1.スリー・コミッション(5)
「……ちっ」
ザンの舌打ちが、目の前の草原から飛び上がる翼飛機に唖然とするソラの精神を揺り戻した。
「いやーな展開だ……」
ザンは虚空をにらみつけ、そうつぶやく。
「え……?」
何事かとソラもそれに追従し、空を見上げてみると――
そこには凄まじい勢いで疾走してくる翼飛機の下部に備え付けられた常識外の火器をソラの卓越した動体視力はきっちりととらえることとなった。
「み、ミサイル!?」
未だ戦争の主力を握る、人類の生み出した最低最強の力であるそれは、命中性能とホーミング性能を最新技術で遺憾なくアップし、今ではその全長と同じ大きさの輪に、その身をくぐらせることができると言われている。
「まさかそんな――撃つつもり!?」
ソラの言葉通り、いっぺんの躊躇いもなく、そんな精度を誇るミサイルが容赦なく――発射される!
「うそっ!?」
正確な軌道を描きこちらに直進してくる高速の破壊の権化に、ソラの反射神経は本能的な部分で対抗した。
恐怖のままスロットルレバーを最大に引き上げる。取りつけられたキーが緊急発進のコードを受け取り、エンジンがマックスターボで駆動を始めた。
瞬間、巨大なバネで突き上げられたかのような勢いでアマツバメはその巨躯を空中に跳ね上げた。
一瞬後、アマツバメがいた場所の後方にミサイルが着弾する。
その攻撃は凄まじい爆炎をまき散らした。
コクピットが、ミキサーにかけられたかのように揺れる。
「な、なんで戦闘翼飛機が……!?」
翼飛機の強力な制空能力は、当然として武器をつければ強力な兵器になることを示していた。
空を飛ぶ鳥に決して手が届かないように、高速で飛行された物体を落とすことは至難の業だからだ。
故に、戦闘用にチューンされた翼飛機は、旧世代の戦闘機のごとく、攻撃能力の要の一つであり続けている。
「くっ……あいつら」
驚天動地の心持ちで言葉を吐くメインシートのソラに、聞き慣れた声が聞こえてくる。
「く、クリエ!? いつの間に!?」
後ろ側には、いつの間にか、捕らえられていたはずの金髪の少年が座っていた。
「あいつが僕のことさえ放り出してあの機体に戻ったときにです」
「なんで!? 逃げれば良かったのに!?」
「ソラさんの大事な翼飛機をそのままにしておけませんよ!」
「だからって君がいたって……」
何も出来ない――そう言おうとしたとき。
「いえ、僕なら。僕なら何とか出来ます」
「え――?」
目の前の少年の言っていることに、一瞬思考が止まる。
メインコンピューターの中枢に、プロが仕掛けた罠を何とかする――?
「あいつは僕がここにいることを知っています。だから――堕とせないはずです」
「そう。でもそれは根本的な解決じゃないし」
なるほど、罠を取り払うのではなく、発動できなくすると言うことなのか。
「その時間さえあればなんとかなります」
しかしその予想さえも少年は蹴散らした。
「…………っ」
自信満々の声で少年は断言する。
本当にプロが仕掛けた罠を解除するのだろうか。
そして、まるで瞑想にはいるように目を閉じた。
そのあまりの自信に、もしかしたら本当では――とソラの心に淡い期待が訪れる。
しかし――
ピピピピ、と通信を示す信号がランプにきらめく。
「お嬢ちゃん。そこに“トロン”のガキがいるよな?」
「――っ!?」
リゴールからの通信だった。
その声は、圧倒的有利にいる男の声にしては、かなりせっぱ詰まっていた。
「あんたがそのガキを輸送しろ。もし拒否すれば……あんたの夢は粉みじんだ」
分の悪い交渉といわざるを得なかった。もしソラが言うことを聞かなければ、クリエ共々死んでしまうのである。
決定権は向こうにあった。
「……わかった」
だが、ソラはクリエの言った言葉を思い出していた。
“僕なら何とか出来ます”と言った少年の強い意志は、信じるに値する物だと思った。どちらにしろアマツバメを捨てるなどといった選択肢はないのだ。
「信じてるよ」
そうソラはつぶやいた。
その時だった。
まだ状況は空転する。
「――そんな危ないモン、振りかざしてんじゃねえよ!」
