プロローグ
俺の名前は神崎 亮、東京で暮らす大学生だ。
季節は春を通り過ぎて、夏を迎えている。
日本特有の多湿な気候と真夏の照りつける太陽も相まって、粘り気のあるような猛暑となっている。
そんな劣悪な環境の中、亮はバイト先までの道のりをマイペースな歩調で歩いていた。
「神崎くん!」
目の前の交差点を、右折するとバイト先といった所で、後ろから聞こえた女性の声に呼び止められた。亮は声をかけた人を確認するために振り向くと、馴染みの深い一人の女性がいた。
「立花さん、こんにちは」
彼女は立花 海美。
歳は亮と同じで二人共バスケサークルに所属している。
容姿も端麗なうえ、明るい性格で気さくに話しかけやすく、男女問わず友人の多い人だ。
そんな人柄と容姿ということもあり、1つや2つ浮いた噂もちらほら聞く。
「こんにちは。ねぇバイト後時間空いてる? 用事あるから付き合ってよ」
亮はバイト後に、特に予定もなかったので首肯する。すると、立花さんから破顔の笑顔を亮に向けた。
立花さんの笑顔はらバイト前の気だるさを紛らわしてくれる。
亮はバイト先までのわずかな道のりを、立花さんの横に並んで歩いた。
二人とすれ違った女子高生のグループは、密かに黄色い声を上げた。
亮の背は高く、中性的な顔立ちでイケメンの部類に属している。立花さんと並んで歩いても、何の遜色もない。傍から見ると美男美女カップルなのだ。
バイト先や大学でも美男美女カップルではないのかと、噂されるちょっとした有名人だ。
しかし、亮と海美の間に恋愛関係はなく、亮はそういった噂や浮いた話に興味がなかった。
とはいえ、亮はそっちの趣味があるわけでもない。
なぜなら亮には今でも想ってる人がいるからだ。
しかしそんな彼女は、すでに還らぬ人になってしまった。
――その時から亮は、片思いの呪縛にしばられ続けている。
時は三年前の秋に遡る。
◇ ◆
「あっ亮! 一緒に帰ろ~」
16時も過ぎ、授業を終えた生徒たちが続々と学校をあとにしている。そんな中、鮮やかなオレンジ色の夕日が照らす校門に、幼馴染の子がいた。
桜井 唯。
見るものを魅了する、背中まで伸びた艶やかな烏の濡れ羽色の黒髪。
二重まぶたの綺麗な瞳に、プルっとした淡いピンクの唇。
透き通った透明感のある白い素肌、小顔で整った顔立ちで、10人中10人が可愛いと絶賛するほどの、校内一番の美少女であり、亮の想いを寄せている人だった。
彼女と初めて出会ったのは、小学生の時だ。唯は親の都合で、東京に引っ越して来た。
家が近所ということもあり、毎日のように彼女と遊び、時には家族ぐるみでプールや遊園地などにも出かけたりした。気づいた時には常に唯が隣にいた、亮が唯のことを好きになるにも時間はかからなかったし、運命の相手だと自然に思えた。
「ど、どうしたんだ?」
部活の友達とおしゃべりしながら歩いていた亮は、意中の相手に突然声をかけられて驚いた。
「ちょっと、買い物に付き合ってよ」
亮達に可愛い笑顔で、近寄ってくる唯に亮は見とれた。しかし、ハッと我に返り横にいる友達の様子を伺う。
「俺のことは気にすんなって、行ってこいってそれじゃまた明日な! 桜井さんもまた明日」
ニヤニヤした笑みを浮かべて亮と唯に挨拶を済ませると、亮の友達は駆け去ってった。亮と唯は駆けていく亮の友達を眺めていると、寮の友達は急に立ち止まり、振り向きざまに一言いった。
「亮! お幸せに!」
ニカッと笑いながら両手をメガホンのように口に沿え、言い放つと今度こそ駆けていった。友達の後ろ姿向かって、慌てながらも亮は言い返す。
「そ、そんなんじゃねーし! なぁ、唯」
唯は白い肌をかすかに赤らめて小さく首肯した。
そんな唯の反応があまりにも可愛かったため、亮は悶絶しそうになる。そんな気持ちをなんとか抑える。
「ゆ、唯、行こうか・・・」
「うん・・・」
近くのショッピングモールに着くまで、ふたりの間には沈黙が流れる。傍から見れば、高校生カップルが甘酸っぱい雰囲気を醸し出すながら、並んで歩いているように見えるだろう。二人の沈黙も亮には、別段居心地の悪いものでもなかった。
唯の方を見ても、機嫌が悪い素振りも見せず、特に変わった様子も感じられなかった。
「何買うんだ?」
ショッピングモールに連れてこられた亮は、疑問の表情を浮かべて唯に問いかける。
「洋服見て回るんだよ」
えっ・・・もしや荷物持ちのために校門で待ってたのか?
