彼女の正体
「ただいま~。今日早く帰ってきたの?」
俺は恐る恐るバスルームを覗く。
――そこにいたのは、全裸の少女。背は小学生の高学年程。肌は絹の様になめらか、ルビーの様な輝きを持つ紅い瞳、顔のパーツも整っている。『小動物のような可愛さ』を持った少女。
「…………」
俺は無言で扉を閉める。
「今、中に人がいたような気がするんだけど。お母さんかお父さん?」
そんなわけがない。俺の両親はもうすでに四十歳を超えている。あんなに若かった記憶はない。
「……俺もしかして疲れてる?」
今日は本当に最悪な一日だったから、俺の妄想とかが幻覚として現れたってことだよな。
俺は、目を醒ますために近くの洗面器で顔を洗う。冷たい水が顔中のありとあらゆる細胞を覚醒させる。
「よし、これで大丈夫。もう目は醒めた」
――はずなのだが、扉の奥からはいまだに流水音が聞こえる。
「俺もしかして耳までおかしくなった?」
もう訳が分からない。この難問を解決する方法はもう一つしかない。
「もう一度扉を開けるしかないよな……」
俺は何度か深呼吸をし、息を整える。
よし、覚悟は決めた。あとは扉を開くのみ。
俺は意を決し、奥に広がる楽園のため――ではなく、謎を解明するために扉を開く。
――そこには先ほどの美少女――ではなく裸の老婆がこちらを見ながらシャワーを浴びていた。
見た目なんて語りたくもない。ただただ、おぞましい光景が広がっていた。
「ごめんなさい。失礼します」
いやいや、あれはない。いくら疲れているからと言ってもあれはないわ。
俺の頭大丈夫か? 妄想を幻覚で見せるくらいならもっとましな妄想にしろよ。
目の前の現実を受け入れられない俺は、必死に今起こったことを否定する。
――そのとき、『ガチャン』と目の前の扉が開く。
嫌な予感がした俺は、咄嗟に目を瞑る。
「おい、お前。今ワシの裸体を見たかのぉ〜?」
瞼を閉じているため姿は見えない。だが、その声はひどく冷たく、その不機嫌さが伺える。
「いえ、見ていません。僕は何も見ていません」
「嘘をつくのは良くないねぇ〜。ワシと目が合ったような気がするのじゃが、それは何かの勘違いかねぇ~」
「それは……年相応のボケのせいによる記憶の破棄違いかと……」
自分でもこれが苦し紛れすぎる言い訳なのはわかっていた。それでも、ここで認めたら自分の中の何か大切なものを失ってしまうような気がしてしまう。
誰だって老婆の裸体を自宅で見たなんて信じたくない。そんなトラウマ受け入られる変わった性癖を俺は持ち合わせていない。
「そうかい、そうかい。親切に教えてくれてありがとうねぇ~。お礼にハグとキスでもしてあげようかねぇ~。それも高校生じゃ味わうことのないくらい激しいのをねぇ~」
老婆が俺の耳元で艶めかしく囁く。
「すいませんでした。事故とはいえ、あなたの裸を見てしまいました。ハグとキスは彼女とだけと決めているのでやめて下さい」
俺は平身低頭して謝罪する。
彼女もできたことないのに初めてのキスが老婆とか、そんなことになろうものなら多分一生立ち直れない。
「まったく、君は頑固なんだか、潔いんだかねぇ……」
あれ? 声の雰囲気が変わった。呆れてはいるけれど冷徹さが消えた。……ような気がする。
もしかして、今ので許してもらえた? やはり、素直な謝罪は大切なんだな。
「あの~そろそろ顔を上げても大丈夫でしょうか」
「なぁ~に、また儂の裸体が見たいのかねぇ~。エッチな坊やだねぇ~」
「ごめんなさい。まだしばらく頭を下げているので、早急にお着換えください」
「フフフッ、わかったよぉ~」
俺の前から、布と肌がこすれ合う音が聞こえる。これが、一番初めの美少女ならばとにかく、老婆のものではムラムラなんてするわけがない。
「終わったよぉ~」
「わかりました。本当に先ほどはすいません――」
俺がもう一度謝罪をしようと頭を上げると老婆だったはずの女性が、先ほどの美少女に変わっていた。しかも裸で。
「……………………」
「……………………」
――その場の時が凍る。
俺の頭が通常運転に戻るまで三十秒は経っただろうか。
「えっ……ええええええぇぇぇぇぇ!?」
えっ? ちょっと待って。さっきまでここには確かに老婆がいた。それなのに今ここにいるのは美少女。しかも裸。
いよいよ本気で訳が分からない。俺寝てるの? これは夢? それとも俺もう死んでるとか? 学校帰りにトラックに轢かれてた? それならこんな変な場所じゃなくてもっとファンタジーな異世界に転生したかった……って今はそうじゃない。この状況をどうにかしないと。
「あ……あの……僕もう訳が分からないのですが、少しこの状況について教えてもらってもよろしいでしょうか?」
すると、少女がその小さな口を開く。
「ひゃひゃひゃ、まあ、そう固くならなくても大丈夫だって。ワシとお前の仲でしょ?」
はい? ワシとお前の仲? 当然だが俺にこんな美少女との面識なんてあるわけがない。
もしも会ったことがあるならば、ひとめぼれ待ったなしだろう。まあ、告白したところでフラれるんだろうけれど……。――あれ? なぜか目に汗が……。
「どういうことですか? 確か僕の記憶が正しければ君と僕が会ったのは、今日初めてだと思うんだけど……」
「なに!? ワシとお前はずっと昔から一緒でしょ? ひどい、なんて薄情な奴なんだ!」
彼女はその場に膝を曲げて座りこみ、わんわんと泣き始める。
「ま、まて。そんなに泣くな。というかお前はまず服を着てくれ。この状況はいろんな意味でまずいから」
