1.異世界転生
『お次の方どうぞー』
扉の向こう側から、感情のこもっていない無機質な声が聴こえてくる。
目の前には見知らぬ人の長蛇の列があり、列の先頭の人が次々と扉の奥に吸い込まれていく。
次第に目の前の人が減っていき、目の前にいた見知らぬおじいちゃんも扉の奥へと消えていった。
『お次の方どうぞー』
どうやら次は俺の番らしい。
得体も知らない扉に入るのは、少なからず抵抗がある。
それでも入らなければならない、そんな気がして俺は扉を開けた。
――扉の奥に広がるのは、石作りの椅子がポツンと置かれた、3畳程の広さをした部屋だった。
『どうぞ、おかけください』
無機質な声に従い、俺は木製の椅子の椅子に腰をかけた。
冷たそうな椅子だったが、前にいた人のぬくもりが微かに残っている。
前にいた人たちは、一体どこに消えたのか?
辺りを見渡しても、だれ一人といない。
不安や恐怖の気持ちを押し殺すように、手を胸に当てた。
(あれ?)
胸に手を当てているはずなのに、心臓の鼓動が伝わってこない。
俺は疑問に思っていると、何もなかった空間に突如として人が現れた。
「うわぁっ」
茶色の長髪に、どこか幼さを残した整った顔立ち。
神々しさを感じられる、一人の少女が現れたのだ。
少女は一枚の書類を持っている。
『コホンっ、お待たせしました。
神崎 亮、今年で19歳。家族は父、母、祖母の四人構成。
私立大学工学部1年生、彼女いない歴=年齢。
その辺はいいとして、肝心の死因はと……交通事故。
神崎 亮様のご遺族の方々、並びにご友人関係者各位。この度はご愁傷様です、お悔やみ申し上げます』
「え?」
突如現れた幼い少女が何を言い出すかと思えば、人の個人情報を何から何まで、確認するように喋った。
(だんだんと、思い出してきたぞ…….そういえば俺は死んだのだったな……)
俺の個人情報を言い終わると、少女はペコリと頭を下げた。
頭を下げられたので、俺は条件反射に頭を下げ返す。
(誰だ、この人は……?)
『私はアメノウズメと申します。
アマテラス様の命を受け、死者の転生や天国への送還等に関する仕事をしています。
神崎 亮様はこの人生、辛い思いをされてきましたね。
高校の時に、幼馴染を失われてから引きこもり化。その後見事立ち直り、学業・恋愛・部活全てにおいては必死に努力するも、残念な結果しか残らず。
で、最後はトラックに轢かれて他界と…….
余りにも報われない人生ですね』
アメノウズメと名乗る少女の話を聞くと、次第に目頭が熱くなってきたのが分かる。
思わず瞳から涙が溢れ出す。
アメノウズメ様は嗚咽する俺を、慈愛のこもった眼差しでわかっていますよ、とでも言うかのように静かに見つめる。
俺が泣きやむのまで、数分ほどかかった。
俺が泣きやむと、アメノウズメ様は言葉を続けた。
『同じ世界に戻ることは規則上不可能なので、努力した分だけ、身に帰ってくる世界に転生してみるのはいかがですか? 日本に比べると危険な――』
「そ、そんな世界あるのですか?」
俺は椅子を立ち上がり、前のめりになって聞く。
『まぁまぁ、落ち着いてくださいな。そういった世界はありますよ。ただ、日本と比べると治安も悪く、科学も発達していない世界になります』
「構いません、ぜひお願いします!」
俺は即答する。
アメノウズメ様は、赤い瞳でおれを射抜くように見つめること数秒……
何かを察したようにため息を吐いた。
『決意は固いようですね。では、転生の手続きに入ります。椅子に腰掛けて、目を瞑ってください』
俺は早く転生したい気持ちを抑え、アメノウズメ様の指示に従う。
――チュッ。
俺の額に柔らかいものが触れる。
(えっ?)
『これは私からのプレゼントです。――では、良い人生を』
アメノウズメ様はにこやかに笑い、手をひらひらと左右に振る。
――アメノウズメ様が歪み、視界は暗転しはじめる。
次の世界がどんなところでも、俺は精一杯、悔いのないように生きてやる。
そう決意したところで俺の意識は完全途切れた。
◇ ◆
目覚めると、茶髪の若い女性が俺の顔をまじまじと覗き込んでいた。
エメラルドのような眼に、彫りが深い顔立ちをしている。
年齢は少女ではなく、女性と呼ぶ年齢だろうと推測出来る。
(ん? 誰だこの人は?)
