。何故なら、主はボディーガードを必要としないのだ! 主は、肩をぶつけられて喧嘩を売られることも無い。少なくとも半径2メートル以上は誰も彼に近づけないからだ。私はこれを“ナチュラル・ソーシャル・ディスタンス”と呼ぶことにした。超自然発生的に“密”にならないよう、主は細心の注意を払っているのだ。その生き様と堂々たる佇まい、何とも清々しいではないか!


 断っておくが、私は変態ではない。ただ、人類が臭いと共に文明が発展してきたのだと信じており、その神秘の謎を解き明かしたい、言うなれば「パンドラの箱を開けてみたい」という潜在的欲求に突き動かされてやっているだけのことなのだ。


 何故、人は悪臭を感じたら何度も臭ってしまうのだろうか? “二度見”という言葉があるが、確認するように見る際は誰もがドラマ『24-TWENTY FOUR―』の主人公であるキーファー・サザーランド演じるジャック・バウアーになりきっているのは皆ご存じの通りだ。だが、臭い、それも強烈な悪臭に至っては、二度見どころではない。手で鼻を覆いつつも、無意識に我々は指と指の隙間から臭いをしっかりと嗅いでいる。それも、まるで野良犬みたいに何度も何度も嗅いでしまう。オナラ、生ゴミ、口臭、排便をした後の便器から漂ってくる香り……数え上げると枚挙にいとまがない。


 断っておくが、私は変態ではない。









【3】




 成長した私はフランク・ザッパの魅力に憑りつかれた。彼のアルバム『アポストロフィー』収録の一曲に『スティンク・フット(=臭い足)』という曲がある。内容は、足が臭い病の男の話。この曲を聴く度、あの叔父の足の臭いを嗅いだ日々が蘇るのだ。私にとってそれはノスタルジーを感じさせる名曲であり、生涯のテーマ曲となったのである。


 ザッパを師と仰ぐ私は、彼のレコードから放たれる強力なエネルギーと同等の悪臭を追い求めた。そして、私が辿り着いたのはモッシュ&ダイヴが炸裂する激しいライヴ会場の現場だった。ハードロックやヘヴィーメタル、パンクといったジャンルの音楽には人々を熱狂させる力があり、身体と身体がぶつかり合う。その中に一人か二人はどう臭っても数日間は風呂に入っていない人間が存在するのだ。私は彼らの行動と、その周りに居る観客たちがどのようなリアクションを取るのか、そして、それはどんな類の臭いを放っているのかを知りたくなった。



 そんなある日、アメリカで人気急上昇中のパンクバンド、アトミック・ボムの来日が決定したと知り、私はその日を心待ちにしていた。勿論、音楽は二の次であるのは言うまでもない。私にとって音楽とは“=ザッパ師匠”であり、それ以外のものはクソ……いや、汚物、糞便、排泄物同然であった。真の目的は、“臭いの主”を探すことであり、主によってオーディエンスがどういった反応を示すのか? そして、その臭いはどれほどの影響力を及ぼしていくのか? 私が知りたいのは、ただそれだけだ。









【4】




 ライヴ当日。会場に入った私は全神経を二つの鼻に集中させた。両目を閉じ、周りの雑音を遮断し、嗅覚をフルに活用させて“主”を探した。ゾーンに突入した私は、犬よりも臭いを嗅ぎ分けることが出来ると自負している。


 ……いた!!


 どこだ、主は?!


 ゆっくりと両目を開けた私は、その“主”の居る方向へと視線を向けた。


 ……おおっ!!こっ……これは?!


 “主”は直ぐに分かった。私の居る位置から左斜め前方、約30メートルの所に居る男。チリチリの乱れきった髪の毛が天然パーマを作り出しており、超自然発生的にアフロヘア―を構築している。馬鹿でかいピンクのサングラスにイエローのタンクトップ、ジーンズは赤いチェック柄のパンタロン、ド派手なシルバーのブーツという、まるで1970年代からタイムスリップしてきたかのような時代錯誤感まる出しのその男は、この会場内で異様な存在感を放っている。パンクというより、明らかにスライ&ザ・ファミリーストーンを好んで聴いているファンク系の立ち居振舞いをしている。だが、会場内に何人も居る、革ジャンを着てモヒカンや派手な色に髪を染めただけのニワカパンクス共より、彼の方が明らかにパンクそのものだと私は感じたのであった。そして、人々でごった返しているこのライブハウスの中でも、彼の周囲にだけはまるで目に見えないバリアーがそこにあるかのように誰も居ないではないか! 少なくとも彼の周辺約3メートルには結界が張り巡らされているのが分かる。その領域に足を踏み入れるだけの勇気を持った真の勇者は、ただの一人もいない。