「知らないもん。ワシのことを忘れるような薄情者の言うことなんて聞きたくないもん」
彼女は先ほどより大きな声で泣き叫ぶ。このままだとご近所さんにまで泣き声が届いてしまう。それはまずい。――ただでさえ、今日の遅刻の所為で学校での肩身が狭いのに、ご近所さんにまで噂されてしまっては生きていけない。
「わかった、俺が悪かったから。ちょっと今は思い出せないけれど、後でちゃんと話を聞くから。とりあえず今は服を着てくれ」
「ほんと……?」
目に大粒の涙をためながら、彼女は上目遣いでこちらを見てくる。
正直かわいい。これがこんな状況でなければだが。
「ほんと、ほんと! だからとりあえず服を着よう。ねっ?」
「…………………わかった」
彼女はそう言ってようやく泣き止んでくれた。
「今日はいったいどうなってるんだ……」
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今いるのは俺の部屋。畳六畳程の部屋には、ノートパソコンや漫画や学校の教科書などであふれており、お世辞にも整理されているとは言えない。
その中にあるベッドには今、一人の少女が腰かけている。
それは、先ほど浴場にいた謎の少女。必死に謝罪をし、ようやく泣き止んで、服を着てもらうことが出来た
さすがに、少女用の服は持っていなかったので、俺のジャージを着せている。服が大分大きいせいか、胸元のあたりの肌がチラついてとても気になる。
「それで……さっきのはどういうことでしょうか。たぶん僕と君があったのは今日が初めてだと思うんだけど」
「本当に覚えてないの……?」
「わるい、覚えてない」
「はぁ~ほんと薄情な人……」
そう言って彼女はため息をつく。どうして初対面のはずの人間にここまで呆れられないといけないのだろうか。
「だったら教えてあげる。ワシとお前の関係性……」
俺はゴクリとつばを飲み込む。今この部屋の空気はいまだかつてないほどの緊張感に包まれている。
「ワシとお前は――」
「――やっぱり普通に教えても面白くないよねぇ」
ガタンッ。ゴッ。俺はズッコケて机に頭をぶつけた。鈍くて低い音が部屋の中に響く。
「いてて。って、おい。教えてくれるんじゃなかったのかよ!」
「いや~やっぱり普通に教えるのもつまらないし推理してもらおうかと」
「だったら、あんな空気を作るな! 驚いて机に頭ぶつけたわ!」
「ごめんごめん。今度はちゃんとヒントあげるから」
彼女は俺に握りこぶしを突き出してくる。
「それじゃあ、一つ。お前は顔が悪いわけではない。それなのになぜか一度も彼女が出来たことがない」
そう言って彼女は一つ指を立てる。
確かに毎回告白しては、ほかの人がお似合いとたらい回しにされてきたけど……。
それにしても病人のたらい回しは社会問題になるのに……非モテのたらい回しは大丈夫とか、この国は非モテに厳しすぎる。
でも、これが彼女と俺を結びつけるヒントなのか? 全く分からない。それに彼女はなんで俺がフラれていることをしっているんだ?
「ワシと君の関係これでわかった?」
「いやいや、無理だから。これでわかったら始めから覚えてるって」
「まったく、推理力の低い男だ……」
「理不尽……」
「じゃあ二つ」
彼女が二本目の指を上げる。
「ワシはお前がフラれるところをいつも見ていた。なんだったらワシがその原因といても過言じゃない」
フラれるところを見ていた? それはありえない。
俺がいつも告白するときは必ずみんなが帰った後の教室や、屋上だった。それに、誰にも見られないように人がいないのを確認していた。
仮に、見ることが出来るような状況だったとしてもあんなに幼い容姿では学校に入った途端に気付かれるに決まっている。
しかもフラれた原因は彼女にあるというのも謎だ。どうして彼女が俺の恋を邪魔するんだ?
「どう? そろそろわかった?」
「いや、余計にわからなくなった」
「はぁ~そんなんじゃ、名探偵にはなれないよ」
「べつになるつもりなんてないから」
「まあまあ、そうむきになって答えなくてもいいのに。それじゃあ最後、三つ目」
そして彼女は三本目の指を立てる。
「ワシは、今は少女の格好をしているが、シャワーを浴びていたときは老婆になっていた。これで、関係性まではわからないかもしれないけど、正体くらいはわかるでしょ?」
そうだ。ずっと疑問だった。彼女はなぜ少女や老婆に姿を変えることが出来たのだろうか。さすがにくノ一か、変装の達人だからとは思わない。それだとなぜここでシャワーを浴びていたかが全くわからない。
俺は必死に頭をひねり、正解を考える。
「いくら考えてるからって、体ごとひねらなくても……」
そう言った彼女の目は完全に、変わった生き物を見るかのように引いている。
あれ、俺物理的にひねってたんだ……。それは気持ち悪いわ。
――って、んん? 変わった生き物? 彼女は見た目を変えることが出来る。それは果たして人なのか? 俺は告白する日、人がいないかちゃんと確認していた。そう人間がいないかを確認していた。
じゃあ彼女はもしかして…………。
「お、お前はヒトじゃない……?」
すると、彼女は口の端をニヤリと上げ、邪悪な笑みを浮かべる。
「やっとわかった。そう、ワシは人間じゃない。一言でいうなら――」
「――――悪魔、かな」
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