そんなことを考えていると、唯に手を引かれて女子高生に人気のあるアパレルショップへと入る。
(これは、おとなしく連れ回されるしかないな・・・)
しかし、好きな人とショッピングすることが嬉しくない男はいないだろう。むしろ、一緒にいるだけでかっこよくありたいとカッコつけたりする。男なんてそういう単純な生き物なのだ。
その証拠に、唯と洋服店に入っていく亮の顔はとても嬉しそうだ。
「ねぇ、亮・・・これどっちが似合うかな?」
唯は両手に、紺とアイボリーのゆったりしたニットをぶら下げる。首をかしげて亮の選択を楽しみそうに待っているようだ。ここでどっちも似合うという選択肢は、唯を不機嫌にさせてしまうことは、経験済みである。それゆえに、亮がどちらか選ぶことは条件反射だ。
「んー、どっちも似合うと思うけど、唯はこっちかな」
亮は少し迷ったがアイボリ-のニットを選ぶ。
すると、唯はパッと眩しい笑顔になり、鼻歌でも歌っていそうな陽気な足取りで、レジへと小走りで向かった。
(唯の笑顔って反則級だよなぁ・・・)
結の後ろ姿を見ながら亮はニヤケ顔で思いをめぐらす。
ぼーっとしていると、満足の行く買い物が出来たようで、唯はホクホク顔でレジから戻ってきた。
「おまたせ~! 今日は付き合ってくれてありがとね。七時も過ぎたしそろそろ帰ろっか」
亮は腕時計を見ると、時計の針は19時をちょうど回ったところだった。
「そうだな、あんまり遅くなるのもあれだし帰ろうか」
亮と唯はショッピングモールを出ると、自宅までの帰路へとつく。高校からは二人ともバス通学だ。バスに十五分ほど揺られる。自宅から最寄りのバス停で二人は降りる。あたりは、真っ暗になり帰り道には街灯の明かりが照らしている。
亮や唯の自宅は住宅街の中にあり、街からの喧騒が遠く聞こえてくる。
バス停から少し歩いくと、T字路に付く。
そこから亮の自宅までは5分もかからないところだ。唯も交差点から遠くないため、ここまでくればいつもお別れする。
「じゃあね亮。また明日」
「また明日唯。おやすみ〜」
お互いにさよならをし手を振ってお別れをする。二人ともずっと見つめ合ったまま手を振り続けるから、二人とも吹き出して笑った。
「ぷっ、もう亮ったら、今度こそ帰るね! バイバイ」
先に唯が振りかえって、亮は唯の姿が見えなくなるまで手を振った。
見送った亮は踵を返して自宅へと帰った。
◇
次の日、唯は学校に来なかった。その次の日もその次の日も……
亮は唯の両親から聞かされたのだ。
ショッピングモールの買い物に行った日は、家に帰って来なかったらしい……
唯の失踪という事実を、ただただ聞かされた。
それからのことは端的にしか覚えていない。学校にもいかず、部屋にこもって泥のように眠った。3日ほど経っただろうか、空腹と喉の渇きに負けて、リビングへと向かった。
それから警察の事情聴取を受けた、俺は何一つ分からない……知りたいのは俺の方なんだよ!!!
