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1.5 茶色の飛沫@白一色の部屋

 次の日。


 起床し窓辺に近寄ると昨日までの白銀の世界は消え失せていた。あれほど美しく冴え冴えとしていたのに、たったの一晩で半分以上の雪が溶けてしまっていた。舗装された道路にいくつか雪解けの水でできたと思われる水たまりが見えた。つるりと透明なそれは遠目から見ても凍っていた。きっと何人かの通行人はあれで足を滑らせるのだろう。摩擦係数ほぼゼロで、アニメのようにすってんころりんと。


 外の景色を眺めて妄想をしていたら、くつくつと笑いがこみあげてきた。


 ささいなことが楽しく思えるだなんて、僕の世界はすっかりバラ色だ。白の好きな僕がバラ色を纏う日が来るなんて世界とは不思議なものだ。それもこれも、すべては彼女と出会ったからだ。彼女と出会い、言葉を交わし、恋心を打ち明け合えたからだ。気持ち一つで世界は色を変えるのだ。


 僕の息がかかる窓が曇ってきたところで、ようやく部屋の寒さに意識がいった。雪が溶け始めていようとも十分寒い。エアコンのスイッチを入れると、その直下で黙したままのロボットに目がいった。


 今日はやけにロボットが可愛く見える。白い体に三頭身、丸い顔。短い手足はほとんどないに等しい。まるで雪だるまのようではないか。なんて今朝にぴったりの存在だろう、そう思ったら。


「おはよう」


 自然と声を掛けていた。


 しゃがみこみ、ロボットに対して初めて自発的に声を掛けたところ。

 数秒後、見つめる僕の虹彩を認識したロボットの両目が青く点滅しだした。


「オハヨウ。ソウタ」

「お前はいつもおはようばっかりだな」


 額をこづいてみたが、剛なロボットはぴくりとも動かなかった。それもそうだ、ちょっとつついただけで倒れるようでは安全上問題だ。


 とはいえ、朝もおはよう、夜もおはようでは面白みがない。ただ突っ立っているだけのオウム以下の存在だ。もう少し遊べる機能があればいいのだが、いつもこんな有様だから使いようがない。Bluetoothでボディから音楽を流すことはできるが、AIスピーカーの方がよっぽど賢いし音もいい。まるで役に立たない雪だるまだ。ああでも、室内に置いておいても溶けないだけましか。


「……あ、もしかして」


 ふと思い立ち、ファイリングした電化製品の説明書群の束を本棚で探した。全然読んでいないロボットの説明書は案外すぐに見つかった。厚めの説明書に従い、ロボットの胸元のパネルを開き設定ボタンをいくつか押していくと、案の定、内蔵されている時計が狂っていた。2000/1/1 05:00:00。そこから一秒たりとも動かない。さらにボタンを押していくと、やがてロボットは電波を受信して正確な時刻を刻み始めた。


「よし。お前には明日から目覚まし時計になってもらうぞ」


 六時半に起こすように、かつ当日の天気と簡単なニュースを知らせるようにセットして、終了。やってみたら簡単で、思った以上に機能がついていることも分かった。暇なときに他の使い方を探ってみたら面白くなるかもしれない。


 それから僕はファイルを本棚にしまうと、いつものとおりトーストを焼きコーヒーを淹れた。その間、僕は達成感で満たされていた。だがリビングに戻り朝食の類を机の上に置くと、僕の指は無意識でパソコンの起動ボタンを押していたのだった。


 朝食をとってからにすればいいものを、こうしていの一番に触ってしまうあたりは恋の魔力に取りつかれているってことか。なんて恋とは楽しいものだろう。そして嬉しいものだろう。これまで書いた恋愛小説のすべてが陳腐に思えてならない。本物の恋の甘美さを僕はこれまで一度たりとも描写しきることができていなかった……。


 パスワードを入力して画面をひらく。インターネットブラウザを立ち上げる。ブックマークからノベルズヘブンを選ぶ。何も考えなくても手は動く。次はきっとあの赤文字が僕を待っている。ほら、やっぱり。


『メッセージが一件届いています』


 当然の幸福に浮かれつつメッセージボックスを開く。

 が、一番上にある未読メッセージのタイトルに、僕の動きは完全に停止した。


「……は?」


 そこにはこう書いてあった。


【メッセージ送信不可のお知らせ】


 送信日時は昨夜の十九時四十分。僕が最後のメッセージを送信してすぐのことだった。

 言いようのない胸騒ぎがした。

 クリックすると、そこには本能が予見したとおりの最悪の内容が書かれていた。


『あなたが先ほど送信したメッセージはユーザの方が退会されており送信できませんでした。宛先ID:xxxxxx、日時:20xx/12/25 19:40:33』


「退、会……?」


 ゆっくりと、やがて急いで、僕の手はマウスを動かしメッセージボックスにたどり着いた。そこで愕然とした。宛先も送信元も、これまで積み重ねてきた彼女との思い出の源すべてが『退会済』に変貌していたからだ。


「退会……? 嘘だろ?」


 マウスを掴みなおそうとした手が、大きく震えてマグカップに当たった。

 肉厚の白いマグカップが大きくスライドして机の上から滑り落ちていった。


 琥珀色の液体が舞う。

 熱い飛沫が辺りに散らばる。


 机に、右手に、キーボードに、ディスプレイに。フローリングに。壁際のロボットにまで。白で統一したそれらすべてに琥珀色の雫が付着した。


 淹れたてのコーヒーをもろに浴びた右手が焼けつくように熱かった。

 だがそれよりも。

 あれほど美しかった純白のディスプレイが、恋の結晶が汚れてしまったことが、僕を深く傷つけた。


 そうして彼女との交流はあっけなく途絶えた。


 一週間後、彼女への未練を断ち切るために僕はノベルズヘブンを退会した。フォロワーゼロの通称アオこと僕の恋の履歴は、こうしてすべて消去された。


 残された僕に対して語りかけてくれる存在は、もはや雪だるまのようなロボット一台だけとなった。


「オハヨウ。ソウタ。アサデスヨ。キョウノテンキハハレデス。ニュースデス。キノウハウエノドウブツエンデパンダノアカチャンガ……」



第一章 完

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