 意を決し、私は主であろう彼の元へ、一歩、また一歩と近づいていった。それはまるで映画『地獄の黙示録』のように、敵地へ単独潜入する緊張感に酷似していた。私の頭の中では今、ザ・ドアーズの名曲『ジ・エンド』が脳内再生されている。もうすぐだ、もうすぐカーツ大佐の所へ辿り着ける!


 ……これだ、この緊張感!!

 

 すると、突然、主は持っていたビニール袋に手を入れた。彼が取り出したのは、何と!……シュークリームではないか!! これからパンクバンドが登場しようとしている中、まさかの展開に私は驚愕した。美味しそうによだれを垂らしながらシュークリームを頬張る主。この緊張感が張り詰めたライブハウスの中で…………シュークリームだとおぉぉおっっっ?!

 この場違い感、これぞ正に、真のパンクスだ!!

 更に近づいていくと、主から加齢臭まで漂ってくるではないか! ……ということは、つまり、主がいま食しているのは、カレー味のシュークリームではないのか?!


“カレー+シュークリーム = カレーシュー = 加齢臭(カレー臭)”


う〜〜む……

 スパイシーでスペイシー、かつ甘美なる方程式。

 

 そして、カレーシュー…………激レアだ!!

 

 私は、私に課した任務を全うするため、更に彼に近づいた。よく見ると彼の頭の周辺を数匹の蠅が飛び交っているのに気が付いた。臭いを分析してみると、アンモニア臭まで漂ってくる。間違いない、彼がここの“主”だ! 少なくとも三つの臭いが複雑に絡まり合っているのが分かる。これ以上は無いというほどの極上のハーモニーを奏でる主。既に、神の域にまで達している……。

 しかし、あと1.5メートルという所で酸素不足になり、あろうことか、そこで思い切り鼻から息を吸い込んでしまった。


「ヴオヴウエェェッ!!!!」


 胃酸が逆流していくのが分かった。胃液が口からしたたり落ちそうになるのを私は必死に堪えた。昼間に食べた消化したはずのハヤシライスが胃の中で復元され、全て口から舞い戻っていくのではないかという錯覚に陥った。

 これ以上は無理だと悟り、私はそそくさと元いた位置へと戻った。周囲の人達は一体何が起きたのだろうと不思議がっているようにも見えたし、何故、私がわざわざ主に近づいていったのかが理解できなかったであろう。









【5】




 開演時間から約1時間遅れてやっとメンバーが登場。バンドのボーカリストはオーディエンスに向かって人差し指を向け、「待たせたな!!」というポーズをキメている。


「……遅い、遅すぎる!! 待たせすぎだ!!」


 すると、ステージ上にいるアトミック・ボムの連中が皆、眉間に皺を寄せ、怪訝な顔をしているではないか! 熱狂するオーディエンスに対し、その表情はあまりにもミスマッチだ。だが、私にはその理由がハッキリと分かった。ステージに登場した彼らは確認するように一瞬だけ“フッ、フッ”と鼻から息を吸い込んでいた。主が居るのはステージから約7~8メートルといった所だろうか。本来ならばステージに近いその位置には、もっと沢山のオーディエンスが集まっているはずだ。だが、主の必殺“ナチュラル・ソーシャル・ディスタンス・バリアー”によって前方はいつもより閑散としている。最前列の柵にしがみついている人達の表情は私の居るこの位置からは確認できないが、彼らのさり気ない動作を見ていれば、苦痛に耐え忍んでいるのが容易に想像できる。何故なら、彼らは柵に肘を着き、何もないように手を口元に当てているからだ。そう……それはまるでオーギュスト・ロダンの作品“考える人”のように。彼らは“考える人”のようなポーズを取りながら、“考えない人”を演じている。思考停止状態。いや、正確に言えば“主の臭いを嗅がない人”という表現の方がよりしっくりくるだろうか。しかし、指の隙間から彼らは主が奏でる至極のハーモニーを体感しているはずだ!