大音量。
拡声器で拡張されたかのような大声が高々度を疾走する翼飛機のコクピットにすらたたきつけられる。
うっすらと煙にまかれ、何か影が差している。
巨大な影だった。
「きやがったか!」
通信の向こうのリゴールが苦慮にうめくように檄を飛ばした。
ソラはその声をたどって遙か眼下を注視した。そこには――
まるで西洋の鎧のような、巨大な人の形をした何かが立っていた。
凄まじい大きさである。全長は20Mほどはあるだろう。
全体的に銀色のパーツで統制されており、間接部のところどころに黒が混じっている。
その巨大な何かには顔らしき物体が存在した。
その顔は、まさしく兜をかぶった巨大な人間の頭部のようで、上空から見ても、全身の細かな装飾が把握できるほどそれは巨大だった。
「PA――!!」
ソラは、その特徴的な形を見て、すぐにそれがなんなのか理解した。
開拓の時代ににおいて、最重要視されたのは機動力ともう一つ、効率性だった。
どれだけ機械が発達しようとも、それを扱うのは最終的に人間であった。
急激に発達したAIも、人間の脳が持つ柔軟な対応力では役不足で、結果としてさらなる作業効率のアップを考えた時に作成されたのが人間の能力を補佐する機械だった。
人間の身体の能力を拡張する外装――ポッシブル・アームズ《可能性の肉体》と呼ばれる機械である。
宇宙服の延長線上として、各種身体能力を補助するパワードスーツの役割を付与されたそれは、量産のラインが整うと、バージョンアップ――機能向上によってニーズを満たすという、資本主義的な原理に従って、必然的に多機能的になっていき、全長を巨大化させていった。
外見はまさしく西洋の鎧姿といった風情で、メーカーごとに多少の差異はあるものの、基本は人の立ち姿をまねた作りになっている。
その移動速度は60kmを超え、装甲はテラフォーミング前の惑星内部でも活動可能なように、理論上は5000℃までの熱と、それに伴う圧力に耐えることが出来る。
さらに、危険回避のため、推進剤の利用における短期間の飛翔能力までも搭載され、マルチスーツとしてそれは、さらに進化を続けていった。
それが農耕用の他に、護身用の枠を超えた攻撃的な使い方をされるのは当然といえた。
最強の殺人兵器である銃を完全に防ぎきる防御力、それが車のスピードに近い早さで動くとなれば、オフェンシブに使われない方がおかしい。
とはいえ、全長20Mの兵器に沿った遠距離攻撃兵器を作ることは不可能に近く、工業用の工具を使うことがせいぜいな構造であるその機械は、より効率の良い攻撃のための技術を考えなければならなかった。
「PA剣術流派……雷華流!」
リゴールが通信越しに大きく吼える。
攻撃方法――
真っ先に浮かぶのは銃だ。
だが、その大きさの銃を作るのは硬度やコストからも現実的な案とは言えなかった。
――しかし、その大きさの“でかい鉄の棒”を作るのはさして難しくはない。
そのために、PAを使った戦いでは、“剣術”が扱われるようになった。
剣聖と呼ばれる、雷華厳流により開かれた、ポッシブル・アームズの“最強戦技”として名高い雷華流は、創始者の鬼神に近い伝説と、実際の取得者の高い技量を持って、乱立する流派を押しのけ、トップの規模を誇っていた。
惑星ごとに支部局を持ち、数々の強者を排出したその流派は、海を割る剣技を誇るという。
「雷華の名前を知っていてそれでも――俺と“ランディード”に敵対するかよ?」
機械式のサポーターを全身につけたような格好で、コクピット内に立つザンは笑う。
その返し刀は舌鋒鋭かった。
傲岸不遜なほどの口調で放たれた返答は、聞く者によっては震え上がるほどの冷たさを伴っていた。
「だが雷華でも――そら飛ぶ鷲は切れねえだろう!!」
だがそんな余裕さえ、飛行能力という圧倒的なアドバンテージに燃える男の耳には届かなかった。
「ちっ」
ザンの舌打ちが幽か通信に乗る。
その苦々しげな態度にソラは男の言うことが間違いでないことを知った。
そうだ、その通りなのだ。
どれだけ凄まじい技を持っていたとしても、届かなければ何の意味もない――!
