彼女は突然に……
「二日連続の遅刻……それも入学式の日から……お前なにか学校にトラウマでもあるのか? 相談に乗るぞ」
「いえ、トラウマはないんです……。強いて言うなら、学校に泊まっていきたいです」
家に帰ろうものならあの悪魔になにされるかわからない。ただでさえ、モテ期二回も潰されているんだ、これ以上俺の人生めちゃくちゃにされるわけにはいかない。
「お前、家で何かあったのか? 両親との関係でも悪いのか?」
この担任はすごく優しい。今時ここまで生徒を心配してくれる先生なんてほとんどいないだろう。だけど先生、俺の悩みは両親との関係悪化なんてレベルじゃないんだ。
下手したら、俺の人生――破滅へまっしぐらなんです。
「いえ、両親とはうまくやっています。そうじゃなくて悪魔が家に……いえ、なんでもないです」
「そ、そうか……困ったことが会ったら俺にいつでも相談して来いよ」
生徒の悩みを聞き出せなかったことに対する悲しみか、力になれなかったことによる無力さからなのか、心配そうな顔をしながら担任は俺に気を使ってくれる。
本当にいい人だ。こういう先生がもっと世の中に増えればいいのに。
正直今の俺には、昨日起こったことが多すぎて頭が整理できていない。
家に帰る前に頭の中を一度整理してみよう。
・昨日俺の前には、小学生程の容姿の悪魔が現れた。
・そいつは、今まで俺に彼女が出来なかったのは自分のせいだという。
・事実、あいつは俺の告白している現場を見ていた。
今のところはこんなところだろうか。ただ、ここにはいくつかの疑問がある。
・なぜ、あいつは今まで姿を見せなかったのか。
・あいつは一度も名前を名乗っていない。
――そしてこれが一番の疑問。
・なぜ、あいつは俺の恋愛の邪魔をするのか。
俺にはわからない。もちろん、悪魔と契約を交わしたことなんてない。そんなのは物語の中だけで十分だ。
「本当にあいつは何者なんだ……。なんのために俺のもとに現れたんだ……」
俺は答えが見つからず、ノートにひたすら謎の絵を描き続ける。
――その時、教室中のプリントが舞うほどの強風が吹き抜ける。
「そりゃあ、ワシの正体は悪魔に決まってるじゃない」
どこかで聞いたことのある少女の声がする。
透き通った声でありながら、決して声量が少ないわけでもない。はっきりと芯の通った声だ。
「そうそう、いつもいつも自分のことを『ワシ』とか言って、一体お前は何歳なんだよって感じだわ」
「レディーに向かって年齢を聞くなんて、お前には本当にデリカシーがないよね」
「そんなわけがないだろ。俺はこれでも女子にはやさ……し………く………って、えっ?」
俺は声の発生源であろう横を向く。そういえば、俺の横には女子がいない。それどころか、壁である。人はいないはず。
――そこには壁から顔だけを出した悪魔がそこにいた。
「う、うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
「ひゃひゃひゃ、驚いた?」
「お、お前どこから湧いて出た!?」
「せっかくだから、お前の後をつけてみたの」
「せっかくだから……ってお前よく学校に入れたな」
「まあ、それは簡単なことだよ。ほら、クラスメイトの反応見てみて」
はい? 俺はクラス全体を見まわす。そこには、まるで化け物でも見るかのようにおびえた目をしているクラスメイトがいた。
………………………あ、これ俺にしか見えてないパターン? これクラスメイトから見たら俺、壁にいきなり驚いて話しかけている人ってこと?