 メンバー全員が後ろを向き、大きく深呼吸した後、一斉に振り向いた。アトミック・ボムのライヴが始まったのである。


 攻撃的で疾走感溢れる演奏を繰り広げるメンバーと、熱狂するオーディエンス。だが、私の真の目的は“主”を観察することだ。ヒートアップしていく会場を尻目に、私の目は主の一挙手一投足を見逃すまいとその動向を追っていた。

 アトミック・ボムの激しいライブパフォーマンスに呼応するかのようにモッシュが始まった。前方では観客同士が身体をぶつけ合い、押し合い圧し合いの揉みくちゃ状態だ。全体的に観客は前へ前へと突き動かされていく。

 だが、そこで私は奇跡を見た。なんと! これだけのモッシュが展開されているにも関わらず、主の周りには相変わらず誰も近づいてはいないのだ! 主がほんの少し前へ進むとオーディエンスは前方を開け、横に進めばそこに道が開かれていく。その様は、エジプトを脱出し、約束の地カナンへ行くために海を真っ二つに割ったモーゼのようだった。私は、現代社会でこのような奇跡を見ることができるとは思わなかった。

 全く周囲を気にする様子もなくファンキーに踊りまくる主は、傍から見れば空気を読めないただのイカレた臭い奴にしかみえないのだろう。しかし、このような貴重な体験はなかなかできるものではないはずだ。我々は今、奇跡を目撃しているのだ! 

 会場のボルテージは絶好調だ。演奏が進むにつれ、遂にこの時がやってきた。数人の観客がステージへと這い上がり、観客席へ向かってダイヴし始めたのだ! もうこうなったら止まらない。いや、止めることはできない。

 そして、私の期待通りに主が動き始めた。一歩、また一歩と主がステージへと近づいていく。主が歩み寄る度にアトミック・ボムのメンバーは微妙に表情を歪ませていくのが分かる。しかし、演奏はより激しさを増していく。悲痛に顔を歪めながらも、彼らも負けじと持ち前のパンク・スピリッツで正面から主と戦うことを選んだのだ!

「サイコーだぜ! イエーーーッ!!」

 雄叫びを上げながら主は最前列へと辿り着き、蠅たちと共にステージへと上がって行った。すると、メインボーカルがマイクを持ってさり気なくステージ奥へと引っ込みながら歌い始めたではないか。苦悩の表情を浮かべながら彼は現代社会への不満を歌い上げてはいるが、この時ばかりは別の思いに駆られていたはずだ。

 ステージ上でアフロヘア―を激しくヘッドバンキングする主。その様は“人間ミラーボール”と言えばいいのか。眩しい照明に照らされた中、取り囲んでいる数匹の蠅たちも一緒に踊っているかのようだ。その姿は神々しく、誰一人として主に近づくことはできない。


『神だ……』


 この奇跡の瞬間を、私は涙して拝んでいた。


 ベーシストが鼻を押さえながらセキュリティーに向かって何かを叫んでいる。何を言っているのかは聴き取れないが、「主をどうにかしろ!」と言っているのだろう、きっと。いや、そうに違いない。だが、やって来たセキュリティーは顔をのけぞり、鼻をつまんでまたステージ裏へと引っ込んでいく。ドラマーも一緒になってスティックを振りかざしながら「オイ! あいつをどうにかしろ!!」と必死の形相で指示を出し始めた。再びセキュリティーがやって来るが、また鼻を押さえては裏へと戻ろうとする。体重120kgはあるスキンヘッドの巨漢セキュリティーでさえ主には近づくことができず、止めに入ろうとすれば、また裏へ戻ろうとする、“止めよか、やめよか、考え中”とでもいった動きを繰り返しているではないか!