「死ねぇぇぇ!」
喜悦の声と同時に、リゴールの翼飛機がミサイルを発射した。
高いポテンシャルを持つ究極の殲滅兵器は、一直線の軌道でザンのPAに向かっていく。
5000℃の惑星内部に耐える耐性も、地球の5万倍の圧力をはじき返す剛性も、この時代のミサイルには紙ほども役に立ちはしない。
この時代のミサイルは熱と衝撃だけでなく、機械分子の結合に対してもダメージを与える特殊極小マシン(ナノスレイヤー)を用いている。
人間の白血球ほどの大きさのその機械は、ミサイルの着弾と共に敵機体内に散布され、機械の装甲を内部から食い荒らす。
どれだけの熱耐性や硬度を持っていたとしても、その内部から弱められてしまうのであれば関係はなかった。
ナノスレイヤーの威力は絶大で、どれほどの堅さであっても、物質同士の結合を弱めてしまって、鉄以下の硬度としてしまう。
それに加え、ミサイル本来の機能である数万℃の熱波と、それに伴う爆発が対象を襲うのだ。耐えられるはずがない。
「はははははは!! チャンバラなんぞ何の役に立つ! 本物の力ってのは人間がいくら努力しても届かねえ場所にあるんだよ!」
圧倒的な力の暴力酔いしれるように、リゴールは哄笑を上げた。
ソラ達を護送していたときとは比べものにならいほど――感情のこもった、生き生きとした声だった。
おそらくこの男はこういった行為にしか快楽を見いだせないのだろう。
「違うな」
白煙を上げて迫り来る熱波の暴虐に、コクピット内のザンはすっ、と腰を落とした。
その動きに呼応するように銀色のPAは毅然とその腰を落としていく。
ダイレクトリンクシステム。四肢の駆動がそのまま機体の動きとリンクするのだ。PAは“パワードスーツ”なのだから。
二階建ての家ほどある機械の腕が風を巻き起こすように、その腰へとのびる。
そしてその腰から――何かを抜きはなった。
ぎらり、とサーチライトの光のような、白光が奔った。
「それは力じゃない。ただの――現象だ」
「何!?」
その白光を見るも早く腰だめに落とし――低く重心を取った腰のまま――素早く振り抜ける!
光のごとき早さ。まさしく一閃――閃光のごとく。
長大な日本刀が、高らかに刃をそらせて天に瞬くとき――
「なあにぃぃぃっ!?」
ミサイルはまっぷたつになって、中空で停止する。
その切り裂いた後からは、きらきらと雪のようなナノスレイヤーの粒子が舞い、その一瞬後に紅色の大輪が咲き誇る。
もうもうと噴煙が立ち昇る。
その中を縫って、PA“ランディード”は浮かび上がった。
ウィングと同じ高濃度圧搾ガスを背より吹き出す、本来は緊急離脱用に使われるその機能を使い、見る間に空へとその巨躯を打ち上げていく。
「墜ちろ!」
二度目の斬閃が放たれる。
「くそったれ! 化け物が!」
間一髪、機体を急制動して、その剛撃をかわすリゴールだったが、ミサイルさえも両断する勢いを完全に避けきることは不可能で、機体の下部に浅く斬撃が刻まれる。
リゴールのコクピットがその衝撃で大きく揺れた。
「力ってのは……意志があるから価値を持つ。正当性さえ主張できない、殺戮に使う力なんてのは――もう、災害だ。お前はその力で何も生み出すことは出来ない」
「ヘッ。そんなものよ。関係ねえなあ! 災害で得する人間だっているんだぜ!」
「そいつはゲスな考え方だな」
落下する機体を制動しながら、ザンは綺麗に着地を完了した。
どずん、という地崩れが起こったような音が大地を揺らす。
「すっごい……」
上空をひたすら旋回し、状況を見守るアマツバメのコクピットで、ソラはそれを呆然と見つめていた。
小さめのビルほどある人型の機械が空中を自由に舞い、剣を振るったのだ。それは並の技量で行える技ではなかった。
「クリエ! 助かるかも――」
その興奮のまま、ソラは快哉の叫びを上げ、クリエに話しかける。
「いや。ソラ。まだだ!」
だが、クリエの答えはさらに切迫したような――余裕のないものだった。