うん、それは恐ろしいね。いろんな意味で。
「わかった?」
「あぁ、なんとなく。お前の姿は他の奴には見えてないんだろう?」
「そういうこと。侵入も簡単でしょ?」
「うん、でもさぁ……もっと早く言って欲しかった……」
今、クラスメイトが俺に感じている視線は入学式の日とは違い、変わった奴に対する興味ではなく恐怖だ。
今更普通を装っても変わった性格の多重人格者の完成だ。もう、彼女どころか友達もできる気がしない。
「まあ、そう落ち込まないで。お前にはワシがいるじゃない」
『俺をぼっちに貶めた犯人になぐさめられたってうれしくないんだよ!』
俺はこれ以上騒ぎを大きくしないようにするために、ノートに殴り書きをし、悪魔に意思を伝える。
「お前まさか怒ってるの……?」
『あたりまえだ!』
「あっ、そうか……。ごめんね。ちょっとしたドッキリのつもりだったの……」
さすがの悪魔のことの重大さを認識したのか、頭を壁にめり込ませながら謝罪をする。
ここまで申し訳なさそうな彼女を見たのは初めてだ。さすがにここまで反省している奴を許さないほど俺も鬼畜ではない。
『まあ、いいよ。どうせ、遅かれ早かれこうなっていたさ。これで誰も近づいてこないだろうから、いじめの心配がなくなっただけましだ』
「お前はやっぱり優しいやつだね……」
彼女はしみじみと昔をかみしめるようにそう言った。
まあ、俺に昔から取り憑いているらしいし、昔、何か俺がしたことでも思い出しているんだろう。
「まあ、これで無事お前の高校ぼっちが確定したからワシの今日のノルマは達成だね」
あれ? ノルマ? 先ほどの反省は? もしかして演技?
『お前さっきの反省は?』
「そんなもの教室のごみ箱にでも捨てた!」
――っ。この悪魔やはり退治するべし。慈悲はない。
俺は今朝悪魔が寝ているうちに準備していた道具を取り出し、机に置く。
「そ、それは! ――ニンニクと十字架!?」
『そうだ! 前回の塩は失敗したがこれでお前を退治してくれるわ』
俺は周りから見えないようにこっそり右手に十字架を、左手で壁にニンニクをこすりつける。
「くさっ! やめて! いくらなんでもこれは無理!」
『さあ、消えるがいい悪魔め』
「待って今回も違うから。それ吸血鬼の倒し方だから。悪魔じゃないから! あってるの十字架だけだから!」
……どうやら今回も違ったらしい。でも十字架があっているのにどうして彼女は弱体化しないんだ?
「あっ、ちなみにワシは十字架ごときで退治できるほどやわな体はしてないからね」
『マジ?』
「うん、マジ」
どうやら俺が彼女を退治するのは不可能らしい。
「なあ、本当に大丈夫か、黒瀬……?」
――そういえば、今授業中でした……。
「はい、だいじょぶです……」
「お前保健室で一回休め。きっと新しい環境で疲れてるんだな」
どうやら俺は担任の中では精神的にまいってしまっている人らしい。
となりではその様子を見ていた悪魔が腹を抱えて笑っている。
本当にこの悪魔どう退治してやろうか……。
本格的にぼっち生活が決まってしまった今日、俺は絶望のあまり授業をすべて聞き流してしまった。
当然ノートなんてとっているわけがない。しかし、それを見せてもらえる友達を作ることもできない。
俺の高校生活は二日で終わった。すべてはあの悪魔のせいだ。俺のモテ期を二回も奪い、今度は高校生活と来た。もう、あいつとは関わりたくない。
それなのにあいつを退治する方法すらない。あいつは常に俺の近くにいる。
だれかあいつを退治できるやつはいないのか――。
「そんなやつこの世にいるわけがないからね……」
「おい、俺の心を勝手に読むな。というか、お前心まで読めるのか?」
「そんなわけないでしょ。あまりにも辛気臭い顔をしてたから、大方ワシに高校生活を壊されたのが悔しくて、だれかが退治してくれないかなとか思っていたんでしょ?」
正解です……。俺そんなにわかりやすいタイプだったんだ……。
「まあ、気を取り戻してがんばって」
「……………………」
「なに、その不服そうな顔。せっかく悪魔が励ましてるのに……。普通はありえないからね、悪魔が人を励ますなんて」
「お前、俺の落ち込んでる原因がその悪魔だってことを忘れるなよ」
俺は彼女を鋭い眼光でにらみつけくぎを刺す。だが、彼女はそんな俺の気持ちなんてどこ吹く風といった様子だ。
ぬかに釘を刺したところで立つことはりえないんだ。悪魔に説教したって意味はないと悟った俺だった。
それから一週間がたったがいまだに俺に話しかけてくる者はいない。
もう俺、ここに来る意味あるんだろうか……。ひきこもりたい……。
「見事な嫌われっぷりだね。気味悪がられていじめられもしないってちょっとかわいそう」
そういいながらもその言葉には嘲笑が含まれているのを俺はわかっている。
だって彼女の口元が完全につり上がってるからな。
『ああ、ほんとどっかの悪魔のせいでな』
だからこそ俺は彼女に皮肉で応える。
「ほんと、どっかの美少女悪魔のせいだね。クラスのみ〜んなお前から目をそらして――」
『ん? どうした?』
「あれって気のせい? なんかあそこの女がこっちを見ているような気が……」
彼女が指した先は一番窓際の席の一番後ろの席。確かにそこには黒髪で細身の女がこちらを見ていた。
『たしかにこっちを見てるな。でもそれがどうかしたのか? ただの興味本位だろ』
「いやそれにしては、時々ワシのほうを見ているような気が……」
『お前、俺以外からは見えないんだろ?』
それがこいつを退治するうえで俺にとって一番の問題なわけだが。彼女にはそれが見えてる?