絶望と虚無感に浸った生活をしていた俺に唯のカバンが届けられる。警察の調べが終わったとのことで、唯の両親に返却されたらしい。
なんで俺に? 唯の形見だろ? そう思って唯の両親に聞いたものの、首を横に振られるだけだった。
部屋に戻り唯の学生鞄を開けと、中身は女子高生らしい教科書や、メイクポーチなどの荷物が入っている。
(あっ、むかし俺が貸していた本か……懐かしいな……)
亮は本を手に取ると、本に挟まった一つの手紙がはらりと床に落ちる。恐る恐る、亮は手紙を開くと……
『
唯より
この本懐かしいでしょ? 私が亮の家に初めて遊びに行った時に、亮のお母さんから読んでもらったやつだよ。
まぁ、前置きはこれくらいにしてと。
亮がこれを読んでいるということは、私はもう亮とは会えない存在になっているかもしれません。
それと、私の気持ちを伝えれてないはずなので、手紙に書き残しました。
私、桜井 唯は、神崎 亮のことが大好きです。初めて合った時から、私の胸はドキドキしていました。
そして、あなたとはいずれ結婚するの運命の相手ではないかと思っていました。
重い女って思われちゃうかな? 思われないといいな。
亮のお嫁さんになるのが私の夢だったな。亮は私のことどう思ってたか知らないけどね。
それと最後に、もうその世界に私はいないから言わせてもらうけど、私の分まで強く生きて欲しい。そして、私の分まで亮には幸せになって欲しいです。
これが、私の最後の望みです。
最後までわがままな私だけど、許してくれるかな?
それじゃ、またね亮
』
「うぅ……ぁぁあああ。おれも……唯に……この気持ち伝えたかったな……」
それから、ひとしきり泣いた。泣いて泣いて、後悔した。それでも唯の願いに応えるように、亮は少しずつだけど学校に顔を出すようになっていった。
◇ ◆
亮は立花さんと同じ時間に終わり、裏口で待っている。ケータイをいじっていると、更衣室の扉が空いた音がした。
「神崎くん、お疲れ様」
バイト着から私服に着替えて終えた立花さんは、小走りで亮の元へと駆け寄ってくる。
「立花さんこそ、お疲れ様」
店を出る頃には八時もすぎ、辺りもすっかり暗くなっている。道路には酔っ払ったサラリーマンの姿があちらこちらで見られる。
「ねぇ神崎くん、ご飯食べてかない? 美味しいお店見つけたんだっ」
特に断る理由もなかったため、亮は首肯する。
「いいよ」
「じゃ、行こうか」
立花さんに促され、そのまま二人とも、駅の方まで歩く。
バイト先から五分ほど歩いた所の、交差点を二人は横断していた。
亮を照らすライトが次第に近づいて来る。一つの大型トラックが赤信号に突っ込んでくることに気がついた。初めての死との直面、足が笑って動くことさえ出来やしない。
外野から何か言っている。混乱している頭では処理ができない。何を言ってるのか聞こえないのだ。
俺はすぐさま隣にいる立花さんを、首を回してみる。
亮の左隣を歩いていた立花さんはまだ気づいてないようだ
(くそっ、せめて立花さんだけでもっ!)
俺は思いっきり、立花さんの右肩を後方に押した。男性の力で思いっきり押されて、女子が動かないわけがない。立花さんはそのまま押されるがまま、後方に飛ばされ転ける。立花さんがいた場所、俺がいた場所をトラックが通過する。
トラックのフロントに亮は背中からぶつかった。強い衝撃が全身に走り、身体の骨が砕ける感触が襲う。しかし激痛は感じなかった。それがせめてもの救いだった。
(あぁ、唯。俺もそっちに行くよ。)
--プツンッ。
俺の意識は張り詰めた糸が、切れるかのように暗転した。
1~3日更新でやっていこうかと思います。
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