「え、なんで。だって――」
あのPAが勝ちそうじゃない――と言おうとしたとき。突如として緊急事態を示すシグナルが鳴り響き始めた。
「な、何!? なんで!?」
「メインコンピューターをッ!」
クリエの怒鳴り声に似た悲鳴のままソラは視線をメインコンピューターに向け――そして、そこに示されていた事実に愕然となった。
「メインコンピューターが自動航行に……しかも戻せなくなってる!?」
「クラッキング――! だから“何もなかった”のか!」
刹那、ソラは自分の身体の延長線上のような機体が、突然、眠りに落とされたような――そんな錯覚に捕らわれた。
操縦桿からの反応が消え、突然ブースターが最大の駆動を開始する。
「向かう先は――」
慌ててコンピューターの設定を確認すると、そこには信じられない行動パターンが入力されていた。
「あのPA!? 僕がいるのに……!?」
「つ、通信っ!」
せめて危険を伝えなければ――そう思って光波無線のチャンネルを合わせてみるが、
「駄目だ! 使えない!?」
「そんな!?」
無線機は、うんともすんとも反応をよこさなくなっていた。
突撃の対象である謎のPAは地に伏したまま、じっとミサイルを持つウィングだけを注視している。
こちらには目もくれなかった。
「避けてぇええええええっ!」
ソラの必死の叫びも強化ガラスと、エンジンの音に紛れて届くはずもなく霧散する。
PAのコクピット内でザンはひたすらにミサイルの動きだけに気を配っていた。
「次は……あてる」
ザンは、ソラの翼飛機に武器はないことは確認済みだった。
それにクリエとソラからは危険を感じなかったこともある。
何かを攻撃するということを念頭にすら置いてない――自分とは異種の思考。
次こそ、ミサイルを搭載した翼飛機を一刀両断してやるつもりだった。
故にザンはまったく二人の乗り込んだアマツバメに意識を払っていなかった。足場の無い空中で剣をふるうという神技は、注意力を散漫にしていて出来ることではなかった。
だから後ろからせまり来る気配は、ザンの中では些事として切り捨てられている。
「ふっ……はは」
目標に疾走する“アマツバメ”を、強化ガラスの望遠機能越しに見つめながら、リゴールはほくそ笑んだ。
(あいつは……“トロン”を狙う別の勢力の雇われだろう。なら……まさか“トロン”を乗せた翼飛機が突っ込んでくるなんぞ想像もしないはずだ)
あの男には悪いが、俺は何を使っても生き残る主義なんだ――と、リゴールは自分に“トロン”の捕獲依頼を出した男の顔を思い浮かべ、その顔を鼻を鳴らして嘲笑した。
「終わりだよ雷華流――!」
眼鏡を外して、リゴールはPAを注視する。
灰色の瞳があらわになる。
その顔には恐ろしいほど酷薄な笑みが張り付いていた。
アマツバメの速度が上がる。
ソラが叫ぶ。
クリエが怒鳴る。
その努力むなしく、PA“ランディード”はまったくその驚異に気がつくこともなく――
「くそっ。死んでたまるかぁああああああああっ!!」
二つの機械がふれあう瞬間。
クリエの悲痛な叫びと共に――
凄まじい光がほとばしった。
「な、なんだ!?」
まったく予想もしていなかったいきなりの光に、リゴールは心臓が止まるような戦慄を感じていた。
嫌な予感がふくらむ。もしかして自分は何かとんでもないことを――
「な、何……?」
そして、その光が収まるとき、リゴールは信じられない光景を見る。
言葉にならない驚きというものを体験した人間の、テンプレートと言わんばかりの驚き顔で、リゴールは呆然と画面を凝視した。
そこには信じられない物体が立ちすくんでいた。
まったく意味が分からない。
「が、……合体?」
率直にそれを表現するのは――そう言うしかなかっただろう。
「……ごめん。お父さん……ってあれ?」
ぐっと固くつむった目を開き、ソラはきょろきょろと辺りを見渡した。
コクピットのガラスから見える光景は、先ほどの疾走とうってかわって静止していた。