俺は首を支えられ、慎重な手つきで茶髪の若い女性の腕から離れる。
そのまま手渡され、ゴツゴツした岩肌のような手が俺の首を支える。
すると、金髪の若い男性が次は俺の顔を覗き込んだ。筋骨隆々な腕をしている。
マッチョやマッチョ!
「********、****、*****」
金髪の若い男性はニッコリと笑うと、何かを口にした。
何を言っているのだろうか。
ぼんやりしていて、うまく聞き取れない。記憶の中にある言語と照合しても、何語かわからない。
どうやら、日本語でも英語でもないようだ。おれはそう結論づける。
ちなみに、亮はフランス語の単位もとっている為、その線も消えた。
「**? ***、********」
「***。***、*****」
(困ったな、話の内容がわからないと、なにかと不便を強いられるぞ)
そう、おれは心の中で愚痴る。
ため息をつきそうになったところで、一つの考えが頭に浮かんだ。
(もしかすると、夢か……)
しかし夢の可能性が非常に低いと、俺はすぐに察した。
なぜなら、夢にしては頭が異常にクリーンだ。至って冷静に物事を思案できる。
そしてなにより、鼻孔くすぐる若い女性の甘い香り、肌をなでるそよ風たちが「ここは現実だ!」と五感に力強く主張してくる。
(……夢じゃない)
ひとまず状況を確認しようと、俺を抱えている腕の隙間から、外の景色を眺める。
視界に映ったのは、鬱蒼と生い茂る森林、キラキラと光を乱反射する小川に、ほとりに咲く小さな野の花だった。
ここで、ひとつの疑問がふっと頭に浮かんだ。
(あれ? 俺はどうしてこんな森の中にいるんだ? たしか俺は、立花さんと一緒に歩いていたはずでは……)
東京の街で歩いていた状況から、唐突に森の中で若い男女に抱き抱えられている状況に、様変わりしている。何が起きたのか理解が追いつかず、俺は困惑した。
「あー…… うー……」
今の状況を尋ねようと試みる。喉になにか詰まっている訳でもない。しかし、思うように声を発することができなかった。
(弱ったな……)
話している言葉もわからない。自分の体をうまく動かせない。しまいには、しゃべることさえできない状況に、俺はただ絶望するしかなかった。
いい年して、絶望的状況のまえに涙が出てきた。
涙をこらえることは不可能だったのだ。
「うわあぁぁん、あぁぁ~~ん」
「****? **。****」
ひとしきり若い女性の腕で泣いたあとは、次第にまぶたが重くなり、睡魔に身を委ねるように、眠りについた。亮は、睡魔に抗える術を持っていなかった。
意識がなくなる前に、若い女性は何か言ったみたいだ。
ただ、俺の耳には届かなかった。
◇ ◆
――それから、半年の月日が流れた。
どうやら俺は生まれ変わって、赤ん坊になったようだ。
変わったことといえば、俺が前世の記憶をそのまま持っているという点だ。
しかし、なぜ前世の記憶を持っているのかは、考えても答えは出ない。
ただ、おれは日本じゃないどこかに転生したと言う事だけが分かった。
半年で大きく変わったことといえば、言語を理解できるようになったことだ。
最初は変わりすぎた環境、更には自分の身に何が起きたのか分からず、大いに戸惑いもした。しかし人間、いや生物は面白いものだと感じた。時間が経てば、環境に適応するのだから。
半年もの間、森で初めて見た若い男女の会話を聞いる内に、次第に言語を分かるようになったのだ。
半年で言語を理解した大きな要因の一つとして、前世の記憶を持っているということだ。、小さい頃から考える力を持つことは、人生において大きなアドヴァンテージなる。
更には年齢が若いせいか、物覚えが非常に良いというのも要因の一つだろう。
俺が森の中で初めて見た若い男女は、どうやら俺の両親のようだ。
父親の名はガリウス。そして母親はリリーというらしい。
気になる俺の名前はウィルだ。それが俺の新しい名前だ。
「ねぇ、ガリウス。ウィルって聡明な子になりそうだと思わない?」
「んっ、まぁそうだな。俺たちの言葉を理解しているのかわかんねえが、時々反応している気もするな……」
「でしょ? 将来が楽しみだなぁ……そうだ、早いうちに家庭教師に指導してもらうなんてどう?」
「んー、まだ早いだろう。せめて五歳になってからだな」
どうやら二人は、俺が普通の赤ん坊ではないことに薄々だが気づいているようだ。
俺が転生者だなんて気付かれたら、何されるかわからないため、俺は普通の赤ん坊を演じてる。
