見えない糸
数か月に一回程度のペースではあったが、結局二年間も朱里に通い続け、気がつけばまゆが死んでから五年も経っていた。
普段の生活でまゆのことを思い出すことはほとんどなくなり、いつの間にか『届け』というメールも打たなくなった。
一年に一回10月24日のモンブランだけが俺とまゆを繋ぐ儀式となった。
一方で一人の女性として朱里に惹かれている自分には抗いようがなかった。
それでも自分の中の線引きはしっかりしていたつもりでいる。
ある種の擬似恋愛がサービスの一部であることは理解していたし、客という立場を超えてまで深入りしないという割り切りは持っていた。
逆にそれが長く続いた理由だったのかもしれない。
そんな関係を壊したのは朱里の方だった。
「私ね、今、マッサージの勉強をしてて、ここを卒業して自分のお店を出そうと考えてるの。それでね、来月から卒業するまでの間は名前を変えて顔写真を出すのも止めようと思うの」
いつかは来るだろうと思っていた別れの時だ。
こういった関係である以上は覚悟していたものだし、逆にこれだけ長く続いたのが不思議なくらいだった。
しかし次の瞬間、運命のいたずらとしか言いようがない事実を告げられた。
「新しい名前はマユミにしようと思うの。本名がマユだから」
稲妻に打たれた様に全身を痺れが駆け巡り動けなかった。
平静を装ったが心の中はぐちゃぐちゃに掻き乱されていた。
「良かったらマッサージ受けに来てくださいね」
朱里の新たな旅立ちの話に気の利いた言葉の一つもかけてやれないまま帰宅した。
家に帰っても痺れと動悸は治まらなかった。
「マユ」
その単語を音として口から発したのはいつぶりだっただろうか。
そしてこの数奇な巡り合わせとどう向き合っていいか分からずにいた。
あの日から長い年月をかけやっとの思いで心の奥底に封じ込めたそれが、またチクチクと痛み始めた。
そうこうしているうちに朱里は退店し、一ヵ月後にマユミという新人が入店した。
自分が試されている気がした。
しかし何を試されているのかは曖昧だった。
まゆへの愛を貫き通す意志なのか、十字架を背負って一人孤独に生きる覚悟なのか、十字架を下ろして新たな一歩を踏み出す勇気なのか、それとも朱里を思う気持ちの強さか。
それが何なのかを確認する必要があった。
いや、本当は答えを分っていて、背中を押してくれる何かが欲しかったのかもしれない。
『トゥルルルル、トゥルルルル』
「もしもし、新人のマユミさんを指名したいんですが・・・」
朱里はこれまでと変わらずニコリと笑って俺を迎え入れた。
「マユ・・・」
「はーい」
本名で呼ばれた朱里はおどけて返事をした。
彼女をマユと呼ぶことへの違和感や罪悪感といった感情は不思議なほどなかった。
それはまゆが過去の思い出となり、朱里への思いが本物であることを意味していた。
「お店を出したら俺もマッサージ受けに行ってもいいかな?」
「もちろん」
朱里は再びニコリと笑った。