まるで時間が止まっているかのようだった。
一瞬天国にでも来たのかと思ったが、そこは相も変わらず、アマツバメのコクピットそのままだった。
先ほどと違いことといえば、突き上げるようなブーストの鼓動が無いことと、スピードの出し過ぎで唸りを上げるエマージェンシーのサイレンが無いことくらいだった。
「ザンさん。ソラ。聞こえる?」
そんな静寂を、聞き慣れた声が打ち破る。
「な、なんだっ!? 何がっ!?」。
その声に被さるように、今度は聞き慣れない声が響き渡った。
「クリエ!? 何これ!? どうなってるの!?」
異様な状況と言うこと以外、何も分からない不安が、現在の切実に情報を求めていた。
「……ごめん。どうやら変なことになってるみたいだ」
「変とはどういうことだ!」
聞こうとしていたことを、誰か別の声が先取りする。
そういえばクリエが名前らしきものを言っていたと思い出し――「ああ!」それが実像を結ぶ。
その声は日本刀を持っていた背の高い青年――何か重大な勘違いをしている彼の声だった。
ということは、あのPAに乗っている青年でもあるこということで。通信が回復したのかといぶかしむソラに、
「どうやら……なんていうか。合体してるみたい」
クリエが想像を超えるようなことを言ってきた。
「が、合体!?」
開いた口がふさがらないとはこのことだろうかと、実感できるような驚愕が胸中を駆けめぐる。
「なにそれ!?」
「う、うん。その……ザンさんのPAとソラの翼飛機が……くっついちゃってるみたいで」>
クリエの声がすまなそうな色を帯びる。
「はあ?」
まったく意味が分からない。
「おい! どういうことだ! 元に戻るのか俺のランディードは!」
焦ったようなザンの声に、これは本当に異常な状況なのだと改めて認識できた。
「分からなない……ごめん。それとソラのコクピット、全部機体の中に埋まっているんだけど……見えてる?」
「え、ええ!? ん……ちゃんと見えてるけど……ちょっとクリエ! 君は何処にいるの?」
もうお手上げと言わんばかりにシートに倒れ込んで、ソラは、まったく問題なく外の風景が見える強化ガラスに映った室内を、ぼんやりと見つめていると――ふと、自分の隣に座っていた少年の姿がないことに気がついた。
「僕、僕は――この機体と一つになってるみたいだ」
「え? ええ――!?」
それは何かに例えるならば――陳腐な表現になってしまうが、“天使”と形容するしかなかった。
白双対の翼をその背に抱いた、銀色の巨人。
まるで最初からそうであったかというように、不自然な点が無くその機体は存在した。
“アマツバメ”と“ランディード”は、何事もなかったかのように合体していた。
「く、くそっ……何がどうなってやがる!」
時間が停止しているように動かない、その不気味な機械を見て、リゴールはキャノピーに素手をたたきつけた。
背を貫くほどの言いようのない不安が、その機体を見るごとにわき上がってくるようだった。
「くっ……運の良いことだ……だが、これでしまいだろう! ぶっ壊れろ!」
その不安に押されるようにして、リゴールは全ての残弾を発射した。
全方位攻撃――どれほどの機動力を持ってしても逃れ得ぬオーバーキル。
白線を描いていくつもの殺意が、全ての逃げ道をふさぐかのように殺到する――
ミサイルが雨あられと飛んでくる。
「う、わあっ!」
その光景を見たソラは思わず、衝動的に発信の準備をしてしまった。まったく訳の分からないことになっている現状、その行動は一か八かであるが――
その操作は、まったくいつもと変わらぬように、機体を飛翔させた。
背中から裁きの火を降らすように、白光がほとばしり、機体を押し上げるように勢いを増していく。
「な、なんだぁ!? 飛んでる!?」
ザンの驚きの声がコクピット内に響き渡る。
「き、機体のバランスとか――」
ソラが焦りの声を上げた。