――そんなわけがない。それならばこの間俺を放置した理由は何だ? 見えていたならば少しくらい助けてくれてもよかったはずだ。
これ以上悪魔の思い通りにならないためにも俺は余計な希望を持たない。
『どうせ、この辺に虫でもいたんだろう。あんまり気にすんな』
「そうかなぁ。まあ、それならそれでいいんだけど」
そう言って彼女はしぶしぶ納得した。
全ての授業が終わり俺はそそくさと帰る準備をし、学校を出る。
ただ、今日の帰りはいつもと違い少し違和感があった。
「なあ、なんか後ろに誰かいないか?」
「ワシもなんとなくそんな気はしていた……」
「お前ちょっと見て来いよ。どうせ他人には見えないんだから」
「まったく、人使い……いや、悪魔使いの荒いやつ……」
文句を垂れながらも、彼女は俺の後ろにある薄暗い路地を見に行く。
人の有無を確認してすぐに戻ってくるかと思っていた彼女は、数分経っても戻ってこない。
もしかして何かあったのか? 少し、ほんの少しだけ心配になった俺は路地をこっそりと見に行く。
――そこには、先ほどの女に口をふさがれて捕まっている悪魔の姿があった。
口を完全に防がれている彼女は手足をじたばたと動かし、苦しそうにもがいている。
「おい、お前何して――ってお前こいつが見えるのか!?」
あまりに突然の出来事で忘れていたが、彼女は悪魔を捕まえている。
本来は見えないはずの悪魔を――。
「そんなの楽勝……」
無機質な表情と声で彼女は答える。その瞳にはわずかな感情すらも籠っていない。ただ、淡々と事実を述べているだけ。そんな様に感じた。
「とりあえず、そいつを離してくれないか?」
「なんで……? 今なら退治できるよ……」
っ! たしかに。今あいつは捕まっていて反撃することが出来ない。退治するなら今しかない。
無抵抗の少女を退治するのは少々気が引けるが、これは今後の俺の人生においても最も大切なことだ。
「よし、殺るか」
「何を血迷ってるんじゃお前はぁぁぁぁぁぁ!」
女の手をようやく外すことに成功した悪魔はそう叫んだ。
「わかった、わかったから。冗談だって……二割ほど」
最後のほうはこっそり言ったからばれてないよね。たぶん……。
「ごめん、やっぱり開放してもらってもいい?」
「せっかく……退治できるチャンス……」
「まあ、そうなんだけどとりあえずね」
「あなたが言うなら……わかった……」
彼女が悪魔を開放する。そして、悪魔は急いで俺のもとに戻り後ろの隠れる。
「ありがとう。ところで君、クラスメイトだよね」
「うん……そう……」
「なんで後をつけきたの?」
何となく答えはわかる。だが、確信がないからには聞くしかない。
彼女は一呼吸おいて、その無機質な声で答える。
「――その悪魔を退治するため……」