つまり母様の、ありがた〜い乳をいただき、シモのお世話をしてもらっている。
我慢したって腹は空くし、シモも出る。恥ずかしながら、今の俺ではどうにもならない。
ほかに変わったことといえば、身体がかなり発達し筋肉が付いた。俺はずり這いを卒業し、四つん這いでハイハイ出来るようになったのだ。
ずり這いできるようになったときは、感動したもんだ。自由に動ける事は、思っている以上に素晴らしいものだった。
それもそのはず、亮の年齢を考えると、一日中ベッドの上での生活は、余りにも退屈で仕方なかったのだ。感動するのも当然だろう。
ハイハイを覚えた俺は、家中の至るところに足を運んだ。もちろん両親が外出している隙にだ。
両親が在宅しているときに、他の部屋に行こうとしたら慌てて止められ、怒られてしまった。赤ん坊なんだから、少しくらい大目に見てくれてもいいんじゃないか……
そういった訳もあり、両親が家にいるときは、大人しい子供を演じている。
両親の目を盗みつつ、一ヶ月ほど家中を散策してわかったことがある。
この家は、木造建築の二階建ての2LDKだ。東京では1Kで一人暮らしをしていたため、かなり広く感じられる。二階には両親の寝室がある。もうひとつの部屋は物置になっていた。
物置の中を確認したところ、物騒なものが置いてあった。
鏡のようになるまで研磨された金属製の剣。その横には木製の盾と、先端に赤い水晶のようなものがついた木の棒が置いてあった。
(うん、見なかったことにしよう……)
物騒なものが家にある理由は、ある日の昼下がりに分かることになる。
◇ ◆
俺のお昼ご飯は、いつも離乳食だ。両親は質素ながらもパンと野菜のスープ、それに加えて日替わりの肉料理を食べることが多い。
半年経っても魚料理を見たことがないため、内陸部に住んでいるのか、もしくは冷凍運搬技術が未発展である。そのどちらかもしくは、両方であると俺は考えている。
そんな両親の美味しそうな食事を横目に、おれは渋々離乳食を食べる。
(久しぶりに肉を食べたいものだ)
昼食を済ませると、俺はいつも通りお昼寝のフリをする。お昼寝のフリをすると、両親はこぞってどこかへ出かけるのだ。なのでこの隙に、俺は家中を散策したという訳だ。
両親が出かけたのを見計らって、ベッドからむくりと起き上がる。
先日、家中の探索を終えてしまったため、今日の予定は特にない。
とにかく暇だったため、時間の潰せそうなことを考えていた。
そこで、両親が外へ何をしに外出しているのか、ふと疑問に思った。
どうにか、外の様子を見ようと辺りを見渡す。そこで俺は、ちょうどいい高さの椅子を見つけて、なんとかよじ登ることができた。
我ながら、この体で椅子に登れたことは、あっぱれだと思う。
何はともあれ、椅子の上に上れたことで窓の外の景色が見えるようになった。
外の景色を見るのは、両親と初めて出会った森の中以来だ。
胸の高鳴りが手足に伝わる。
窓の外の景色は、田舎によくありそうな森と畑だった。
(ほんのちょっとだけでも期待した俺が馬鹿だったわ……)
しばらく、外を眺めていると、ブンブンと素振りの音が聞こえてきた。
気になったので、音のする方角の椅子をよじ登り窓の外を見る。
窓の外に映ったのは、両親の姿だった。
父親は、木剣を上段の構えから勢いよく下に振り下ろしている。
高校の剣道部がしていた素振りに、とても良く似ていた。
しかし、綺麗なフォームから振り下ろされる木剣は、剣道部の素振りが赤子のお遊びに思えるほど、速く、鋭く、そして重かった。
驚かされたのはそれだけではなかった。
素振りを終えた父さんは、母さんになにか頼むと、二十メートルほど距離を取る。
母さんが杖を父さんに向け、十秒ばかりなにかを唱えているようだ。
すると、母さんの周りにこぶし大ほどの石が、次々と出現する。
そのまま、父さんの方へとものすごいスピードで射出されていく。
父さんは鬼気迫る表情で、迫り来る岩石を次々と躱す。時には、凄まじい速度で木剣を振り抜き、岩石を粉砕していく。
この光景に俺は度肝を抜かれた。
(っ、なんだよそれ……)
俺は、見てはいけないものを見てしまったんではないか?
もしや、ここは地球じゃなく異世界……
そう確信できるものを見てしまっては、否定したくとも俺の頭では不可能だった。
(もしかして俺は、とんでもない世界に迷い込んでしまったのではないのか?)
恐怖、歓喜、絶望……。数多の感情が胸に疼く中、俺はこの剣と魔法の世界を生きく決意をした。