計器系のバランスがいつもとまったく違う調子でぶれている。それを直そうとしたとき、
「大丈夫それは全部僕がやる!」
「く、クリエ……」
今日一日、一番濃い印象で残っている少年の声がした。
「君、何者なの?」
これまでの流れを考えて、やはり彼が、この異常な現状のキーとなっていることに間違いないとソラは思った。
「それは……」
その問いに渋面を伺わせる口調でクリエの声が沈む。
だが、次の瞬間、はじかれたように声が真剣さをはらむようになり、
「ごめん。その話は後にして。ミサイルが――くる!」
危機感を含んだ声に変わった。
「くっ……おい! お前ら!」
状況について行ってない――といわんばかりのとまどいを残した声色で、ザンは叫ぶ。
「何っ! 今忙しい!」
だが、機体の操作に忙殺されるソラは、状況の不気味さのストレスとですげない言葉を返すことしかできない。
「俺のランディードはそのまま動くのか!?」
そのソラの態度に、少しむかつきを覚えたのか乱暴な言葉が返ってくるが、それでもザンは主点を失なっていなかった。
「た、たぶん動くと思う。前と同じように。ニホントウ? もちゃんと持ってるみたいだし」
質問にクリエが答えた。
「わかった……なら悪いが、もっとスピードを頼む。あの野郎に追いついてくれ。ミサイルは俺が――斬る!」
自信満々の顔でザンは右手を一閃した。
血ぶりをするように刃が宙を薙ぐ。
そこには取得してきた技量に対する確固たる自信があった。
「ふふっ。誰にスピードを求めてるの――私はこの銀河で一番早く走れるんですから!」
それに追従するようにソラは不適な顔を形作る。
もうこうなったらどうにでもなれといった、奇妙なすがすがしさが言葉にあふれている。
「二人とも存分にやっちゃって! 細かいことは全部僕がやる!」
それを頼もしそうに了解した、クリエの声が響き渡った。
「なんだか分からないが……いくぜぇ!」
「舌噛まないでね!」
異形の天使の背中の光が、一段と大きくなる。
「な、なんだあれは!? 早い!?」
その光が天使の動きをさらに異様な場所まで突き上げていく。今の目標の動きは、もはや弾丸のごとく凄まじい速度に鳴りつつあった。
「く、くそっ! やってられるか!」
その不気味さにリゴールは機首を反転させ、異形の天使に背を向け、フルスロットルで逃げ始めた。
「ミサイル後方7時っ!」
「疾ッ!」
早さについてこれずミサイルがどんどんと失速して墜ちていく、だが全部が全部というわけにはいかず、そんなミサイルの生き残りがけなげに食らいついてくる。
それをザンの剣が一閃した。
「一回転するわよ!」
「了解っ!」
さらにもう二つミサイルが迫る。その二つをソラは空中で大きくロールすることで交わしてみせた。
まるで円を描くような軌道で飛び、その強烈な上昇がミサイルを狂わせる。
それはさながら断崖絶壁を昇るような急上昇であった。
その急激な動きに耐えきれないミサイルは、二つが二つとも空中で花びらを咲かす末路をたどった。
「うお。おおおおおおおおおおっ!?」
信じられない――リゴールはまるで信じられなかった。
しかし自分が――何か恐ろしい物を作り上げる要因となってしまったのだと、理解するだけの謙虚さ、あるいは冷静さ――が彼にはあった。
戦闘中にそれを考えるなど現実逃避以外の何物でもなかったが――
「そういやなんの恨みもないが……銃を向けた以上、覚悟はしてるよな!」
その思考から我に返ったとき、もう全てが遅かった。強化ガラスの全面を――西洋鎧のヘルムのような頭部が覆っていたからだ。
緑色のアイカメラが射抜くようにこちらを見る。
「雷華流――1の太刀、“散華”!」
なんのてらいもない一刀両断――50トンあまりの体重を、全て込められてふるわれた剛撃の一打は、まさしく名前通りの惨状を引き起こした。
美しささえ感じさせる黒い翼飛機のパーツが、全てぐじゃりと切り裂かれ、歪み、それは一瞬でぐちゃぐちゃのスクラップへと変化した。
