ほんの少しの優しさを
一生悔やんでも悔やみきれないその日は桜の花びらが舞い散る季節だった。
この頃、仕事で新しいプロジェクトを任されるようになり、残業も増えて海外出張が多くなっていた。
出張の直前にまゆから仕事の愚痴を聞かされて心穏やかではなかった俺は逃げるように二週間の海外出張に旅立った。
出張先では深夜に送られてくるまゆからのメールに対応する必要がなく、最初は正直楽だとさえ思っていた。
しかし一日一日と離れて暮らすにつれ、まゆのことが少しずつ気になりだし、ついには出張先でもミスを連発して良い成果が上げられずに日本に戻ってきた。
羽田空港に着いた途端にまゆからのメールを受信した。
『会いたいよ(ハート)』
時差の影響もあったし、正直疲労困憊で精神的にもしばらく一人になりたかった。
『帰ってきたばっかりだから明日にさせて』
『好きならすぐに会いにこーい(ハート)』
『ごめん、明日は絶対に会いに行くから少しだけ我慢して』
するとまだ空港から出ないうちに電話がかかって来た。
薬の影響で呂律が回っていなかった。
「なんでそんなこと言うの。それだけ。じゃあね。バイバイ」
まゆは一方的にしゃべり、返事をする間も与えずに電話を切った。
結局これが最後に聞いたまゆの声となった。
次の日、いつ会えるかメールをしても返事がない。
電話をしても取ってくれない。
家まで行ってもいる気配がない。
そしてまた次の日に一通のメールが届いた。
『長崎に帰ることになりました。さようなら』
一回目の別れほど動揺はなかった。
療養のため一時的に実家に帰ることも何度かあったし、心のどこかで覚悟していたことだった。
長崎の実家で家族のサポートを受けながら、少し長いスパンでしっかりと病気を治す方がまゆにとっても良いのではないかという思いもあった。
そして少しだけ肩の荷が降りた気がしたのも事実だった。
まゆからの別れのメールに何と返信していいか分らないまま時が流れ、俺たちはそのままフェードアウトする様に終わってしまった。
それから半年後にまゆの携帯に電話をし、お母さんからまゆが死んだことを知らされたのだ。
電話をしたのはまゆの誕生日の一週間前だった。
誕生日が近づいていることを意識する一方で今更という思いもあった。
そんな俺の背中を押したのは10月に入ってすぐの夜に見た夢だった。
まゆから手紙が来るという夢だ。
薔薇の絵の入った白い封筒が届き、中にはびっしりと文字が書かれている。
しかし涙で目が霞んで何て書いてあるのか全く読むことができない。
何度も何度も目を擦るがどうしても読むことができず、悔しくて悔しくて仕方がないというところで目が覚めた。
今思うと虫の知らせだったのかもしれないが、その時はもちろんまゆが死ぬなんて想像だにせず、むしろまゆに連絡してもう一度話を聞きなさいというポジティブな啓示だと思ったのだ。
また誕生日の一週間前に電話をしたのは誕生日の当日は家族と、あるいは新しい彼氏と過ごすかもしれないなどという今思うと全くバカげた気遣いもあった。
一方で誕生日の前に電話で話をし、もしも許されるのなら当日はモンブランを持って長崎まで会いに行きたいという真逆の考えも同居していた。
まゆの死を知らされて慌てて電話を切ったあと、ふわふわした状態のまま一週間が過ぎ、まゆの誕生日である10月24日を迎えていた。
どういう心境だったのか今となっては思い出せないが、必要もないのにRose d’amourでモンブランを二つ買っていた。
衝動的にそうすべきだと思ったのだろうが、家についてケーキを皿に乗せたままどうしていいか分からなくなっていた。
やりきれなくなってコンビニに行き、普段家では全く飲まないビールを買った。
それを一気に飲み干したあと、深呼吸をしてモンブランに手をつけた。
初めてまゆの誕生日を一緒に祝った日のことを思い出していた。
サプライズに成功し嬉しそうにモンブランを食べるまゆの笑顔は人生の中でも最高の宝物の一つで、とても幸せな一日だった。
そのシーンを皮切りに様々な思い出がフラッシュバックしていった。
死の知らせを聞いて七日目でようやく涙が流れた。
あの日、ほんの少しだけ優しさを欠いたことがまゆを死に追いやった。
出張で二週間も離ればなれになっていた間、まゆは一人孤独に耐えながら、俺の帰りを心待ちにしていたのかもしれない。
ちょっとだけ無理をして会いに行けばよかった。
まゆが死んだのは俺のせいだ。
あの時『会いたい』とメールをしたまゆの心の中はいかなるものだったのだろうか。
苦しくてすがるような、救いを求めるような思いで必死にメールを打ったのかもしれない。
本当は『会いたい』ではなく『助けて』と言いたかったのかもしれない。
心臓をナイフで抉られるような痛みが走り、自分に対する怒りと悔しさで力いっぱいテーブルを叩いた。
「まゆ、ごめん。ごめんなさい、まゆ」
一旦決壊した涙腺は玉の様な涙を止めどなく溢れさせ、口まで流れ込んで来るしょっぱい涙の味と共に無理やりモンブランを詰め込んだ。
それから毎年10月24日にモンブランを二つ買って食べるというイベントが始まった。
その後の何日間かは現実逃避するように仕事に打ち込んだ。
10月24日に涙が枯れるまで泣いたお陰で一時的に気分が楽になった気がしていた。
会社の同僚からは少しやつれたのではないかと心配されたが、仲の良い友人にさえまゆの死について話さなかった。
できるだけまゆのことを考えないようにしたかった。
しかし一ヵ月ほど経っても一向に心は落ち着かず、度々まゆのことを思い出しては自分への怒りと悔しさがぶり返した。
このままじゃ自分が壊れてしまうと思った。
まゆの死について正面から向き合わなければならないと思った。
俺は意を決して再びまゆの携帯に電話を入れた。
『お客様のおかけになった電話番号は現在使われておりません・・・』
電話の向こうから聞こえたのは無機質なアナウンス音だった。
それでも諦められず、無駄と分かりつつもメールを送った。
何て書いてよいか分からずに『届け』とだけ書いた。
エラーメッセージが返ってくると、今度は一度別れる前の古いアドレスにも『届け』と送った。
数少ない共通の友人にも連絡を取ってみた。
しかし皆揃ってまゆとは疎遠になっており、俺からの連絡でまゆが死んだことを知ったとのことだった。
結局いつ、なぜ死んだのかも分からず、葬式はもちろんお墓参りにさえ行くことができなかった。




