今という未来を生きる
長崎空港に降り立つとガタイのいい二人の青年と小柄な老夫婦が待っていた。
朋佳ちゃんが「ゆったんさん」と紹介すると四人とも俺を『ゆったんさん』と呼んで笑い、お互いの間にあった緊張感はあっという間に溶けていった。
まゆのお母さんが近づいてきて俺の手を握った。
「よく来てくださいました。やっと会えました。まゆは東京に大切な人がおるといって、その人のためにも元気になりたいと私たちだけでなく病院の先生や看護婦さん、それからお見舞いに来てくれた友達にまで話していましたから」
そう言うと握った手を引き寄せ、目に涙を浮かべた。
まゆの実家に着くとすぐに仏壇のある部屋へと通された。
そこにはまだ死ぬには若すぎる美しい女性の笑顔の写真が飾られていた。
別れた時にほとんどの写真を捨ててしまった俺は久しぶりに会ったまゆをゆっくりと、そしてしっかりと目に焼き付けた。
あれから七年も経っているなんて信じられず、目を閉じれば俺を困らせるためにわざと大きな声で『ゆったん』と呼んでくれそうな気がした。
ふと、仏壇に供えられた見覚えのあるものを見つけて手に取った。
「ゆったんさん、それ、何かお分かりでしょうか? まゆが亡くなった時に持ち物を整理していて見つけたんですが、ハンカチに包んで箱の中に入れてあったので、きっと大事なものだろうと思って取っておいたんですよ。」
「こんなものを大事に・・・」
クリアケースの中に保管されていたのは薔薇の形をしたピンク色のリボンだった。
そう、誕生日ケーキのモンブランを詰めた箱に付けてもらったものだ。
結局まゆの誕生日を一緒に祝えたのは付き合って最初のあの日一回きりだった。
自分の誕生日にバイトを入れてしまうほどマイペースで記念日なんて気にしないタイプだと思っていたまゆがケーキの箱に付いていた飾りなんかを取っていたなんて、まゆからの時を超えた贈り物の様な気がした。
「これ、まゆの形見としてもらってもいいですか?」
「もちろんです。ゆったんさんにもらって頂けるなら、まゆも喜ぶと思います。」
それからお母さんは古いアルバムを並べ、まゆの子供の頃から亡くなる直前の写真まで次から次へと引っ張り出して思い出話をした。
その話のいくつかはまゆからも聞いたことがあったもので、記憶の糸を辿る様に、一緒に過ごした日々をなぞる様に懐かしく思い出していた。
朋佳ちゃんが生まれて間もない頃、あまりにも可愛くて独占したくなり、近所の公園まで誘拐してすごく怒られたという話や、弟と妹ばかりが可愛がられるのが嫌になり中学の頃に家出をしたという話も聞いたことがあった。
華奢なまゆが実は高校時代はぽっちゃりしていて、テニス部の破壊王と呼ばれていたという話で大笑いしたのは初めてまゆが家に泊まりに来た日の夜だった。
たくさんの思い出がよみがえる一方で、あんなに好きだった人との楽しかった思い出さえ少しずつ忘れていくという人間の儚さが悲しかった。
「じゃあ、お墓、行こうか」
誰かが止めなければいつまでもしゃべり続けていそうなお母さんを制すように朋佳ちゃんが割り込み、皆でお墓へと向かった。
ーまゆ 2012年10月2日 25歳ー
まゆの名前はその名前を平仮名にしなさいと言い張ったおばあちゃんの名の隣に刻まれていた。
墓石に掘られたその文字をなぞりながら、まゆがもうこの世にいないという事実を改めて突きつけられた気がした。
一方であのわがままで無邪気だったまゆが、骨だけになってこのお墓に納められているなんてやはり信じられず、そして悔しかった。
途中で買った薔薇の花と東京から持ってきたモンブランをお供えした。
それから目を閉じて手を合わせ、心の中でゆっくりと話し始めた。
『遅くなってごめん。いつも俺がまゆを待つ役だったのに、七年も待たせるなんて怒ってるよな・・・』
話は出会った時の印象や楽しかった思い出から始めた。
どれだけまゆのことが好きで幸せだったか、そして専門学校を卒業したらプロポーズしようと考えていたことも伝えた。
病気のことを聞かされた日のことや、症状が悪化していくのを何もできずに見守ることしかできなかった無力感も洗いざらい吐き出した。
それから最後の声となった羽田空港での電話のこと、あの日無理をすれば本当は会いに行けたのに、少しだけまゆから目を背けたいと思ったこと、ほんのちょっとだけ優しさを欠いてしまったこと、そのことへの後悔について罪を告白するように話をした。
そしてまゆの死を知った時のこと、その日から背負い続けている十字架についても話した。
それは塞がったかさぶたをメリメリと引き剥がすような痛みを伴う作業だった。
『寂しかったよな。つらかったよな。苦しかったよな。ごめんな。ごめんな、まゆ』
心の中で何度も何度も詫びた。
話は真由さんとのことに移った。
まゆと同じ名前の女性と出会い好きになったこと。
今はその人が一番大切な存在であること。
その真由さんが事故にあって昏睡状態になっていること。
それをまゆを大切にできなかったことに結び付けている自分がいること。
そして最後に合わせた手に力を込めてお願いした。
『まゆ、どうか真由さんを助けてください』
後で聞いたら三十分以上も手を合わせていたとのことだった。
お墓参りの帰り道、遠回りをしてご両親が連れて行ってくれたのは海が見渡せる丘だった。
まゆが好きだった場所で、病気の療養中も度々散歩に足を運んでいたそうだ。
小高い丘から見下ろす街並みとその向こう側に広がる海はどこか俺が生まれ育った街と同じ匂いがした。
そしてまゆと初めてデートをした日、江の島の灯台で夕日射す海を見つめながら、長崎の実家の近くにも海を見渡せる丘があると話をしていたこと、その話をするまゆの吸い込まれそうなくらい綺麗な瞳を思い出した。
一緒に行きたいという願いは叶えられなかったが、きっとまゆがこの景色を見せたくてこの場所に導いてくれたに違いなかった。
散歩に出かけたら必ず座っていたというお気に入りの椅子のすぐ左隣に腰かけた。
海の向こうに沈んでいく夕日が水面に反射してキラキラと揺らめき、俺たちがいる丘をピンク色に染め上げていく。
この世のものとは思えないほど美しい絶景は心の奥へ奥へと染みわたり、そしてこれまで抱えてきた傷や痛み、背負ってきた孤独や後悔といったものを次々に洗い流してくれるようだった。
澄み切った空気を深く吸い込み、それからゆっくりと吐き出した。
すると心の底から生きる力が湧いてくるのを感じた。
『今を大切に生きなさい』
そうまゆに言われているような気がした。
いつしかまゆへの罪悪感は感謝の気持ちに変わっていた。
「まゆ、ありがとう。俺と出会ってくれて、俺を選んでくれて、俺と過ごしてくれて、本当に、本当にありがとう」
その瞬間、静かで穏やかだった丘に心地よい風が吹き抜けた。