「うおおおおおおおっ!」
コンピューターからはき出される、エラーとエマージェンシーのコール音が乱撃するコクピットの中、遮二無二リゴールは脱出装置を作動させた。
ばん、とガラスが開け放たれ、強い風が吹き付ける。その風に乗せるようにリゴールは脱出した。
1秒後、パラシュートが開く。
そこでリゴールは、その理不尽な機体を間近で確認した。
それは不遜に、剣を抱いて飛んでいる。
それを見て、リゴールは改めて戦慄の思いを抱いた。
まるでそれは、破壊をまき散らす悪魔のようだ――と。
「…………ふう」
宙に浮いたまま急制動という状態で機体を止め、一息ついたところでシートにもたれかかったソラの息吹が、通信に乗って機体中に響き渡る。
「……終わったね」
笑顔が見えるようなクリエの声がそれを向かえた。
「……うん」
「凄かったよ。刀ってあんな風に動くんだ。ええと……」
「ザン・アキヅキだお嬢様。それでどうだい? 俺を雇ってくれるのかい?」
画面越しにウインクが見えそうな口調でザンの声が聞こえてくる。
「いや、それは……」
その言葉にソラは戸惑った。彼は自分を金持ちだと信じているが、自分はただのウィングレーサー見習いであるのだ。
「また……来る」
何と答えようか迷っていると、真剣な声が割り込んできた。
「クリエ?」
悲しげな少年の声。
「またああいう人たちが来る。ソラが今度はもっと危なくなるかも知れない。だからザンさん。ソラと一緒にいて上げて」
「ふむ。よくわからんが……あの手合いとの戦いは慣れている。引き受けよう。ソラお嬢様にクリエ坊ちゃん」
「うん。ありがとう」
「クリエは……?」
その言葉に、悲壮な決意が込められていることを感じ取り、ソラは問いかける。
「僕がいるとソラたちの迷惑になっちゃう。だから僕は別に――」
「クリエ……」
気まずい空気が二人に流れたとき――
ピー、と嫌な電子音が沈黙を破った。
「あ……ああ!?」
クリエが失敗を嘆くような声を上げる。
「アマツバメ号のメインコンピューターが……クラッキングのせいで……壊れてる」
「え、ええええええええええええっ!?」
「ご、ごめんソラ……」
「レースはもう……近いのよ?」
絶望的だった。視界に闇がかかったように、絶望が胸中を締めていく。
「……一つだけ方法がある。けど――」
「本当!? なんでもいいよ! それ教えて!」
「僕が、コンピューターの代わりになること」
「へ?」
何か本当に信じられない言葉を聞いたような気がする。
「僕は今、この機械の中にいる。僕は――そういうことができる。今僕がコンピューターの代わりになってるんだ。僕は……そういう力を持ってる」
(それが……“トロン”?)
ソラの脳裏をふとその単語がかすめるが、それを押し込め、ソラはふっと笑顔を浮かべた。
「わかったよ。クリエ……それにザン。一緒に行こう?」
「そ、ソラ……」
「了解だ」
クリエの寂しそうな笑顔を思い浮かべ――矢張りそれは悲しいことだとソラは思う。
コンピューターの破壊も大事だが、それよりもソラはクリエが付いてくることを望んだ。
「付いてきて。私に――私の夢に」
二人が頷く気配がした。
もうそれだけで三人の間に言葉は要らなかった。
その選択が行われたとき、まるで計ったかのように機体が徐々に推力を無くしていき、地面に到達した。
そこで、始め合体としたときと同じように光が瞬き、そこには再び、アマツバメとランディードがばらばらになっており、外にはクリエがうれしそうな笑顔で立っていた。
初めて出会った者同士、軽率なほどの判断かもしれない。だが――奇妙な確信があった。
それはきっと、三人で奇跡みたいなことを起こしたからだろう。
その判断は決して間違えることなく――三人の別々の道はやがて一つの大きな終着へと集合し、仲間の力を必要とする。
これはその序章――始まりの、始まり。