 そして、主がステージ右側へと移動する。その先に居るギタリストは自分の持ち場を離れて後方で演奏しだした。だが、私は知っている。たった今演奏している曲は、もうすぐギターソロへと突入するのだ! つまり、どういうことかというと、ギタリストの使用しているマイクスタンドの下に置いてあるエフェクターボードを操作しなければならないのだ。ソロでディストーションサウンドに切り替えなくてはならない。そうなると必然的に前方へと戻らなければならず、つまり、どういうことかというと、そこには今、蠅どもを引き連れた主が満面の笑みを浮かべながら激しくヘドバンしている真横へと行かなければならないのだ。

 ギタリストが思い切り鼻から息を吸いだし、意を決して前方にあるマイクスタンドの方へと戻っていく。にこやかに笑う主を無視し、彼は足元のエフェクターを勢いよく踏んで音色を変えるなり、直ぐにまた後方へと下がって行った。しかし、演奏が途切れることは無く、より激しさを増していく。彼らのそのプロフェッショナル精神に私は感服した。どんなアクシデントがあっても演奏を止めない。これぞプロだ!

「オーーイエーーーッ!!」

 再び雄叫びを上げた主は、とうとう観客席へと頭からダイヴした! これぞ“リアル・アトミック・ボム”だ!!


「ぎゃあぁぁーーーっ!!」

「うわっ! くっせええぇっ!!」

「ぐわあーーーっ!! 死ぬうぅぅーーーっ!!」

 ステージ前方からは悲痛な叫び声がこだまする。


 と、突然、この光景を目にしたドラマーが主めがけスティックを投げつけ言い放った。

「オ~ウ……シット!! アスホーーールッ!!」


 ……アスホール? ……アスホールだとおぉぉおっっっ?!


 なるほど、言われてみれば確かに主からはケツのアスホールからも異臭が漂っているではないか! そして、尻の穴にこびりついたうんち(シット)が拭き切れていないがために、この奇跡のハーモニーが誕生したということか!! ドラマーよ……貴様、あれだけ激しいビートを刻みながらも、同時に主の臭いを分析していたのか?!


「オーマイガーーッ!!」

 ボーカリストは両手で頭を抱えて天を仰いでいる。敗北感と絶望感に包まれ、顔を滲ませているではないか。

『さらば勇者たち。お前たちは主の前に敗れ去ったのだ!!』

 

 傍目から見れば、それは地獄絵図だと思うだろう。だが、今の主の顔を見るがいい! 何とも勝ち誇った表情を浮かべてガッツポーズまでしているではないか!

 そのまま主はオーディエンスの頭の上をクロールで泳いでいく。「気持ちイイ……チョー気持ちイイ!!」と言わんばかりに。

 

 主は反転し、今度は背泳ぎを始めた。

 そして主は、両手を大きく横に広げていく。神の降臨だ!!

 

 『俺は未知なる海、“ブルーオーシャン”へ遂に辿り着いたのだ!』

 主の声が私の心に響いてくる。


 ああ、ザッパ師匠。この光景をご覧になられていますか?

 天を見上げた私はザッパ師匠に語りかけた。すると、師匠は満足そうにニコリと微笑んだではないか! そして、その隣には、私を悪臭の道へと誘ってくれたあの叔父の姿がいる。叔父も安らかな笑みを浮かべながら自分の履いていた靴下を手にし、目の前でブラブラと揺らしている。


 ……と、私の鼻が突如、現実世界へと引きずり戻した。何と、今度はバタフライをしながら主がもう、私の目の前まで迫ってきているではないか!!

 皆、一目散に逃げようとするも、人が多すぎて移動もままならない!


「ウッヒョォーーーッ!! サイッッッコーーーだぜぇーーーっ!!」


 雄叫びを上げながら主は私の頭上を通過していった。


「くっっっせえぇぇぇっ!! ヴオッ……ヴオヴウエェェェッ!!!!」



 断っておくが、私は変態ではない。


 私は、辺り一面に胃液をまき散らした。





(完)






昨年、『とことん変な話を書いてやろう』と勢いで書き上げた短編。自分でもかなり気に入ってます。

なろうサイトの読者層と僕とはいろんな意味でかけ離れている気がしないでもないが、ちょっと変わった話を体験したい方には向いているかも。


ほぼ毎日、即興の自由詩や短編小説、エッセイなどを掲載しているので、今回の作品を気に入られた方はフォロー&評価お願い致します。




歯ァ磨けよ!!


風呂入れよ!!

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] まさかここでフランクザッパの名を目にするとは(笑)
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